宇都宮市の元自衛官自殺事件 - 抗議の自殺

前回から「匿名・実名」について考えている。匿名・実名の裏にあるのは社会的な発言力の争奪戦という側面があるらしい。実名になると社会的発言力は賭けの対象になるので、人々はできるだけ匿名で相手の発言力を奪いたがる。一度実名を暴き立てた上で一般名詞化することで相手を罰するのだ。

このような複雑な体裁をとるのは自分の社会的価値を担保したいからだ。ということでそれを最初から賭けてしまえば恐れるものはなくなる。

つまり、何かを訴えたい場合、死んでしまえばよいことになる。賭けの対象にする人生はなくなってしまうわけで、後に残るのは自分の主張だけだからだ。浪岡中学校の自殺事件のエントリーで言いたかったのはそのことだった。つまり「死」というのが意味を持っていしまうので、自殺が正当化されてしまうわけだ。それを防ぐためには自殺者を匿名として扱うしかない。

そんなことを考えていたとき、宇都宮市で元自衛官が爆死した。名前を栗原敏勝さんというそうだ。ネットの情報によると同姓同名で宇都宮市に住んでいる人物のブログが発見されたという。これによると、三女が精神疾患を発症したのだが、妻が新興宗教にはまり退職金を使い込んだ。それをなんとかしようとしたが裁判に負けて家も失いそうなのだという。

「炎上を狙っている」というのだが、文章力が拙すぎて何を言っているのかよく分からない。炎上にはそれなりのメカニズムがあり決して個人を助けるためには動かない。炎上が起こるのは民衆の他罰感情が対象物に転移するからだ。

特に気になるのは主語の倒置と視点だ。遺書には「(私は)命をもって償う」と書いているそうなのだが、ブログの内容を見ると「栗原さんの命をもって誰かに償わせる」という行動になっている。この「償わせる」人が裁判所だったのか、新興宗教にはまった妻なのか、精神疾患にかかってしまった娘なのかは分からない。

さらに文章は第三者が客観的に栗原敏勝さんのことを書いたような書き方になっている。「私は娘に殺害されなかった」というのではなく「惨殺からまぬかれ、生き延びた栗原敏勝である」と書いている。このような視点がどのような心理を示しているのかはよくわからない。

日本語は主語がなくても文章がかけてしまうので、こうした倒置がよく起こる。しかし倒置をとかない限り、本当の感情が分からず、従って何をすればよいのかも分からない。

足りないのは内省だ。それは自己反省しろという意味ではなく、自分に起こったことと気持ちを整理して徐々に受け入れてゆくという作業である。これをやらないで社会正義について考え出してしまったために、混乱が起きているわけだ。

多くの人は「けしからん他人」のニュースを見たり、Twitterで炎上に参加したりして他罰感情を満足させる。これは内省能力がつたないからだろう。日本人は内省する訓練を受けていないのだ。しかし、この人に起こったことはキャパを超えていて、娯楽的な他罰行為では処理できなかったようだ。

かといって自分の考えを理路整然と伝えることもできなかった。裁判で負けてしまったのもその影響があるのかもしれない。そもそも裁判が起こるのは正義と正義がぶつかるからなので、戦略的に自分の気持ちを相手に訴えるスキルが必要になってくる。

これを整理するためには普段から何かを書いて気持ちを確認するという作業が必要なのだが、それはなかなか難しい。ただ、爆発物を作るスキルは持っていたようだ。そこで自分で文字通り炎上してしまったわけだ。

ただし、テレビの扱いは慎重だ。多分精神疾患が絡んでおり「面倒くさい」事件だからだろう。単に他人に迷惑をかけた事件で「ネットではいろいろ言われている」ということを紹介して終わりになってしまった。

自分の主張を通すために他人を巻き込むことを「テロ」というとすればこれはテロなのだ。日本では問題を解決するためには他人を巻き込んで死ぬか、匿名のまま炎上させるかの二択しかないという結論になる。

自己主張する技術を教えるのがどれだけ大切なのかということが良く分かる。

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