Twitter Cardsを利用する

最近、Twitterに「概要を表示する」とか「画像を表示する」とかいうリンクが付いている投稿がある。知っている人は知っているのだと思うのだが、Twitter Cards(リンク先はTwitterの仕様書)という仕組みを利用している。特に写真は直感的でわかりやすいので、写真素材を使ったサイトは、ぜひ利用を検討すべきだろう。tumblrではこのように表示される。

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Twitter Cardsにはちょっと分かりにくい仕組みがある。申請方式になっているのだ。つまり、タグを実装しただけではカードが表示されない。申請にはかなりの時間がかかる。「数週間」ということになっているが、本当に数週間待たされる。

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しかし、いったん認証されてしまうと、ドメイン全体に効果が及び「過去にさかのぼって」展開されるらしい。同じドメインの中で複数サービスを展開するというのはよくある話だ。また、tumblrのようにオリジナルドメインが使えるものは、別途申請しなければならないらしい。ドメインごとに表示するかしないかを切り替えているようだ。

さて、この仕組み「メタタグ」という情報を読み取っている。メタタグは、具体的にはFacebookとTwitterで使われている。分かりにくいかもしれないが、title、description、url、imageは共用だ。

<meta property=”og:type” content=”article” />
<meta property=”fb:app_id” content=[app_id] />
<meta property=”og:title” content=”Key Questions” />
<meta property=”og:description” content=”key Questionsは次世代クリエータのためのちょっと変わった考察プラットフォームです。” />(もしくは、各記事の概要など)
<meta property=”og:url” content=”http://wpmu.hidezumi/” />(もしくは、各記事のURLなど)
<meta property=”og:image” content=”http://wpmu.hidezumi.com/keyquestions_logo_150.jpg” />
<meta name=”twitter:card” content=”summary” />
<meta name=”twitter:site” content=”@hidezumi” />

Facebook(リンク先はFacebookのデバッガ)にもTwitterにもこのような情報をテストできるツールがある。また、Wordpressにはこのようなメタタグを自動的に付加してくれるプラグインがあり、特に難しい技術仕様を知らなくても展開することが可能だ。

このメタ情報はいろいろな所で利用されるので、ブランディング対策を行う必要がある。気まぐれにいろいろなキャッチコピーを付けたり、ロゴを使ったりしていると、収拾がつかなくなってしまうに違いない。(と、いうより収拾が付かなくなりつつある)

ということで、サイトのマネジメントをしっかり行う必要がある。また、いろいろなところでロゴを使っているので、ウェブサイトやサービスを提供する時には、サイト用に集客効果がある(または印象に残りやすい)ロゴを作る事を考えるとよいと思う。企業ブランドの場合ロゴのガイドラインにオンラインサービス用の規定を設ける必要もあるだろう。

ミツバチと農業の多様性

 

2006年にアメリカ合衆国でハチが大量に失踪するという出来事があった。『ハチはなぜ大量死したのか』はそれを扱った本だ。結論から言うと、この本を読んでも、ハチが大量に失踪した理由は分からない。分かるのは「あまりにも複雑すぎてよく分からない」ということだけだ。原因は未だによく分からないらしい。

セイヨウミツバチはいろいろな作物の果実を実らせるために利用されている。だから、ミツバチの大量死は、農業そのものの崩壊につながりかねない。そして、農業の崩壊は局地的に起こるわけではない。ミツバチは世界各地を人の手で移動させられている。世界が緊密に連係しているせいで、ある地点で広がったウィルスは直ちに別の場所に広がる。

各地で使われている農薬も多岐に渡る。単体ではテスト可能だが、複合的にはどのような影響を与えているのか、実はよく分からないし、実験室レベルでは確かめる方法もない。

このように様々な理由が積み重なって、結果的にミツバチの群れが崩壊したのではないかというのが、最終的な結論だ。

この実例は「アイルランドのジャガイモ飢饉」に似ている。アイルランドでは、限られた場所に単一の品種のジャガイモを植えたために、ウィルスが劇的に広がったのだった。アイルランド人はジャガイモに極度に依存していた結果、人口は大幅に減少し、その後の回復には長い時間がかかった。

ミツバチの例はもっと複雑だ。原因は1つではないし、影響を受ける範囲も限定的ではない。地球上がアイルランドのようになっても、逃げる場所はどこにもない。

生態系というものは、注意深く積み上げられたパズルのようなものだ。そして多様な生態系ほど、変化やストレスに強い。システム内で回復力が働くからである。世界中が緊密につながると、その変化に系が対応できなくなる可能性がある。そこで起こるのが「系の崩壊」である。

