高市さん、試しにTVの電波を止めてくれないかなあ

高校生になる息子が不思議そうな顔で聞いてきた。「ねえ、お父さん。さっきNHKっていう人が来てお金を払えっていうんだけど、あれは詐欺じゃないかなあ」

私は「どうしてそう思うの」と聞いた。

「だってNHKなんて聞いた事ないし、TVを持っている人はみんなNHKにお金を払わなきゃだめっていうんだ。そんなの詐欺だよねえ」

私はちょっとびっくりした。息子はNHKを知らないのだ。それも不思議ではない。我が家は光ファイバーでオンデマンドの番組を見ている。息子は自前のタブレットを使って、子供部屋で映画や音楽の番組ばかり見ている。たまにはTVの大画面でゲームに付き合って欲しいのだが、いつもつれない返事ばかりだ。

息子が小さい時にTV番組を見せようとしたのだが「アンパンマンを検索して」と言って泣き出してしまった。「TVではそんなことはできないよ」と言ったのだが、理解できなかったようだ。

私もちょっといけなかったのかなと反省した。TVはおもしろくないのでそんなに見ないのだ。いつそうなったのかなと思ったのだが、よく思い出せなかった。たしか、高市早苗総務大臣がTBSかどっかの電波を「政治的中立性がない」という理由で止めてしまったのがきっかけだったと思う。TBSの社長が土下座して高市さんに謝ったというのを週刊誌報道かなんかで見た記憶がある。

萎縮したTV局はその後、政府批判をしなくなった。コメンテータはいなくなり、どの局も政府の発表をそのまま流すようになったのだ。ニュース番組の後には安倍首相が各地を訪問する映像を流すようになった。

そういえば、ジャニーズ事務所が人気で視聴率も取れるというので、バラエティもジャニーズを礼賛する番組ばかり流していたなあ。同じような顔のタレントばかりが並び「TVってつまらないなあ」と思ったのだ。でもおじさん、おばさんたちの世代は好んでバラエティ番組を見ていた。感覚的には戦後すぐの人たちがニュースを映画館で見ていたような感じなんだろう。

家を建てた時もアンテナを設置しなかった。光ケーブルを引いたので、オンデマンド番組が見られるようになったからだ。光ケーブルだと、わざわざ録画しなくても帰宅してからニュースを検索で見られる。そのうち、Yahoo!ニュースでチェックしてから関連するニュースだけを見るようになってしまった。

昔の人は新聞を一紙しか取らず、TV局も数チャンネルしかなかったと聞く。そんな偏った情報だけで怖くなかったのかなあと思う。

「ねえ、NHKって何」と息子が聞くので「ああ、TVの放送局だよ」と答えた。すると息子は「でもTV放送って貧乏な人が見るもんなんでしょ。学校で友達が言ってた」と驚く事を言う。

確かに、光ケーブル網が発達してパソコンから情報を仕入れる人が増えた。録画機はなくなり情報家電回りはすっきりした。家にネットを引かずパソコンを持っていない人もスマホを大きなモニターに映して見ている。TVしかない家庭というのは、そういう所得の家庭なのだ。

「お前、学校では絶対にそんなこというなよ」私は息子に釘を刺した。そんな差別的なことを表立って言ってはいけないのだ。

今時政府公報のNHKの情報だけを信じている人など誰もいないだろう。そもそも、情報弱者だと言われかねないから、表立ってNHKを見ているなどは恥ずかしくて言えないのだ。

息子のバカな質問に答えながらスマホを弄っていると新しいニュースが入ってきた。視聴者を光ファイバー網に取られて受信料が取れなくなったNHKがまた放送時間を短くするらしい。紅白歌合戦や大河ドラマなどお金のかかる番組はとっくの昔になくなり、4月からは昼と夜に1時間づつ政府広報だけを流すようになるみたいだ。

i-dioとNOTTV

無料モニターに応募していたi-dioのwifiチューナーが届いた。携帯電話にアプリをダウンロードして使うのだそうだ。3月に放送開始ということで今は何もできない。普通、本格放送前にベータテストくらいやるものなので、本放送開始がそのままテストになるのだろう。開始一ヶ月前を切ったのにアプリもまだ完成していない。なんとものどかな話である。

CIMG7990i-dioのサービスはそれでも先の失敗に学んでいるらしい。失敗とはNOTTVのことだ。NOTTVはVHFアナログ放送の跡地を独占するためにNTTが始めたサービスだった。外資の参入を怖れた政府がNTTに引き取らせたと言われている。結局、コンテンツプロバイダが表れずにNTTと民法連が作った会社が運用することになった。

しかし、加入者が伸び悩み、累積赤字を貯め込んだ結果潰れてしまったのだ。どんなサービスを後継にするかは全く決まっていないらしい。NOTTVのチューナー入りの携帯電話端末を買った人は何も見られなくなってしまうようだ。

i-dioはこの失敗から学んでいるようだ。まず端末を無料で配る事にした。モニターと言っているが実際はベータテストではなく無料配布なのだろう。50,000人に配るそうである。さらに、コンテンツ事業者とインフラの事業者を分けた。そしてコンテンツ事業者を地域ごとに分割した。

i-dioは無料でコンテンツを配信するらしい。NOTTVは有料コンテンツだったのだが、加入者が集らなかった。不思議なことに日本ではお金を払ってコンテンツを買う文化が根付かない。TVには必ずBS/CSチューナーが入っているが、スカパーの加入者は350万人程度なのだそうだ。NHKのBSですら2,000万人の加入者しかいないそうである。有料どころかTVはNHKしか見ないという人も多いのではないだろうか。BS/CSアンテナですら付けるのが面倒だという国民が、わざわざNOTTV対応の端末を買って有料放送なんか見るはずがない。

