ネットの情報は信頼に値しないガセネタばかりなのか

よく、ネットの情報はガセネタばかりだから気をつけるべきだなどという人がいる。だが、実際にガセネタを流しているのはマスコミの方らしい。いくつかの事例がある。

安倍首相はクルーグマン教授を呼び世界の経済情勢について話を聞いた。話はすべてコンフィデンシャルだとした上で「観測」という形で「消費税増税は延期すべきだという話になった」と漏らしたようだ。マスコミはそれを鵜呑みにして「クルーグマン氏が消費税増税延期を示唆」などと伝えた。TVでは今でもそういっている。

だが、これが正確ではないことはよく知られている。クルーグマン氏本人がやり取りをネットで公表してしまったからだ。クルーグマン氏は「財政再建よりも支出の拡大を」とは訴えているが、消費税増税を延期しろとは言わなかったようだ。だが、記者クラブから排除されているタブロイド紙を除いたマスコミは本人の発表を無視し「クルーグマン氏は消費税増税するなと言った」という話を伝え続けている。

ネットがなければ、クルーグマン氏が独自見解を発表する事はできなかっただろうし、これほどまでに浸透しなかったかもしれない。だが、Twitterのおかげで個人でも簡単に情報を拡散することができるようになったのだ。

週刊誌が乙武氏の不倫疑惑を伝えた。この件について山本一郎氏はこれは松田公太参議院議員の一派がリークしたのだと指摘した。もともと乙武氏は元気会に接近していたのだが、元気会が政党要件を失ったことで見限ったというのだ。これをTwitterで見て「松田さんも裏では姑息なことをやっているなあ」と思った。乙武氏がいなくなれば東京からライバルが一人減るからである。

ところが、松田氏は自身のブログで「法的措置を検討」と息巻いている。法的な対応を考えているとTwitter上で発表した。証拠がないのだから訴えられれば負けるだろうという識者まで出てきた。選挙前になるとこうした情報が錯綜することになる。大抵は町の噂レベルで終るのだが、インターネットが出現した事で、全国が一つの村のようになった。ネットがなければ、この噂が広まることもなかったかもしれないが、双方の意見を聞く事もできなかっただろう。

最後の事例は、意図的な編集である。権力から独立しているべきマスコミがかなり偏重姿勢を強めていることが分かった。

日本テレビは「民進党の岡田代表が消費税増税をスケジュール通りに実施せよと主張している」と伝えた。次の日のネットには「岡田代表は今度の選挙で勝つつもりがないのだ」とか「岡田さんは狂ったに違いない」とのの嘆きの声が渦巻いていた。

ところが、これはテレビ局側の恣意的な編集だったようだ。この発言は「そもそも増税できる環境が整っていない」と続いている。岡田代表は都合良く発言を切り取られないように結論を最初に言うことを心がけるべきだろうが、選挙で不利になるような印象操作をしようという魂胆はあまりにもあからさまだ。ネットがなければ情報が一人歩きしていたかもしれない。

「政治家やマスコミは正しい情報発信を心がけるべきだ」と書いてドヤ顔で閉めたいところなのだが、選挙前になるとどうしてもこうした「怪情報」が一人歩きする。選挙管理委員会は個人が怪情報を出すことに神経質になっているが、実際に発信汚染を作っているのは、政治家本人やマスコミとその関係者たちだ。

「マスコミ」は政治家の発言ををそのまま垂れ流すか、週刊誌の騒ぎを後追いするための装置になっている。そもそも二次情報なので正確さを求めるのは無理というものだろう。

「有権者はメディアリテラシーを持って接するべきである」とも結論づけたいところだ。なんとなく考えて解決したような気分になれるからである。しかし、そもそも元の情報が間違っている(あるいは意図的に切り取られている)わけだから、リテラシーの持ちようがない。

結局、多くの人は信じたいものを信じることになるのだろう。これでは議論がかみ合うわけはない。心或る人が「これではいかんのではないか」などと思わないのだろうか。

クラウドがあるじゃないか

クラウドって便利だなと感じていたのだが、別に書くほどのことはないなあと思っていたのだが、とあるツイートを見てやぱりクラウドって便利だなあとしみじみと思った。

ある人がパソコンを買って後悔しているらしい。スタイリッシュなパソコンを買ったのだが意外と壊れやすそうで、バルキーだが壊れにくいノートパソコンの方がよかったのではないかというのだ。