つまり、世界を緊密に連携させることを決めたのであれば、その一方で多様性を守るために何ができるかを考える必要があるようだ。

日本の農業は、多様性にはあまり注意を払っているとは言えないのではないかと思う。スーパーマーケットも消費者も均一な大きさの人参やブロッコリを好むし、兼業農家はあまり手のかからない米ばかりを作りたがる。。時折提案めいたものが出てくるが、それは「工業」や「経営」の立場から出てくる生産性向上の提案ばかりだ。

とはいえ、以上の議論はあくまでも当事者ではない人の意見だ。やはり、単純に「多様性を守れ」と言うのも抽象的な議論に過ぎない。その意味では「美しい国を守れ」という議論とそんなに変わりはないのかもしれない。

すると、本当に問題なのは、当の農業従事者や流通の側から「今後日本の農業をどうしたいのか」といった声が全く聞こえてこないという点なのかもしれない。経験に即した発信ができる人がいないという点が、日本の農業の大きな問題なのかもしれない。

トウガラシから見えてくるもの

インド料理について調べていて興味を持ったので、トウガラシのことを調べてみた。なかなか面白いことが見えてくる。

トウガラシは中米(現在はメキシコ説が主流らしい)原産のナス科の植物だ。にも関わらず、トウガラシ料理を自国の文化と結びつける民族は多い。例えば韓国と日本を比較するのに「トウガラシとワサビ」という言い方をする人もいるし、インド料理やタイ料理にはトウガラシが欠かせない。

新大陸からヨーロッパに渡ったのはコロンブスの時代であり、それ以前のインド料理にはコショウはあってもトウガラシの辛さはなかったはずだ。こうした料理を見るとグローバル化という言葉が使われる以前から、世界の交易が盛んだったことが分かる。

トウガラシの叫び: 〈食の危機〉最前線をゆく』は、気候変動とトウガラシの関係について書いた本だ。邦題を読むと、いたずらに悲壮感をあおる本のように思えるが、実際にはトウガラシとアメリカ各地の人々の関係について実地調査した「明るめ」の本だ。

この本を読むと各地のトウガラシ – 日本人はひとまとめにしてしまいがちだが、実際には様々な品種がある – とのつながりと「トウガラシ愛」が分かる。気候変動によって引き起こされたと思われる水害によって壊滅的な被害を受けた土地もある。気候変動が将来の可能性の問題ではなく、いま目の前にある現実だということが強調されている。その一方で、過去には育てられなかった作物が収穫できるようになった土地もあるそうだ。

『トウガラシの叫び』は作物の多様性についても言及している。農作物も産業化しており、大量に収穫が見込めるトウガラシがローカルのトウガラシを駆逐して行くことがあるそうだ。それぞれのトウガラシには固有の風味というものがあり、それが失われることで、食べ物の多様性も失われて行くであろう。各地のトウガラシ栽培には、先祖たちのストーリーがある。それが失われるということは、すなわち先祖とのつながりや誇りといったものが切れてしまうということを意味する。

その事は、『トウガラシの文化誌』からも読み取ることができる。この本も人々のトウガラシ愛について言及している。

両方の本に書かれているのが、タバスコ・ソースについての物語だ。現在に至るまでルイジアナの一家が所有した企業によって作られているタバスコ・ソースは、南軍の兵士がメキシコのタバスコ州から持ち帰ったトウガラシから作られている。この一家の先祖は、北軍による攻撃を受けてその土地を追われてしまった。戦争が終わって戻ってくると土地は荒れ果てていたのだが、ただ一本残っているトウガラシを見つけた。タバスコペッパーは生きていたのだ。そのトウガラシから作ったソースは評判を呼び、今では世界中で使われている。

このようにトウガラシから分かることはいくつもある。地球温暖化や気候変動は身近な作物 – つまり私達の生活 – に影響をあたえている。多様な食文化は、食材の多様性に支えられている。グローバル化はそれを脅かしつつある。一方で、伝統的に思えるローカルな料理も実はそのグローバル化の影響を受けて変質している。変質してはいるものの、世界の人たちはおおむねこの変化を歓迎しているようだ。

トウガラシに着目するといろいろなことが見えてくる。理屈だけを見るよりも、具体的な物や人に着目する事で、問題についての理解が深まる。

さて、世界の人々がトウガラシに愛着を感じるのはどうしてなのだろうか。

トウガラシにはカプサイシンという成分がある。ほ乳動物はこの物質を摂取すると舌に痛みを感じる。ところがこのカプサイシンを少量だけ摂取すると体温が上がり、ランナーズハイに似た症状を感じるらしい。エンドルフィンなどの鎮痛成分が生じるためと言われている。

