宇都宮市の元自衛官自殺事件 - 抗議の自殺

前回から「匿名・実名」について考えている。匿名・実名の裏にあるのは社会的な発言力の争奪戦という側面があるらしい。実名になると社会的発言力は賭けの対象になるので、人々はできるだけ匿名で相手の発言力を奪いたがる。一度実名を暴き立てた上で一般名詞化することで相手を罰するのだ。

このような複雑な体裁をとるのは自分の社会的価値を担保したいからだ。ということでそれを最初から賭けてしまえば恐れるものはなくなる。

つまり、何かを訴えたい場合、死んでしまえばよいことになる。賭けの対象にする人生はなくなってしまうわけで、後に残るのは自分の主張だけだからだ。浪岡中学校の自殺事件のエントリーで言いたかったのはそのことだった。つまり「死」というのが意味を持っていしまうので、自殺が正当化されてしまうわけだ。それを防ぐためには自殺者を匿名として扱うしかない。

そんなことを考えていたとき、宇都宮市で元自衛官が爆死した。名前を栗原敏勝さんというそうだ。ネットの情報によると同姓同名で宇都宮市に住んでいる人物のブログが発見されたという。これによると、三女が精神疾患を発症したのだが、妻が新興宗教にはまり退職金を使い込んだ。それをなんとかしようとしたが裁判に負けて家も失いそうなのだという。

「炎上を狙っている」というのだが、文章力が拙すぎて何を言っているのかよく分からない。炎上にはそれなりのメカニズムがあり決して個人を助けるためには動かない。炎上が起こるのは民衆の他罰感情が対象物に転移するからだ。

特に気になるのは主語の倒置と視点だ。遺書には「(私は)命をもって償う」と書いているそうなのだが、ブログの内容を見ると「栗原さんの命をもって誰かに償わせる」という行動になっている。この「償わせる」人が裁判所だったのか、新興宗教にはまった妻なのか、精神疾患にかかってしまった娘なのかは分からない。

さらに文章は第三者が客観的に栗原敏勝さんのことを書いたような書き方になっている。「私は娘に殺害されなかった」というのではなく「惨殺からまぬかれ、生き延びた栗原敏勝である」と書いている。このような視点がどのような心理を示しているのかはよくわからない。

日本語は主語がなくても文章がかけてしまうので、こうした倒置がよく起こる。しかし倒置をとかない限り、本当の感情が分からず、従って何をすればよいのかも分からない。

足りないのは内省だ。それは自己反省しろという意味ではなく、自分に起こったことと気持ちを整理して徐々に受け入れてゆくという作業である。これをやらないで社会正義について考え出してしまったために、混乱が起きているわけだ。

多くの人は「けしからん他人」のニュースを見たり、Twitterで炎上に参加したりして他罰感情を満足させる。これは内省能力がつたないからだろう。日本人は内省する訓練を受けていないのだ。しかし、この人に起こったことはキャパを超えていて、娯楽的な他罰行為では処理できなかったようだ。

かといって自分の考えを理路整然と伝えることもできなかった。裁判で負けてしまったのもその影響があるのかもしれない。そもそも裁判が起こるのは正義と正義がぶつかるからなので、戦略的に自分の気持ちを相手に訴えるスキルが必要になってくる。

これを整理するためには普段から何かを書いて気持ちを確認するという作業が必要なのだが、それはなかなか難しい。ただ、爆発物を作るスキルは持っていたようだ。そこで自分で文字通り炎上してしまったわけだ。

ただし、テレビの扱いは慎重だ。多分精神疾患が絡んでおり「面倒くさい」事件だからだろう。単に他人に迷惑をかけた事件で「ネットではいろいろ言われている」ということを紹介して終わりになってしまった。

自分の主張を通すために他人を巻き込むことを「テロ」というとすればこれはテロなのだ。日本では問題を解決するためには他人を巻き込んで死ぬか、匿名のまま炎上させるかの二択しかないという結論になる。

自己主張する技術を教えるのがどれだけ大切なのかということが良く分かる。

災害伝言板の使い方を確認しておきましょう

鳥取県で地震が起きた。「ああ、大変だなあ、日本は地震が多い国なんだなあ」と思ってからふと我にかえった。家族がたまたま鳥取を旅行しているのだ。そもそも鳥取なのか島根なのかよく分からなかったし、テレビで出てくる地名がどこを指しているのかということも分からない。

どうやら火災が起きたり土砂崩れが起きるなどの甚大なことは起こっていないようなのだか、それでも心配になる。連絡が取れればよいだろうと考えて携帯電話に連絡を入れてしまったわけだが、そのあとで災害時には電話しちゃいけないんだっけなどと思った。留守電につながったのだが、その場で取れなかっただけなのか、つながらないのかがよく分からない。

そこでauに「電話がつながりにくくなっているのか」という問い合わせをした。問い合わせセンターは新潟県にあるらしく、センターのバイトのお姉さんは「私言われたことだけやっています」という感じだった。そこで上位の人に出てもらったのだが、まったく要領を得ない。「鳥取市中心でつながりにくくなっているという情報はあります」という。

※クレームがこないとも限らないので、お断りしておくと「このオペレータは責任感がないバイトだろう」と思ったのは私の主観です。実際にはスクリプトの問題なのですが、これを書くと長くなりそう。

