松田公太氏の影響力について

Twitterは面白いツールなのだが、残酷でもある。その人の影響力が相手に覗かれてしまうのだ。例えばこのブログのRetweetもページビューと連動している。Retweetがあってもページビューが動かなかったりすると、拡散点としての価値はゼロなのだ。フォロワーの数と連動しているわけでもなさそうだ。おおむね左派は関心の範囲が狭く、情報収集には熱心ではないように思う。

松田公太さんという人がいる。東京から改選を控えた現職の参議院議員だ。このポイントにポジティブな呟きをすると拾ってもらえる。そして複数の「いいね」が付いて、Retweetもされる。あ、影響力があるんじゃないかなどと思う。

colornetwork3だが、これは間違いなのだ。

このツイートのインプレッションを見ると意外と広がりが少ないことがわかる。ここから先は類推でしかないのだが、狭くて熱烈なコミュニティがありそこで拡散されているのだろう。

同じような現象が反原発・戦争法案派にも見られる。そうでないコミュニティと比べてお互いのフォロー関係が密なのだ。探したら昔作ったネットワークチャートがあった。

そもそも、ツイッター民は政治のツイート自体に興味がなさそうだ。この数日で呟いた物を調べたところ、ヒットしたのは次の5つだった。

  • 安倍首相が護憲派の守護神になっているという皮肉めいたツイート
  • iOSがアップデートされたが、スムーズに移行できたというツイート
  • ブックオフがハードオフとは違う会社であるというツイート
  • 日立がコンサル営業にシフトする試みは失敗するだろうというツイート
  • 韓国人はお行儀が悪いというツイート

トレンドワード入りしているとインプレッションが稼げるのだが、政治ネタは少ない。安倍首相云々の話はトレンドワード入りしているわけではないので、どうして拡散したのかはよくわからない。Retweetした人がたまたまフォロワーの多い人だったのかもしれない。

松田参議院議員はアンチが少なく熱烈なフォロワーが多いと思うのだが、こうした存在は拡散力が劣る。とはいえ影響力が上がると今度はアンチが増える。定式化はできないが、強さと広がりは別の物で、広がりと支持率も別のパラメータなのだということが分かる。

とはいえこれが投票行為にどのくらい反映するかどうかはよく分からない。多分選挙関連のツイートが盛り上がるのは投票日前の3日間くらいだろうし「他に適当な人がいないから」という理由での投票もあるだろう。情報が多すぎて人々が振り向けられるリソースが限られているはずで、数ヶ月先のことなど構ってはいられないのだろう。この時点では誰がどこから出るのかを把握している有権者はほとんどいないだろう。

全く蛇足なのだが、安倍首相が護憲派の擁護者になっているというツイートはかなり拡散した。戦争法案派(つまり左派)への反発から安倍首相よりの人もいたと考えられるのだが、こうした動きが退潮するにつれて、コンテンツとしての安倍さんは飽きられ始めているのではないかと思う。つまり、安倍首相は護憲派の存在を作っているのと同様に、護憲派は安倍さんの存在意義を作っている。相互が依存関係に陥った(つまり共依存だ)まま、双方とも衰退してゆくことが予想される。

引き続きもろもろ観察したい。

強い関係と弱い関係 – 選民教育と一般教育の違い

普段いろいろなツイートをするのだが、返信は滅多にない。これだけいろいろ書いているので、憎悪に満ちた返信があってもよさそうだが、それはない。なぜなのだろうかと思うことがある。

昨日面白い体験をした。民進党の蓮舫参議院議員が「日曜討論に岡田さんが出る」とツイートしていた。昨日は憲法記念日なので日曜討論はない。まあ、別にどうでもいいことなのだが、面白いので突っ込んでみた。すると「日曜討論ではなかった」という旨の返信があった。

すると、蓮舫議員と私宛にいくつかのレスポンスが来た。多分蓮舫議員に構ってもらいたい人だったのではないかと思うのだが、よく分からない。なかには「お前は民進党支持のようだが、民進党には何もできないではないか」というものもあった。

そこで思ったのだが「民進党」というのは「公衆の面前で叩いてもよい」存在になっているらしい。こういったことは自民党の政治家には起らないし、日本を元気にする会でも起らない。さらに民進党の議員では長島昭久議員のところでもあり得ない。

多分「蓮舫さんが女性だから舐められている」のだろうなあと想像した。つまり「この人は弱い」という人が叩かれるのであって、いじめの構造に似ている。だが、民進党の女性議員をイジる人は、どのような根拠で「この人はイジっても怖くない」と思うのだろうか。こういうことを研究した人はいないのではないだろうか、などと考えた。