バルキーなパソコンにはいくつもメリットがある。ぞんざいに扱っても壊れにくい上に、電池の持ちもいい。ハードディスクを交換するのも簡単だ。スタイリッシュなパソコンはどうしても電源が犠牲になってしまうし、画面の開閉を繰り返すと画面がちらついたりもする。いろいろ設計上の犠牲があるのだろう。華奢なACアダプタが突然死したという話も聞く。だから、Macintoshユーザーは「かっこいいけど扱いにくい」という悩みを昔から抱えている。「スタバでドヤ顔」にはそれなりのコストがかかるのだ。

ソリューションは簡単だ。パソコンをコモデティ(日用品)と捉え、安いパソコンも含めて複数台手元に置いておくのだ。スタバや職場でドヤ顔するのが1台と、寝転がってぞんざいに扱うのを持てばいい。どちらかを古いOSにしておけば「Windows10であれが動かなくなった」などと大騒ぎすることもなくなる。

さて、複数台のパソコンを持っていると、ファイルがどこにあるか分からないということになりがちだ。ファイルや環境の移行などという問題もある。メールもとっ散らかり、ブラウザのブックマークも分からなくなる。

だが、最近ではそんなこともなくなってしまった。メールはIMAPにする。ブラウザはFirefoxかChromeを使うと自動的にブックマークなどが同期される。住所録はGoogleの連絡先かiCloudを使うのがいい。メールの統合などを考えるとGoogleの方がメリットが大きいかもしれない。するとスマホ含めてすべての情報が完全に同期される。「完璧に」だ。

最後の難関は仕事の資料や執筆した原稿などだが、これもクラウド上に上げておくとよい。例えば、Google Driveに上げておけば複数パソコンで同期ができる。本当に同期される。ファイル名を変えても同期される。一体何がどうなっているのだろうか、化かされているのではないかと思うくらいだ。

仕事のドキュメントだけなどと大げさに捉える必要もない。例えば家電のマニュアル(最近はほとんどPDF化されている)をクラウドに上げておけは、台所にあるタブレットから閲覧することができる。濡れた手でも操作できて意外と便利だ。マニュアルを調べるのは意外と面倒なものだが、もっと面倒なのはマニュアルがどこに行ったかを探す作業なのだ。

古いパソコンを温存するとウィルスやセキュリティが心配という人もいるかもしれない。確かに金融機関用に一台最新のパソコン(安いものでもよいので)を持っていると便利なのは確かだろう。だが、これもいくつか対策がありそうだ。

ウイルス対策という点ではMacintoshは優れている。Time machineを使えば、汚染されいない状態へのロールバックが簡単にできる。最初に初期状態を作っておいていつでも戻せるようにしておけばよい。「データが消えてしまう」のが悩みになるわけだが、それは心配ない。データはすべてクラウド上にあるからだ。

それでも心配なら現役を退いたパソコンを「ネットにつながない」と決めて古い写真などのデータを退避させておいてもよいかもしれない。コンセントにつないで定期的に起動しておけば「内蔵電池が切れて起動しなくなった」ということもないだろう。それすらも面倒だというのなら、単純に外付けのハードディスクなどを買えばいい。

このように考えると、パソコンにお金をかけるよりも通信環境にお金を使った方がよいのかもしれない。通信回線が細くて不安定だとクラウドを快適に使えないからである。Googleクラウドの保存領域は15ギガバイトだが写真やビデオを大量に保存しない限り使い切るのは難しいのではないだろうか。もっともプロの写真家などはお金を払ってでも領域を確保しておいた方がいい。クラウドはバックアップを自動でやってくれているはずだ。100%完璧ということはないにしても、自分で保存するより確実かもしれない。家にあるハードディスクドライブだっていつかは壊れるからである。

