安倍首相に憲法を改悪させないために民主党ができること


前回は「人を動かす」方法について学んだ。今回はこれを応用して、現実の問題を考えてみたい。安倍首相の憲法改正案が危険だと考える人は、知っている政治家にこの方法を勧めてみていただきたい。一人では効果がないかもしれないが、何人かからの働きかけがあれば態度が変わってくるかもしれない。危機的な状況において重要なのは行動することだが、聡明な方ならお分かりいただけるのではないかと思う。

その方法はあっけないほど簡単だ。民主党は安倍首相の憲法改正案について見解を正してもよいが、その場で非難してはいけない。

人は誰でも傾聴されることを求める。逆に反対されると頑になってしまう。国会では安倍首相に大いに語っていただきたい。

傾聴の効果はすぐに現れるはずである。第一に、安倍首相の発言はすぐにつじつまが会わなくなるだろう。彼の発言を聞いていると、憲法そのものには対して興味がないことが分かる。最近有名なのは「経済的自由と表現の自由に関して異なる基準が適用されているのはなぜか」という質問に答えられなかったというエピソードである。語っているうちに言っていることがめちゃくちゃになってくるはずである。

次に話の矛盾を他の官僚に語らせることだ。安倍首相と周辺にいる人たちの特徴はプロセスに無頓着なところだ。故に、安倍首相の発言の確認を官僚にさせるとよい。だんだん整合性が合わなくなってくるだろう。平和安全法制を書き換えるに当たって過去の法制局の憲法解釈を変えさせたようなことが頻繁に起こるはずだ。時間勝負なので、予め「クイズ」をたくさん用意しておくと良いだろう。

平和安全法制の場合にはかなり長い時間をかけてつじつまを合わせていた。論理的にはめちゃくちゃでも口裏は合っていたので、なんとなく論破しにくかった。しかし、こうしたことが矢継ぎ早に起これば、国民も「ああ、これはおかしいな」と思うだろう。批評は憲法評論家やニュースコメンテーターに任せておけば良い。早く言えば、犯人を自供させるために「優しい刑事」と「怖い刑事」を組み合わせるようなものだ。

相手を責める為にはまず自分が謝ること、というのが『人を動かす』の鉄則である。だから民主党は憲法改正そのものに反対していた過去の姿勢を反省してみせればよいだろう。これは一部の護憲派の人々の離反を招くかもしれないが、一般国民への印象はかなり変わるはずだ。こうした戦略的進路変更は民主党にしかできない。社民党と共産党はそもそも憲法改正そのものに反対しているからだ。民主党は柔軟さをアピールし、差異を際立たせることができるだろう。

一般の国民は憲法には関心がない。憲法に関心があるのは「意識の高い」人たちだろう。これは残念なことだが、やりようはある。一般国民が怖れているのは、現状変更だ。そこで、民主主義が否定されたとき「価値観を共有する国」(特にアメリカ)がどのような態度を取るか、諸外国からどう見られるかということを心配してみせるとよいだろう。人権を軽視するような発言が自民党政治家から繰り返されればされるほど、同盟関係が損なわれる危険性が増すことになる。特にアメリカは「フェアさ」や「民主主義」にはうるさい。少なくとも表立って安倍首相を応援するようなことはやりにくくなるはずだ。

最後の効果は限定的かもしれないし、根本的に重要かもしれない。安倍首相は憲法には興味はないが、憲法は改正したがっている。それは多分「心理的リアクタンス」によるものだ。自民党の憲法改正案は自民党が選挙に負けた後で作られた。「負け」を受け入れられなかったので、リアクタンスが働きめちゃくちゃな憲法案が作られたのだ。下野していた安倍首相は憲法改正を「戦い」と評している。野党が攻撃すればするほど憲法改正案に固執するようになってきたし、これからもそうなるだろう。

例えて言えば「勉強しなさい」と言われた子供が頑に「勉強はしない」と思い込んで行くようなものだろう。それが自分のためにならないということが分かっても、「勉強嫌い」を表明してしまったためにロック・インされてしまうのである。安倍首相を支えているのは「戦っている」という自覚だけだろう。

そこで、野党が反対するのをやめて「自分で考えさせる」と多分頭の中には何もないということに気がつくはずだ。最悪、安倍首相は政権を維持するモチベーションを失ってしまうのではないか。空っぽになった頭で、論理的矛盾を突かれながらぼろぼろになる安倍首相を想像するだけで楽しくなってしまう。いったんぼろぼろになったら、安易に辞任させずその様を眺めるのも楽しいのではないだろうか。

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