いずれにせよ、このような言論空間では意見そのものには情報的な価値はないということになりそうだ。誰が発信しているかが重要であり「いじめてもいい」というフラグが立つととりあえず叩く訳だ。こうしたコミュニケーションにも機能はあるはずだ。多分、意見交換というよりは社会秩序の維持機能があるのだろう。つまり「誰かをイジってもいい」と思う人は「誰か別の人にイジられている」社会の駒なのだ。

この仮説は少し残酷だ。つまり、選良教育と一般教育がある。選良教育では情報交換や討議といった意思決定に関わるコミュニケーションが行われる。一方で、一般教育からはそのような技術は予め排除されている。代わりに社会秩序維持のための方法を学ぶのだ。社会秩序維持の技法を学ぶ訳ではない。維持されるメンタリティを育成されるのだろう。


この延長線上にあるのが「弱い靭帯」の不足である。これは個人的にはかなりの発見だった。インターネットのコミュニケーションをBBSの時代からやっているのだが、当時はどこの誰か分からない人と会話をするのが楽しかった。ネットワークとしては「モデレータ」のいるスタイルで、参加者は会話に返信する義務はなかった。気に入れば参加すれば良いし、忙しければ返信しなくても構わない。誰も強要する人はいなかった。ただし、自分の趣味のBBSが荒れてしまうのは避けなければならないので、それなりの自律的に秩序が維持される。このようなフォーメーションが成り立っつ条件は2つある。

  • 限られた人たちが参加する。知らない人たちのコミュにケーションに参加しても平気な人たちだ。
  • モデレーターがお金を払って私的な場を維持している。

こうしたつながりを社会学では「弱い紐帯」と呼ぶ。義務や上下関係の薄い関係と言える。弱い紐帯を持っていると、情報の幅が広がる。だが、現代では、多くのネットユーザーにはこうした区分はしないらしい。管理される教育を受けた人たちにはそもそも「弱い紐帯」という考え方がないのかもしれない。

例えば、LINEには弱い紐帯という考え方はない。だから、Twitterでも「今日と明日は返信できません」と断りを入れる人がいる。会話を返すのを義務だと考える「強い関係性」なのだが、これがLINEいじめの原因にもなっている。

今回は「支持者ではない」と言っているのに「民主党は何もできない」と主張をぶつけてくる人がいたのだが「ああ、そうだろうなあ」というくらいにしか思えなかった。多分「会話をする人が必ずしも意見に賛同しているとは限らない」ということが、本質的に理解できていなかったのではないかと考えられる。

そこで、そもそも人はどのようにして弱い紐帯という概念を学ぶ(あるいは学ばない)のだろうかと考えたわけだ。

この考察が正しいかは分からないのだが、日本には「管理して意思決定する側の教育」と「管理される側」の教育の2種類がありそうだ。つまり、Twitterでどのような意見を発信するという、たいへん下らない些末なことが、ある階層からみると「社会的なスティグマ」になってしまうということである。

この結論の残酷なところは、こうした態度が再生産されるということだろう。つまり、通常の教員養成課程では「管理されている人が、管理される人を作るための教育」を行うということになる。いったんこのカテゴリに入ってしまうと、そもそも情報交換して意思決定するということができなくなってしまう。

これは「管理する側」に都合がよいように思えるのだが、実際にTwitterで行われている政治議論を見ると分かる通り、本来は「意思決定する側」の人たちが絡めとられてゆく。そもそも「管理される側の教育」しか受けたことがない人たちが、意思決定しているようにも感じられる。

政治的主張の組み立て方 – リピーターと新規ユーザー

ソーシャルメディアの反応を見ると、政治的な主張にどの程度の引きがあるのかが分かる。だが、その反応は要面的であり、使い方を間違えるととんでもない勘違いを生み出しかねないのではない。以下、具体的に示す。

一部の方は既にご存知だと思うのだが、Google Analyticsでユーザーの行動が終追えるようになった。ユーザーごとにIDが割り当てられていて行動をトレースできる。そこでリピーターの行動の解析を試みることにした。

念のために申し添えると「プライバシーが漏れる」ということはない。IDは固有だが、名前などとは紐づけられていないからだ。IDは各個人のブラウザーに入っているが、パソコンを押収でもしないかぎり、個人の特定はできない。

ユーザーの行動履歴は閲覧できても、エクスポートには対応していない。そこで、ページをコピペして加工した。ユーザーの多いサイトで同じことをするのは大変だろうなあと思う。

user_id interaction ページ名という形式に加工してCytoscapeに読み込ませる。やろうと思えばページのジャンルをアトリビュートとして読み込ませることもできるのだと思うが、面倒なのでやらなかった。多分書いている本人がよく分かっていないので、意味がないだろうと思ったからである。もちろん、バスケット分析などもできるのだが、そこまでやりたい人(主にECサイトの人だろう)は、カスタマイズされたコードとIDを埋め込んでいるものと思われる。

