刺青とタトゥー – 伝播と歴史

NHKで海外からの観光客の呼び込みについてのプレゼンテーションを見た。その中に、銭湯でタトゥーが入っている人たちを一律に排除するという話が出てきた。観光客が来ただけでこれだけ大騒ぎになるのだから、移民の受け入れなんか絶対に無理だろうなあと思った。

その中にオセアニアの女性が顔の刺青で差別されたという話が出てきた。その民族の間ではタトゥーには家紋としての役割りがあるそうだ。こうした伝統は太平洋沿岸に広がっており、かつての日本も例外ではなかった。中国の古い書物には倭人が刺青をしていたという記述があるという。台湾の原住民は今でも刺青が通過儀礼になっており、日本もこうした太平洋世界の一員だったということがわかる。

だが、日本での刺青はその後廃れてしまう。代わりに刑罰として刺青を入れるという伝統が生まれた。太平洋原住民の伝統がなぜ消えたのかはわからないが、刑罰としての刺青には「犯罪者は真っ当な人には戻れない」という意味合いがあり、大衆に対しての抑止力としての効果が期待されたのだろう。

ところがこれはいささか浅はかな考え方だったようだ。犯罪者たちは社会に受け入れてもらえないので、自分たちで集団を作るようになった。社会復帰を許さず犯罪者に差別感情を向けると、犯罪組織が定着してしまうのである。ならずものの集団は刺青を様式化して仲間のシンボルとした。日本人は自分のドメインに関しては真面目なので、刺青の様式は精緻化し芸術の域まで高められることになった。

こうした犯罪者を社会から排除する」という意味合いの刺青は西洋にも見られる。ドイツ人はユダヤ人を収容所に入れる前に番号を書いた刺青をした。家畜に焼印を押すような感覚だったものと思われる。きわめて残虐な行為だ。

だが、西洋の刺青は太平洋経由で持ち込まれた。タトゥーという言葉は太平洋語(もともとは台湾あたりが発祥とされる)由来だ。このように、西洋のタトゥーは冒険や蛮勇の印と考えられている。イギリス王ジョージ五世は日本人に刺青を入れさせたことで知られている。軍人として諸国を訪れたさいの「お土産」と考えられたようだ。ジョージ五世は横須賀でスカジャンを買うような感覚で刺青をいれたのかもしれない。アメリカでも軍人が海外赴任する前に勇気を鼓舞したり、愛国心を確かめるためにタトゥーを入れる伝統があったようである。

このように限定された人たちの間の流行りだったタトゥーが西洋で一般化するようになった経緯はあまりよくわかっていないようだが、一時の流行ではなく定着しており、アメリカでは5人に1人が刺青をしているという調査もあるそうだ。

思い浮かぶのはサッカー選手だ。もともと下層階級のスポーツだったサッカーが世界に広まる過程でタトゥーも広がったものと考えられる。今ではベッカムのような白人や日本人の間にも広まっている。ベッカムがファッションアイコンになる過程で若者にも影響を与えている。

日本の銭湯や地方自治体が刺青を一律に禁止するのは、個人で責任を負いたくないからだろう。「〜ということになっている」とすれば、個人の責任が減免されると考えるのだろう。確かに犯罪者の印である刺青の入った人たちが集まれば、普通の人たちは怖がって入らなくなるだろう。だが実際には刺青は多様化しているので一律にルールを作って解決することはできない。

これを解決するためには「担当者に権限を与えて現場で判断させる」必要があるのだが、権限移譲して責任を持たせるのは日本人が苦手とする作業である。現場の判断は「仕事を楽にする」ほうに働きがちで、現場の風紀の緩みや安全性の低下につながる。これは日本人が成果を末端の構成員には渡さないので、組織の責任を果たそうという気持ちが生まれにくいからだろう。日本人は自分のドメイン以外のことには極めて無関心なのだ。

だが、タトゥーと刺青が区別されないのも当然のことである。各地の歴史は結ばれており、複雑に反響し合いながら変化し続けている。太平洋の文化が西洋に広まり、日本の犯罪者組織の間で芸術の域にまで高められた刺青はイギリスの王様に影響を与える。それがサッカー選手を通じて日本に逆輸入されるという事態になっている。もう一つのルールだけで全てを規定することはできないのである。