また食べ物の味を明確にする機能があるようだ。よく「辛いものばかり食べていると舌がしびれてバカになる」と言う人がいるが、実際には逆らしい。このことは日本人の好きなスシとワサビの関係を見てもよく分かる。ワサビの辛みが加わる事で、味に「枠組み」のようなものが生じ、うまみが増すのが感じられるからだ。

発達障害と職場のコミュニケーション問題

クローズアップ現代が「発達障害」を取り上げてた。クローズアップ現代によると、職場で発達障害の人たちが<問題>になっている。彼らはコミュニケーションが苦手なのだが、実は人口の10%を占めるという。つまり、発達障害のある人たちをどう<対処>するかということは、どの職場にとっても重要な課題だ。

この30分のプレゼンテーションを見て、とても違和感を感じた。とはいえ、なぜ違和感を感じたのかは分からなかった。結論から言うと、発達障害について関心があるから違和感を感じたのではないようだ。

最初に思ったのは、人口の10%もいる人たちを「障害」というのはどうなのだろうということだった。例えば、日本ではAB型の人は10%いるが、その人たちを「血液型に障害がある」とは言わない。次に感じたのは、こういう形質を持った人たちは昔からいたにも関わらず、なぜ今になって問題になるのだろうかという点だった。さらに、発達障害を持った母親というのも人口の10%を占めるはずだ。彼女たちは、育児で子どものちょっとした表情の変化が読み取れないはずだが、それは<問題>だとは言われない。それはどうしてなのだろうか。

このプレゼンテーションは90%の人たちに向けて作られている。途中で「表情と言葉が一致しない」場合に意味が読み取れないのが発達障害の特徴だという例が出てくる。この例示は発達障害の人には分かりにくい。つまり「番組を見ているのは90%だけ」だという前提で作られていることになる。いいかえれば10%の人は最初から視聴者としては排除されていることになる。もし10%の人にも分かりやすい作り方をするならば、これは「不快感を表す表情ではない」ことを強調して説明する必要がある。

ユニバーサルデザインをやっている人ならよく分かる理屈だと思う。二型色覚を説明するのに「色盲の人はこう見えています」と例示するのは、視聴者が正常色覚しかいないという前提に立っていることになるので、デザイナは、この課題を扱う時に表現や見せ方を工夫するだろう。

だから、作り手であるNHKには「コミュニケーションが苦手」な人がいなかったのだろうかという気にもなる。一度、そうした人たちにプレビューすれば問題が明らかになるはずからだ。つまり、番組を作るにあたって90%が作り、視聴者も90%を対象にしているということだ。

どうやら、このあたりに「違和感」の遠因があるようだ。ここから展開できるのは、隠れた問題意識だ。

本当は「コミュニケーションが苦手な人がいるために、効率よい職場環境が作れない」から「これは困った」という<問題>がある。本来なら、そうした人たちにもコミュニケーション技術を習得して貰いたい。それでも無理なら居なくなってほしい。しかし、人権の問題もあってそうはいえない。だから「どう対処すればいいのか」という点に問題を置き換えている。それゆえに一貫して「障害だ」という主張が繰り広げられているわけである。

しかし、この事自体が直ちに問題だという主張がしたいわけではない。

<問題>を進めるに当たって、以前にも増して効率化を進めなければ、これからの職場は立ち行かなくなってしまうであろうという前提がある。コミュニケーションにある特性がある人たちを構っている余裕はない。90%が期待しているとされるのは曖昧に指示を与えてても「適当に解釈して」くれるコミュニケーションだったり、空気を読んで自発的に残業してくれる気配りだったりする。

職場にはいろいろな不調がある。それがどのような背景で生まれたものなのかはわからないが、とにかくそうした不調を「コミュニケーションの問題」として乗り切ろうとしているらしい。そこでますます生産性を上げて、では果たして何を実現しようとしているのかという点には全く触れられないし、そうした分析もない。にも関わらず「これからの職場はますますコミュニケーションが重要になるだろう」という前提が語られてしまうのである。

例えば上司が「どうしていいか全く分からない問題」を「適当にやっといて」と部下に丸投げすることがある。「空気が読める」部下は、なんとなく愚痴の一つでもこぼしつつ適当に処理をするだろう。「ああは言ってるけど、きっと、たいした仕事じゃないんだろうなあ」などと思うわけだ。中にそれが分からない人がいる。この時、上司の側にも部下の側にも問題があるだろう。もし「何のためにやっているのか分からず、適当に指示するほかない」仕事があふれているとしたら、これは経営者の責任である。それを「障害」や「脳の特性」にすることで解決してしまうのはちょっと乱暴だ。

