発達障害と職場のコミュニケーション問題

クローズアップ現代が「発達障害」を取り上げてた。クローズアップ現代によると、職場で発達障害の人たちが<問題>になっている。彼らはコミュニケーションが苦手なのだが、実は人口の10%を占めるという。つまり、発達障害のある人たちをどう<対処>するかということは、どの職場にとっても重要な課題だ。

この30分のプレゼンテーションを見て、とても違和感を感じた。とはいえ、なぜ違和感を感じたのかは分からなかった。結論から言うと、発達障害について関心があるから違和感を感じたのではないようだ。

最初に思ったのは、人口の10%もいる人たちを「障害」というのはどうなのだろうということだった。例えば、日本ではAB型の人は10%いるが、その人たちを「血液型に障害がある」とは言わない。次に感じたのは、こういう形質を持った人たちは昔からいたにも関わらず、なぜ今になって問題になるのだろうかという点だった。さらに、発達障害を持った母親というのも人口の10%を占めるはずだ。彼女たちは、育児で子どものちょっとした表情の変化が読み取れないはずだが、それは<問題>だとは言われない。それはどうしてなのだろうか。

このプレゼンテーションは90%の人たちに向けて作られている。途中で「表情と言葉が一致しない」場合に意味が読み取れないのが発達障害の特徴だという例が出てくる。この例示は発達障害の人には分かりにくい。つまり「番組を見ているのは90%だけ」だという前提で作られていることになる。いいかえれば10%の人は最初から視聴者としては排除されていることになる。もし10%の人にも分かりやすい作り方をするならば、これは「不快感を表す表情ではない」ことを強調して説明する必要がある。

ユニバーサルデザインをやっている人ならよく分かる理屈だと思う。二型色覚を説明するのに「色盲の人はこう見えています」と例示するのは、視聴者が正常色覚しかいないという前提に立っていることになるので、デザイナは、この課題を扱う時に表現や見せ方を工夫するだろう。

だから、作り手であるNHKには「コミュニケーションが苦手」な人がいなかったのだろうかという気にもなる。一度、そうした人たちにプレビューすれば問題が明らかになるはずからだ。つまり、番組を作るにあたって90%が作り、視聴者も90%を対象にしているということだ。

どうやら、このあたりに「違和感」の遠因があるようだ。ここから展開できるのは、隠れた問題意識だ。

本当は「コミュニケーションが苦手な人がいるために、効率よい職場環境が作れない」から「これは困った」という<問題>がある。本来なら、そうした人たちにもコミュニケーション技術を習得して貰いたい。それでも無理なら居なくなってほしい。しかし、人権の問題もあってそうはいえない。だから「どう対処すればいいのか」という点に問題を置き換えている。それゆえに一貫して「障害だ」という主張が繰り広げられているわけである。

しかし、この事自体が直ちに問題だという主張がしたいわけではない。

<問題>を進めるに当たって、以前にも増して効率化を進めなければ、これからの職場は立ち行かなくなってしまうであろうという前提がある。コミュニケーションにある特性がある人たちを構っている余裕はない。90%が期待しているとされるのは曖昧に指示を与えてても「適当に解釈して」くれるコミュニケーションだったり、空気を読んで自発的に残業してくれる気配りだったりする。

職場にはいろいろな不調がある。それがどのような背景で生まれたものなのかはわからないが、とにかくそうした不調を「コミュニケーションの問題」として乗り切ろうとしているらしい。そこでますます生産性を上げて、では果たして何を実現しようとしているのかという点には全く触れられないし、そうした分析もない。にも関わらず「これからの職場はますますコミュニケーションが重要になるだろう」という前提が語られてしまうのである。

例えば上司が「どうしていいか全く分からない問題」を「適当にやっといて」と部下に丸投げすることがある。「空気が読める」部下は、なんとなく愚痴の一つでもこぼしつつ適当に処理をするだろう。「ああは言ってるけど、きっと、たいした仕事じゃないんだろうなあ」などと思うわけだ。中にそれが分からない人がいる。この時、上司の側にも部下の側にも問題があるだろう。もし「何のためにやっているのか分からず、適当に指示するほかない」仕事があふれているとしたら、これは経営者の責任である。それを「障害」や「脳の特性」にすることで解決してしまうのはちょっと乱暴だ。

<問題>を見つめるということは、何かを見ないようにするためである可能性がある。浮上している問題を見つめるのは簡単だが、その影に隠れている当たり前の中にある問題を探り出すのは難しい。もっとも、そこまで考えてしまうととても30分で分かりやすくまとめることなどできないだろう。

いずれにせよ、公平であるということは、実はなかなか難しいらしい。

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