なぜ日本の政治は歌舞伎化してしまったのか

さて、先日来政治の演劇化について考えている。

アメリカでは、現状を打破してくれそうなトランプ候補に人気が集まった。プロレスやリアリティーショウで大衆の心を煽る手法を身につけたトランプ候補は当初「政治でなくリアリティーショウ」などと揶揄されていたわけだが、実際には、実際の政治は信頼できないと考える有権者を掘り起こし、従来の誠治参加層を離反させた。念入りに作り込まれたドラマが忌避されてリアリティーショウに人気が集まるのに似ている。旧来からのテレビの視聴者は離れてしまう。

一方、日本の政治は歌舞伎化している。実際には外国の状況や衰退してゆく人口動態に振り回されているだけなのだが、自民党は力強い統治者を演じ民進党がそれに反対するという図式である。問題解決ではなくテレビが入った時にいかに悲壮な顔をして反対して見せられるかというのが、野党政治家の一番の腕の見せ所になっている。問題解決は出来ないが、何か問題提起をしてそれがテレビニュースに乗れば一躍「朝生討論会」メンバー入りである。政治家はひな壇芸人化しているわけで、政治のバラエティー化と言える。

両国の現状は、政治が普段の生活から遊離してしまっていることを意味している。

アメリカの場合はそれでも選挙キャンペーンに有権者が参加することができる。有権者は対話を通じて目の前の問題について学ぶことになる。一方日本にも自分たちの問題に目を向けるチャンスはある。こうした問題は地域の自治会などで取り扱われている。自治会が扱う問題は国の規制の問題に行き着く。つまり地域と国は連動しているのだ。

これとは別に住民相談室を作っている地域政党もあり一定の支持者がいる。たいていの場合には「消費者のネットワーク」が母体になっているようだ。

しかしながら、自治会や消費者組織は一般化することがない。いろいろな問題がある。

第一に日本人の有権者が消費者化している。日本の政治はもともとは臣民型と呼ばれていたそうだが、アメリカに解体された。その後、紆余曲折を経て有権者は税金を払ってサービスを受益する消費者になった。これは皮肉な例えでもなんでもなく、市役所などでは有権者のことを「お客様」と呼ぶことがある。

もともと自民党は地域の生産者団体を組織してできている。地域生産者とは農家や地域の中傷零細企業だ。もともと政治は生産と結びついていた。しかし、長い歴史の中で有権者は生産者ではなくなり、ついには正規従業員でもなくなりつつある。それを受け入れる政治団体はないので、国民の政治離れが進むのである。

非生産者が政治に参入しないのはどうしてなのだろうか。

バブルを知っているくらいの世代の人たちは、左翼がもっと暴力的だった時のことを知っている。大学にはアジトがあり、普通の学生は「政治とは過激なものだから近づいてはいけない」ということを学ぶ。彼らは勉強もしないで7年間も闘争するドロップアウトであった。普通の知識人(といっても都心の大学生くらいのレベルだが)にとっては、政治はテレビで見るものであり参加する(といっても角棒を持ってデモに参加することだが)ものではないのだ。

自治会に入るのも敷居が高い。地域には「仕切り屋」がいる。仕切り屋たちにはいろいろな流儀があり、それ以外のやり方は許容しない。日本人は村落を作って落ち着くのを好むので、多様性を受容するのに慣れていないのだ。地域の中には退職前の職業が違うために、やり方が合わないという人たちが必ずいる。こうしたところに新規参入者が入ると大変なことが起こる。「どちらの味方になるのか」ということになってしまうのだ。

バブル期の大学のアジトと自治会は違っているように思えるのだが、実際には多様性を許容しないという点では似通ったところがある。違いは血の気の多さくらいだ。大学のアジトは闘争を繰り返し、小さな集団に分裂した。これは決め方を闘争によって決めようとしたからだ。国会が「プロレス」だとしたらこちらはストリートファイトのようなもので、実際に死人も出ている。

自治会の場合は気軽に引っ越せないので、そのまま耐え忍ぶしかない。集合住宅の中には「お金で解決する」人たちもいる。管理会社が自治会に入り、居住者は管理費を払うという形式だ。これは自治会が単なる「お掃除当番」だと見なされているからである。

日本の地域政治に消費者団体と自治会組織の二本立てになっているのは、お母さんが政治参加しようとしても自治会では主役になれないからだ。「お前は世の中のことは何もわかっていない」と決めつけられてしまうので、消費者団体などに避難してしまうのだ。

