ファッション雑誌の解体・カテゴリ・タグなどに関する散漫とした考察

ファッション雑誌を解体している。実際にはスキャンしてコーディネートに分けた上でウェブにアップする。著作権上の問題があり本来は違法なのだと思うが、パスワードでプロテクションをかけて不特定多数の閲覧を防いでいる。データベースに問い合わせを行い、合致した人の端末だけにセッション情報を渡す仕組みである。

なぜファッション雑誌を解体したかったのか。それはファッション雑誌がランダムに並んでいて、ルールがわからないように見えたからである。ファッション雑誌を読んでおしゃれになる人もいるのだから、一種の学習障害と言えるかもしれない。

それでも繰り返し少ない写真を見ているとコーディネートを覚えることができる。つまり、再編集することで情報を捨てているのだ。

記憶の限界と暗黙知化

人が短期的に記憶できるのは7±2と言われている。これはワーキングメモリと呼ばれる。実際にはいくつかのルール群があり、それを重層的に駆使することで複雑なコーディネートを作っているものと思われる。その作り方は明示的ではなく暗黙知化しているのだろう。いわゆる「センス」と言われるものだ。暗黙知は他人に伝わりにくいという欠点がある。長い年月をかけてルールが複雑化すると、周辺にいる人たちは「わからないからいいや」ということになってしまう。端的にいうと「ユニクロでいいや」ということになる。専門家の中には東京のファッションコミュニティは浮世離れしているという人もいる。ルールができたらそれを操作してゆくのが仕事だからだ。

ただし、ルールの操作が悪いというわけではない。もしルールに飽きることがなければ、擦り切れるまで新しい服が売れないということになる。

メタデータの付加 – カテゴリーとタグ

解体した写真はそのままでは使えないので、なんらかの分類が必要になる。付加されたデータは「メタデータ」と呼ばれる。メタデータには二種類がある。

最初のデータは「ユニークキー」+「カテゴリ」データだ。写真ごとに1つのカテゴリーが割り当てられる。カテゴリー化は「抜けなく漏れなく(MECE)」が必要だ。ファッションの場合はシェイプでMECE分類が可能である。トップスとボトムの太さでシェイプが規定できる。このほかに縦のラインが作れるのでこれだけでMECEなカテゴリが完成する。

ファッションには出自があり、クラッシック、ストリート、ミリタリー、スポーツというような分類もできるのだが、これはカテゴリーにはならない。ミックスという分類があるからである。

しかし、実際にやってみると、別の分類もやりたくなる。例えば、新しくバルマンカーンコートを買うと参考になる写真が集めたくなるのだ。つまり、カテゴリー付けのルールは柔軟であったほうが、実運用上は扱いやすい。目的はカテゴリーを作ることではなく、一覧表を作成することだからだ。

さらにカテゴリー作りそのものがトレーニングになっていることがわかる。分類ができるということは通底するルールがわかっているということである。

次のやり方はタグ付けするという方法だ。タグは最初のメタデータとは別に準備できる。「キー」+「タグ」という方法になる。ミリタリーテイストのOシェイプでは二種類のタグが一つのキー(この場合はコーディネート写真のURL)に対してアサインできる。それとは別のアプローチも可能だ。着ている服に使ったアイテムを記録して、そのアイテムに「これはワイドパンツだ」とか「ミリタリーだ」というメタデータを付加してゆくのである。これはカテゴリーの重層化だが、カテゴリ同士の関係はない。「ユニークキー」+「カテゴリー1」+「カテゴリー2」である。

実運用上のカテゴリーの数と実装

実際にはいくつくらいのカテゴリーが制御可能なのだろうか。パソコン画面で試したところ20くらいは扱えそうである。写真の実装では24ある。カテゴリー+サブカテゴリーに分けるとやりやすいのだが、実装上では単階層にしたほうが簡単だった。

