あるTweetへの返信。
ジャニーズ事務所が退団した人たちを競演NGで潰しているというような引用ツィートがあった。それを暴いてほしいというような意味合いだと思う。実際にそういうことは、ジャニーズ事務所でなくてもよく行われているし、逆に抱き合わせで競演させるということもある。だから、あまり新鮮な驚きはない。10年ほど前だったら業界に入って間もない人たちがドヤ顔で「芸能界って汚いところなんだぜ」などと知識を披瀝していたものだが、最近はバーター(束)という言葉が一般にまで認知されるようになった。ネットのおかげなんだろうと思う。
さて、この慣行だが、過去にも事例があった。映画会社は専属システムを取っており、自社の俳優が他社の映画に出ることを禁止していた。だから、映画会社を辞めたことで干された人も多かったのだ。これを五社協定システムという。
ところがこのシステムは面白い形で潰れることになる。映画会社を干された人たちがテレビに流れるようになったのだ。テレビ局は制作会社も持たないので、中小のプロダクションを使わざるを得なくなった。だが、かつての銀幕のスターがテレビに出るようになると、視聴者はテレビを差別しなくなった。それどころか「映画館に行かなくても、無料で楽しめる娯楽」ということになり、映画館への集客が激減した。これがもとに戻ったのはテレビドラマの続編を映画でやるようになってからだ。その間、映画会社はテレビの下請けに転落した。
それは遠い将来の話のように思えるかもしれないのだが、私たちは既に同じような潮流を目の当たりにしている。小林幸子が「芸能界を干された」時に頼ったのがニコ生だった。そこでメガ幸子が生まれ、ボーカロイドの曲を歌い、ついには紅白歌合戦に復帰した。NHKはニコ生を見るような人たちにも紅白歌合戦を見てほしかったのだ。
オリエンタルラジオはインスタグラムやTwtterでかなり入念に仕込んでパーフェクトヒューマンを流行らせ、ネットの人気にあやかりたいテレビ局はこぞって追随した。いつもならテレビ局のやる気なく仕込んだいじめまがいのバラエティー番組のひな壇に甘んじている人たちでも、自分たちの好きなことができるということを証明したのだ。
つまり、ジャニーズを干された人たちは、ジャニーズを出てネットに出ればいいということになる。一人では大した潮流にはならないかもしれないのだが、ネットの番組は「好きなときに見られる」というオンデマンド性があり、テレビよりは優れている。テレビは家族でみなければならないが、ネットはスマホでも見ることができる。家族と一緒に過ごしたくない人たちは、多分スマホの方を好むだろう。
ジャニーズ事務所はグループを囲い込もうとして、グループそのものを破壊してしまった。経済損出は数百億という話だ。スターの発掘をジャニー喜多川氏に依存しているので、後継者がいなければ、事務所は衰退してしまうだろう。実際にはグループを外に出して過去の権利とネーミングライツなどを徴収すべきだったのだが、そのような知恵は働かなかったらしい。しかし、それは時代の趨勢なので「どうでもいい」話だ。
一番危険なのは、未だに事務所とテレビ局に頼りたい木村拓哉さんだろう。かつてのようなお客はテレビを見ていないのだが、その枠組みから離れられない。テレビが映画のように衰退してゆくとは思えないのだが、それでも数あるメディアの一つになるだろう。
映画が衰退すると、かつて「往年の銀幕スター」と呼ばれていた人たちはある時期から化石扱いされるようになった。内村光良がパロディーにするような(キャラの名前は忘れたが)大御所と呼ばれる人たちだ。彼らは一時代を築きはしたが、やがて中身のない笑われるだけの存在になってしまったのである。残念ながら、木村さんがたどりつつあるのはそういう道なのだ。