後で分かったのだが、地震の中心は倉吉市あたりで鳥取市とはずれている。次に災害伝言板という言葉を思い出したので、それを聞いてみたのだが、オペレータは「言われた質問には答えるが一切提案はしない」という姿勢を崩さないのでよくわからない。

このブログで何回も書いているが、分からないのは「概念のフレームワーク」ができていないからなのだが、ロボットのオペレータはそれを理解しないのだ。多分、お客の心理的なステータスがどうなっていて何を知らないのかということを考えないとクレームが増えるだろうなあとは思うのだが、バイト感覚で責任感に乏しいオペレータは知ったこっちゃないのだろう。

そうこうしているうちに留守電を聞いた家族から連絡が入ったので、オペレータの方はガチャ切りした。罪悪感はあった。ひどい災害の場合、こういう問い合わせは増えるだろうし、オペレータを占有しているという気持ちもある。だが、どうしていいか分からないのだ。キャリアはこうした混乱が起こらないように、紋切り型でもよいから標準スクリプトみたいなものを準備しておく必要があると思う。

慌てた理由はいくつかある。家族は「災害時には伝言板を使おう」と考えるほどのITリテラシはない。だから電話がつながるかつながらないかということはかなり大きなことなのだ。

また、オペレータはしきりに「auは伝言板を準備していてauの携帯電話から聞ける」と繰り返すのだが、これがNTTやインターネットとつながるかということは分からない。それでもオペレータは自分の会社が準備しているサービスについて案内しようとする。「操作方法をお教えしましょうか」などというわけだが、連絡を取りたい家族が登録方法を知ってどうするのだろうか。

今日改めてauのページを見てみたのだが、やはり世界中のすべての人たちがauを使っている前提で説明をしている。世の中にスマホを使わない人がいたり、パソコンからチェックする人がいるということは想像していないようである。Docomoは少しマシだったがやはり不親切だ。この分かりにくさが緊急時に余計なトラフィックが増える要因なのだ。

実際に操作してわかったのだが(現在は各社とも伝言板を開設している)各社ともデータベースを相互開放しているようだ。だから、ユーザーはキャリアを意識せずに自分がアクセスできるインターフェイスを使えばよい。

Docomoの場合はiMenuのトップに「災害伝言板が提供されている」という案内が出る。iMenuはとても見にくいのだが、災害伝言板は簡単なインターフェイスだ。そこに選択肢がいくつかあり簡単なメモが10件登録できるようになっている。

一度登録したら、各社が提供しているインターネットインターフェイスに行く。試しにauの準備するURLに行ってみた。そこでDocomoの番号を入力するとデータを引き当てる。詳細はNTTが準備するインターネットインターフェイスから閲覧する仕組みである。もちろん携帯電話からも確認は可能だ。

ごちゃごちゃと書いたが、結論としてはユーザーはキャリアを意識する必要はないということだけ知っておけば安心だ。あとは自分の携帯電話からの登録方法が分かればよいということになる。

いざというときに慌てないようにするためには、一度システムを使ってみると良いと思う。だが、実際に怖い思いをしないとなかなかやる気になれないということがよく分かった。だが、システム自体は単純なものなので、いったん使えば簡単にマスターできるだろう。

洋服が売れないのは選択肢がたくさんありすぎるから

ということで、近所にあるアウトレットモールに行ってきた。そもそも太ってしまい洋服が似合わなくなったことから始まった「プロジェクト」も終わりである。今回の一応の結論は「豊富すぎるから買わなくなるんじゃないだろうか」というものなのだが、急がずにだらだらと行きたい。

もともと洋服が似合わなくなり古着屋で買った280円のパンツなどを使っていたのだが、さすがにそれはまずいだろうということになり、いろいろ洋服を探し始めた。ユニクロ、GU、古着屋、ヤフオクの四択だ。DIESELのストレートジーンズとGUの980円ジーンズを手に入れた。

それでもひどい感じだったのだが、どうやら体型が崩れているのが理由のようだった。腹筋運動をしたり、姿勢を改善したりしてこれを少しだけマシな状態に戻した。要するに再び鏡を見たわけだ。

さらにネットや雑誌で情報を仕入れて、中古屋でトップスを探した。テーマになったのはできるだけ「シンプルな格好」だ。ジーンズに手が加えてあるので、トップスはあまり凝ったものでないほうがよいと考えたわけだ。

最初はファストファッションのものばかり探していたのだが、途中からブランド物のコーナーも探すようになった。そこでArmani Exchangeの服を見つけて、やはりぜんぜん違うなあなどと思ったわけである。つまり、知らないうちにファストファッション慣れしている。

ファストファッション慣れが起こる原因にはべつのものもありそうだ。例えばPARCOに入っている店の品揃えはかなりひどいものだった。アクリルのセーターと古着しか置いていないようなWEGOに多くの若者が集まっている。これはつぶれるのも当然だと思った。

「アパレルって荒れているなあ」などと思ったわけだが、この印象は大きく崩れた。BEAMSにしろSHIPSにBanana Republicにしろ、良い素材で優れたデザインのものがいくらでも売られている。しかも価格は定価の30%(つまり7割引だ)だったりするのだ。大げさに言うと世界で作られた名品がお手ごろ価格で手に入ってしまうということになる。