このように失敗から学んでいるように見えるi-dioだが、懸念もある。wifiを切り替えて使うようなのだが、使っている間は既存のwifiが使えなくなる。携帯電話を想定しているようなので、携帯の電波を使ってwebにつなぐ構想なのかもしれないが、wifi専用のi-padなどではネットにつなげなくなるし、通信料も高くなるだろう。

さらに、ブラウザーではなく専用のアプリを使うようだ。なぜか日本のメーカーは自社技術でユーザーを囲い込みたがる。ブラウザーにHTML5で動画配信するということならばPCでも対応できたはずだが、そのつもりはないのではないかと思う。

ハードウェアも一から作り直す。VHF帯の電波をwifi変換できる機械があれば汎用的に使えるはずだが、細かく分けた上で専用機器を作るのだ。i-dioの他に自治体用に緊急放送を送る機械を作るということである。

ユーザーはいろいろな機械を買わなければならない。デジタルTV、ワイドFM用のラジオ、i-dioチューナー入りのナビゲーションシステムなどなど。汎用タブレットで全部できればそれでよさそうだが、どうしても専用機を作りたいみたいだ。

一連の話を調べていて不思議だったのは、未だに通信と放送が完全に分離されているということだ。法律が違うのだそうだが、実施にはどちらも電波にデジタルデータを乗せているだけなのである。技術的には放送電波にYouTubeを乗せて、それをwifi変換してパソコンで見るということもできるのだが、法律の体系だけはラジオが登場したときと同じ区分を使っているのである。

Twitterを分析する

Twitterにアナリティクスという仕組みがあり、ツイートの反応を分析することができる。分析の目的の目的は「今夏の選挙で立憲主義を争点にすると負けますよ」ということの証明なのだが、その他にもいろいろなことが分かるのでご紹介したい。

政治にだけ着目すると「左派インテリ」への反発が強まっており、立憲主義や民主主義を守りたいという欲求は退潮しているということが分かる。左派も民主主義を守りたいわけではなく、安倍晋三という人そのものに反発しているのではないかと思われる。

それ意外だと「自分に関係あること」の反応率は高いが、それ以外のことには関心が高くない傾向もありそうだ。

twitter_analytics001

立憲主義を争点にすると負けます

まず、メインテーマから。立憲主義への関心はほとんどない。閲覧数も少ないし反応率も今ひとつ。つまり、興味を持っている人は少ないのではないかと思われる。また左派インテリへの反発も強そうだ。

甘利問題もあまり興味を引かなかった。金権政治家への風当たりは弱まっているらしい。ただし「甘利さんは陰謀で陥れられた」と思っている人は多いらしい。検索経由での閲覧が多かった。黒幕を探していた人もいた。甘利問題は金権政治の問題ではなく陰謀論として捉えられているのだ。

その他興味を引かなかったもの

TPP、電力自由化なども興味を引かないらしい。Twitter Analyticsによると、フォロワーで最も多いカテゴリはテクノロジーに興味がある人らしいのだが、テクノロジー関係のツイートも興味を引かなかったようだ。「新製品が出た」とか、そういう話題が受けるのかもしれないが、よく分からなかった。また格差問題には関心が集ったが生活保護に関するツイートはあまり関心を集めなかった。生活には不安を感じているが生活保護を受ける程度には至っていないと考える人が多いのではないかと思われる。生活保護に関する拒否反応はよく語られる。やはり「恥だ」という認識なのかもしれない。

どのようなツイートが受けたのか

逆に、反応が良かったり、インプレッションが伸びたものは下記の通り。

個人に訴えかけるもの

立憲主義はあまり関心を集めないのだが「安倍政治を続けさせたくない人に読んで欲しい」というツイートの反応率は良かった。個人に訴えるとよいのだろうかと思った。また、安倍晋三個人への反発が強いのかもしれない。

個人に関係があるもの

金融で統計を取ると関心はあまり高くなかった。そこで金融のテクニカルなつぶやきと口座維持手数料に分けてみると顕著な違いが出た。「マイナス金利」のニュースに際して「自分の銀行の手数料が高くなるか」ということが関心の対象になっていて、それ以外は、言葉は悪いが「どうでも良い」ことなのだ。

弱い犬を叩くもの

「民主党のていたらく」と名付けたのは、民主党は解党すべきとか、経済政策がないというもの。どうやら民主党は、否定的な感情を持つ人たちから監視されているらしい。ネット右翼が韓国に詳しくなるのと同じ理屈なのだろう。これらのツイートはインプレッションを稼いだ。逆に擁護したり提案しても全くと言っていい程反応はなかった。

懐疑心

読みが難しいものもあった。これが今回のトップツイートとなった。組体操は憲法違反だという木村草太氏へのツイートに反応したもの。「議論」というラベルを付けた。

「社会が大きな目的を達成するためには個人の犠牲はやむ終えない」というのが、校外の合意となり法制化されたら、やはり法律は尊重されるべきなのだろうか。

いくつかの読み方ができるが、左派インテリ層(「戦争は良くない」などという学校の先生みたいな人)への反発のようなものを感じる。立憲政治を守りたいというツイートが無反応なのと一対になっているのではないかと思える。もう一つインプレッションを伸ばしたのがこれ。哲学者の永井均氏に宛てたもの。

この論法だと安倍政権の憲法改正も民主主義を通じた真摯な普遍道徳の追及だということになると思うですが、永井先生はこの説を支持なさいますか。支持しないとすると「徳」のような判断スイッチを外に置かざるをえなくなると思うのですが。

自民党の憲法案への賛成票であればまだ良いと思うのだが「左派インテリが困った顔をするのが見たいから」というルサンチマンで憲法改正案が成立してしまうのだとしたらかなり問題が大きいのではないかと思う。