これがファッション雑誌の特集の1ページということになる。それぞれ7つ程度(実際に自分で試したものと参考資料)が並べられる。

カテゴリーは単純な数字にして名前を後から変更できるほうが、簡単に実装できた。しかし、このやり方だと後で新しい分類を思いついた時に並べ替えられないということが起こる。これはカテゴリーが単基準で並んでいない(つまりMECEでない)ことから起こる弊害だ。それを解決するためにはソートキーをつければ良いわけだが、キーが2つになるというのはデータベース設計上はあまり美しくない上に予期しないバグの原因になるようだ。

構造化されていないタグの弊害

例えば、ある写真に対して、ミリタリーでYシェイプのものを集めたいとする。しかしタグはこうした構造を持っていない。SQLでデータを構造化するためにはビューでは対応できないようで、Group Contactという仕組みで情報を集めてくる必要がある。これをクライアント上で再編成するか、新しいテーブル(キー+カテゴリーA+カテゴリーB)を再編成する必要がある。例えば二次元の表を作りたい場合タグよりカテゴリーのほうが実装はしやすいが、カテゴリー設計している時には表のことまでは考えていられない。

左の例は毎日のコーディネートにアイテムを付加したもの。だがアイテムがパンツなのかジャケットなのかは記述されていないので、テーブルを再編成する必要があった。

著作権だけ守っていては解体が先行する

ファッション雑誌を切り抜いて再構築するという動きには「著作権条の懸念がある」ということは先に述べた。しかし、Pinterestのような「まとめサイト」が先行しており、キュレータによる情報の再編が行われている。Pinterestでは任意に選ばれたもう何年も昔のファッション写真が出回っているのだが、いくつかはネットワークの中心になっており、情報発信者の意図とは全く異なるデザインが「良いデザイン」としてフィーチャーされてしまう危険性が高い。どの写真が宇宙の中心になるかはランダムに決まるのだが、いったん中心になったデータは中心であり続けるという性質がある。すると、時間をかけて撮影されたプロによる仕事がうもれてしまうことになる。

ファッション雑誌では今でも「グリッドデザインが」などと言っている人たちがデジタルの専門家として君臨していると思うのだが、実際にはすでに解体が進んでいるということは知っておいたほうがよいのではないだろうか。

 

カジノの入退室管理にマイナンバーをという悪夢

恐ろしい記事を見つけた。カジノの出入りにマイナンバーカードをつかえばいいじゃないかというのだ。だが、なぜ恐ろしいのかわからない人が多いのだろうなあと考えると余計恐ろしくなった。

システムを作る時には機能、セキュリティ、ネットワークなどの要件を決める。マイナンバーカードの当初の目的は、国民の財産や収入を把握することだろう。つまり、国家が納税などを管理するためのものだ。当然国民には何の利益もないが、効率的な政府運営のためにいやいや協力してあげているというのが正直な気持ちだろう。

財産はプライバシーの最も重要なものなので、そもそも国家がそれを把握するのはどうかという議論があるが、安倍政権はとりあえずその議論は「ネグって」しまった。だが、もう決まってしまったことなので、あとは政府がことの重大さを十分意識した上で、なんとかしてくれることを期待するしかない。

だが、政府は国民のプライバシーをかなり軽く見ているようだ。そのあと様々なIDとしてマイナンバーカードを使ってはという意見が出てきた。IDとして便利だからだろうが、それは機能が次々と変わることを意味する。

ただでさえ厳しめの要件のあるマイナンバーシステムを年金の記録もれなどでおなじみの(記憶が確かならまだ解決していないはずだ)日本政府が実施するわけである。何か起きないと考える方がおかしい。ただ、やると決めた以上は、最善の努力を払ってセキュアなシステムを作るべきだ。

だが、政府は次々に新しい要件を加えようとしている。この例だとカジノの運営会社がマイナンバーシステムに接続するようになる。いわばパチンコ業者さんが銀行と同じようなシステムを扱うという提案だ。ポイントカードや消費税の払い戻しにも使うと言う話もあったので、小売業者にも開示するつもりだったのだろう。普通に考えるとどこかから漏れることになる。ごめんなさいでは済まない。