しかし、あまりにも選択肢が多すぎる。古着屋さんが良かったのは価格が安いからではないことが分かる。定番商品があまり多くないので、限られた選択肢の中でどうにかして着こなしてやろうなどと考えるわけである。つまりセレクトショップのような存在になっているのだ。

考えてみると、「自分だけに似合う特別な一品」というものがあるわけではない。ジーンズの場合は自分で「育てる」し、いろいろと研究して征服してゆくのが当たり前だ。つまり、ある程度の品質さえ確保されていれば、キーになるアイテムについては福袋でもかまわないのである。

後は気合である。

だが、いろいろなものが置かれていると、そもそも何がキーになるのかが分からなくなる。もちろんこれは、受け手の問題なのだが、すべての商品が並列でおかれている(ようにみえる)ために起きる状況だ。

スーパーマーケットの場合は、入るとまず野菜売り場があり、魚から肉に進んでゆく。あるいは検索にたとえてみてもよいかもしれない。ある人は値引率で検索するだろうし、別の人はキーアイテムとの組み合わせで検索するかもしれない。

かつては雑誌が情報を限定する役割を果たしてくれていたのだろうが、今ではネットでコーディネートが次から次へと飛び込んでくる。すると「また今度でいいや」みたいなことになる。それに加えて毎日のようにメールによるお勧めが流れてくる。正直これを見ているだけで混乱する。いったい自分が何を探しているのかがわからなくなってしまうからだ。

入手可能な情報が多くなるに従って人々の情報検索範囲は狭まってゆく。多分、高級セレクトショップの価格が「投売り」状態になっていることに気が付かない若い消費者も多いのではないだろうか。質のいいものが世界中から送られてきて並べられているのだ。なんだかもったいない話だなあと思った。

アパレルについて観察しているとどんどん科学的な知見からはずれてくる。似合っているアイテムというものがあるわけではなく、与えられたものを「気合」で着こなすと思ったほうが良い結果を得られそうだ。もう一つ思ったのは洋服屋に出入りする人も働いている人もあまり楽しそうに見えなかったという点である。毎日働いているわけだから慣れているのは当たり前のような気もするが、たいていの店員さんたちは服を制服のように着ていた。これ、もうちょっとなんとかならないんだろうか。

なぜ電通は犯罪者集団になってしまったのか

慶応大学の広告研究サークルでレイプ事件が起きたらしい。その影響で有名なミスコンが中止になりちょっとした騒ぎになった。同じころ電通では女性新入社員の自殺事件の裁判の結果が出た。過労が原因であったと認定され、労働局と労働基準監督署が強制捜査に入る騒ぎになった。

この2つは女性搾取と隠蔽という共通する要素がある。広告研究サークルは「性行為はあったが合意の上だった」と言っていたようだ。だが、実際には無理やりであり、女性はひどいトラウマを抱えて学校に行けなくなってしまったらしい。電通でも当初は、クリスマスに自殺したのだから失恋で死んだに決まっていると言っていたそうである。女が死ぬのは色恋沙汰に決まっている。単なる補助労働力なのだから仕事で死ぬはずはないだろうという気持ちがあるのだろう。

どちらも、組織防衛のために他人の人権を著しく軽視している。

この2つの事件を無理やり重ね合わせて「だから広告というのは胡散臭いのだ」という非難の記事を書きたくなったが、あまりにも無理やりなので一度は思いとどまった。

しかし、やはり広告業界にはこういう「業」がありそうだ。広告はもともとなんでもないものに社会的な価値をつける機能を持っている。うまく活用すれば、需要を生み出して、技術革新のドライバーになるかもしれない。と、同時にそれはある種の扇動行為でもある。あるラベルを作って感情を喚起する。例えば「中国は怖い国だ」というメッセージを繰り返し与えれば、それが真実になる。

真実は作れるという認識は「自由意志」に対する感覚をゆがめるだろう。人間は情報操作できる存在であり、自由意志などありえないという感覚だ。私たちはテレビを見て新聞を読んだだけで「だまされて」生活している。

だが、他人の感情を操作しつつ自分たちだけはそこから超越するということはできないらしい。しかも最終的には弱い立場の人たちを搾取し組織で隠蔽するという卑怯な行為に結びついてしまう。内部でモラル崩壊すると、それを自立的に立て直す方法がないことがわかる。人間の規範意識はとても脆い。

もちろん、それぞれの組織を突き動かしてきた動機は異なっている。慶応大学のサークルは性欲だったが、電通は営利を追及しようとした。個人でいる分にはおとなしくしている人たちが、集団で欲望をむき出しにした。普段押さえつけている分、一度暴走すると歯止めが利かなくなってしまうのだろう。

例えば、慶応大学に入り、ミスコンイベントを主催するようになった瞬間に「俺はもてるようになった」と感じた学生もいただろうし、電通で管理職として子会社を使っているうちに「自分はとてつもなく偉いのだ」と考えるようになっても不思議ではない。トランプ候補も「テレビに出るようになってから女はやらせてくれるようになった」と語ったそうである。