サポートを親切にするのは良い事なのか

Twitterで面白い呟きを見つけた。スマホを普及させるためにはサポートを充実させるしかないのではないかという。

実際には日本の企業の中にも親切なサポートを提供する会社は数多くある。スマホだとNTT Docomoが親切だ。パソコンでは東芝のサポートが充実している。「Webが見れない」「迷惑メールが来るからなんとかしろ」などと言った基本的な操作方法でも無料で教えてくれるのだ。明らかに高齢者を対象にしている。

さて、これはいいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。例えば、この時期のNTT Docomoは週末で3時間待ちになる。電話もつながらない。入学式シーズンでスマホを買い求める客が多いせいなのだろうが、理由はそれだけではなさそうだ。あまりスマホが分からない人たちが親切さをもとめてNTT Docomoに押しかけるからではないかと思う。すると結果的に、親切さがサポートを必要としているかもしれない人たちを排除してしまうのだ。

東芝のサポートは、電話だけでは分からないからと画面に赤い丸や矢印を手書きで表示してくれる。遠隔操作するのだそうだが、あたかも付ききりでパソコンの使い方を教えてくれる孫のようなものだ。だが、問題がある。必ずInternet Exploreを使えというので「なぜか」と聞いたところ、手順を決めているのだそうだ。「お客は何も知らない」ことを前提にしてオペレーションが組み立てられているらしい。だが、その手順に従うと設定が初期化されてしまう。こちらが「障害を切り分けたいので何か知見があるか知りたいだけだ」と言うと、ほっとした表情でいろいろと教えてくれた。だが、杓子定規なオペレータだとどうなっただろうか。「とにかく言う通りにしろ」となった可能性はある。そもそも初心者向けのマニュアル仕事ばかりしているわけだから「本当の障害」に対する知見は蓄積しないだろう。本当に困っている人は、排除されてしまう可能性が高い。

「スマホやパソコン」が分からない人は、頭が悪いわけではない。パソコンには基本の知識体系(認知体系ともいう)というものがあるのだが、それが身についていないのだ。認知体系が身についていない人と接する場合、面倒なことは聞けない(聞くとますます混乱する)のでなんでも初期化してしまうしかないのだろう。

もっとも企業努力で「初心者に優しく」かつ「適切でムダのない」サービスを提供することはできる。Appleは音楽などのコンテンツを売っているので、初心者にも間違いのないサポートをしてくれる。しかし、パソコンの操作についてはあまり詳しく教えてくれない。Appleのパソコン購入者は初心者ではないからだ。このようにしてメリハリをつけることで、リソースの有効利用を図っているのだ。そのためには少なくともトップの人が自社社員であり、一貫して自社製品についての知識を持っている必要がある。さらに、末端のオペレータも自分の判断で硬軟切り分けられるように権限委譲されていなければならない。

日本のコールセンターは外部委託かつパート・アルバイトなので、製品に対する愛着もなければ会社に対する関心もない。たとえ仕事に愛着を持ったとしても「そんなことは期待されていない」のだ。一人だけ特別なことをしようとすれば社員とぶつかるかもしれない。だから、Appleのような体制をとるためには、雇用体系と企業文化を変えなければならない。

このように、初心者に手厚いサポートを提供すると、今度は中級者以上を排除してしまうことになる。「どちらも同時に」というわけには行かないのだ。すると、お金を払ってくれそうな中級者たちは他の会社に流れることになる。サポートのコストは製品に乗る。自力で解決できる人は、より安い(あるいは適正な)価格の製品を求めるだろう。このようにして、コストばかりがかさんで、利益の薄い商売になってしまうのだ。日本の家電メーカーが次々とコンシューママーケットから退出するのにはいろいろな事情もあるのだろうが「サポートを手厚くしなければ、これ以上普及率を上げられないのではないか」という観測もその理由のひとつになっているのではないかと思う。

デマというのがデマなのか、それともただのデマなのか

東日本大震災から5年が経った。みんなすっかり忘れているみたいだが、関東も被災地だった。Twitterに千葉の製油所の火災の写真が流れてきた。遠くからも煙が見えたし、火災は21日まで鎮火しなかったそうだ。