「要件を決めないままでシステムを作る」というのはプログラマにとっては悪夢でしかない。これをまともにやろうとするとセキュリティを甘くすることになる。技術力を結集して素晴らしいシステムを作るのも不可能ではないだろうが、お金と労力がかかる。要件が変わるたびにすべてやり直す必要が出てくる。こうした余分な費用はすべて国民の税金だ。役人の思いつきのためにいくら使うつもりだということになる。

過去の要件がすんなりわかればいいのだが、大きなシステムだと過去に何を決めたかがわからないということが起こる。担当者がいなくなったとか、定年したとか、過労でぶっ倒れたなどということはしょっちゅうだ。過去の要件がよくわからないままシステムを継ぎ足すことになるだろう。悪いシナリオしか想定できない。

多分、霞ヶ関の人たちは「お金を積めばなんとかなる」と考えているのだと思う。一次受けもシステムベンダーに頼めば何とかなると考えているはずだ。そうやって危険にさらされるのは国民のプライバシーだし、穴埋めをするのも国民ということになる。

だから、こうした思いつきのような提案は今すぐやめるべきだ。

友達でもないのにツイッターで話しかけてはいけないのか

面白いツイートを見つけた。背景はよくわからないが、プロのライターさんで雑誌がバックグラウンドだと思う。知らない人から「ちょっと調べればわかる」ことに関する指摘が来るのが嫌らしい。普段から余白のあるツイートをしているので、それに突っ込んでくる人がいるのだろう。

余白があるということは知的だということなのだが、現在のツイッター事情には合わない。現在のツイッターは自分の主張を叫ぶ人たちばかりになっており、知的な余白を残す余裕はない。昔の雑誌というものに知的な余白があったのかという点はよくわからないのだが、今よりはおおらかだったのかもしれない。

もう一つ感じたのは雑誌とネットの違いだ。雑誌は送り手側と受け手側が分離しているが、ネットはそうではなかった。ゴーファーあたりから使い始めた人は、掲示板の割と平等な仕組みが新鮮に映ったはずだ日本人は文脈依存だがそれほど上下格差が強くないので、ネットの平等な仕組みに居心地の良さを感じた人も多かったのではないかと思える。

個人的には葉巻の掲示板を(HTMLベースで)運営していたのだが、すぐにファンとお店の人が集まるコミュニティができビギナー、ベテラン、業者が交流していた。バーチャルとリアルのつながりもあり、掲示板を作ったということで美味しいワインを飲ませてもらうこともあった。

ネットは「リアル世界で知り合いだから気安く話しかける」などという文化ではなかったが「知らない人だからよそよそしく対応する」という文化でもなかった。

例えば葉巻という趣味はクローゼットの中のスノッブな趣味で、社会的には認知されていない。例えば上席が開示してしまうと「部下に押し付けた」ことになりかねない。ネットは好きな人だけが見ればいいわけで、社会とは違う文脈が選択可能だった。

逆に言えば社会では「好きでなくてもお付き合いしなければならない」ということが多かったのだと言える。

リアルとバーチャルを組み合わせるという文化(つまりはネット広告だ)もアメリカから持ち込まれた。例えばある葉巻会社は原宿にあるお店が新装開店するという案内を送ってきた。しかし、日本人スタッフにはぴんと来なかったようだ。日本人が集めた人たちは「自分たちのつて」で選んだリアルコミュニテイの人たちで、ネットの「見ず知らずの人たち」に訴求するという発想はなかった。ワインと葉巻の会を主催したのも香水などを扱っているマーケティング会社で、これも外資系だった。日本人はリアルのコミュニティから抜け出すことが本質的にできないのである。それだけコンテクストに依存しているということになるだろう。

最終的に日本ではバーチャルとリアルが窮屈に結びついてしまうことになった。最初に窮屈なつながりを目にしたのはあだ名でつながり合うmixiだった。職場の人からほのめかすように誘われたが「なぜと匿名でなければならないのか」意味がわからなかった。この結果、日本には3つのコミュニテイができた。