その他

twitter_analytics002

その他受けたものをいくつかご紹介したい。まず民主党の長島昭久議員との間のやりとりで「愛国心」に関するもの。広がりは全くないのだが、反応率が高かった。キーワードは「保守」や「愛国心」。こうした言葉に対する反応率の高さは意外だった。しかし、質には少し違和感がある。グローバル化や左派インテリへの反発が重なっているのではないかと思う。これについては少し考えた方がよいかもしれない。

また松田公太議員との間のやり取りも反応があった。こちらも広がりはない(多分世間一般への関心は高くないのだろう)が、反応率が良かった。根強いファンが付いているのかもしれない。

トリビアも反応率が高かった。福岡県の京都郡がきょうとではなく「みやこ」と読むというもの。どうでもいい話だが、こういう軽い話題は受けが良いようだ。

その他ジャンルが受けたように見えるのは、受けが良いものだけをその他に入れたからだ。山本太郎議員が北朝鮮反対の決議に加わらなかったことを非難している人がいたので次のように呟いたら6700回閲覧された。プロフィールを見に来る人がやたらに多かったので「こいつは左翼(あるいは山本太郎のシンパ)だろう」と思われたのではないだろうか。

自民党の議員さんの中にも北朝鮮への非難決議を拒否した方が大勢いらっしゃったようです。先生はこの件について何か御存知ですか?

調査の方法

まずTweet Analyticsを使ってデータをエクスポートした。どの分野のツイートなのかは手作業で入力した。今回は20のカテゴリーに別れた。金融をサブカテゴリに分けたので、合計で21になる。カテゴリごとのインプレッションを合計し、ツイート数で割った平均を横軸にとり、反応率を縦軸にとった。反応率には、URLの押下・プロフィールの閲覧・いいね・リツイートの数などが含まれる。よって、反応率は「賛同率」とは異なる。ツイート数は200ちょっと。

格安コンピュータで日本経済の再生を!

国会で安倍首相が「第四の産業革命」とか言っている。ドイツなんかで流行っているIndustry 4.0を誰かが吹き込んだんだろう。国を挙げてスーパーコンピュータ開発や人工知能開発を目指さねばなどと言う人もいた。「ふーん」とは思うのだが、全く響かない。その理由は、彼らが考える「ハイテク」感が20年くらい遅れているためだ。

最近のコンピューティングのトレンドは「安く気軽に」だ

最近、格安のコンピュータが流行っている。Raspberry Pi Zeroというイギリス製のコンピュータが5ドルで買える。スペックはなかなかのもので1GHzのシングルCPUと512MBのRAMを備えている。電子部品やセンサーと組み合わせて遊ぶ教育用のコンピュータだ。

また、アメリカではCHIPというコンピュータが10ドルで売り出される予定だそうだ。同じようなスペックだが、BluetoothとWIFIが付いているそうである。

コンピュータとその周辺機器は完全にコモディティー化していることが分かる。スタバでコーヒーとチーズケーキを買うより安く付くくらいの価格なのだ。コンピュータで差別化できる時代はとっくに終った。「スマートテレビ」のコンピュータ部品は5ドルもあれば作れてしまうようなものなのだ。

近年IoTが流行り始めているので、Raspberry Piを使ってモノづくりを楽しんでいる人がたくさんいるみたいだ。UNIX、Pythonと電子部品の知識が必要で、理系の人のホビーみたいなイメージらしい。

日本の悪いクセ

スーパーコンピュータも結構なのだが、安いコンピュータをたくさん並べて処理をした方が何倍も効率的なことも多い。だが、大手メーカーは5ドルのコンピュータなんか作らない。おじさんたちの高い給料を賄えないからだ。政治家さんと仲良しのおじさんたちがいろいろと吹き込むのだろう。

日本人は変化を嫌うので、延々とスペック競争を起こす。家電ではTVが4Kや8Kを目指し始めた。ホームビデオを8Kで撮影するのだそうだ。その結果、新しい製品は売れなくなり、ついにはヤマダ電機が中古市場に手を出すようになってしまった。

さらに日本には「囲い込みたがる」クセもある。昔政府が「INSとキャプテンシステム」を組み合わせたニューメディア構想というのを推進していた。高付加価値化を目指したので通信料や端末の料金が高く全く売れなかった。政府は全国の郵便局に端末を設置したりしたのだが全く普及せず、枯れた技術であるTCP/IPを使ったネットワーク(後にインターネットと呼ばれるようになる)に完全に取って代わられた。

ニューメディア構想のもう一つの失敗の原因はコンテンツの貧弱さだった。政府やメーカーはハードウェアには熱心だったが、コンテンツにはほとんど関心を寄せなかった。儲からないからなのだろう。しかし、実際にユーザーが関心を寄せるのはハードウェアではなくコンテンツなのだ。

日本のIT技術の底上げはボトムアップで

もし日本のIT技術を底上げしたければ、1000円〜2000円くらいのコンピュータを中学生に配った方がいい。日本の技術があればいくらでも作れるだろうし、コンピュータそのものは英米から輸入してもよい。ネットワーク対応はした方がいいと思うが、その他のスペックはたいしたものではなくても構わないのではないか。独自技術で囲い込みたくなるかもしれないが止めた方がいい。すぐにガラパゴス化してしまうだろう。枯れた技術で作るから安く作れるのだし応用もできるのだ。多分「独自OS」とか言い出す人がいるだろうが、それも止めた方が良い。

ただし、いろいろなセンサーは付けられるようにすべきだ。その方がいろいろ遊べて楽しい。ヒーターのスイッチをオンオフしたり、音声認識をしたり、GPSを使ったり、RFID(非接触型の読み取り装置)と通信したり、光センサー、加速度センサー、温度センサーなどなどとできることはたくさんある。