政党も自治組織や消費者組織を活かし切れているとは言えない。政治家は「仕切りたがる」人たちなので、こうした団体を自分たちのファンクラブだとしか考えていないからだ。そのため、独自の候補者を立てない消費者団体(現在では高齢化の問題に対処いている人たちも多い)は各所からくる応援要請を「どれにしようかな」と選び、付かず離れずの態度を取ることがある。取り込まれてしまうのを恐れているのだろう。実際に話を聞いてみるとその態度はかなり冷ややかである。

地域の団体は生存を危機にさらすような闘争を避け、ニッチを獲得するとそこで場を支配したがる。素人の「政治家」は人を利用して自分の利益を追求しようというずるさを持たないので、たいてい協力者がいない。

まとめると、日本では多様性のなさとリーダーシップの欠如から政治の演劇化が進んでいるものと思われる。これが政治の演劇化を加速しているのではないかと考えられる。

政治的な相互依存状態を確認するには

最初に政治的相互依存という概念に気がついたのは軍事アナリストの小川和久さんという人のツイートを見た時だった。ということで、偉大な洞察を与えてくださった小川さんには感謝したい。

さて、日本の防衛政策は行き詰っている。アメリカが国力を維持できず、アジア地域からの暫時撤退を希望しているからだ。安倍首相はアメリカをつなぎとめるために、憲法を無視した安保法案を成立させた。今でも南スーダンに行くのは現地の邦人保護ということになっているそうだが、実際には多国籍軍事活動への参加だ。

ここまで無理をしたのに潮流は変えられず、トランプ大統領時代にはこのトレンドはもっと顕著なものになりそうだ。安倍さんはアメリカにフリーライドして中国に対抗しようとしたわけだが、アメリカ人はその意欲を共有してはくれなかった。

安保法案が一部の国民のアレルギー的な反対にあっている時に小川さんがやったのは2つのことだった。「日本が独自で防衛するととんでもない出費になりますよ」といって国民を恫喝することと「実は日本はアメリカの大阪本社である」という仮想万能感を鼓舞することだ。

これはアメリカ人の実感とは異なっているだろう。第一に日本はキリスト教文化圏に属していないためにヨーロッパのようにアメリカのパートナーにはなりえない。次に沖縄はアメリカの利権であって、日本が協力して提供しているわけではない。最後に兵器の改良や長距離化が進んでいるので、無理をしてまで日本に基地をおく必要は無くなっている。

だからこの「大阪本社論」には小川さんを支持している人たちの気分を少しマシにするくらいの効果しかない。例えていえば朝鮮王朝は「朝鮮は小中華なのだ」と言っているのと同じことである。属国の中でも特別な属国なのだと言っているのだが、清が体調すると最終的には日本に占領されてしまった。

さらに「独自試算」は日米同盟をつなぎとめたい防衛省コミュニティから出てきているようだ。具合の悪いことに日本の軍事費はGDPの1%という低率であり諸外国からは「もっと出してもよいのでは」と言われかねない。現実的に「フリーライド」状態にあるものと考えられる。かといって、防衛省の言い値で軍事費を調達するととんでもない額になりそうだ。これは防衛省に調達能力がなく、防衛産業が寡占だからだろう。ある意味オリンピックに似ている。

考えてみればわかることだが、外国が3%程度の軍事費を使っているのに日本だけが10%などになるとは思えない。よっぽどの買い物下手ということになってしまう。かといって2%になっても、今の2倍のコストとイニシャルコストがかかる。日本は海が広域な上に軍事上の同盟関係を作ってこなかったのでヨーロッパのような集団防衛(もちろんこれは憲法改正が必要なのだが……)ができないのである。

つまり、日本の防衛政策はとても難しい判断を迫られている。

しかし、小川さんたちは新しいスキームを提供しようという努力をしない。その能力がないのだろう。着想はできるかもしれないが、政治的なリーダーシップは発揮し得ない。日米同盟に頼りきりになり、何も準備をしてこなかったからだ。

安倍首相も基本的人権の否定という政治的には無意味なキャンペーンには政治的リソースを使っているが、日米同盟後をどうするかということについては無関心だ。同盟関係の見直しは政権基盤を揺るがしかねないわけで、リスクを避けているのだろう。