まず、ヘッドラインで反応しているひと(いいね)などは全く当てにならないようだということだった。傾向が全く違うのだ。多分、Retweetもヘッドラインに反応しているのかもしれない。時々、ヘッドラインと全く違うことを書いていたりするのだが、本文は読まれていなさそうだ。

次に分かったのは「ユーザーというのは一人ひとり違った指向を持っていてつかみ所がない」ということだった。このブログはいわゆる「左翼層」をターゲットとした記事(一言でいうと、安倍政権が災いを引き起こしているという内容だ)が多いのだが、リピーターはほとんど読んでいないようだった。「Twitterにはバカが多い」とか「NHKは情報を隠蔽した」いう記事は多くのページビューがあったのだが、リピーターにはこれも読まれていない。みんなが読む情報に飛びつく人は飽きるのも早いということになる。

ユーザーのニーズは多様化している。例えばマーケティング系のもの、コミュニケーションに関わるもの、マスコミのあり方に対するもの、イノベーションについて、デザインなどと複数のジャンルについて幅広く読んでいた。特定の傾向は見られない。

さて、これを見る限りは、野党勢力は今夏の参議院選挙であまり躍進できないのではないかと思われる。自民党の憲法案やTPPへの関心は多分それほど高くない。具体的に何が起るかイメージできていないのではないかと考えられるし、多分反対する野党陣営は「大げさだ」と考えてられているのではないかと思う。

熱心な人はTwitterで安倍首相の悪口をつぶやいているが、多分誰も読んでいない。多くの人は飽きているか、そもそも最初から気にしていない。情報発信者も「カラオケ状態(つまり、誰も他人の歌を聞いていない)」なのではないかもしれない。リアクションを見ながら発言している人は、おそらく誰もいないのではないだろうか。

では、そのような人たちは政治に関心がない無知蒙昧な人たちなのかというとそうでもないらしい。政治記事にも読まれているものがあるからだ。これも傾向は判然としない(書いている人が分かっていないのだから傾向が見えないのも当然だ)ものの「意識高い系のワードと政治を組み合わせたもの」や「公共性に関するもの(ただし、公共についてポジティブなのかネガティブなのかは判然としない)」などは読まれている。今のレベルでは仮説にすぎないものの「自民党中心の政治が制度疲労を起こしている」と考えている人は多いのではないかと考えられる。だが、野党も「旧態依然としている」と思われているために、支持が広がらないのだ。

いずれにせよTwitterやYahoo!ニュースのヘッドラインに引っ張られて政治主張や情報発信の方針を決めるのは危険だから止めたほうが良さそうだと思った。自分のメディアを持ち、定期的に反応を解析しないと、表面的なリアクションに引っ張られる危険性があるのではないだろうか。

多くの露出を得るためには、インフルエンサーにフックしたり、過激なことを書く必要がある。ただし、リピーターを獲得するためにはそれではダメなようだ。感情で動く人は、辛抱強く文章を読んだりはしないのだ。

震災対応に見る分散型システムの優位性

熊本・大分の地震では「物資が足りない」という声が多く聞かれた。品物は足りているのだそうだが、分配がうまくいっていなかったらしい。そこで多くの人が「震災に備えて、自治体は情報をシステムを作っておくべきなのではないか」と考えたようだ。日本を元気にする会の松田公太参議院議員もその一人。

さて、ここで日本人が「システム」というと、中央に大きなサーバーがあり、その情報が集約化される図を思い浮かべるのではないだろうか。それをNECか富士通に作らせるのだ。その裏にあるのはオペレーション上の慣習だろう。下にいる人が上にいる人に決済を求めることになっている。だからシステムのその慣習に合わせるのだ。そのピラミッドの頂点は当然国である。

だが「車輪は発明するな」のことわざの通り、実際には情報を集約するシステムはできている。情報通信研究機構(NICT)が既にリリースしたシステムがあるのだ。だが、NICTの作ったシステムは、役所や国会議員が考えそうなものではなかった。Twitter上のつぶやきを分析して表示している。

中央集権的な伝達システムではどこかで連絡ミスが起きる。そもそも日本人はチーム連携が苦手な上に、最近の公務員は非正規が1/3を占めている。下が言ったことが上に伝わるということは期待しない方がよさそうだ。中央集権的なシステムは既に崩壊していると言ってよい。だったら、膨大な情報をそのまま抽出して「必要な人」が検索した方が簡単なわけだ。分配も計画的にやるより分散型でやった方がいい。手近にあるものを運べそうな人のところに運んでやればいいわけである。