これを頭が柔軟な子供に使わせれば、様々な用途に応用できる。UNIXの知識も身に付いて一石二鳥だし「お金がなくてパソコンが買えない」みたいなこともなくなるだろう。

パソコン教育というと、Officeを使わせてインターネットで調べものをして、みたいなことを考えがちだ。確かに働くとき便利だろうが、パートや事務員になるためだけにパソコンを学ばせるよりも、プログラミングを勉強してもらった方が将来に広がりが出るのではないだろうか。

もう一つ分かるのは、これからコンピュータ産業はどんどんオープンソース化して行くだろうということだ。一部のエリートエンジニアたちが家電を差別化するために競争するというような時代は終ってしまったのだ。何万人もの素人がアイディアを競うような時代になってくるのだろう。

もともと細かくちまちまとしたものを作るのに長けていた日本人が、コンピュータだけは大きくて立派なものを作ろうとするのだろうか。政治家やおじさんたちの頭の中には、公共事業のイメージがあるのかもしれない。

Feedlyを使う

最近、Feedlyを使って当ブログを閲覧する人が増えてきた。ソーシャルメディアが台頭した数年前にRSSリーダーなど過去のものになったと思っていたので、ちょっと意外な傾向だ。読まなければならないブログやニュースサイトが爆発的に増えているからなのかもしれない。モバイルとPCで共有できるのも人気の理由なのかなと思ったりもするが、よくわからない。

遅ればせながらFeedlyボタンを右サイドバーに追加した。モバイルで閲覧している人は画面の下(コメントよりも下)に表示されているのでちょっと見つけにくいかもしれない。

ついでにモバイルのレイアウトを見直した。普段はPCでしか見ていなかったので、広告とソーシャルメディアのシェアボタンのレイアウトが崩れているのに全く気が付かなかったのだ。2/3のユーザーがモバイル経由なので、読みにくかったんだなあと思う。申し訳ない限りだ。スペースの関係ではてなブックマークとGoogle+は外した。残念ながら、はてな村からの支持はあまり得られなかったみたいだ。

Feedlyボタンをつけるのは簡単だった。Feedlyのサイトに行き、RSSのURLを埋め込んだコードをコピーするだけだ。Feedly対応で気をつけなきゃと思ったのはサマリーの書き方だ。今はTwitterカード用に書いているのだが、Feedlyはより多い情報が使える。この使い方を工夫するとソーシャルメディアへのシェアが増えそうだ。ただし、ここでまとめてしまうと概要だけ見て本文を読まれない可能性もある。多くの人はヘッドラインをフォローするのに忙しく、本文をじっくり読む時間はないんじゃないかと思う。一覧から選ぶと概要が表示される。本文を読むためにはもう1クリックする必要があるのだ。WordPress系の場合RSSにアイキャッチ画像を表示するには改造が必要なようだ。面倒なのでやっていないのだが、ニュース系サイトではデフォルトになっているようで、写真がないと埋没しそうだ。

Feedlyはブログの整理だけでなく新しいブログの発見にも役立つようだ。たとえば政治家のブログをフォローしたいとする。何かひとつ政治家ブログを選んで登録する。するとそのブログを購読している人が読みそうなブログを自動的にお勧めしてくれる仕組みがある。これは旧来のRSSシステムにはない機能だろう。Twitterは自分がフォローしている人の気になる情報しか発見できないが、Feedlyはソーシャルで盛り上がっているニュースをトップに表示する機能がある。

改めて、世の中には読まなければならない情報がたくさんあるんだなあと思った。この中で埋もれないようにするのはなかなか大変だ。場合によってはヘッドラインだけでも読んでもらえればという割り切りも必要かもしれない。

人を釣る科学

釣りの科学を一言で現すと次のようになるようだ。「認知的不協和を改善する情報がある」とき人は釣られる。釣られたくなければ「認知」を持たないことだ。だが、これはなかなか難しそうだ。

甘利大臣が辞任した。これは安倍支持者にとって認知不協和になったようだ。そこで「甘利 陰謀」とか「甘利 黒幕」で検索する人が増えたのだ。

安倍首相は大きな支持を集めている。それは安倍首相が人々の欲求を満たしているからだ。安倍首相のメッセージは「あなたは変わらなくてもよい」と力強く一貫している。悪い事は全て「敵」の仕業であり、敵とされているのは民主党と中国・韓国だ。裏側には「このままではすまないのではないか」という不安があるのだろう。

ところがうまくいっているはずの安倍政権に汚職事件が起きた。そこで認知的不協和が生じることとなった。週刊誌報道で疑念が芽生え、辞任劇で不協和が頂点に達した。爆発的な検索の増加はそこのことを物語っているようだ。

いろいろな話を書いているのだが、読まれないものも多い。にも関わらず冗談で書いた記事ばかりが読まれるのは面白くない。そこで「じゃあ、釣ってやれ」と思って書いたのが「マイナス金利」に関する記事である。ちょっとだけダークサイドに堕ちたのだ。

多くの人にとって「マイナス金利」はよく分からない概念だ。漠然とした不安を感じている人も多いようである。一般の人だけでなくプロの編集者にもそうした感想を持っている人がいた。

そこで、直感的に「個人の危機感と曖昧な情報を結びつければ人を動かせるのかもしれない」と思ったのだ。前日に日本の銀行とアメリカの銀行について書いたので、基本的な情報は持っていた。30分程度で書いたのが「マイナス金利になると銀行口座が持てなくなる」というものだ。

案の定、アップしてから10分くらいで8人が読みにきた。そしてそのままいなくなってしまった。今朝確認したところ読者の総計は10名だった。結局10人が釣られたのだ。

マイナス金利のニュースが抱える認知的不協和は「経済は安定している(べき)」というものと「持続可能性に不安がある」というものだろう。マイナス金利という聞き慣れない言葉を聞いて、その不安が顕在化しかけたのだと思われる。引用した呟きには「将来の不安」だが、これは「現在は安定している(はず)」という意識の裏返しである。