代わりに彼らがやっていることは何だろうか。それは、軍事費などには興味がなく、単に「戦争のような汚いことには手を染めたくない」と言っている人たちが繰り出す無知な批判を「科学的な批判ではない」といって逆批判することだけである。不都合な現実には目を背けることができるし、馬鹿な左翼をいじっている時だけは優越感に浸ることができるからである。

つまり、彼らは相互依存状態にあるということになる。新しい提案をし得ない左翼が批判する人たちを必要としているのは明白だが、実は批判される人たちも左翼を必要としているのだ。

だが、自分が依存状態にいるかどうかということは自分ではよくわからないのではないだろうか。これを確かめるためにはなにかを作ってみるとよいのではないかと思う。何かと忙しくなるので、ぴったりと張り付いて批判者を見つけるのに時間を使うのがバカバカしくなる。

つまりは、相互依存は実は不安の裏返しだったということがわかるのである。「建設的な議論をしろ」とは思わないのだが、結局一人ひとりの意識が変わることによってしか状況は動かせない。

と、同時に何かを作るためにはリソースが必要だ。相互依存的な批判合戦と炎上が蔓延するのは、実は創造的な活動に使う時間やお金といった資源が不足しているということなのだろう。

デザイナーが引き出しを増やすためにできる便利なPinterestの使い方

ファッションについて調べている。現在のファッションは定番化と部族化が進んでいる。だから、普通の人がファッションデザインについて調べると、自分の半径500mくらいで「定番」が決まってしまうことになる。だが、たとえば、定番のカジュアル服と言ってもアメリカと日本ではかなり違っているし、日本でもMens Non-noとBitterでは異なっている。だから、選択肢が狭まるのはちょっと危険なことなのかもしれない。

最近、Pinterestの面白い使い方を見つけた。例として作ったのがアバンギャルドというコレクションだ。多分、正式な名前ではないと思う。アバンギャルドには幾つかの特徴がある。

  • 概ねモノトーンである。
  • ドレープを使っていて芯がない。
  • 形はアシンメトリーなものが多い。
  • パンツが太いことが多く、フードを使ったものもある。

アバンギャルドといっても、全く革新的なものではない。もともとは砂漠の遊牧民と着物からインスピレーションを受けているのだろう。つまり「巻きつける系」の衣服を洋服として再アレンジしたものである。最近ではD Squared2が日本をモチーフにしたようなショーを展開したことからわかるようにメインストリームでもちょくちょくと取り入れられている。

さて、ここまでは普通のコレクションなのだが、Pinterestはコレクションから同じような形のものをお勧めしてくれる。タイムラインに表示されたり、メールでのお知らせが来る。ポイントは「最初のキーワード」と違っても、なんとなく似たようなものがレコメンドされると言うことだ。そこからキーワードを拾って行けば、それがそもそも何のコレクションなのか分かるのである。

アバンギャルドと名づけたコレクションは、もともとパリコレに着物のデザインが導入されたことが源流にあるのではないかと思われる。これがSF映画に乗って広まり「未来風の」デザインという印象が生まれたのではないだろうか。

日本人の変な英語を真面目に分析してみる

さっき別のエントリーを書いたばかりなのだが面白いのをみつけたので連投する。

面白いと思ったのは英語が日本語的だったからだ。本来なら、I am against TPP because LDP deceived us to win the 2012 election.となるところである。文章が一文で済む。英語は簡潔を好むのだが、日本語は短い単語数で多くの情報を詰め込めるので、長くなる傾向があるのかもしれない。「嘘をついた」より「騙した」の方がかっこいいので、ビジネス英語ではボキャブラリは大切だ。

もうひとつ言えることは、英語が主題を分析する傾向がある言語ということだろう。つまり、自ずと問題はTPPにあるという認識が生まれてしまう。

しかしなぜ、この日本人の英語の文章は自民党が嘘をついたからという文章が先に出ているのだろう。これを読んで直感的に感じた違和感はそこにある。英語を素直に読むと「自民党が嘘をつかなければこの人はTPPにどういう態度をとっていたのだろうか」という疑問に結び付いてしまう。つまり、TPPは良く知らないのだが、自民党が嘘をついたからダメなのだということになる。つまり、英語は主題を問題にするのだが、日本人は関係性を問題にしていることになる。