そもそも「情報がないない」と言っていたのはお役所の人たちだ。情報通信研究機構(これは総務省管轄の研究所らしい)で何を作っているのか知らなかったに違いない。情報通信研究機構にも限界はあったようだ。UIがあまりよくないし、自然言語による質問には対応していないようである。予め想定された質問から選ぶことになっている。

技術そのものはできあがっている。Googleがそのよい例だ。「おそば食べたい」というと近所のそばやを検索してくれるという例のあれである。多分、こうした技術を組み合わせれば中央集権的な(コンピュータ用語でいうところの、サーバー依存の)システムを作らなくても、分散型でやってゆけるのではないだろうか。

Twitterでは「水道管が破裂した」などという報告を集めてくれるシステムを作ればいいんじゃないのかという意見も聞いたが、千葉市が「千葉レポ」という仕組みを運用している。エンジンはセールスフォースだそうだ。スマホで近所の危険情報などを報告すると市役所の職員がなんとかしてくれる(なんとかしてくれないこともあるが、経過は教えてくれる)という仕組みである。

かつてはちょっとした不具合だったとしても、市議に泣きついたり(市議会議員の仕事は実質的には苦情処理だったのだ)市長に手紙を書いたりしていた。市長に手紙を書くと数ヶ月後に部局長から形式的な手紙が送られてきていた。仕組みを作ることで、苦情の申し立てがしやすくなったし、その後の対応も分かりやすくなっている。

システムを発注するのは役所なので、どうしても中央集権的になってしまいがちだ。だが、実際に有事の際に役に立つのは分散系のシステムのようである。多分、システムに従ってオペレーションを変えた方が効率的な仕組み作りが楽にできるだろう。

炊き出しの場所を探す – Googleクライシスマップの使い方

金曜日の夜に熊本地震からしばらく経った。無料wifiの提供は始まったようだが、未だに「物資が届かない」とか「情報がない」などの声があるそうだ。

自治体はまとめサイトを作るべきだという話があるようだが、実際には民間で災害対策情報をまとめている人たちがいる。例えばGoogleは「クライシスマップ」というものを提供しているのだそうだ。東日本大震災の復興支援への対応経験がある九州大学の学生がまとめた情報だそうだ。「情けは人のためならず」というが、支援の経験は自分たちが被害者になったときに活きるものらしい。

ただ、このマップを見ても、どう活用してよいか分からない。慌てているとなおさらだろう。いつ地震が来るかは分からないのだし、使い方だけでも見ておこうと思った。なおスマホから見ると使いにくかったので、タブレット(いくらか電池の持ちがよい)かノートパソコンで見るのが良いのではないかと思う。予めブックマークしておくか、「google 災害情報」で検索すると出てくる。備えあれば憂いなしだ。

crisis001

まず、広域の地図が表示される。広域にわたっているために、ちょっと分かりにくい。crisis002

そこで自分の住んでいる地域を検索する。ここでは東区健軍とした。青い筋で見えているのは車が通れる道路。本田技研が情報提供しているそうである。渋滞情報までは分からないが、通行できることは分かる。その他は判例がなくよく分からない。

crisis003

欲しい情報を見るためには、レイヤーを使う。レイヤーは画面右にある。レイヤーを選択すると選択画面が出てくるので「炊き出しマップ」を選択した。これは災害ごとに異なると思われる。炊き出し場所は赤いピンで表示されているらしい。画面左にあるピンを選択したところ小学校の名前が出た。ラジオで情報を取得したようだ。かなり詳しい情報が載っている。

crisis004

都市部の道路は通れるようだが、通行実績がない(すなわち通れない)ところがかなりあるようだ。予め分かっていれば無駄な動きが少なくてすみそうだ。スマホしかなく情報が取れない人の代わりに調べてあげるというような「リモートボランティア」という支援もあるのではないかと思った。情報が最新のものかは分からないが、すくなくとも闇雲に動くよりはよさそうに思える。

crisis005

「Yahoo!災害マップ」と検索すると避難場所情報が出てくる。

Lineいじめとコミュニケーション特性

必要に迫られてLineについて勉強している。これがいろいろとややこしい。つい、いじめの温床になるのも当然だななどと思ってしまった。もっとも、この感想には男性としての偏見が含まれている。そもそも女性同士のコミュニケーションが複雑だからだ。