遠くの煙を目にして、ご近所で「今に有害物質が黒い雨になって降ってくる」という話が飛び交っていたことをよく覚えている。「家にいたほうがよい」と言われたのだが「あれはデマだから落ち着いた方がよい」と言ったが、確証はなかった。誰だって目の前で工場が燃えているのを見れば、何か悪いことが起こるのではないかと不安になるだろう。100%安心かと言われれば「わからない」としかいいようがない。

後になって政府も「あれはデマだ」と発表した。ということで、この件は公式に「デマ認定」されている。

だが、これがデマではなかったと信じている人も多いようだ。隣にある工場に劣化ウランが貯蔵されており、ここにも延焼したのだという。火はすぐに消し止められ政府も「劣化ウランが漏れ出すことはなかった」と発表しているのだが、信頼しない人がいるのだ。

冷静に考えると、やはりあれはデマだったのではないかと思う。当時のデマは「製油所が燃えているので気をつけろ」というものだった。放射性物質については何一つ触れられていない。加えて「~によると」という部分がころころと変わっている。さらに「雨が降っていなかったし、降りそうもなかった」こともある。劣化ウランの件は後付けなのだろう。

実際にTwitterでのデマの拡散過程を確かめた人がいる。不確かな情報が最初にあり、それが統合する過程で断定口調に変わってゆく。Twitterをやっていない人がいるからと善意で携帯メールで拡散した人もいるらしい。

だが、人々が不信感を持つのも当然かもしれない。政府の中枢は福島対応で大混乱になっていたようだし、もともと放射線への抵抗感が強い人にちょっとでも「放射性物質が漏れる可能性がある」などとほのめかそうものなら大規模な製油所反対運動に発展していただろう。

今ではすっかり中国の手下と見なされている民主党だが、政権当時の対応から分かるようにやはり親米政権だ。民主党がすでに政治化している原子力運動の運動家たちを刺激したくなかったという気持ちはよくわかる。

何かあっても本当のことなど教えてもらえないのではないのかという不信感を払拭するのは不可能なのではないかと思える。だから、こうした話が出たときは隠蔽したり無理に否定したりせずに、そのまま鎮火するのを待つ方がよいのだという。

 

 

放送と言論の自由

奥野さんという民主党の代議士が高市総務大臣に変なことを質問したためになんだかめちゃくちゃな議論が行われている。「政治的に偏った放送を行った放送局の電波を政府が停止できるんですか」と質問し「できます」との回答を得たのだ。民主党は「自民党は言論弾圧に乗り出した」と騒ぎ、憲法学者の先生たちも「高市発言は憲法違反だ」と騒いでいる。

もともと、放送法は電波を政府や権力者たちが独占しないために「不偏不党」が唄っており、権力批判を制限するための法律ではない。ところが最近では政権に近い人たちが公然と「政権批判ばかりして、偏っているから電波を止めてしまえ」などと言い出すようになった。中には真剣に「ジャーナリズムは共産主義に洗脳されている」などと考える人たちも出てきているようだ。そこで「自民党政権は言論弾圧のために電波を止めかねない」という懸念が生まれたのだろう。

ところが、そもそも「不偏不党」性は言論の自由に抵触する。だから、あの法律はもとから憲法違反なのだ。そのため法曹界では、普遍不党を唄った条項は努力目標だというような曖昧な解釈をしているようだ。法曹界の面白いところは法律の無謬性を信じているという点だろう。法律だって間違えることがあるわけだから、状況が変われば法文を変えればいいと思うのだが、それでは法律の持っている「神聖性」が失われていると考えているのかもしれない。同じことは自衛隊と憲法の関係にも言える。現実的に世界有数の武力集団なのだから「あれは軍隊ではない」といっても笑われるだけである。

かつてはテレビのチャンネルは数局分しか取れなかったので「限られた資源」だったわけだが、最近のデジタルテクノロジーを使えば、より多くの放送局を作ることができる。インターネットを使えばもっとたくさんのチャンネルを見ることができる。だから、憲法を純粋に適用すれば「不偏不党」を唄った条項を廃止すべきなのだ。