この記事には嘘は書かなかった。経済が不順になり金融機関が利益を得られなくなると、結果的に低所得者層にしわ寄せが行くというのが、アメリカの銀行が教えてくれる教訓だ。金融緩和策は、経済不調の結果なので、金融緩和と銀行口座が持てなくなるというのは双方とも「果」ということになる。原因は経済が不調で金融機関を儲けさせるだけの事業がないことだ。

今まで観察したところによると、日本人は議論のプロセスを無視して「問題」と「答え」だけを知りたがる傾向にある。情報が流れて行くTwitterではその傾向はさらに強くなるだろう。5分で答えだけが知りたいのだ。

この記事はシェアはされなかった。アメリカではマイナス金利政策は実行されなかったからだろう。プロセスや構造は無視されるので、「因果関係がなかった」ことが「証明」できたということになる。「明日も暮らし向きは変わらない」という安心感も得られたのではないか。認知的不協和は解消されたということになる。

閲覧数が多いブログを書きたければ、情報が不確実で欠損があり認知的不協和のありそうな分野の記事を書けば良いことになる。ただしそれが「人気を集めるブログ」になるかどうかは分からない。

この分析を裏返すと「需要のあるブログ」は作れそうだ。既に人々の頭の中には「認知」ができあがっている。安倍支持者たちは「自分たちはうまく行っていて、悪い事はすべて民主党(中国・韓国)のせい」と考えており、反安倍支持者たちは「世の中はうまく行っておらず、悪い事はすべてアベのせい」だと考えている。その認知は(恐らく多くの場合は)間違っているので「穴」を埋めるための情報が常に求められるのだ。それを書いてやれば、多くの人は「共感する」だろう。

もし情報に流されたくないのなら、余計な認知を持たずに情報を見極めるべきだということになる。人間は情報プロセスの負担を減らす為に認知経路を作るように設計されているのだから、これはなかなか難しいことなのかもしれない。

人気のある政治ブログを作るにはどうしたらいいか

毎日だらだらと書いている。テレビやネットの二次情報が多くなるので、政治ネタが増える傾向がある。本を読まなくても書けるからだ。読まれない記事も多いが、時々「ヒット作」が出る。ということで、どんな記事に人気の反応が良かったかを調べてみることにした。ブログに「全目次」があり、過去の「いいね」の数が分かる。いくつか傾向があることが分かった。

個人的な内容なので人に読ませるようなものではないのだが、「なぜ野党が支持を集めないのか」ということを考える上でヒントになる情報も少なくないのではないかと思う。

一体化欲求を満たす

ページビューを稼ぐのに一番良い方法は有名人に乗っかることだ。有名人の主張に賛同した記事を書くとRTしてもらえる。読まれる時間も長い。こうした読者は有名人に一体化したいと考えているのだろう。

もちろん、こうした人たちは有名人に賛同しているのであって、このブログに賛同しているわけではない。従って、彼らが二度とブログを訪れることはないだろう。日本人は多数派と一体化したい欲求を持っている。

一体化欲求が肥大化したのが、ネットのバッシングだ。バッシングに加担するとページビューが伸びる傾向にある。テレビ番組が揶揄されることも多い。例として「安倍首相の生肉事件」がある。障害児はかわいそうだから出生前に見つけた方が良いといった教育委員を批判した記事も人気だった。一方で佐野研二郎氏のようにネットから火がついたものもある。

男性的価値観に訴える

有名人のエンドースメントがなくても読まれる記事はある。「日本人は遅れている」という主張を書くと読んでもらいやすい。その場合「科学的で合理的な」ポジションから攻めるのがよいらしい。科学的、合理的、効率的という価値観は「男性的属性」と考えられる。日本人は男性的な文化を持っている。

旧弊な家族観も嫌われるようだ。女性は結婚して家に入るべきだとか、夫婦は同姓であるべきだという主張を否定すると人気が集る。「古くて非合理」な価値観を押しつける人は嫌われているのだろう。年配の世代から価値観を押しつけるのに辟易としている人が多いのかもしれない。

男性的な価値観は「脳科学で効率的に学習する方法」とか「ライフハック」への人気につながる。ボーダーシャツを着るとスタイルがよく見えるという記事が人気だった。「楽して痩せられる」という類いなのだが「科学的な(あるいは科学的に見える)」裏付けが必要だ。これも男性的な価値観だ。

男性的価値観の変種が左翼バッシングだ。「弱者に寄り添おう」という左翼人権主義は「弱さのスティグマ」と見なされている。左翼思想はイジメの対象にしか成り得ない。野党が伸長しない理由はそんな所にあるのだろう。民主党が日本に北欧型の福祉モデルを導入しようとしていた時期の「日本はスウェーデンのようになれない」という記事が人気だった。日本人は「福祉で弱者に金が使われると、俺たちの取り分がなくなる」と信じているのではないかと思う。弱者に優しく、みんなに心地よいという価値観は「女性的なもの」だ。

もし、左翼が政権を取りたいと考えるなら「弱者の側」に立ってはいけない。保守には「旧弊で古めかしい」というレッテル貼りが有効だろう。

証明できないことを言い切る

一方で、左翼層からの人気を集めたのではないかと思われる記事もある。「自衛隊は暴走するだろう」というものだ。安倍首相が今すぐ戦争を始める気配はなく、証明もできない。だから、それを言い切るとクリック数が増えるのである。しかし、読まれているとは言えない。表題を読んで満足するのだろう。

左翼層の目的は安倍政権の攻撃になっているのだろう。これを男性的に(すなわち科学的、合理的に)攻撃したいのだ。左翼は少数派で一体感が強く、広がりがない。「弱いものによりそう」はずの左翼リベラル的思想が攻撃性を帯びるのは、日本人が本質的に男性的な価値観を持っているからではないかと思われる。