伝統的な電子コミュニケーションの基礎はメールだ。基本的に一対一のコミュニケーションツールで、メーリングリストを使うと一対多に拡張できる。その後にメッセンジャーツールができた。メールに即時応答できるが、これも一対一のツールである。さらにFacebookが出てきた。これは個人が好き勝手にコミュニケーションして、個人がリアクションするというツールだ。最後に登場したのがSkype。これはメッセンジャーを音声にしたものだが、電話の代替でわかりやすい。これにTwitterが加わる。これは「弱い靭帯」ツールとして機能している。簡単にフォローもアンフォローもできる。Instagramも「弱い靭帯」ツールだ。

ところが、Lineはこの「個人主義」で「弱い靭帯」という要件を欠いている。

女性は男性のように「用事があったら見ておいて」というメールメンタリティは受け付けないようだ。要するに会話が楽しみたいわけである。会話はコミュニケーションの手段ではない。女子高生はお互いに相手の話を聞いていないというが、老人ホームでも女性は会話が成立していなくても、お互いになにか話し合っていることがあるそうだ。いわばカラオケ状態だ。

Lineは最初からグループが前提になっている。グループがあるから「外す」ことが可能になる。Facebookでは「相手から外される」ことはあるが「外し」は存在しない。そもそもそんな概念がないからだ。誰が考えたのかは知らないが、Lineはアジア的なメンタリティだ。特に日本人は集団が意思決定して集団が従うことで知られている。これは大陸アジアとも違った形なのだそうだ。Lineが日本人の間に爆発的に流行したのは、一度Lineが使われるようになると他の人も使わなければならないという同調圧力が働くからだろう。

ところがLineでは「外し」はかなり重要な意味を持つ。勝手にアンフォローすることはできず、いったんブロックしてから削除するのだそうだ。なぜこのような仕様にしたのかはわからないが、これは十分「絆」になっている。絆とは家畜をつなぐ綱のことだ。

また、相手からメッセージが来ると、夜中であってもけたたましい音がする。そこで、通知がこないように設定することになる。あまり仲良くない相手や企業から頻繁に通知が来るとウザい。ところがLineを使い慣れない人は「相手の通知設定がどうなっているか」はわからない。だから関係性が曖昧になりがちだ。絆が不必要に強いからこそ、関係性が隠蔽されやすいのだ。

例えばSkypeは相手のステータスがわかるようになっている。これも個人主義的な文化だ。「今は話できない」ことがわかっているからこそ、相手は安心して電話がかけられる。ところがLineはそれを推察するしかない。気が弱い人は通知を常時オンにしておく必要があるだろう。そもそも「今は邪魔しないでください」というのが表立って言えないのが日本人なのだ。

このように「集団主義的」に見える日本人だが、実はそのコミュニケーションに対する態度には偏差が大きい。つまり、人によって実はバラバラなのである。そのバラバラさにはいくつかの要因がある。

  • 年齢:年齢によってリテラシが異なる。
  • 生育歴:他人がどれくらい生活に干渉していいかは生育歴で決まる。
  • 関係性:親密さの度合いによって許容できるコミュニケーションが異なっている。

年齢によってパソコン、タブレット、スマホに対するリテラシは大きく異なる。もっともリテラシが低いのはパソコンに慣れていない高齢者だ。パソコンに慣れていない高齢者にとって、パソコンは「混乱」と同義なのだ。

電話やFaxにはモードがあり、そのモードは1種類である。電話がなれば受話器を取る。電話をかけたければ数字を押す。これだけだ。一方、パソコンやタブレットのUIはモーダレスである。教科書にはUIはモーダレスにして、ユーザーの自由度を増せと書いてあるものがあることが多い。ところが高齢者はモーダレスは苦手なようだ。さらに画面の一部(小さなアイコン)がボタンに変わるなどいうことは本能的に受け入れないようなのだ。

モーダレスなデバイスに接すると、端からみると認知が破壊されたような状態になるらしい。例えば文字は書けるのに、ひらがなでの入力ができなくなる。「入学」を「にゆーがく」などと打とうとする。またLineで受信メッセージが出ると何をしてよいかわからなくなるようだ。あの受話器のマークがボタンではなく単なる絵に見えるのかもしれない。絵を「押す」ということができないのだ。

認知体系が破壊されると電話での常識すらわからなくなるようだ。つまり「相手が忙しそうなときに電話をかけるとどうなるか」というのがわからなくなる。実は電話とかFaxとかの機械はかなり多くの情報をバンドルしている。これは経験的に学んだものだ。だが、装置が変わるだけで過去の学習が無効化されてしまうのだ。経験から普遍的なルールを抽出するというような学習にはなっていないようだ。

女性は会話を好む。だが、会話が成立するためにはかなり多くの概念を共有している必要がある。実はここにかなりの分断が起きている。一方、男性はコミュニケーションの「目的」に集中しやすいので、分断が少ない。