どちらむ犠牲になった人やその家族がおり、とても痛ましい事件だ。しかし、それをどう防げばよいのか、よい策が浮かばない。広告業だけ規制を厳しくするわけにもいかないし、免許制にすれば表現の自由を侵害することになる。自主規制しかないわけだが、彼らに高い規範意識は期待できない。

すると残る選択肢は一つだけだ。広告は賎業であるという認識を社会が共有すればよいのだ。女性が広告代理店に就職したいと言えば親族で泣いて止め、嫁に行きたいといえば「その結婚はろくなものにならない」といって縁を切るという具合だ。これはかつて日本の芸能界が持たれていたイメージに近い。

コミュニケーション障害は死ななきゃ直らないのか

先日、いきなり「ブログを削除しろ」といわれた話を書いた。話を聞いてみたがまったく要領を得ない。結局、引用部分だけを削除した。

「忙しいので後でまとめて書く」ということだったので待ってみたのだが、自分と相手のトラブルを壊れたレコードのように繰り返すだけで、ブログ記事の何が悪かったのかは書かれていなかった。多分、こちらが何の説明を要求しているのかよくわからなかったらしい。

これは「コミュニケーション障害だな」と思った。相手がどのような要求を持っているのかがまったくわかっていないらしいからだ。だからこそ、他人との間でトラブルが発生するのだろう。最終的に「ネットで発言するのはやめたほうがいいですよ」と書いて送った。また事故を起こすことは目に見えている。だが、それが伝わるとは思えない。

ただ、この障害がどのようにして引き起こされているのかはよくわからない。第一に執拗な攻撃にさらされることでパニックになっている可能性がある。なぜか、この人(ちなみに実名Twitterをやっていて2ちゃんねるでは職業も晒されているらしい)を攻撃するためだけのTwitterアカウントまでできている。

次に相手の言い分というものにまったく興味がないのかもしれない。つまり「話を聞かない」人なのだ。もしそうなら何を言っても無駄だろう。ただこの場合は、怒っている振りをすれば状況は解決するかもしれない。

しかし、最後の可能性が排除できない。もともと、相手が何を考えているのかが認知できない人がいるのだ。こうした人たちは一般的には「コミュニケーション障害」と言われているのだが、実際には認知に問題があるようだ。

認知障害の内容はさまざまだ。ある人は物事の感情的価値というものが理解できない。また別の人たちは相手の立場が想像できない。

例えば「合理的に考えると正しいが、感情的に受け入れがたい」という話がある。これが理解できない人がいる。他人の感情の動きが認知できないのだ。この人が感情的にならないということはない。どうやら自分の心情を中心に物事を理解しているようではあるが、他人にも同じような感情の動きがあることが理解できないようだ。

また別の人たちは他人の立場や知識が推論できない。これについては有名な実験がある。2人の女の子がいる。1人が離れている間に別の子がおやつを動かしてしまう。女の子が帰ってきたとき「帰ってきた子はどこにお菓子を探しに行くか」を聞いてみるのだ。すると認知に問題がある人は「動かした後」の場所を指差す。

この問題を解くにはかなり複雑な認知が必要だ。物事を俯瞰してみている人(読み手)と、お菓子を隠した人、隠された人の間には情報の差がある。そこで、各々がどのような情報を持っているかを理解しなければ問題が正しく解けない。「普通の人」はこれを半自動的に行っているのだが、これができない人がいるわけである。これは認知の問題なので、「他人への思いやり」を持っても解決はできない。つまり、道徳的には解決できないのだ。

ところが共感認知の問題は表面化しにくい。かつて理系がもてはやされていた時代には研究室から直接就職するような経路があった。そのために他人に共感ができなくても出世して経済的に成功することがあった。この人たちが壁にぶち当たるのは、出世して総合管理職になったときだ。営業職のように自分たちで価値が作り出せない人たちが嫉妬から「企業にとって」合理的でない行動に出るのが理解できないわけだ。管理職になってはじめて「共感する能力」が要求されるが、誰もそれを教えてくれない。最近でアスペルガー障害が表面化するようになったのは多分理系が普通の就職経路をとるようになったからだろう。

一方で「当然共感すべき」だと考えられている人たちは別の苦労がある。例えば保母や母親といった「ケアする人」は「この人には思いやる気持ちがないのではないか」と非難されやすい。

複雑な問題には対処できないので、人間関係から孤立するのだが、何がおきているのかがそもそもわからない。表面的な言葉をそのまま解釈する傾向がある。その人の本当の気持ちはカーテンの向こうにあって表出しないからだ。

こういう人たちにとってソーシャルメディアは極めて扱いにくい。まったく会ったことがない不特定多数の人たちがどのような情報を持っているかということを想像しなければ正しく使いこなすことができない。

では普通の人たちはどうやってLINE、Twitter、Facebookなどを使いこなすのだろうか。全知全能の神でない限り、相手の気持ちを類推することは不可能なのだが、少なくとも自分の経験から他人の経験を推論することは可能なはずだ。つまり自分の心情や過去の他人の言動から鏡像を作って、相手の気持ちを類推する。

さらに他人がどのような印象を持つかを想像しながら自己像を演出するということまで行われる。これも自己の経験を他人に移した上でかなり複雑な情報操作を行っていることになる。