ところが、そうするとNHKが自民党寄りの報道を繰り返すようになるのは火を見るよりも明らかである。スポンサーが政権なのだからこれは致し方ないところだ。下手したらチャンネル桜みたいになってしまうかもしれない。憲法学者の先生はそれも嫌なのだろう。このため『立憲デモクラシーの会』が出した声明はなんだかまわりくどいものになってる。単純に「電波はもはや稀少なものではないのだから、あの条文はなくすべき」と書けば良かったのだ。

高市大臣がお友達と裏でどんな勇ましいことを言っているのかは知らないが、具体的に電波を止めようとしているわけではないので、この話はこれ以上広がりようがない。総務省出身でこの件が得意だった奥野代議士はこれがバズったのがうれしかったのか、再度質問に立ち、テレビカメラの前で見事に自爆した。もっと勉強しろよとは思うが、もともとこの程度の人なのだと思う。民主党は次回の衆議院選挙ではもっと質の高い候補者を送っていただきたいものである。でないと、本当に共産党くらいしか入れる政党がなくなってしまう。

安倍首相に憲法を改悪させないために民主党ができること


前回は「人を動かす」方法について学んだ。今回はこれを応用して、現実の問題を考えてみたい。安倍首相の憲法改正案が危険だと考える人は、知っている政治家にこの方法を勧めてみていただきたい。一人では効果がないかもしれないが、何人かからの働きかけがあれば態度が変わってくるかもしれない。危機的な状況において重要なのは行動することだが、聡明な方ならお分かりいただけるのではないかと思う。

その方法はあっけないほど簡単だ。民主党は安倍首相の憲法改正案について見解を正してもよいが、その場で非難してはいけない。

人は誰でも傾聴されることを求める。逆に反対されると頑になってしまう。国会では安倍首相に大いに語っていただきたい。

傾聴の効果はすぐに現れるはずである。第一に、安倍首相の発言はすぐにつじつまが会わなくなるだろう。彼の発言を聞いていると、憲法そのものには対して興味がないことが分かる。最近有名なのは「経済的自由と表現の自由に関して異なる基準が適用されているのはなぜか」という質問に答えられなかったというエピソードである。語っているうちに言っていることがめちゃくちゃになってくるはずである。

次に話の矛盾を他の官僚に語らせることだ。安倍首相と周辺にいる人たちの特徴はプロセスに無頓着なところだ。故に、安倍首相の発言の確認を官僚にさせるとよい。だんだん整合性が合わなくなってくるだろう。平和安全法制を書き換えるに当たって過去の法制局の憲法解釈を変えさせたようなことが頻繁に起こるはずだ。時間勝負なので、予め「クイズ」をたくさん用意しておくと良いだろう。

平和安全法制の場合にはかなり長い時間をかけてつじつまを合わせていた。論理的にはめちゃくちゃでも口裏は合っていたので、なんとなく論破しにくかった。しかし、こうしたことが矢継ぎ早に起これば、国民も「ああ、これはおかしいな」と思うだろう。批評は憲法評論家やニュースコメンテーターに任せておけば良い。早く言えば、犯人を自供させるために「優しい刑事」と「怖い刑事」を組み合わせるようなものだ。

相手を責める為にはまず自分が謝ること、というのが『人を動かす』の鉄則である。だから民主党は憲法改正そのものに反対していた過去の姿勢を反省してみせればよいだろう。これは一部の護憲派の人々の離反を招くかもしれないが、一般国民への印象はかなり変わるはずだ。こうした戦略的進路変更は民主党にしかできない。社民党と共産党はそもそも憲法改正そのものに反対しているからだ。民主党は柔軟さをアピールし、差異を際立たせることができるだろう。

一般の国民は憲法には関心がない。憲法に関心があるのは「意識の高い」人たちだろう。これは残念なことだが、やりようはある。一般国民が怖れているのは、現状変更だ。そこで、民主主義が否定されたとき「価値観を共有する国」(特にアメリカ)がどのような態度を取るか、諸外国からどう見られるかということを心配してみせるとよいだろう。人権を軽視するような発言が自民党政治家から繰り返されればされるほど、同盟関係が損なわれる危険性が増すことになる。特にアメリカは「フェアさ」や「民主主義」にはうるさい。少なくとも表立って安倍首相を応援するようなことはやりにくくなるはずだ。