  • 匿名のままつぶやきに近いことをいい合う掲示板。リアルな空間に影響を及ぼすことを恐れていて防波堤を作っている。
  • リアルのつながりがそのまま持ち込まれたLINEのような空間。
  • 現実世界を反映しつつ正義がぶつかり合う世論。

リアルとバーチャルが強く結びついてしまうのはなぜなのだろうか。これはバーチャルでの関係性によってリアルが侵食される(つまりリアルでも同じ行動を取らなければならなくなる)と感じるからではないかと考えられる。つまり日本人は2つ以上のコミュニティを持てずに全てを同期しなければならないという前提を置いているということになる。例えばプライベートと仕事空間は別という気持ちになりにくいということだ。

さらに、相手に意見をされるということはそれに対する態度を決めなければならないという思いもあるのだろう。個人主義的な文化では「あなたはそう思っているのね、でも私は違うの」で済んでしまうのだが、日本人は「言霊」を置いてコミュニケーションが現実に影響を受けると考えている。

これは言葉だけではなく視線でさえも起こりえる。挨拶をすると目を背ける日本人が多いがこれは視線がその人を侵食すると考えるからだ。アメリカの場合は挨拶か笑顔が返ってくる。これはアメリカ人が礼儀正しいからというよりは、挨拶には防衛の意味もあるからである。視線を送ったからといってそこで関係性ができるということはありえない。

最近ではマンションで子供に挨拶をしないという申し入れがあったことが話題になった。これは日本人が挨拶=世界への侵入だと考えるからだろう。挨拶はたんに敵意のなさ(つまり攻撃しないという意思表明)に過ぎないという文化もあるのだ。

コンタクトが瞬間に関係性を作るという事例は他にもある。日本の電話機には「迷惑電話撃退機能」が付いているものがある。機械の声で「最初に名乗るように」と依頼してくれるボタンだ。もし名前を名乗らなかったり、売り込み電話だったりすると別のボタンを押す。すると丁重なガイドが流れて電話が切れるのである。論理的に考えるとボタンを押すのも「あんた誰だ」と聞くのも同じことなのだが、悪く思われたくないという気持ちがあるのだろう。

コミュニケーションが成立した瞬間に文脈が発生するということになる。これがいろいろな軋轢を生んでいるのだろうと考えることができる。

 

DeNA – パクリサイトより怖いのは何か

DeNAがパクリサイト疑惑でまとめサイトを閉鎖して謝罪会見を開いたらしい。ネットではいろいろ話題になったようだが(ネットの人たちがDeNAの経営陣について詳しい情報を持っているのにはちょっと感心した)、改めて調べてみようという気にはならなかった。

メディアが存続するためには信頼を維持しなければならない。しかしDeNAをはじめとしたネットメディアには信頼維持のための仕組みがなかったようだ。その場で儲けることができればそれでよいと考えているからだろう。

パクリが悪いかどうかは議論が分かれるところだ。最近は「引用」という体裁でコンテンツを持ってくることが横行している。これが許されてしまうのは引用がトラフィックを作る可能性があるからだ。例えば、Pinterestは全てが「パクリ」なのだが画像の引用元にトラフィックを返す仕組みがある。こうした行為はキュレーションと呼ばれる。

DeNAが炎上したのは、トラフィックを返す仕組みがなく、かつ信頼性も担保されていなかったからだろう。なかには勝手に情報を改ざんされた上に引用元としてクレジットされていた人もいるそうだ。情報を盗まれた上に信用まで傷つけられ、それを改善する仕組みもなかった。だから炎上迄止まらなかったのである。

ということで、炎上しなければ同じようなことが続いていたことになる。ネット企業で怖いのはビッグデータだ。ビッグデータは統計的データなのだが、一つひとつはプライバシーの塊といえる。プライバシーを保護しつつ、新しい知見の創出につなげるのがビッグデータのよいところだ。

