<キチガイ>と殺人事件報道

匿名、実名問題について考えている。「一般化」は人権問題だという視点だ。

宇都宮で自衛官が自爆テロ事件を起こした。テレビ局の報道を見ていたが、そもそもの原因が娘さんの統合失調症にあるということを伝えた局は皆無だった。NHKだけがかろうじて精神障害との関係をほのめかしていたが、多分あれだけではよく分からなかったのではないだろうか。

SNSが本人のものかどうか分からないというのが当初の「伝えない理由」だったのだが、その後なし崩し的に報道が始まったので「本人認定」はされたのだろう。だが、それでもこの件が話題にならなかったのは、精神障害が面倒なテーマだからではないだろうか。

加害者側が精神障害を抱えていても同じような問題が起こりえる。船橋と千葉で連続通り魔事件が起きたのを記憶している人も多いだろうが、その後さっぱり取り上げられなくなった。容疑者が知的障害者の療育手帳を保持していたからなのではないだろうか。

門真市でも24歳の高校生が知らない人の家に入り込んで人を殺した。小林裕真容疑者は精神疾患を患っていたとされる。こちらも母親の書いていたブログから、疾患が統合失調症だということが特定されているようだ。

殺人事件の報道の目的は他罰感情を刺激することだと考えられる。つまり「悪いやつ」を置くことでテレビを見ている人たちが善人の側にいられるわけである。しかし、そこに精神障害が介在すると話がややこしくなる。責任能力という問題があるので、視聴者の他罰感情が満たせなくなってしまうのである。

精神障害を伝えてしまうと「差別を助長しかねない」という問題がある。精神障害を抱えていると人殺しをしかねないという誤解が生まれるという懸念だ。だが、これは精神障害者をすべて一つの枠で括っている。「正常」な人が、障害者を一般化する行為なので、今回考えている「差別」の構造があることになる。結局、伝える側に差別感情があるのだ。

実はこれが障害者とその関係者を苦しめることになる。普段の社会では自分が差別主義者だと思われないように、精神障害者を括弧で括って見ないようにしている。さらに、精神障害者は何をしでかすか分からないという漠然とした印象もある。

一人ひとり違った顔があるはずなのだが、一般名詞化して閉じ込めてしまう。そして伝えないことでこの印象が更新されてしまう。

またメディアリテラシのない人たちの情報が野放しになる。小林容疑者の場合は、精神疾患の息子を残して水商売にうつつを抜かしていた冷酷な母親という像が一人歩きしたりしている。多分、身内に障害者が出たらひっそりと社会の片隅で国の保護に頼りながらひっそりと暮らせという認識があるのだろう。

しかし「括弧で括って社会から隠してしまう」という方法は取れなくなりつつある。精神障害の範疇が広がりつつあるからだ。

うつ病は治療薬ができてマーケティングが行われる前はこれほどポピュラーな病気ではなかった。中には重度の人もいるだろうし、本来薬が必要のない人が診断されているケースもあるだろう。このように「箱」を作ってとりあえず薬の飲ませるようなことは精神医療の世界では一般的に行われている。

うつ病が安易に診断されるようになった影響で、それに当てはまらない人たちにも箱ができた。それが統合失調症や不安神経症という病気である。

アメリカではACHDという枠ができた結果、10人に1人の若者が当てはまるのではという統計があるそうだ。これを精神障害に加えるかという点には議論があるが、社会的な不適合に名前をつけてとりあえず薬を与えるという点では同じ範疇だろう。結局のところ脳で何が起きているのかは分からないわけだから、誤診も多いはずだ。

ある日突然家族が何らかの精神障害を抱える。しかし、それはタブーとされているので、家族には知識が得られない。そこで知識を求めて役所に行ったり、互助グループを紹介されたりすることになる。だが、それがうまく機能しているとはいえないのだろう。医師すらよく分からないので「とりあえず名前をつけて薬を飲ませている」のが実情なのである。

宇都宮の自衛官の場合、互助組織を紹介されたものの運営方式について異見の相違があったとのことなのだが、これは会社人を経験してきた人にはよくあることではないだろうか。自治会や互助組織などの運営は、会社員経験者からみると「ゆるく」見えてしまうので、男性の方が孤立しやすい。

この家族の場合、父親は互助組織から孤立し、母親は新興宗教に頼って孤立した結果、適切なサポートが得られなかったという事情があるようだ。結果家族で殺意を向け合うという状態にまでなったが、周囲からサポートが得られず、家庭崩壊が起きた。最終的に裁判に発展した結果、裁判官に恨みを抱き、爆破事件を起こすに至ったわけである。

確かに精神障害を一括して扱うことは差別につながるので慎まなければならない。しかし、まったく伝えないことも孤立を生む。問題は「正解の枠からはみ出さないでやってきたのに、それでもうまく行かなくなってしまう」ことだ。

なおそれでも自分には関係がないと考えている人が大多数なのではないかと思う。だが高齢化社会に入り誰でも認知症のリスクを抱えるようになった。私たちが立っている地面は意外と揺れるものなのだ。

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