逆に、自己の内部に鏡像が形成されないと、ソーシャルメディアが使えないということになる。情報は取れているのだが、それを正しく処理できていないことになる。

日本の社会でこうした問題が表ざたにならないのは「相手の心を読みあうこと」が当然だとみなされているからだ。気持ちの問題だと考えられており、能力の問題だとは思われていない。

さらに空気を読んでもらうのが当たり前だと考えられているので、空気が読めない人たちに対して「要求をはっきり伝える」という技術が発達しない。そこで教科書的には「アサーティブになること」が要求されるわけだが、自分の要求を伝えても、そもそもそれが認識されないことがあるのだなあと思った。

そういう人たちが気軽に政策批判ができるようになった結果、ソーシャルメディアの混乱につながっている。さらにそれに絡む人が出てきて(この人たちも共感に問題を抱えている可能性が高いのではないだろうか)事態はさらに複雑なものになっているのかもしれない。

さらに別の問題も引き起こされている。経験を共有している人たちの間では優れた調整能力を発揮していた政治家や役人たちが、ソーシャルメディアに圧迫されて「説明責任」を果たそうとしてぼろぼろになることがある。これを見るとネイティブな共感能力が乏しいが、後天的に学習したのかもしれないと思う。「説明責任」を果たすためには、不特定多数が何を期待しているのかを限られた発言から読み解く必要があるわけだが、それができないので、頓珍漢な発言を繰り返してしまうのだろう。

コミュニケーション障害は認知機能の問題だと思うのだが、これが後天的な訓練でバックアップできるのかがわからない。経験的には、後天的に訓練するよりも物事の単純化によって解決しようとしているように見える。

デフレが進行したのはIT技術の発達が原因かもしれない

前回はパルコがなくなるのを見て「日本のファッションは砂漠化している」などと嘆いてみたのだが、実際にはもっと大きな変化が起きているようだ。いくつか見てみたいポイントはあるのだが、一番注目すべき点は、日本の流通が実は大胆に合理化されているというちょっと意外な事実である。

一般に、日本のサービス産業や流通はIT化が遅れており生産性の向上も進んでいないと考えられている。確かに産業という側面から分析するとそうなるのだが、消費者を加えると全く異なった実態が見える。

日本のアパレル産業の市場消化率は50%弱なのだそうだ。残業して一生懸命作った服の50%は売れ残ることになる。売れ残った服は中古市場に流れる。ほどいて毛布などの原料にする、機会を拭くウェスとして利用する、東南アジアに輸出するというのが主な処理方法になるそうで、これを専門に取り扱う業者もある。燃やされているものもあるはずだが統計には出てこない。

一方、急速に中古市場が立ち上がりつある。実際に中古ショップを見てみると「未使用品」が売られていたりする。寂れたファッションビルが「売れ筋」と考えられる画一的な商品に高い値札を付けている一方で、ユースドショップに豊富なデザインが色柄が安い価格で売られていることも珍しくない。

だが、新古品の出先はリユースショップだけではないようだ。アプリを使ったオークションサイトなどが複数立ち上がっている。総合通販サイトも中古品を扱っている。さらにファッション通販サイトも中高品を扱うようになった。

同じような状態は中古車市場にも見られる。軽自動車が過剰生産され新古品市場が発達しつつある。実質的な値下がりが起きているのである。

つまり、アパレル専業の会社や自動車業界が市場を読まずに産業ゴミを量産する一方で、消費者はIT技術を駆使して自分が欲しいものを探しているという実態が見えてくる。

これが顕在化しないのは政府統計が古い概念のもとで組み立てられているからではないかと考えられる。いろいろな人が推計を出しているが「どれくらい中古化」が進んでいるかということはよくわかっていないようである。「もはやデフレではない」という統計も新品だけを対象にしているはずだ。小売物価統計調査の概要の説明には次のようになっている。

調査店舗で実際に販売する平常の価格を調査する。ただし,特売期間が7日以内の安 売り価格,月賦販売などの価格及び中古品などの価格は調査しない。 

一方、産業界には「新品が売れなくなった」という認識はあるようで、日経新聞までが中古市場に関する記事を書いている。

アパレル業がいびつになってしまった原因はいくつかありそうだ。アパレルは中小業者が多い。さらに、毎年流行が入れ替わり去年の服は今年は着られないという刷り込みがある。さらに、情報産業(ファッション雑誌など)が盛んに消費者を教育するので、ファッション好きの消費者は豊富な知識を持っている。彼らはITに対するスキルも業者より多く持っている。

女性に対して調査したところクローゼットの7割は着ない服だったという統計もある。ほとんどの人は着なくなった服を単に捨ててしまうのだそうだ。アパレル商品の半数が売れないという統計も考え合わせると、日本で作られた洋服のほとんどが捨てられており、実際に使われるのは定番の商品のみということになる。定番品だけしか売れなくなるのもよく分かる。結局、それ以外はゴミになってしまうのだから、最初から買う必要はないのだ。

一方で、生産性の低下についてはあまり嘆く必要がないという気もしてきた。供給側が過剰生産に陥っている原因は、ITへの支出を怠り、市場で何が起こっているかを知る手段がないからだ。政府も統計を取っていないので、何が起きているのか把握している人は誰もいない。