この人の政治的バックグラウンドは分からないが例えば民主党が主導したTPPであれば賛成したのかもしれないし、そもそもTPPそのものが嫌だったのかもしれない。もし、自民党が正直に話をしていたらTPPについてどう思っていたのだろうか。

これを英語圏で発言したら変な顔をされるのではないだろうか。実はTPPそのものについては何も言及されていないからである。たとえば「仕事が奪われるからTPPはダメ」だというのはわかる。これは議論の対象になる。ところが自民党の言うことは信頼できないということになると、議論はできない。それはその人の主観だからである。

自民党に視点をを与えて、英語的な構造に直すと次のようになるものと思われる。かなり穴埋めが必要になる。

自民党は2012年の選挙で嘘をついた。地域の有権者にとってTPPには利益がないことを知っているからだろう。にもかかわらず今になってTPPを推進しようとしている。多分、TPPが日本の地域にとっては利益にならないのだろう。だからTPPには反対だ。

だが、下にあるポスターを読むと、自民党が嘘をついたということが複雑な英文で延々と書かれている。だから実際に言いたいことは次のようになる。

LDP have been changing their position frequently. So I can’t trust LDP.

つまり、面倒臭いことをいろいろ分析してきたのだが、本当はTPPは関係がないので全て省かれてしまう。自民党がオポチュニストだから嫌いということになる。もともと自民党不支持なので、それ以外のことをいちいち説明する必要はないのだ。

たまたまこのツイートに目が止まったのは、英訳されていたからだろう。実際にはよくあるツイートだ。日本人が議論ができないのは、実は主題が主題ではないからなのだ。

なぜ安倍首相の支持率は高いままなのか

安倍首相に人気があるのは世論操作ではない

Twitterで安倍首相の支持率が高いままなのはNHKが世論操縦しているからだというようなことを言う人がいる。しかし、これはあまりにもうがった見方なのではないかと思う。実際には安倍首相は国民のニーズを捉えているのではないだろうか。

トランプが大統領に選出されて日本人はかなり動揺したようだ。トランプが日本を敵視しているということはなんとなく知られていたからだ。宗主の機嫌を損ねれば日本は危ういと考えた人が多かったのだろう。日本人は権力と良好な関係を保持している状態を好むのだと考えることができる。関係性を意識しているのだろう。

日本人のニーズとは何か

日本人が恐れているのは現状が変わってしまうことだ。そのために緩やかな衰退を選択した。変化を起こせば状況が好転するかもしれないが、それが自分のところに及ぶかはわからない。で、あれば相互監視して勝ち組が出ないようにした上で、みんなで貧くなって行こうという選択である。

だから日本人は「今までどおりで大丈夫」と言ってもらえることを望んでいる。安倍首相はこのニーズに沿って行動しているに過ぎない。

実際には日本人は貧しくなっている。一人当たりのGDPは凋落の一途をたどる。先進国と中進国が成長を続けている一方で日本だけが成長していないからである。だが、そのことに日本人は気がつかない。みんなで貧しくなっているからだ。

もちろん、脱落するのも嫌なので手助けはしないで「自己責任」で切り捨てて行くし、学術の基礎研究や企業の国内投資のような未来への投資はしない。凋落してゆくのが分かっているから、未来への投資は合理的な選択肢と考えられないのだろう。

変わらないために政策が首尾一貫しないというのはおかしい気がするのだが、変えてはいけないのはアメリカとの関係なので、日本はアメリカの動向次第で日本の政策を転換しなければならない。だから、国内政策が一貫しないということになる。しかし、これもおおむね国民の合意が得られている。

もっと古層にある変わりたくない人たち

日本の政治をモニターしている人は、安倍首相が基本的人権を否定するような動きをしていると指摘するかもしれない。しかしそれはもっと昔の「変わってはいけない」を代表しているに過ぎない。それは、日本が戦争に負けてしまったという歴史的事実を受け入れないということである。中国や韓国が経済的に台頭したこともこの動きに拍車をかけており「敵」の姿は複雑になっている。

もう一つ安倍首相の支持率が高い理由は、左右対立にあるのだろう。アメリカの二大政党制はアイディアのコンペティションだが、日本の左右対立は、戦後すぐの東西対立が日本に持ち込まれた結果ガラパゴス化したものだ。