新しい知見が必要なのは、暮らしをよりよくしたいという意欲があるからだろう。もし、それがないとしたら「今稼げればよい」ということになってしまう。一番手っ取り早いのがビッグデータに加工しないでリストを売り払うことだ。個人情報保護法ができて以降、リストの取得は難しくなっている。例えばベネッセは長期凋落傾向にある。ベネッセは住民票からのデータで成功した会社だが役所が情報をださなくなった結果新一年生にリーチできなくなってしまった。こうした会社はリストを欲しがっている。「リスト開拓にネットがつかえないか」とか「ただでリストをもらえないか」などとかなり真顔で考えている。

DeNAは今日が儲かれば良い会社だということがわかった。多分、ばれなければ個人情報を売り渡すことでもなんでもするだろう。バレれば企業の信頼は崩れるかもしれないのだが、日銭が稼げる。上が「やれ」といえば下はやるだろうし、実際に手を下すのは社員ではなく、契約アナリストのような人だろう。

今回はライターが社員でなかったことも問題を悪化させた。契約ライターなので、会社がなくなっても別に困らないからだ。持続可能性には関心がない。謝罪会見では次のように語られた。仕組みがあっても利用する人がいなかったのは会社を維持可能にしなければならないという動機を持った人がいなかったからだろう。

「今回、キュレーションメディア事業のみが取りざたされているが、他の事業部において不適切な運営や業務があったら是正される仕組みは整えている。それなのに今回なぜ、外部からの指摘やお叱りを受けるまで是正できなかったのか、その点は改善しなくてはいけない」(南場会長)

この件の怖いところは、一般(NHKくらいしか見ない人)レベルには全く露出がなかったという点だろう。「ネットはうさんくさい」ということにしかならないのだ。第三者機関を作ると言っているがこの結果も大きくは報じられないだろう。

第三者委員会の調査はパクリ問題に矮小化されるのだろうが、実際には儲かりそうな事業に投資して、社の成長にコミットしない契約業者に事業を実施させるという構造自体に問題がある。会社が成長したら分配する仕組みがないと事業は衰退するのである。それが分析できないと改善もできないわけで、同じような問題は再発するだろう。ただこれはDeNAの儲けの仕組みに関わっており、直ちに改善するのは難しそうだ。

DeNAはショッピングデータや医療データ(遺伝子情報)などを扱っているようだ。だから、こういった企業には近づかないに限る。

 

 

金持ちほどSNSを使うという事実

sns_income
グラフ下の数字が間違っている。実際には-75(年収75,000ドル以上)と30-(年収30,000ドル以下)だ。右の方が所得が低い。

昨日、Twitter経由でリクエストをもらったので調べ物をした。「見栄を張るのに画像系SNSを使う」というのが確かなら、画像系SNSをは所得の関係はどうなっているのかという疑問だった。調査結果はこちら

実際にはSNSによってばらつきがあった。所得が高いほどSNSを使う率が高いというのは確かだが、その傾向はバラバラだった。例えばインスタグラムは所得が低い人の方が多く使っているという傾向があるのだそうだ。

ここから言えそうなのは弱い紐帯を持っている人ほど収入が高そうだということだ。弱い紐帯というのは聞きなれない言葉だが、もともと「転職―ネットワークとキャリアの研究 (MINERVA社会学叢書)」という研究に出てくる用語だ。転職に成功した人はあまり強くないつながりを多数持っているということがわかったという内容である。

この傾向は現在でも生きているらしい。つまり、経済的に成功する人は、単に弱いつながりを多数持っているだけではなく、それを絶えずメンテナンスしているということになる。ここでいうSNSというのは、単に政治的な発言を一方的に主張し合う「破綻したカラオケ」や「セレブを一方的にフォローする」というものではなく「承認し承認される」という相互的なつながりである。

実際に高い階層にあればあるほど「パブリシティ」を意識して暮らしているのではないだろうか。パブリシティというと広告費を支払わない広告というような印象があるが、実際には自己のブランド化である。例えばヘルス企業であれば「人々の健康増進に貢献する」という印象を与えるために努力するのがパブリシティだ。高い階層の人は自分が承認されるためには他人も承認すべきだということを理解しているから、ネットワークは「破綻したカラオケ」にはならない。自己のブランド化というといやらしい響きがあるが、実際にはコミュニティの中でどう自分を位置付けるかという作業だ。