コミュニケーションの難しさと所属の曖昧さ

全く違った分野で人気を集めたのが、コミュニケーションの難しさを書いた記事だ。自分の言いたいことが伝わらないという人もいるのだろうが、「俺の話が分からない異常者がいる」と感じている人も多いのではないかと思う。これを「科学的に」書くのがよいのではないかと思う。脳の不具合(あるいは傾向)で話が理解できない人がいるというような記事になる。決して「話を聞いて分かりあおう」と書いてはいけないらしい。アサーティブになろう(つまり自分が変わるべきだ)という論調も好ましくない。あくまでも自分は変わらずに相手を変えたいと考えているのだ。ただし「あなたは簡単な法則を知らないだけで損をしている」という書き方をすると人気が集るかもしれない。この手の記事は検索経由で根強い人気を集めている。Twitterで消費されるわけではない。

職場や学校でのコミュニケーションの複雑さは増しているらしい。

人々は一体化の欲求を持っており、群れを作って多数派であることを証明しようとすることは先に観察した。しかしながら、実際には属性への不安を感じているらしい。つまり自分がどのような人なのかがよく分からないのだ。このブログでは性格テスト(MBTI)について書いた記事があり人気を集めている。

学生は「自分をよく知って会社を攻略せよ」と言われる。しかし、社会に出るまで自分がどんな人なのかは良くわからない。そこでMBTIのような「科学的な」区分に需要があるのだろう。

よく「原子化された社会」と言われるが、『分かり合えない』社会化は進行しているようだ。しかし、それを互いの思いやりで乗り越えようという気にはならないようだ。どちらかというと「科学的に」攻略したいと考えているのだ。

人気のないもの

一方で読者に響かない記事もある。まず読者の興味の射程にない記事は読まれない。例えば、アフリカのテロや内戦の記事などは読まれない。「安倍政権の台頭でで戦争への忌避感情が強まっているのだから、どうしたら戦争が防げるか考えてみよう」などと考える人はいない。フランスのテロは同情されるが、ナイジェリアでテロが起きても「アフリカって危ないんだな」くらいにしか思わないのだろう。

女性的な価値観(共生、共感、居心地の良さ)に基づいた記事も無視される。日本人は弱者だと規定されることを嫌がる。寄り添ったり分け合ったりすることも嫌いだ。故に左翼的な価値観で安倍首相を攻撃してはいけない。左翼の理屈で政権批判をすると「弱者だ」と見なされることになるからだ。

さらに「社会を良くする為には自分が変わらなければならない」という論もよくない。あくまでも自分が好むように他人が変わることが求められるのである。試した事はないが、自己変革を促す為には、カルト宗教的な要素が必要なのではないかと思う。つまり、このように変われば天国に行ける(あるいは成功できる)という明確なゴール設定があればよいのではないかと思う。

こうした傾向の背景にあるのは、日本の教育なのではないかと思う。日本の教育の主眼は結論を「効率よく暗記する」点にあり、途中の過程は求められない。そこで「自分で考える」「仕組みを知る」「因果関係を検討する」などは苦手なようだ。読み手は結論を予め持っていて、それをバックアップするための論拠を求めているのだ。

Twitterにみる日本人の怖れ

Twitterが140字制限をなくすというニュースが広がった。Twitter社は長い間赤字に苦しんでいる。株主の間からは文字数制限をなくすべきだという声が根強く、これに応えた形だ。しかし、この変化は日本人ユーザーを動揺させた。Twitterらしさがなくなってしまうというのだ。

Twitter社はなにも10,000字を使わなければならないと言っているわけではない。日本人ユーザーが今までのようにTwitterを使い続ければ、これからも日本のTwitter環境は変わらないだろう。それでも日本人は変化を好まない。取りあえず「変わる」というニュースを聞けば反対してみせるのが日本人なのだろう。

日本人はなぜ変化を嫌うのか。それは、変化がリスクだと感じられるからだろう。ではなぜ、変化はリスクなのだろうか。

本来ならば、個人が便利な方向に環境が変化してゆけば、それは他人にとっても便利である可能性が高い。つまり、利得の総和が増す。これを「成長」という。しかし、環境が変化すると今まで環境から利益を得ていた人が損をする可能性がある。そこで日本人は全体の利得ではなく、個人の損に目が向いてしまうのだ。

環境を変えようという動きは「あいつだけがトクをしようとしているのだ」と受け取られる。そこで「スタンドプレーは慎むように」という話になる。このような相互監視と上からの押さえつけはどれも「変化しない」方向に働く。

最近、育休を取りたいと言った国会議員が同僚から猛反発を食らった。男性が育休を取る事ができるようになれば「助かった」と感じる人は多いだろうが「有権者にこびて選挙を有利に運ぼうとしている」と感じる人が多いのだ。最終的に党の有力者から「スタンドプレーを控えるべきだ」とたしなめられたのだという。国会議員がその調子なのだから、個人が生きやすいように社会を変えておこうという動きが広がるはずはない。

こうした環境のことを「空気」と呼ぶ。人が空気を作り出しているはずなのだが、日本人は個人が空気を変えることができるとは考えない。

変化を怖れる人はたとえ便利なことが分かっても、新しいテクノロジーを採用したり、便利な制度を導入することができない。成長ができないのは絆が弱くなったせいではない。むしろお互いの結びつきが強すぎるのである。

このためテクノロジの変わり目は世代の変わり目である事が多い。例えばファックスを覚えた世代はその後もファックスを使い続ける。その後の世代はファックスには目もくれずスマホを使うのだ。

