慰安婦賠償判決における韓国の心情司法の問題点

政治スペースのモデレーションをしていると時々「厄介な」質問がつく。それが中国と韓国問題である。Quoraの日本語版には弁の立つ中国系がいる。彼らは「理」で押してくるので日本人は太刀打ちできない。だが、韓国系・韓国人はあまり目立たない。このため日本人の立場だけが盛り上がり最終的に在日排斥などの「ヘイト」に結びついてしまう危険性がある。これが示威行動に結びつき「容認された」と最終的にアメリカのような直接行動に結びつきかねないのである。理論的には表現と物理的暴力は別物のはずなのだが実際には地続きになっているという複雑さがある。

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政治議論では沼に引きずりこまれないように注意しなければならない

政治議論について考えている。コメント欄の文章を読んでいて面白かったことがある。自分の立場を開示した上で、お前はどう思うのか白黒はっきりさせなければいけないと書いてきた。その上で「ボールは今お前が持っている」という。

「キャッチボールをしているつもりはないのだが……」と思った。そもそもボールを投げつけることをキャッチボールだと思う人はいないだろう。

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他人の話を聞けない人たちと聞かない人たちが主役の政治議論

面白い経験をした。だが、考えるうちに「自分はバカの共犯者になっているかもしれないなあ」と思い、ちょっと怖くなった。きっかけになったのは敵基地攻撃で自民検討チーム 山口公明代表「慎重に議論」という記事だった。日本政府は理論上、能力の保有は憲法上許されているが、現実的な保有は政策判断としてしないという一貫した態度を取ってきた」と指摘したという発言をこのブロクで書いたのでそれを別のSNSにも紹介しておこうと思ったのである。意味がわからないというかあまりにも苦しい言い訳なので外から見ると面白いのだ。

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情報多様性に戸惑う赤ん坊を安心させるための技術について考える

新型コロナウイルス騒ぎを追っている。この問題はまだ未確定なことが多いのだが、この未確定さを追っていると「人々の不安耐性」と「正常性バイアスの強さ」がわかる。こうした不安を払拭するために情報発信者はいったい何ができるのかということをやや真面目に考えたい。

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環境に関する議論を喚起してみる

Quoraのスペースで環境に関する議論を喚起してみた。予想通りの所もあったし予想外のこともあった。いつもは「日本人は議論ができない」ということは書いても「どうしたらできるか」は書いたことがない。多様な認識を持つ人たちが共通の議論の素地を持つというのはなかなか難しいと思う一方で、ちゃんと話し合いをしたいと考える人は増えているという実感もある。「実践編」なのですっきりとした感覚は得られないが、まあ実際にやってみるというのはそういうことなのかもしれない。

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コミュニティマネジメント実践編 – 「引用」を徹底して大混乱する

フェイクニュースが多い。特にネトウヨ系の人が自分の言いたいことだけをいう絶叫型の記事が多く困っていた。軽く「引用をしっかりさせれば収まるだろう」と思っていたのだが、これが大間違いだった。日本人には引用を理解できない人がいる。説明してもわかってはもらえないのである。日本人は「理由を気にしない」という性質があるので制御するのにかなり癖のあるやり方をとらなければならない。

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議論と対話実践編 – 意見を募集してみる

Quoraでスペースと呼ばれるコミュニティ運営をやっている。自分の意見を言いつつ投稿にも目を通して場所を作って行くという作業である。漫然とやっていたのだが、定期的にまとめたいと思う。今回はその第一回目である。今回は「参加を促す」ことの是非について考える。色々考えているとかなり本質的な問題にぶち当たる。

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