女性の中にも、テレビ電話を極端に嫌がる人(生活を覗かれるのがイヤなのだろうし、化粧をしていないところを見られるのもイヤなようだ)もいれば、気にしない人もいる。個人的な価値観もありそうだが、関係性が大きく影響しているようである。要するに「よそゆき」の関係性の人には私生活に踏み込んで欲しくないのだ。この場合、夫が防波堤のような役割を果たしている。

一方、テレビ電話は嫌がらないが、時間が分散していて集中した時間が取れない人もいる。こうした違いは関係性のほかに生育歴にもよるようだ。大家族でよそ者の出入りが多かったようである。

生育歴が関係するので、実の親子のコミュニケーションにはそれほど問題が生じないのだが、それ以外のコミュニケーションではもともと問題が発生しやすい。

日本人女性といってもすべての人が集団主義的とは限らない。誰かにじゃまされずにじっくりと文言を考えたいという人もいる。こういう人に一番向いているメディアは実は手紙やFaxなのではないかと思う。

で、あればはっきりと「私にはこう連絡してほしい」と言えればよいのだろうが、主張するような訓練は受けていない。「私とあなたの間には違いがない」というのがコミュニケーションの前提だからだ。ここにジェンダーの問題も絡んでくるのだろう。できるだけ共感的で相手にあわせるべきだという刷り込みだ。

Lineはコミュニケーションに集団圧力を加えることで大きくなったツールで、個人の主張ができるようには作られていない。もし個人主義的なツールだったならこれほど発展しなかっただろうし、これほど状況が複雑化することもなかっただろう。

Lineいじめをなくしたいなら、学校でメールアカウントでも作ってメールからコミュニケーションの基礎を学ばせるべきだ。よく「コミュニケーション障害」などと言われるが、これだけ事態が複雑化しているのだから、問題が起きて当然なのだ。

 

大学生のパソコン離れ

スマホが普及するにつれて、パソコンができない子供が増えているという。大学はまずパソコンを教えなければならないらしく「自分たちは何学部なのだ」と嘆く先生が多いのだと言う。これを聞いて「何か変だなあ」と思った。

かつて、卒論をワープロで提出しようとしたら、先生から「ワープロは心がこもらないからよい論文が書けない」と言われた。手書きだからこそ心がこもるというのだ。つまり、ついこの間まではパソコンは大学教育には必須ではなかったのだ。だから、大学生がパソコンを使えなければ、使わなければよいのである。

パソコンがなければ「調べ物ができない」と言う人がいるかもしれない。これはよい指摘だ。昔アメリカの大学では、最初に2つのことを教えてくれた。1つはGopher(Gopherはテキストベースの検索システム。wwwはこれにグラフィックスを加えたのが「画期的」だった。テーブル組でレイアウトができるようになってからインターネットは爆発的に普及し始めた)の使い方で、もう1つはそれを使って大学の蔵書リストをあたることだ。最近では、学術論文ネットワークの使い方を教えてくれる。いくつかの有料サービスが学生なら無料で使えることになっている。

これはよい仕組みだ。確かにGoogleでもあらかたのことはわかるのだが、アカデミックスキルを身につけたとは言えない。やはり学術論文をあたるのが「正しいお手前」である。「インターネットは信頼性が置けない」と言っているのは、やはり日本人が田舎者だからだ。世の中には有料のソースというものがある。知的な訓練を積ませたければこうしたソースの使い方を身につけさせるべきなのである。

さて、現在のQWERTYキーボードは、キー同士があたらないようにという工夫の結果生まれたものだ。現在ではタイプライターを使う人はいないので、キーボードがQWERTYである必要はない。これだけスマホ組が増えているわけだから、誰かがUSBで接続できるフリック入力ができるキーボードを売り出せばよいだけの話だ。これは爆発的に売れるだろう。機械式のキーボードではなく、タッチスクリーン式の液晶画面のようなものになるかもしれない。Googleはエイプリールフールのネタとして触れるフリックキーボードの提案をしている。

かつての教授たちが「手書きしか認めたくない」と思っていたのは自分たちがパソコンを使ったことがなかったからだろう。そこで「気持ちがこもらない」などと言ってみるわけだ。同じようにスマホが受け入れられないのは、現在の教授たちがスマホを使いこなしていないからだ。

さて、パソコンが使えないのはなぜだろうか。確かなことはわからないが、子供が(たとえ子供部屋はあったとしても)自分だけのスペースを与えられていないことが原因になっているのではないかと思う。じっくり自分だけで占有できる時間と空間がなく、また逆に家族とは情報を共有したくないと思っている。この結果、時間が切り貼りになり、集中することができない。そこでパーソナルスペースを持ち歩くことになったのだろう。だが、そのパーソナルスペースも人付き合いに浸食されてゆく。