最後の効果は限定的かもしれないし、根本的に重要かもしれない。安倍首相は憲法には興味はないが、憲法は改正したがっている。それは多分「心理的リアクタンス」によるものだ。自民党の憲法改正案は自民党が選挙に負けた後で作られた。「負け」を受け入れられなかったので、リアクタンスが働きめちゃくちゃな憲法案が作られたのだ。下野していた安倍首相は憲法改正を「戦い」と評している。野党が攻撃すればするほど憲法改正案に固執するようになってきたし、これからもそうなるだろう。

例えて言えば「勉強しなさい」と言われた子供が頑に「勉強はしない」と思い込んで行くようなものだろう。それが自分のためにならないということが分かっても、「勉強嫌い」を表明してしまったためにロック・インされてしまうのである。安倍首相を支えているのは「戦っている」という自覚だけだろう。

そこで、野党が反対するのをやめて「自分で考えさせる」と多分頭の中には何もないということに気がつくはずだ。最悪、安倍首相は政権を維持するモチベーションを失ってしまうのではないか。空っぽになった頭で、論理的矛盾を突かれながらぼろぼろになる安倍首相を想像するだけで楽しくなってしまう。いったんぼろぼろになったら、安易に辞任させずその様を眺めるのも楽しいのではないだろうか。

他人をコントロールするには

まず、人は自分にしか興味がないことを知るべき。つまり、相手を直接コントロールすることはできない。また、人は敵対的な態度にリアクタンス(心理的抵抗)を覚える。逆に共感的な態度は賛同を得やすい。つまり、他人は変えられないが関係性や空気はコントロールできる。あいてに好ましい影響を与えるためには、相手を直接コントロールするのではなく、間接的な方法をとるべきだ。

こうした手法は昔から提案されている。第二次世界大戦前に書かれたデール・カーネギーの『人を動かす』などが有名で今でも読み継がれている。『人を動かす』や最近の読み物などを参考にして他人をコントロールする方法をまとめてみた。『人を動かす』には『マンガで読み解く 人を動かす』もある。

他人をコントロールするにはまず自分が変わる

『人を動かす』の中には「聞き手になる」など受身の方法が多く書かれている。カーネギーは主にセールスマンなどに向けたセミナーを行っていたからだ。だが、現在では聞き手に回ると「この人はなんでも聞いてくれる」などと期待されたり、いやな役割だけを押し付けられたりしがちだ。セールスマンと違ってその場にとどまらなければならない人が多いからだ。閉ざされた空間では、まず自尊心を持って、相手に支配されないようにするのが重要なのではないかと思う。偉い人に認めてもらいたいなどと思うと卑屈になりがちだが、状況をコントロールしてくらいのだという意識を持つことが大切だろう。ボディランゲージや姿勢などで状況を動かすことができるようだ。人を変えるためにはまず自分から変わらなければならない。

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人間は共感と社会的承認を求めている

人を動かすためには、まず、他人が何を欲しがっているのかを見極める。見極めたらそれを惜しみなく与える。また、他人がそれを得られるように援助を申し出るのもよい。多くの人は社会的報酬を欲しがっている。相手の成功を「おめでとう」と評価する・思いがけない賛辞を送る。重要感を持たせる。期待をかけるなどが効果的だ。直接与えるだけでなく、援助の気持ちを表すのも効果的だろう。相手が望むものを得られる方法を提案してみるのも良い。

協力的な態度は重要だ。名前を覚えたりして、相手に誠実な関心を寄せて置くと人から尊敬されるようになる。人を非難する代わりに理解している姿勢を示す。つまり、心理的リアクタンスはできるだけ取り除いてやると良い。

相手に影響を与えたければ自分から話してはいけない。聞き手に回るべきだ。相手への共感を示し、議論を避ける、間違いを直接指摘しない。自分の間違いは素直に認める。何かやらせたいと思ったら提案せずに相手に思いつかせる。相手に信頼して欲しければ、相手にしゃべらせるのがよいという科学的な知見もあるようだ。まずは、質問すると相手は話しやすくなる。