だが、消費者は豊富な商品知識とITスキルを持っているので、それなりに楽しく自分にあう洋服を選ぶことができる。消費者がバリューチェーンの一環をなしているというのが新しい視点かもしれない。

ただし、供給側からはアービトラージの機会が失われ、今までの仕事の一部が無償化(ユーザーが流通に参加しても給与は発生しない)するのでデフレが進行するのはやむをえないのかもしれない。

朝日新聞の「東京ガスは悪くない」論

豊洲移転問題についていろいろ書いているのだが、正直何が起こっているのかよく分からない。当初は「東京ガスが有毒な土地を都に売りつけて、政治家の一部にキックバックがあった」というようなシナリオを勝手に描いていたのだが、それは違っていたみたいだ。週刊誌2誌と女性週刊誌1誌を読んでみたが「東京ガスは土地の譲渡を渋っていた」と書いている。なぜ渋っていたのかはよく分からない。

週刊文春が仄めかすのは、石原都政下では外郭団体の含み損が表面化しつつありそれを整理する必要があったというストーリーだ。5000億円の損が累積していたが築地の土地を売れば都には莫大な資金が入るというのだ。しかし、他の媒体はそのような話はでてこない。文春の妄想なのか、独自取材の賜物なのかはよく分からない。さらに、東京都は真剣に一等地を売って儲けようという意思は無さそうだ。

誰も書いていないが、wikipediaを読むと石原氏は単式簿記をやめて複式簿記を採用したと書いてある。土地などの資産が認識されるので良さそうな方法だが、複数機関で借金しあったりしているとひた隠しにしていた問題が浮上することになる。同時期に銀行の貸し倒れが問題になっていて(こちらは普通の銀行が課さない中小企業に気前よく融資していた)その損金をどう処理するかが問題になっていた。

もし、築地を高値で売りたいならいろいろな計画が浮上していてもおかしくはないのだが、跡地はオリンピック巨大な駐車場になることになっている。後には「カジノを誘致したい」などという話ものあるようだが、公園(たいした儲けにはならない)を作ってくれという地元の要望もあるようである。もし都営カジノができれば、オリンピックで作った宿泊施設も含めて巨大なリゾート地が銀座の近くにできるわけだが、具体的な計画はなく、幼稚園児のお絵描きのような稚拙さが滲み出ている。政治家の考える「ビジネス」というのはそういうものかもしれない。

もともと、都が累積損を抱えたのはお台場湾岸エリアの開発に失敗したからだ。失敗したのは都市博で人を呼べば他人の金で開発ができ、お台場の土地が高く売れるぞという目算があったからだろう。今回は都市博がオリンピックに変わっただけなのである。ずさんさというか、商売っ気のなさがある。

その中で異彩を放っていたのは朝日新聞の経緯のまとめだ。これがどうにも怪しい代物だった。最初に書いてあるのは「東京ガスは土地を東京都には売りたくなかった」ことと「誰もあの土地が有毒だとは思わなかった」ということだ。東京ガスが土地を売りたくなかったが浜渦副知事がゴリ押ししたというのは半ばマスコミのコンセンサスになっているようだ。浜渦さんは時々殴り合いの喧嘩をする曰く付きの人物だったとwikipediaには描かれている。

いずれにせよ「読者にわかりやすく書かれた」豊洲市場移転問題のまとめ記事では誰も有毒物質のことは知らなかったが、あとで調査をした結果土地の汚染が判明したというストーリーが描かれている。これを素直に読むと「誰も悪くなかったが運が悪かったね」ということになる。日本人の「優しさ」によるものだが、これが集団思考的な問題を作り出しているということには気がついていないようだ。都政担当は記者クラブの中でインサイダー化しているのだろう。

朝日新聞の記事を読んで一瞬「ああ、そうか」などと思ったわけだが、その交渉過程は黒塗りだったという記事がTwitter経由で飛び込んできた。新しい情報が得られるというのはTwitterの良いところだなあと思う。この記事によるとどうやら「あの土地には何か有毒物質があるらしい」ということは知られていたようだ。土地を売る上では不安材料になるだろう。もともとエンジニアたちはあの工場が何を生産していて、副産物として何が産出されていたかは知っていたはずである。東京ガスが全く知らなかったということはありえない。

朝日新聞の記者も東京ガスと都の交渉記録が黒塗りだったことは知っているはずだ。これは「のり弁」資料と呼ばれ問題になっているからである。であるならば、朝日新聞の記者が書いた記事の目的は明らかだ。都当局は炎上中なのでもう抑えられないが、東京ガスに避難の矛先が向くのを抑える「防波堤」の役割があるということになる。東京ガスはマスコミにとっては巨大スポンサーなので非難が向くのは避けたいのかもしれない。

いずれにせよ油断ならない話である。どの媒体も信じることができず、各雑誌・新聞を読み比べた上でネットの読み物まで読んで総合的に判断するしかないということになってしまう。いずれにせよ黒塗り資料が表沙汰になってしまえば、誰が嘘をついていたかが明らかになってしまう。すると大型防波堤でせき止めていた洪水が一挙に街を押し流すようなことになってしまうのではないかと思う。

