社会正義という言葉に激しい拒絶反応を示す日本人

先日来「社会はなぜ左と右にわかれるのか」を読んで、道徳と合理性の関係を考えている。作者のジョナサン・ハイトはアメリカで暮らすユダヤ人なので合理性というものに深く立脚している。このため「合理性を脱却して道徳判断も加えた政治的判断を行うべきである」という主張に本の大部分を費やしている。これがあまり響かないのはおそらく非東洋系の日本人がそもそもそのような見方をしないからだろう。日本人にとっては当たり前のことを言っているだけなのだ。

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慰安婦賠償判決における韓国の心情司法の問題点

政治スペースのモデレーションをしていると時々「厄介な」質問がつく。それが中国と韓国問題である。Quoraの日本語版には弁の立つ中国系がいる。彼らは「理」で押してくるので日本人は太刀打ちできない。だが、韓国系・韓国人はあまり目立たない。このため日本人の立場だけが盛り上がり最終的に在日排斥などの「ヘイト」に結びついてしまう危険性がある。これが示威行動に結びつき「容認された」と最終的にアメリカのような直接行動に結びつきかねないのである。理論的には表現と物理的暴力は別物のはずなのだが実際には地続きになっているという複雑さがある。

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安倍前総理の会見で検察・官邸・マスコミは何を守ったのか

安倍総理が議員運営員会での説明を終えた。「説明責任を果たした」と満足げだったようだがおそらくそう思っている人はあまり多くないと思う。修正した申告内容も把握していなかったようで最後まで周りが一生懸命に考えた「ボクが悪くないりゆう」を繰り返し述べていた。

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DHCの会長が人種差別的発言をしてしまうのはどうしてか

DHCの会長が在日朝鮮人を屈辱するような言葉を使って炎上していると言うAFPのニュースをみた。問題になっているのは「使われている言葉」のようである。ネットで叩かれていると書かれていたのだが、実はこの問題を知らなかった。それくらい局所的な争いでありマーケティングにはさほど影響はなさそうだ。ただDHCの経営は大丈夫なのかなとは思った。

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渡部建の謝罪とテレビの中の身分制度

アンジャッシュの渡部建さんが謝罪会見をしたそうだ。正直興味が持てなかった。一応ワイドショーの後追いを見たのだが特に何かを感じさせる要素はなかった。結局のところは夫婦の問題に過ぎないので今になって考えてみればなぜあんなに叩かれたのかよくわからない。ただ、「テレビの時代」が終わったことはよくわかる。

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守屋光治

本日はライトユーザーについて考えるのだがなぜかタイトルは人名である。守屋光治という人がいる。Men’s Non-Noの専属モデルをやっているそうだ。先日この人のYouTubeチャンネルを見つけた。正確にはMen’s NON-NOのウェブ担当のようである。Men’s NON-NOのモデル中でも特に洋服に詳しく大学で服飾の勉強をしたという。今ではエディターとしてもページを持っているそうだ。モデル兼エディターという華やかな経歴である。

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