東側陣営は1989年に崩壊したので左派は人権や環境に逃げ込んで難民化した。人権や環境は左派のアシュラムだった。さらに厄介なことに、連合が正社員の労働組合であり既得権益化してしまっている。彼らも変わりたくないという点では、典型的な日本人気質を持っている。

さらにその下には非正規労働者の層が広がっているのだが、彼らを代表する政党はない。彼らは自己責任のもとに切り捨てられてしまった人たちだ。だが、もともと何も持っていないので変わりようはない。

対立が相互依存に変わるとき

一方の右派はアメリカに追従して経済利益を守ろうという人たちと、日本の敗戦や相対的な国力の低下を認められない人たちに分離している。中にはこれが一緒くたになっている人もいるかもしれない。1989年に共産主義が崩壊したように自由主義経済も今の形では存続しそうにない。トランプ大統領が「自由主義はアメリカから仕事を奪った」と宣伝したためである。

今、右派は明らかに混乱しているのだが、それを見ないようにしている。便利なことに、左派が繰り出すめちゃくちゃな非難を「デマだ」と言ってさえいれば、自分たちの矛盾を直視しなくて済む。そして「現状維持こそが最善なのだ」とつぶやき、自己肯定ができる他人の呟きを検索する。これは合理的な主張ではなく単なる願望なのだが、これには仕方がない一面がある。他に選択肢が見つからないからだ。

左派は右派なしでは存続できない。文句をいう相手だからだ。しかし、右派も現実に負けかけているので左派なしでは自我を保つことはできない。つまり、左右は敵同士ではなく、相互依存していることになる。

皆様のニーズに応えるNHK

「変わらない」ためにあらゆる無理を重ねているので、真実を直視することはとても難しい。本来なら目の前にある情報を見て、行動を決めればいいだけなのだが、それができなくなってしまう。そこで、言葉を言い換え現状から目を背けるという選択肢が生まれる。その意味ではNHKは政府のプロパガンダを行っているわけではないのではなく、国民の期待に応えているのだ。

日本にも仮想万能感を持っている人たちは多いと思うのだが、トランプのような扇動政治家は現れない。橋下徹が「インテリの敗北だ」と言っていたが関西以外には広まらなかった。東京を置き換えた怒りにただ乗りしようとしたのだろうが、うまく行かなかったようだ。これは日本人が等しく貧しくなっており、置いて行かれたと考える人が少ないからなのかもしれない。

SNSと時系列情報

今朝地震があった影響で時系列情報について呟いている人がいた。これを中途半端に理解した上でツイートを流したためにちょっとした混乱があったようだ。ちょっと整理しておきたい。

元ツイートは、ツイッターは時系列だがFacebookはそうではないので、ツイッターは時系列を維持して欲しいというものだったようだ。これを流し読みしてツイッターを使っている人でも時系列ではなくなって困っている人がいると思ったの「ツイッターでも時系列にできますよ」という情報を書いた。

普段はほとんど見られていないので、これほどリツイートされるとは思わなかった。つまり、ツイッターのツイートが時系列になるということを知らない人が結構いるようだ。デフォルトではないからだろう。

しかし、元ツイートを正しく読んだ上でFacebookでもできないかという人が現れた。調べたら一応できるようだ。ただしアプリケーションの場合は設定が面倒な上に、しばらくすると元に戻ってしまうのだという。ブラウザ版の場合は左メニューのニュースメニューを「ハイライト」から「最新情報」にすると時系列単位に並ぶ。ただ、Facebookでは他人のアクティビティが割り込んだり、そもそも表示件数に制限があるらしく、完全には時系列にならないということのようだ。

このツイートをするときに少しためらいがあった。それは元ツイートを正しく読めているかというようなことではなかった。アルゴリズムを排除したら「完全に時系列に並ぶのか」という確証がなかったからである。

そもそもツイッター社はなぜ時系列を排除しようとしたのだろうか。それは会社にとって重要なツイートが埋もれないようにしたかったからではないかと考えられる。それは言い換えれば広告を出してくれる人というような意味である。彼らにとって「無意味な」ツイートが広告を埋没させることがあってはならないということになる。Facebookはさらに強硬にスポンサーの利益を守っている。避難する人がいるかもしれないが、営利企業なので仕方がないことだろう。