多分、現在豊洲問題が炎上しているのは、マスコミが「優しさ」故に問題を直視してこなかったからである。にもかかわらず一旦炎上するとそれを商売にしようとする業を持っている。よく倫理の教科書で問題になる「近視眼的な視点が長期的な問題を生み出す」という実例になっているように思える。

スマホに支配される人

先日面白い光景を見た。子育て世代は始終子供に付きまとわれている。小学校に入る前の子供は一日中、思いつきを垂れ流しており、その聞き手はお母さんだ。思考が外部に溢れているような状態なので、人間の思考というものがいかにとりとめのないものかということがわかる。

そこでお母さんは子供に古くなったスマホを与える。YouTubeを見せている間は子供は黙っているからだ。子供はかなり手慣れているようで、CMをスキップしていた。お母さんは、その空いた時間にスマホで友達と連絡を取っているようだ。結局、親子2人でスマホに向かうことになった。

ここで「ああ」と思った。なかなか返事が帰ってこない人なのだが、その理由がわかったからだ。主婦は時間がない。そこで空いた時間で友達に返信しているらしい。そこで連絡が必要な人がテトリスのように溜まってしまい「ご新規様」が受け付けられなくなるのである。時間を詰めて簡単に返信するという手段があるわけだが、それはやりたくないらしい。

これを改善するためにはいくつかの工夫が必要だ。第一に着信手段を集約する必要がある。次に情報を整理する時間を決めて、まとめて返信すればいい。言ってみればビジネスマンがよくやっているような方法だ。

一見すると「その場で返事ができない」ことが問題になりそうだが、実は最大のディレイは24時間で済む。1日経てば確実に返ってくるということがわかれば、意外と待てるものである。また、メッセージの総量が決まるので、それに掛けられる時間も決まる。さらに、注意力が散漫になることがないので生産性を挙げることもできる。

実は、この現象は、受信者・発信者ともに経験しているのではないかと思える。即時で返信がもらえるのはいいことのように思えるが、実は常に待っているという状態に陥っていることがわかる。ずっと待っているからこそ、これ以上の待ち時間が許容できない。つまり問題は待ち時間ではなく、自分のペースが作れないということなのだ。

多分「時間を決めて返信しろ」というようなことを直接アドバイスすると「私は忙しいのに、わかっていない」というレスポンスが予想されるのだが、実際には時間を決めた方が効率がよくなるということがわかるだろう。実際にそのような研究はいくつか出ている。

  1. マルチタスクで生産性が40%下がる。
  2. マルチタスクをしてはいけない理由

スマホが悪いわけではなく、マルチタスクに問題があることがわかるだろう。もっとも、常時スマホ依存をやめるためには、周りの人たちの協力が不可欠だ。

第一の障壁は人によって連絡手段が違うという点だろう。年配者ほどメールに依存する傾向がある。年配主婦はパソコンが扱えないので携帯メール+ファックスになる。一方で若年層はパソコンを持っておらずLINE一辺倒だ。急激に通信環境が変わってしまったので、かつてのように電話と手紙があれば用が足りるということはなくなっている。

さらに、周囲がそれなりのペースをつくる必要がある。下層の中間管理職や主婦のように時間の自由がきかない人たちになるとそれは難しくなる。つまり、生産性が悪い人たちはいつまで経ってもその状態から抜け出せず、生産性の良い人たちは協議して1日のペースが作れるようになる。ここでも格差が生まれることが予想されるのだ。

 

NHKが日本の労働環境の破壊を試みる

NHKが長時間労働の規制についてプロパガンダ番組を流している。メッセージはあからさまで、正社員の労働時間を減らせば、女性、外国人、高齢者が働きやすくなるというものだ。これは言い換えれば、企業にしがみついている正社員を減らせば非正規雇用の人たちの雇用機会が増えるということだ。企業は、非正規社員を増やせば人件費の大幅な削減もできるし、儲けがないときにはすぐに切ることができるようになる。

加えて、正社員を家庭に返して子育てや介護という無報酬労働に従事させようとしている。確かに政府としてはいろいろな問題が解決する魔法の杖のように見えるのだろう。

これが実現するためには「とりあえず、正社員が家に帰ればいい」と言っている。正社員が嫌な仕事にしがみついて長い時間職場に居座るのは自分の地位が脅かされないように常に見張るためだ。最近ではメールやSNSが発展しており、正社員は休日であっても通勤電車の中でも、顧客からの注文に応えなければならない。それは転落が取り返しのつかない結果を招きかねないからである。

識者たちはきれいごとを並べて、正社員と非正規雇用をスキルで評価されるべきだなどと言っているが、スマホに張り付いて顧客がクレームを言ってくるのかを待っている時間を労働時間として加算するわけには行かない。つまり、長時間労働は生産性とは何も関係がなく、正社員層の安全保障なのだ。

なぜ、このような理由が生まれたのかは明確だ。企業は人件費の抑制を20年近く続けており、非正規雇用に「堕ちて」しまうと生活が成り立たなくなるからだ。そのため労働者は生産性の向上などを考えている余裕はない。単に嫌なことを我慢しながら縄張りを守っているに過ぎない。恐怖心が生産性を向上させることはない。