多分これが「若者がスマホしか使えない」ことの唯一の問題ではないかと思うが、時間を切り売りしている大人も多いのではないだろうか。

クラウドがあるじゃないか

クラウドって便利だなと感じていたのだが、別に書くほどのことはないなあと思っていたのだが、とあるツイートを見てやぱりクラウドって便利だなあとしみじみと思った。

ある人がパソコンを買って後悔しているらしい。スタイリッシュなパソコンを買ったのだが意外と壊れやすそうで、バルキーだが壊れにくいノートパソコンの方がよかったのではないかというのだ。

バルキーなパソコンにはいくつもメリットがある。ぞんざいに扱っても壊れにくい上に、電池の持ちもいい。ハードディスクを交換するのも簡単だ。スタイリッシュなパソコンはどうしても電源が犠牲になってしまうし、画面の開閉を繰り返すと画面がちらついたりもする。いろいろ設計上の犠牲があるのだろう。華奢なACアダプタが突然死したという話も聞く。だから、Macintoshユーザーは「かっこいいけど扱いにくい」という悩みを昔から抱えている。「スタバでドヤ顔」にはそれなりのコストがかかるのだ。

ソリューションは簡単だ。パソコンをコモデティ(日用品)と捉え、安いパソコンも含めて複数台手元に置いておくのだ。スタバや職場でドヤ顔するのが1台と、寝転がってぞんざいに扱うのを持てばいい。どちらかを古いOSにしておけば「Windows10であれが動かなくなった」などと大騒ぎすることもなくなる。

さて、複数台のパソコンを持っていると、ファイルがどこにあるか分からないということになりがちだ。ファイルや環境の移行などという問題もある。メールもとっ散らかり、ブラウザのブックマークも分からなくなる。

だが、最近ではそんなこともなくなってしまった。メールはIMAPにする。ブラウザはFirefoxかChromeを使うと自動的にブックマークなどが同期される。住所録はGoogleの連絡先かiCloudを使うのがいい。メールの統合などを考えるとGoogleの方がメリットが大きいかもしれない。するとスマホ含めてすべての情報が完全に同期される。「完璧に」だ。

最後の難関は仕事の資料や執筆した原稿などだが、これもクラウド上に上げておくとよい。例えば、Google Driveに上げておけば複数パソコンで同期ができる。本当に同期される。ファイル名を変えても同期される。一体何がどうなっているのだろうか、化かされているのではないかと思うくらいだ。

仕事のドキュメントだけなどと大げさに捉える必要もない。例えば家電のマニュアル(最近はほとんどPDF化されている)をクラウドに上げておけは、台所にあるタブレットから閲覧することができる。濡れた手でも操作できて意外と便利だ。マニュアルを調べるのは意外と面倒なものだが、もっと面倒なのはマニュアルがどこに行ったかを探す作業なのだ。

古いパソコンを温存するとウィルスやセキュリティが心配という人もいるかもしれない。確かに金融機関用に一台最新のパソコン(安いものでもよいので)を持っていると便利なのは確かだろう。だが、これもいくつか対策がありそうだ。

ウイルス対策という点ではMacintoshは優れている。Time machineを使えば、汚染されいない状態へのロールバックが簡単にできる。最初に初期状態を作っておいていつでも戻せるようにしておけばよい。「データが消えてしまう」のが悩みになるわけだが、それは心配ない。データはすべてクラウド上にあるからだ。

それでも心配なら現役を退いたパソコンを「ネットにつながない」と決めて古い写真などのデータを退避させておいてもよいかもしれない。コンセントにつないで定期的に起動しておけば「内蔵電池が切れて起動しなくなった」ということもないだろう。それすらも面倒だというのなら、単純に外付けのハードディスクなどを買えばいい。

このように考えると、パソコンにお金をかけるよりも通信環境にお金を使った方がよいのかもしれない。通信回線が細くて不安定だとクラウドを快適に使えないからである。Googleクラウドの保存領域は15ギガバイトだが写真やビデオを大量に保存しない限り使い切るのは難しいのではないだろうか。もっともプロの写真家などはお金を払ってでも領域を確保しておいた方がいい。クラウドはバックアップを自動でやってくれているはずだ。100%完璧ということはないにしても、自分で保存するより確実かもしれない。家にあるハードディスクドライブだっていつかは壊れるからである。

