エストニアでIT化が発展したのは民族が他国から侵略されても民族が存続するためだという話を読んだ。いい話なのだが疑問が残った。調べてみたがよくわからない。
ご存知のようにフィンランド人とエストニア人の言葉はお互いに通じる。つまりエストニア人というのがなくなっても困らないということになる。たとえていえば九州がなくなっても日本人がなくならないというのと同じような話である。
だが、話はそれほど単純でもなさそうだ。そもそも、エストニア人とはどういう人たちかという点がよくわからない。もともとエストニア人という概念は無かったようだ。この地域の支配民族はドイツ人で、バルトドイツというのだそうだ。その地域が、デンマーク、スウェーデン、ロシアなどに占領されてゆく。フィンランド地域も状況は似ている。違いはドイツ人が北上しなかったという点だけだろう。フィンランド人という民族集団は意識されず、カレリア人とかスオミとか呼ばれる人たちがいただけだった。これがスウェーデンに占領されて逆にローカル意識が生まれたという経緯のようだ。今でもスウェーデン語はフィンランドの公用語の1つだという。
この集団はアジア系の言語を話すコーカソイドの人たちだ。都市ではなく農村に住んでいて被支配層として認識されていた。つまり「山の人たち」だったわけである。ところがそのうちに「民族性」というものを身につけていった。
国と民族というのは別の概念だったのだが、そのうちに民族国家という概念ができて、話がややこしくなった。例えばドイツとロシアが領土を分割した際に、ドイツ語を話す人たちをドイツ圏に移住させるということが起こった。そのうちにドイツのアイデンティティを持つ人たちはもっと西の方に移動することになる。ヒトラーがドイツを東方に拡張するという野望を抱き、それの揺り戻しが起きたからだ。
いずれにせよ、これらの民族性がどのように作られているかということを考えてゆくと「土地に住んでいるドイツ語を話せない人」というのがエストニア人だということになってしまう。つまり、他者によって規定されているということだ。
とはいえこれだけで規定されているわけでもない。北に住んでいる人はフィン人と自認しており、ロシア圏に入っている人たちはカレリア人というアイデンティティを持っている。さらにフィンランドに住んでいるカレリア人やエストニアに住んでいるフィン人などもいる。
いっけん、国がなくなっても民族がなくならないようにという説明は正しいように見えるのだが、実際には民族というものが複雑に規定されていて、一筋縄で生成されたりなくなったりするというものでもないのではないかと思われる。
ヨーロッパの状況を見ると自明に見える民族という概念だが、日本に当てはめるとよくわからない点もある。日本地域は中国との関わりから2つに分かれている。早くに中華圏から独立した九州・四国・本州地域と、中華圏に止まった琉球地域だ。しかし、本土と呼ばれる地域には猿田彦信仰が残り、大陸から来た人たちを先導したことになっている。しかしネイティブの言語を持っている人たちは残存せず、かといって先住民族を惨殺したという歴史も残っていない。
言語を見ると明らかに半島との連続性が見られるのだが、語彙は全く異なっている点から、徐々に別の言語が混交したような形跡がある。ヨーロッパでいうと、ウラル系の言語とゲルマン系の言語がいつのまにか新しい言語を形成していましたというような話である。
なぜヨーロッパでは言語の統合が起こらず古い民族集団が温存されたのか、なぜ日本ではこうした違いが溶解してしまったのかというのは、なかなか説明しづらいのではないだろうか。ポイントになりそうなのが、リーダーを作らないという点だ。バルト世界のように、ドイツ人という支配層ができなかったことで、被支配層も形成されなかったのではないだろうかと想像してみた。だが、本当のところはよくわからない。大陸のような他者を持たなかった日本人は、日本人だという意識をあまり持たなかったのだ。