そもそも「間違えちゃいました」というフォロー記事なので「今後気をつけます」で終わるべきところなのだが、ちょっと考え込んでしまうこともある。

Facebookはなかなか会えない友達に最近何が起こっているかを知るためのツールでライフラインとして使おうとは思わない。Twitterも切迫したときのライフラインではなく「外国製のお楽しみツール」だ。時々刻々と起こっていることを知るためにはテレビなどを使うべきだと思うのだが、テレビを見ていると「意図的に何かを隠しているのでは」などと疑ってしまうので、とても疲れる。

ツイッターが時系列メディアとして期待されるのは、それだけ既存メディアとプロのジャーナリストへの信頼がないということになるんだろう。

トランプ大統領の外交政策が大惨事となる可能性

トランプ氏のツイートを見て、いろんな意味でちょっと背筋が凍った気がした。普段は安倍政権に対する文句とゆるいつぶやきで満たされているタイムラインで背筋が凍るような経験をすることはなかなかない。

このツイートを見ても一瞬意味が分からなかった。ナイジェル・ファラージといえばイギリスがEU離脱を決めた時に「有る事無い事」を吹き込んで離脱派を煽った前科がある人だ。最終的には「もう知らない」と言って党首をやめたのだが、後継者がいないという理由で党首に復帰したようだ。

その人がイギリスの駐米大使になればいいのにと言っている。一瞬「大使が決まったのか」と思ったのだが、そんなニュースはない。つまり、トランプ氏は(認証アカウントとはいえ)プライベートのアカウントから、イギリスに「大使はこの人がいいな」という「ツイッター辞令」を出したことになる。

イギリス人はプロトコルにうるさい国民として知られているわけだし、そもそも内政干渉になりかねない。もし、同じように日本の大使をトランプが指名したらきっと大騒ぎになるだろう。日本人はアメリカの意向を気にするから「向こうからのご指名があるわけだし」という話になりかねない。独立志向が強い(日本はアメリカの属国だからよいとして、イギリスはもともと宗主国なのだ……)イギリス人がこれを許容するとは思えない。

ファラージ氏はいち早くトランプ支持を表明していたという。そういう義理を大切にる人なのだろうということはよく分かる。安倍さんのように後から支持を表明したような人は、外様大名みたいな扱いを受けることだろう。この内と外を分ける感覚はわかりやすく発揮されている。多分、本気で指名しているわけではなく、ファラージ氏を喜ばせるジェスチャー(相手を喜ばす行為)だった可能性はある。

最近共和党の重鎮たちはトランプ氏に対して「ツイッターでの発言を控えるべきだ」と諌めていたようだ。それはアメリカ大統領の発言は国際紛争や金融などに大きな影響を与えるからである。

現に、今朝方ツイッター経由でビデオを発表し、その中にTPPから撤退するという発言が含まれていたために、日本の政治家やマスコミは大騒ぎになっている。これはあらかじめわかっていたことであり「まあ、かわいいな」などと思っていたのだが、同盟国のプライドを平気で踏みにじるようなことをする大統領は早晩大きな問題を起こすに違いない。下手をしたら、Twitter辞令で国際紛争勃発みたいなこともあるかもしれない。

れんほーさんとテレビ

うちの家族(ネットしない)がNHKに出てくる蓮舫代表を見て「この人いつもきついわね」と言った。いつも姿勢がよくやせているので首筋が目立つ。この言葉を聞いて蓮舫さんは損をしているんだろうなあと思った。

このところ政治は演劇学の分野に移りつつあると思う。トランプ新大統領はこれをプロレスの興行から学んだようで、ヒールとして人気を集めた。だが、蓮舫さんは役割やルックスがベビーフェイスなのにヒールの役割になっている。これがうまく噛み合っていないのだろう。

蓮舫さんがきつい女に見えるのは、本人の発信方法が悪いというより、テレビのせいだ。安倍首相が「〜しました」というニュースがあり、それを「公平に伝える」ために野党の発言が使われる。それは必ず批判なわけで、いつもきつい顔できついことをいう女という印象がつく。役割としては「ヒール」なのだが、なんかヒールっぽくない。だが、それが民進党のイメージになってしまうわけだ。悲しいのは誰も中身を聞いていないという点だが、これはもう仕方がない。