こうして不便な状態に置かれる事が多い日本人だが、こうした不便さに熟達することに不思議な喜びを感じている。これを「職人技」といい、一生道を追求するのがよいとされる。そして不便さに慣れた人たちは、後の世代にも不便を押しつける。便利さを追求するひとを「わがままだ」と決めつけることもある。

例えば「社会の支援なしで子育てをした姑世代」は嫁の世代にも同じような不便さを求める。そして社会の支援を求めることはわがままだとみなされるのだ。

変化を怖れる人に変化を受け入れさせるのはどうすればよいのだろうか。それは「何も変わらない」という説明をすることである。それでも変化を怖れる人はその話を持ち帰り、集団で検討する。そしてお互いの利得が変わらないことを確認して初めてその変化を恐る恐る受け入れるのである。こうしたやり取りを「根回し」と呼んでいる。

Twitter社の仕様の変更が日本のTwitter文化を変えるとは思えない。人々は今までのようにTwitterを使い続けるだろう。もともとこの短文文化は2チャンネルから来たものだ。2チャンネルには文字数の制限はなかったが、参加者は短文で投稿しており、今でも高齢化した参加者たちが同じように短文で投稿し続けている。使い続けているうちに仲間内での約束事が積み重なり新規の参加者を受け入れなくなる。そこで新しい参加者たちは全く別のプラットフォームを選ぶだろう。

こびとの話 – ネット表現は難しい

江川紹子さんというジャーナリストが「Wi-Fiが故障したが2〜3日したら復旧した」とツイートしていた。プロバイダー障害であれば評判になっていただろうから、多分機械の不具合だったのだろう。その後復旧したということはハードの障害ではなかった可能性が高い。ということはソフトウェアの不具合かキャパオーバーだろう。

ただ、そのまま呟いてもおもしろくないので「小人が直したのでお供えでもしてください」というような表現にして投稿した。

実際にWi-Fi機器はしょっちゅう小さな障害が起きており、それをプログラムで修正している。小さな故障を修正しつつ今あるトラフィックを捌く必要があるので、速度を落として動作を続ける。しかしそれでも捌ききれなくなると止まってしまうのだ。動作が停止するとトラフィックが途切れる。すると余裕ができて修正できることがある。そこで「自然に復旧した」と感じられるのである。

2〜3日待つのが嫌な人は、一度スィッチを切ってから電源を入れ直すとよい。リセットすると大抵の不具合は修正される。

Wi-Fi機器のようなインフラ機械は、無事に動いても誰にも感謝して貰えない。なのに、動作が止まると文句を言われる宿命にある。中では「わたわた」と小さなプログラムが動いているのだ。実際にトラフィックを覗いてみると「この番号は誰だ」とか「この信号を送れ」などという信号が行き交っている。その動きは小人さんさながらである。

正月ぐらいは修正ロジックを書いているプログラマさんたちに感謝してお供え物をくらいしても良いだろう。

しかし、ネットの表現は難しい。その後のリアクションを見ると、小人とは、一般の人が休んでいるときに働いている「中の人」のことだと思われたようだった。正月の休みの期間にコンビニに買い物に行けるということは、別の誰かが働いているということである。最近ではそういう働き手が多いのだ。

さて、話はここから意外な方向に転換する。小人は差別用語だという人が表れたのだ。もともとは「プログラム」を擬人化するために使っていた「小人」という用語が「人」を示すものになった。それが「小さな人」を差別しているということになったのだろう。

「小人」は放送禁止用語として指定されているらしい。理由は書かれていなかったが、小人症の類推があるのではないかと思われる。そこには「白雪姫と七人のこびと」の例が書かれており「白雪姫と七人のドワーフ」と言いましょうと書かれてあった。検索すると、ディズニーは「こびと」とひらがな表示にしているらしい。真相はよく分からないが「差別だ」という指摘があったのかもしれない。

漢字だとダメでひらがなだとよいというのが、情緒を重んじる日本人らしい。ちなみに「小人症」は英語ではドワーフィズムと呼ばれるので、小人症を差別用語だと見なすならドワーフも差別である。

さて、この人はなぜこのような指摘をしたのだろう。この指摘をした人は原発に反対して福島瑞穂さんを応援しているらしい。江川紹子さんも「社会正義の味方だ」と思われているのだろう。その人が「差別用語」を使うのが許せなかったのではないかと思う。しかし、個人で「良い悪い」の線引きをするのはとても難しい。そこで「放送局が面倒を避ける為に使っている規範」がその人の正義になってしまうのだ。

外から入ってくる規範には様々な種類がある。宗教に規範を求める人もいれば「日本の伝統や国体」が正義になる人もいる。中には「原発や戦争はいけない」を規範にする人もいるだろう。正義は社会を安定させるが、時には大きな衝突を引き起こす。

正義という「大我」を暴走させないためには「小我」をうまく満たす必要がある。一方で、正義を語る人は実際には「自分が正当に扱われていない」といういらだちを募らせていることが多いのではないかと思う。

そこで「よく御存知ですね。勉強になりました」と返事をした。「御存知でしたら、もう少し教えてください」みたいなことを書いたのだが、多分この指摘をした人はそれ以上言葉について考えることはないはずだ。どうしていいのか分からなかったのだろう。「いいね」が戻ってきた。言葉に敏感なようだが、本当は言葉自体には興味がないのだろう。

しかし「あちらを立てれば、こちらが立たず」である。いわゆる「差別用語をとにかく使わない」という姿勢はプロの文筆家の嫌うところなのだ。

一律に特定の言葉を否定することを「言葉狩り」という。筒井康隆の断筆宣言(小説にてんかんへの差別表現があるとされ、批判に晒された)でも見られるように、昔から表現の自由と<弱者>への配慮は緊張関係にある。案の定(というか、意外な事にというか)江川紹子さんから直接「それは言葉狩りだ」という指摘が入った。職業文筆家としては譲れない一線だったのかもしれない。