人間は空気に支配される

相手の美しい心情に呼びかける。相手を優遇するとそれなりに返礼しなければならないと考えるようになる。相手にうなずいていると、相手もイエスと言いやすくなる。肯定には肯定で、協力には協力で対応する態度をミラーリングという。アメリカでは相手を触るとチップが多くなるという研究があるらしい。日本では親しみを込めた態度をとるとよいのかもしれない。

特には意外性や演出も大切

ただし、相手を褒めてさえいればよいというものでもない。例えば賞賛しなれている人は褒められてもあまりうれしいと感じないだろう。国会議員を褒めてもコントロールできないだろう。意外性のある方法を考えるべきだ。つまり、演出も大切だ。肯定的な雰囲気を作り、穏やかに話し、笑顔で接し、イエスと答えられる質問を選ぶと相手は協力しやすくなる。逆に、対抗意識に訴える方法も効果的だ。相手同士を競争させて効果を上げる方法がとられることもある。

もっとも相手が協力的かどうかはわからない。ためしに視線を変えてみて相手が同じ方法を見たらリベラル(共感的)である可能性が高いそうだ。そうでなければ保守的だ。共感的で協力的なほどリベラルということになる。社会的承認を得られている人をほめても効果的ではないかもしれない。

聞き手に回ることと服従することは違う

聞き役に回っていると、相手は「話を聞いてもらえて当たり前だ」と感じるようになるかもしれない。すると相手をコントロールすることは難しくなるだろう。うつむくと服従的な態度だとみなされるので避けた方がよいらしい。体や手足を大きく広げると重要な人に見える。また、一歩手前に出ると会話を支配できるようだ。聞き手に回ることと服従的になることとは違う。

若者は検索する

さきほどコンテンツの年齢分布を調べていて「検索は若者」で「ソーシャルは高齢者」なんじゃないかと思ったのだが、当たったようだ。検索エンジンを使って情報を集めている中高年は少ない。

多分、Twitterには年寄りしかいないというわけではなく、たまたま見られているコンテンツが高齢者向け(主に政治ネタ)だったからかもしれない。中高年である作者が提供するネタに引き寄せられた人がフォロワーになり、それを見て記事を書くと同じような年齢の人が集るのではないかと思われる。違う年代の読者を集めようと思ったら、時々毛色の違う記事を書いて検索エンジン経由のトラフィックを分析するのがよいのかもしれない。

ソーシャルのグラフ

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検索エンジンのグラフ

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ダイレクト(ブックマークなど)の直接参照は年齢的にバランスが取れている。

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高齢者が好む読み物、若者が好む読み物

先日来、高齢者のページビューが増えたので動向を分析してみた。若年層は情報収集をモバイルに頼る傾向があり、モバイルを辞書代わりに使っているようである。年齢が上がるに従ってモバイルの依存率は減り、PCの依存率が増える。また「週刊誌的(読み物的)」なコンテンツへの人気が高まるようだ。また、若年層はタブレット機器を持っていないが、それ以降の年代では率に変化はなかった。

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ブラウザの分布についても見てみたが、特に年齢による違いは見られなかった。意外とChromeが使われている。高齢者だから全てデフォルトのブラウザーを使っているというわけではなさそうだ。

一般的にインターネットの利用率は60歳代を境に減少すると言われている。また、所帯年収が下がるとパソコンの所持率は減る。つまり、貧しい世帯の老人ほど情報から取り残される傾向があるということになる。しかし、今回の動きでわかったように、Twitter上に高齢者が全くいないというわけではない。高齢者も、Twitterで有名人をフォローして情報収集をしているのだ。

全世代に読まれているもの

ウィリアム・ジェームズ(死にたくなったら)は全世代に読まれている。悩んでいる人は全世代で多いらしい。

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科学的なものに弱い若者

若者は辞書や実用書代わりにウェブを利用している。MBTI(INFJ)、不適切な敬語(やらさせていただく)について、ボーダー柄を着ると錯視が起こるというファッションの話、理系脳は共感が欠落しているという話、立ち泳ぎの練習方法などが若者に読まれている。特徴として「科学的」なフレーバーに弱い。言い換えると、若者は理由付けを必要としている。一方で政治問題への関心は高くない。0001 0002 0006 0010

