決めたことはみんなで守らなければならないが、決める時に責任を持って議論に参加しなければならない

クールビズの温度はなんとなく決まったので科学的根拠がないという話が出ているそうだ。自民党の人たちは民主主義というものを根本から理解していないのだなと思った。正直、もううんざりだといいたいのだが、「え、なんで怒っているの」ということになりかねないので、説明してみたい。

大人の世界ではみんなで決められたことには従わなければならない。そのためには自分の考えが違っていれば「違う」と言わなければならないし、わからないことがあれば「わからない」という必要がある。

誰でも(ずけずけものをいうアメリカ人などでも)嫌われるのは嫌だから、議論の全体が一定の方向に流れている時「私はわかりません」とか「それは違うと思います」というのは勇気のいるものだ。だが、それでも意見をいうのが大人というものなのである。

実際には「許容範囲の温度」を17度〜28度と法律で決まっているので、その上限にあたる温度を設定した(つまり高い目標を立てた)ということである。前段になる法律は随分と前に作られたものなので、それに妥当性があるかというのは議論のあるところだろう。エアコンの設定温度ではなく室温(実際の温度)が28度になるように調整するということもあまり知られていない。

今回「28度は高すぎるのでは」と言った人たちには男が多かったのではないだろうか。男性は夏でも無駄に暑いスーツを着てネクタイを締めたがるので、室温を高く感じるのだろう。女性との間で「エアコン論争」が起こるのも珍しくない。当時の責任者が女性の大臣だったということもあって、その時には文句を言わないのにあとからグダグダと「いやああれには科学的根拠はないんですよ」という。こういうことをいう人は議論に責任を持って参加していないことになるし、多分責任を持つ気もないのだろう。

嫌われたくないという理由で何も言わなかったのなら、そのあともずっと黙っていろよと思うのだが、こういう人に限ってあとになって「聞いていなかった」とか「納得していなかった」などと言い出す。

こういう人たちはそもそも「みんなで納得して決める」ということができないので、審議時間=議論の質ということになってしまう。最近の大切な議論は全てこんな調子で常に「真剣に考えた結果納得ができていない」という人たちを置き去りにすることになってしまう。

民主主義の危機だと思うわけだが、自民党のこうした態度は民主主義以前に大人としてどうなのかと思う。副大臣どころか政治家を辞めてしまうべきなのではないだろうか。この副大臣は比例復活ということだ。

自民党議員の姑息さは多分日本人のこうした無責任さに裏打ちされているのだろう。そもそもGHQに恩赦されて政治家として復帰しておきながら「あの憲法には納得していなかった」という人の子孫がトップにいるのだから当然といえば当然かもしれない。多分家の中でぐちぐちと「本当はGHQにこびへつらいたくなかった」と女々しくつぶやいていたのではないだろうか。それが娘を通じて孫に伝わり、いつしか「おじいさまの悲願」となり、政治的リソースを食いつぶしている。1日も早くこんな日を終わらせることはできないのだろうか。

 

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