「言葉狩り」はなぜいけないのだろうか。それは、私達が持っている差別的な感情にふたをする役割を持っているからだ。言葉さえ使わなければ、その面倒なことはなかったことになり、それ以上考えなくてもすむのである。

さて、これが「ちょっとしたユーモア」のつもりで書いた投稿が、正月に休んでいる、遠く離れた会ったことのない人の心を騒がした物語の顛末と考察である。

お正月なので「お供え物」について考察したい。Wi-Fi機器にお神酒を備えてもプログラムが飲めるわけではない。中の人も仕事としてやっているわけだから「休みの日に働かされてかわいそうに」というのも失礼な話である。結局、お神酒は自分に飲ませるものなのだ。「正月は休んで気楽に過ごしてね」というくらいの意味合いだろう。

これがなぜお供えになるのだろうか。自分が休むということは、他人にも休む時間を与えてあげるということだ。自分に優しくするということは他人にも優しくしてあげるということなのだ。結局は「小我」を満たす事が「大我」につながってゆくのではないかと思う。

テレビジャーナリズムという幻想

古館伊知郎がニュースステーションを降板するといって大騒ぎになっている。権力を批判する人がテレビから消える。それでは安倍政権の思うツボだというのである。こうした言説には違和感を感じる。そもそも、古館伊知郎が「テレビジャーナリスト」扱いされるようになったのはなぜなのだろうか。

そもそも、テレビのニュースは退屈なものだった。最初にこれを変えたのはNHKだ。1970年代にニュース原稿を読むのをやめて「語りかけるように」したのだ。

バブル期の後半に、テレビ朝日が夜のテレビニュースを変えた。ニュースにワイドショーのような「分かりやすさ」を加えた。しかし、それは「ジャーナリズム」を指向したものではなかった。あくまでもニュースショーだった。NHKとの差別化を狙ったものと思われる。そこで起用されたのが、TBSの歌番組「ザ・ベストテン」で人気だった久米宏だ。久米はニュースを読むアナウンサーではなかった。

その後、バブルが崩壊し、自民党政治への信頼が失われて行く。自民党の政治家は「金権政治化だ」とみなされるようになる。時代に沿うようにしていテレビニュースショーは「反権力化」していった。自民党を離党した「右派リベラル」の人たちが担いだのは熊本のお殿様の子孫である細川護煕だった。細川首相は近衛家の血も引いている。血筋の良さが重んじられるという点では、とてもアジア的な政権交代だった。

この頃の趨勢は「反自民」だった。しかし、非自民内閣が失敗したために、社会党を巻き込んだ「自社さ」政権ができ「自民党をぶっ壊す」と言った小泉政権へと続いて行く。有権者はこの間、一度も「左派」の政党を支持することはなかった。

ニュースステーションの枠を継いだのが古館伊知郎だ。久米は「ニュースステーションがなくなるのだから、次の司会者がいるはずはない」と主張したという。この人もジャーナリスト出身ではなかった。どちらかといえば、スポーツ中継(特にプロレス)などで活躍していた人である。つまり、テレビ朝日は依然としてニュースをショーだと考えていたのだ。「権力を監視し、提言する」のがジャーナリズムだとすると、ジャーナリズムのように見せるのが報道ステーションだった。

前者を格闘技だとすると、後者は格闘技をショーアップしたプロレスのようなものだ。報道ステーションは、格闘技ではなくプロレスなのだ。その悪役として選ばれたのが「権力」だったのである。

小泉政権が終ると自民党に対するバッシングは最高潮に達する。有権者は「自民でないなにか」を求めるようになった。そこで表れたのが民主党だが、3年間の民主党政治は無惨な結果に終った。東日本大震災のような天災もあり、有権者は民主党を「穢れたもの」として打ち捨てた。古代に疫病があると都を捨ててたようなものだ。民主党の後期ごろから人々は「改革」と口に出して言わなくなった。

「どうせ、変わらない」という空気が蔓延し、有権者は政治への興味を失った。今では一部の人たちが「安倍政権は許せない」と叫ぶ(あるいは呟く)だけである。反対が多いように見えるのに、自民党は支持され、憲法改正さえ伺う勢いである。「反権力」はもうトレンドではない。多分「権力側にいたい」というのが今の気分なのだ。

日本人は戦後一貫して「未来」を向いていた。現在よりも一年後の方がよくなると思っていたのだ。バブルが崩壊してもそれは変わらず「この状態はいつしか改善するはずだ」と考えていたように思う。明治以降「脱亜」の意識が強かったので「日本人は西洋に比べて劣っている」と考える人が多かった。実際は世界第二位の経済大国だったのだが「日本は小国である」と考えていた。

ところが、最近では「日本はここが優れている」という番組が多く見られるようになった。先進国最低レベルのGDPなのだが「日本はまだ西洋諸国と肩を並べている」と漠然と信じている人も多い。中国を中進国だと見下しているのだが、経済規模では遥かに及ばない。日本人は未来よりも過去の良かった時代を見る事に決めたのだろう。不安な未来を見つめるよりも、確実な過去を見て安心したいのだ。

だから「反権力」や「ジャーナリズム」はもう流行らない。商品価値がなくなったショーを続ける意味はない。だから、見ていて安心できるキャスターや、現状を肯定するニュースショーが求められるはずだ。多分「官邸から圧力をかけられたから反権力的な人たちが降ろされた」のではないのではないかと思う。

そもそも、現代のビジネスマンはスマホでYahoo!ニュースを見ているはずだ。これまでのように「権力批判」が売り物になるのは、高齢者相手のニュース番組だろう。TBSの時事放談やサンデーモーニングなど、今の政治の不出来を嘆くショーが生き残るのではないだろうか。