若者と中年が均等に含まれるもの

政治問題になると壮年期の人たちの流入が増える。若者も一定数含まれる。なんとなく「週刊誌っぽい」ものが好まれるようである。TVニュースをソースにしているような印象がある。

フジテレビで安倍首相が生肉の模型を使って国民を困惑させた話、甘利大臣が陰謀で陥れられたという話、山本太郎議員はバカだという話、フジテレビで奥田愛基氏がTVで田崎史郎さんいディスられたという話。

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二重ルーターの設定に悩んでいる中年も多いらしい。ゲーム機などの設定に困っているのであろう。立ち泳ぎの練習法も幅広い読者層から人気がある。品質管理が得意という嘘についても壮年層の閲覧が高かった。

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中年だけが見ている記事

江川紹子さんのTwitterフォロワーは中年が多いらしい。理由は分からない。孫崎先生のフォロワーは高年齢の人が多いのだが、この2例から中高年は有識者の影響を受けやすいことが伺える。

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政治に興味があり、若者を嘆く老人

若者は政治に参加しないという話は老人のアクセスが多かった。これはほとんどが孫崎享氏のフォロワーだ。かつての全共闘世代が多く残っているのかもしれない。政治に興味がありかつて「改革意欲」に燃えていた人たちだが「政治を変えるにはまず自らが変わらなければならない」という記事には注目が集らなかった。さすがにある年齢を越えてしまうと変わるのは難しいのだろう。革新の高齢化・保守化が進んでいる様子が伺える。

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XPパソコンとUbuntu

最近、リサイクルショップにはたくさんのノートパソコンが売られている。価格は2000円から5000円程度である。なぜ安値で売られているかというと、OSがサポートされなくなったWindows XPだからである。性能はまちまちだが性能的にはまだ使えるものも多い。

こうしたパソコンがサポートされていないという理由だけで使えなくなるのはもったいない。そこで登場するのが無料OSのLINUXだ。最近はUbuntuというのが人気らしく、パソコン関係の雑誌売り場にもガイドブックが出ている。Ubuntuは南アフリカの言葉で「思いやり」を意味するとのことだ。

Ubuntuも当然永久にサポートされているわけではないのだが、Windowsに比べるとインストールしている人が少なくウィルスに狙われにくいと考えられている。そのため、古いパソコンで使っても安心だとみなされているようだ。

2008年ごろに作られたNetnote用にはバージョン9や10あたりが使えるようである。小さな画面用に改良されたバージョンもある。ブラウザーとしてFirefoxが使われており、既存のWindowsやMacintoshとの設定共有ができる。メールソフトやOfficeライクな文章作成ソフトもある。これらはすべて無料である。中古パソコンを手に入れて目いっぱいメモリなどを積みましたら、ソフトウェアはすべて無料で揃えることができるのだ。国際化されているので日本語も問題がないということである。

もちろん問題もいくつかある。AppleはLinuxをサポートしていないらしく、iPhoneとの接続がうまく行かないという。iCloudで連携することはできるのだが、バックアップやバージョンアップなどの作業をしたい人は最新版の「普通の」パソコンが必要だろう。iTunesもないので、音楽や映画をAppleから買っている人は使えなくなってしまう。Googleも2016年には32bit版のサポート(と同時にXPのサポートも)を打ち切るようだ。最新版のChromeを使い続けたければ新しいパソコンを買う必要がある。Google Driveはブラウザー経由で使えるようだ。

簡単にインストールできるようになったとはいえ、やはり初心者の敷居は高い。まずファイルを落としてきて、それをCD(最近のバージョンはDVD)に焼きインストール作業をしなければならない。WIndowsやMacOSの環境を残したいと思うとさらに設定が必要で、これを間違えるとOSの起動ができなくなるそうだ。ちょっとした気力があるとできそうだが、XPもそれなりに動作している(とりあえず、今のところはFirefoxとChromeが使える)ので、なんとなく「いよいよ使えなくなったらやろうかなあ」という気分になってしまう。

なお、OSを変えてしまうとパソコンメーカーのサポートを受けられなくなるので、メインのパソコンではやらないほうが無難だ。設定して動かなくなるとGoogle先生と首っ引きになることは間違いがないので、まともなパソコンは一台確保しておくべきだろう。