意外と中の人は気がつかないんじゃないだろうか。なぜなら本物の蓮舫さんは双子の母親であり優しい側面も持っている。定期的にジョギングしていてスタイルを保っている。直接見たことはないがきっと綺麗な人なのだろう。さらに、Twitterでも犬の写真が出てきたりするので、まあいろんな側面があるんだろうなということはわかる。でも、テレビを見ている人って、もっと漠然とキャラ付けしているのだ。

これ、どうやって解消すべきなのだろうかと思った。NHKは公平性を期するために自動的に野党党首の発言を入れているわけで、偏向報道とまでは言いきれない。特にNHKは政治には興味はないので、どこか扱いがおざなりである。だから「こういう扱い方はするな」とは言えない。

一つにはニュースバリューのある活動を政府とはリンクさせずに行うという手がある。多分「もうやっている」のだろうが、伝わってはこない。でも、それをやり続けるしかなさそうだ。結局自分の舞台でしか主役にはなれないからだ。

逆にニコニコ笑いながら会見をすると「実際には容認している」とか「自民党の補完勢力なのだ」などと言われかねないわけで、なかなか難しいところである。あとは呆れた調子で淡々と諭すような論調にするという方法もあるだろう。つまり同じ目線に立たずに上からゆくわけである。このところの安倍政権の政策はどれも行き詰っているので、結構効果があるのではないかと思う。今の民進党は自民党に巻き込まれているのだろう。

そういう意味ではきつく見えない小池百合子都知事はうまいと思う。早くから都議会自民党をヒールに仕立て上げて自分はベビーフェイス側の立ち位置を作った。でも、女性が見ているのはどうやら中身ではなく、服の色やアクセサリーらしい。「ちょっと前に出すぎている」のではないかみたいな印象を持っているようだ。男性は小池さんの発言を聞いており、でっかい首飾りなんかみていないのだが、女性は発言は聞いていなくても、スーツの色なんかをチェックしているのだ。そして、それが投票行動に影響してしまうのである。

右翼は日本語でNHKだけ見てなさい

今は馬鹿な右翼の時代だ。彼らは発言することさえできない。そもそも何も考えていないからだ。だが、間違いなく時代はこの頭の悪い人に有利になっている。煽動家が彼らのニーズを満たしてくれる。

アメリカには神にこの地を任された白人がアメリカを支配すべきだと考える人で満ち溢れいている。彼らの多くは進化論を信じていない。聖書にはそんな風には書いていないからだ。これの日本バージョンの人たちは日本書紀を聖書に選んだようで、天皇の位は日本書紀に由来するなどと言い出している。これが右翼系雑誌ではなく国会で語られているというのが今の日本なのである。

こうした人たちが好んで見るのがNHKだ。NHK史観によれば、選挙前から太いパイプを維持していた安倍政権はいち早くトランプ新大統領との会談に成功したと言っている。安倍首相は未来志向で磐石な日米同盟の重要性を確認し、ドナルド・晋三という関係性を築くのだそうだ。

田崎史郎さんという自称ジャーナリストも「NHK史観」を振りかざしていた。いわゆるアベトモのお一人なのだが、最近旗色が悪い。「俺はトランプのダチ」というひとたちがいきなり沸き上り、テレビの主役を奪われてしまったからだ。トランプのダチたちは、カジュアルなミーティングだからハローだけで良いんだよなどと言っている。

だが、英語版のロイターは全く違った情報を配信している。選挙キャンペーンでの過激な発言で日米同盟に疑問を持った安倍首相が慌ててトランプ氏のもとを訪れたというのだ。

トランプ氏はまだ大統領ではないただの民間人なので、会談の位置付けも曖昧だ。だから会談で何を話し合うのかというような詳細(さらに場所さえも)最後の最後まで決まらなかった。考えてみれば当たり前で、たんなる民間人の金持ちのおっさんの元に一国の首相が会いに行くという異常事態だからだ。しかし、外国(しかも主要国)の要人がいきなり準備もなしに来たので警備は大変だっただろうう。ニューヨークといえばいわばテロのメッカだ。

その異常事態を日本人は最重要事項として固唾を飲んで注視している。だが、同時にアメリカ人は「日本はよっぽど慌ててるんだろうなあ」と見ているのだろう。多分、中国人も「安倍慌ててるってよ」と思っているだろう。

どっちを信じてもよいのだが「永遠の安定」という物語の中に安住するのも悪くないかもしれない。もうこうなったら日本書紀も書き換えて日米同盟を神勅の一つに加えればいいんじゃないだろうか。