それどころか散発的にイレギュラーな処理が要求されるので、生産性は著しく阻害される。例えていえば、常にリセットボタンのないテトリスをさせられているのと同じような状況に置かれているわけだ。

ここから解放されるためには、いわゆる「非正規」という人たちに正社員並みの賃金を支払うしかない。恐怖心が非生産性をドライブしていることが予想されるからである。

「格差を埋める」という言葉には高い方に合わせることと、低いところに合わせることの2種類がある。しかし、企業側のトレンドは人件費削減なので、どうしても「低い方に合わせる」ための改革になってしまいがちだ。そもそも生産性が下がっているので、高い賃金を支払うモチベーションは持ちにくいだろう。

企業の労働力削減意欲は強い。外国人の導入も多様性をつける方には向かわず、どうしたら海外に行かないで中国のような安い労働力を導入できるかという話になってしまう。地方の製造業や農村などのように、実質的には奴隷労働だと言われる外国人研修制度に頼らないと維持できない業種さえある。

真面目な話をすると、労働改革は非正規雇用が食べて行けるだけの給与を与えることで簡単に実現できる。そのためには蓄積した資本を労働者に開放すれば良い。実際にはその方向での改革は進まず、したがって労働者は自己防衛のために隠れて長時間労働にしがみつくことになるだろう。

政治がこの問題を解決できるとは思えない。最近では富山県の県議会議員が「老後に不安がある」という理由で領収書の捏造をしたのが発覚したばかりだ。こうした慣行は党派を超えて蔓延していた。他人の問題を解決できないばかりではなく、自らも同じような不安を抱えているのだから、問題を解決できるはずなどない。

政治のリーダーシップに期待できない以上、自発的に動くのは損だ。働き方改革はそのまま収入の減少に直結する。

NHKがなぜこのようなプロパガンダに邁進するのかはよくわからない。一部の正規職員が非正規プロダクションを搾取するような構造を狙っているのかもしれない。立派な放送センターの建設を画策する一方で、将来のテレビ離れを心配しており、PCやスマホへの課金を狙っている。実は将来不安に苛まれているのかもしれない。

もし、安倍政権の労働市場改革が成功すれば、正社員賃金は非正規雇用並みに抑えられ、非正規ばかりになった企業の生産性もマクドナルド化するのではないだろうか。生活を維持するためには、スキルが蓄積しないことがわかっていながら複数の仕事を掛け持ちせざるを得なくなるかもしれない。これは現在アメリカで起きていることなので想像するのはそれほど難しくないだろう。

Twitterの2ちゃんねる化と疲弊する中間層

さて、一週間に及ぶ社会実験が終わった。まずテレビで盛り上がっている豊洲移転問題について識者への反論記事を書いた。次にファッションと情報とデータ構築に関する短い記事を買き、今度はネットで盛り上がっている池田信夫と長谷川豊バッシングについて書いた。さらに築地に戻った。結果はごらんのとおり。

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築地問題がページビューを稼ぎ、ファッションでやや盛り下がった。しかし、池田信夫と長谷川豊の件で盛り返し、築地の問題ではまたページビューが下がった。集客数とページビューは比例すると考えて良さそうだ。analytics002

面白い点はいくつかある。山本一郎氏と築地の件はGoogleでの検索が多かった。山本氏は豊洲移転派なのでわざわざ検索して記事を読んでいる人が多いらしい。それに飽き足らず関連記事を読んでいる人が多いのかもしれない。

一方、Twitterは明らかにネガティブな感情にドライブされている。「テレビはもう終わりかも」という煽りをつけてタイトルは煽らずに書いたらTwitterからの流入が増えた。一方でブログ記事に石原氏は老害だと書いて、Twitterでは煽らなかったら、それほど人は集まらなかった。Twitterのタイムラインは常に他者を罵倒する扇情的なつぶやきが流れている。使用者も高齢化しつつあるようだ。つまり、かつての2ちゃんねる化が進んでいることになる。

普段の生活がポジティブなものであれば、わざわざ個人の時間を使ってネガティブな情報を探す必要はないのではないかと思う。普段の生活にネガティブなものが溜まっているからこそ、その犯人探しが進んでいるのではないだろうか。一方で、論評の内容の批判の強さと関連してページビューが集まっているわけではなく、タイトルと煽りにドライブされている。考えたり、作戦を立てる時間はなくなっているのではないだろうか。

こうした傾向を見ると、扇情的な煽り文句をつけて文章を書きたくなるが、さじ加減が難しい。大衆は高いところから他者を批判したがっている。このために明らかに地位が低いものと弱いものを叩くわけだ。しかしながら、自分が他者より「一歩優れた地位にある」ようなデモンストレーションをすると、今度は叩かれる側に転落する。人々は正義の側にたって悪を叩きたがるのだが、正義のヒーローを気取った瞬間に叩かれる側に回る。

ただ、煽るために扇情的な文章を書きたくなる気持ちはよくわかる。顕著に数字に現れるからだ。これを後追いするテレビも同じような傾向になることは間違いがないだろう。最近のテレビは毎日のように豊洲の犯人探しが行われている。

Twitterは2ちゃんねる化が進んでいるというのは間違いがなさそうだ。世界的にはアクティブユーザーが停滞しており、身売りも検討されているようだ。