<問題>を見つめるということは、何かを見ないようにするためである可能性がある。浮上している問題を見つめるのは簡単だが、その影に隠れている当たり前の中にある問題を探り出すのは難しい。もっとも、そこまで考えてしまうととても30分で分かりやすくまとめることなどできないだろう。

いずれにせよ、公平であるということは、実はなかなか難しいらしい。

日本人と味覚

インド料理について調べていると「日本人が持っている味蕾の数は世界一である」というような記述があった。なかなかすばらしいことではあるが、日本人が書いた日本人論を見ると「これ、本当かなあ」と思うことがある。特に、客観的な事実が書いてあり、出典がないものは要注意だ。ということで調べてみた。

この「日本人が持っている味蕾の数は世界一」という表現は、いくつかの事実が合成されてできた「風説」のようだ。このフレーズだけを聞くと「ああ、僕の味覚も優れているんだなあ」などと思ってしまう。そして「トウガラシばかり食べている他の国の人と違い、日本人は繊細な味が分かるのだ」という結論を出したくなる人もいるかもしれない。

味覚を調査した論文がいくつ載っている本には「白人に比べて、アジア系には味蕾の数が多い人の割合が高い」書いてあるものがある。この研究は中国人と白人を比べているが、アジア系一般に言えることらしい。インド料理の本で読んだのはこの「アジア系」を日本人に置き換えたもののようだ。

一方、オーストラリア人と日本人を比較対象した研究には別の記述がある。オーストラリア人と日本人を比べて味の識別能力がどれくらいあるかを調べた。「うま味」(グルタミン酸など)で優位な差が出たが、その他の感度に違いはなかった。この調査は溶液を使ったものだ。ところが、実際の食品の味付けを変えて出した所、オーストラリア人と日本人には違いがあった。(以上『味とにおい – 感覚の科学-味覚と嗅覚の22章』)

どうやら「白人と比較するとアジア人(日本人も含まれる)には味覚が鋭敏な人が多く」「日本人は西洋の人の味の好みは違う」というところまでは「事実」らしい。一般的な体験を重ね合わせても、日本人の方が薄味を好むという点までは合意ができそうな気がするが「日本人の味覚は世界一」とまでは言えないようだ。

この「日本人の味覚は優れている」という説には続きがある。ネット上でいくつか見つけたのは「うま味は日本人が見つけた。これがわかるということは日本人が繊細な味つけを好むからだ」というような主張だ。確かに「うま味」は世界共通語になっていて、5つの基本的な味(しょっぱい、あまい、すっぱい、にがい、うまい)の1つとして認知されている。ところがこれも「日本人」をどう捉えるかで、意味が違ってくる。

うま味を見つけて、命名したのは、池田菊苗という日本人だ。1907年に発明して特許も取っている。ところが「うま味は日本人が発見した」と聞くと「日本人一般が古くからうま味の存在を知っていた」というようにも取れる。

ところが、東南アジアから東アジア一帯には魚醤を使う文化圏がある。魚が発酵するとタンパク質が分解されうま味成分が作られる。例えばキムチにもこうしたうま味成分が含まれている。つまり、日本人は海洋アジア系の伝統を引き継いでいるということは言えても「日本人だけがうま味を知っている」とまでは言い切れないことになる。アジア人は古くからうま味を利用してきたのだ。

一方で、日本人が諸外国の人々と比べて特に際立っていることもある。それが「風味」に関する欲求だ。風味は「フレーバー」と翻訳されたりするのだが、どちらかというと「新鮮さ」を識別する指標として使われることが多い。スーパーでも「産地直送」の新鮮な野菜や魚などに人気が集る。そのために物流網が発達し、鮮度を保つ冷凍技術なども充実している。デパートの売上げが落ちていると言われているが、デパ地下の人気だけは衰えない。

強い味付けが好まれないのは「魚や野菜の素材を活かして新鮮なうちに食べるのが一番おいしいのだ」と思っている人が多いからなのかもしれない。

こうした鮮度に対する欲求が際立っているせいで、外資系のスーパーマーケットはなかなか日本で成功することができない。コストコのように価格で成功している店もあるが「日用品」「加工食品」「肉」といった主力商品は、どれもあまり鮮度が重要でないものだ。

また、新鮮な素材が豊富に手に入り、消費者の食べ物への関心が高いために、東京では世界各国の料理が食べられる。

総論すると、日本人の味覚が世界一と言えるかどうかは分からないが、新鮮な食べ物が手に入れやすい点と、世界各地の料理が食べられる点では、かなり幸福な環境に暮らしているということはいえそうである。