サポートを親切にするのは良い事なのか

Twitterで面白い呟きを見つけた。スマホを普及させるためにはサポートを充実させるしかないのではないかという。

実際には日本の企業の中にも親切なサポートを提供する会社は数多くある。スマホだとNTT Docomoが親切だ。パソコンでは東芝のサポートが充実している。「Webが見れない」「迷惑メールが来るからなんとかしろ」などと言った基本的な操作方法でも無料で教えてくれるのだ。明らかに高齢者を対象にしている。

さて、これはいいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。例えば、この時期のNTT Docomoは週末で3時間待ちになる。電話もつながらない。入学式シーズンでスマホを買い求める客が多いせいなのだろうが、理由はそれだけではなさそうだ。あまりスマホが分からない人たちが親切さをもとめてNTT Docomoに押しかけるからではないかと思う。すると結果的に、親切さがサポートを必要としているかもしれない人たちを排除してしまうのだ。

東芝のサポートは、電話だけでは分からないからと画面に赤い丸や矢印を手書きで表示してくれる。遠隔操作するのだそうだが、あたかも付ききりでパソコンの使い方を教えてくれる孫のようなものだ。だが、問題がある。必ずInternet Exploreを使えというので「なぜか」と聞いたところ、手順を決めているのだそうだ。「お客は何も知らない」ことを前提にしてオペレーションが組み立てられているらしい。だが、その手順に従うと設定が初期化されてしまう。こちらが「障害を切り分けたいので何か知見があるか知りたいだけだ」と言うと、ほっとした表情でいろいろと教えてくれた。だが、杓子定規なオペレータだとどうなっただろうか。「とにかく言う通りにしろ」となった可能性はある。そもそも初心者向けのマニュアル仕事ばかりしているわけだから「本当の障害」に対する知見は蓄積しないだろう。本当に困っている人は、排除されてしまう可能性が高い。

「スマホやパソコン」が分からない人は、頭が悪いわけではない。パソコンには基本の知識体系(認知体系ともいう)というものがあるのだが、それが身についていないのだ。認知体系が身についていない人と接する場合、面倒なことは聞けない(聞くとますます混乱する)のでなんでも初期化してしまうしかないのだろう。

もっとも企業努力で「初心者に優しく」かつ「適切でムダのない」サービスを提供することはできる。Appleは音楽などのコンテンツを売っているので、初心者にも間違いのないサポートをしてくれる。しかし、パソコンの操作についてはあまり詳しく教えてくれない。Appleのパソコン購入者は初心者ではないからだ。このようにしてメリハリをつけることで、リソースの有効利用を図っているのだ。そのためには少なくともトップの人が自社社員であり、一貫して自社製品についての知識を持っている必要がある。さらに、末端のオペレータも自分の判断で硬軟切り分けられるように権限委譲されていなければならない。

日本のコールセンターは外部委託かつパート・アルバイトなので、製品に対する愛着もなければ会社に対する関心もない。たとえ仕事に愛着を持ったとしても「そんなことは期待されていない」のだ。一人だけ特別なことをしようとすれば社員とぶつかるかもしれない。だから、Appleのような体制をとるためには、雇用体系と企業文化を変えなければならない。

このように、初心者に手厚いサポートを提供すると、今度は中級者以上を排除してしまうことになる。「どちらも同時に」というわけには行かないのだ。すると、お金を払ってくれそうな中級者たちは他の会社に流れることになる。サポートのコストは製品に乗る。自力で解決できる人は、より安い(あるいは適正な)価格の製品を求めるだろう。このようにして、コストばかりがかさんで、利益の薄い商売になってしまうのだ。日本の家電メーカーが次々とコンシューママーケットから退出するのにはいろいろな事情もあるのだろうが「サポートを手厚くしなければ、これ以上普及率を上げられないのではないか」という観測もその理由のひとつになっているのではないかと思う。

若者は検索する

さきほどコンテンツの年齢分布を調べていて「検索は若者」で「ソーシャルは高齢者」なんじゃないかと思ったのだが、当たったようだ。検索エンジンを使って情報を集めている中高年は少ない。

多分、Twitterには年寄りしかいないというわけではなく、たまたま見られているコンテンツが高齢者向け(主に政治ネタ)だったからかもしれない。中高年である作者が提供するネタに引き寄せられた人がフォロワーになり、それを見て記事を書くと同じような年齢の人が集るのではないかと思われる。違う年代の読者を集めようと思ったら、時々毛色の違う記事を書いて検索エンジン経由のトラフィックを分析するのがよいのかもしれない。

ソーシャルのグラフ

age-001

検索エンジンのグラフ

age-003

ダイレクト(ブックマークなど)の直接参照は年齢的にバランスが取れている。

age-002