日本ではLINEとFacebookの間に違いが見られる。LINEは閉じたネットワークであり承認をめぐる争いが起こりやすい。無視されたから排除したなどというような「LINEいじめ」が頻繁に起こる。これはLINE参加者の社会的な地位が低く、閉じることによってしか環境をコントロールできないからだ。

一方、Facebookは外資系企業に勤めていた人たちや留学生を通じて広まったために「Facebookいじめ」のようなことは起こらなかった。Facebook参加者は「コミュニティに影響力を与える」ためにはどうすればいいのかを知っているのだ。つまりリテラシが高いのである。このためリテラシの低い人が間違って参加して起こる「Facebook疲れ」が起きている。身の丈に合わない生活を維持しなければならず疲れてしまうのだろう。

ただし、世界的に見ると(冒頭のグラフ)Facebookは所得が高いほど多く使われているということはないらしい。

さて、ここまで見てくると「よりよい暮らしをしたいならミューチュアルな関係性構築の方法を身に付けよ」という結論が出せる。これは最近荒れてきたといわれるTwitterでも見られる。一方的に他人を罵倒するようなつぶやきもあるし、コントリビューション(そもそもコントリビューションということすら理解できない人もいるだろう)なしにRTする人もいる。が、情報の交換を心がけている人もいて、一概に荒れているとはいえない。情報交換はコミュニティに対する貢献で、そのコミュニティは「通りすがり」程度の弱いものかもしれないのである。

唯一心配なのが欧米で起こっている動きである。成功した人の中にはより多くのサイコパスが含まれているという研究が幾つか出ているらしい。こうした人たちにとってはSNSはよい狩り場のように映るだろう。他人が自分の生活や価値観を晒しているので、利用できるからだ。逆に共感が必要な仕事は収入が低く抑えられるという傾向もある。つまり、コミュニティへの共感がいつも収入に結びつくとはいえないのだ。

 

 

ソーシャルメディアと収入の関係

面白い感想を見つけたので軽くまとめてみた。

まず、所得階層とソーシャルメディアの利用率を比べたレポートを見てみる。複数の調査を集めているので母数が調査によって異なるそうだ。

  • 学歴が低いほどソーシャルメディア利用率が下がる。
  • 収入が上がるほどSNSを使う。
  • 都市にいる人の方がSNSを使う。

お金持ちほどソーシャルメディアの利用率が高い理由は幾つか考えられる。いわゆる「弱い結びつき」が多いほど「顔が広く」なり、収入が増えるのではないかというものだ。多様性が収入と結びついているということである。プロフェッショナルほど人脈を作りたがるのだから、Linkedinなどはこうした傾向が強いかもしれない。

sns_income
グラフ下の数字が間違っている。実際には-75(年収75,000ドル以上)と30-(年収30,000ドル以下)だ。右の方が所得が低い。

Facebookももともと大学のネットワークからスタートしているので、ネットワークに偏りがあることが予想されるのだが、2015年の別の調査では違った結論が出た。収入が低い人はFacebookをよく使っているらしい。この調査は世界各国のユーザーをまとめたもののようだ。

インスタグラムについてはこれほどまとまった調査はない。たまたま見つけたものでは全く異なる結果が出た。収入の高さとは逆相関があるという。つまり貧しい人ほどインスタグラムを使っていることになる。これは2015年の調査結果とは異なる。インスタグラムを画像系と定義するなら、顕示性と画像系SNSには相関は見られないという結論が得られそうだ。むしろセレブ達の生活に憧れた人たちがインスタでセレブをフォローしているのかもしれないが、調査結果ごとにやや違った結果が出ているの詳しいことはわからない。インスタグラムは大学生レベルが使っている率が高いという結論も出ている。

日本の場合には労働環境が異なるので人脈作りが収入に結びつくかどうかはわからない。ただ、日このような記事が見つかった。やや古い記事なので外資系のサラリーマンなどを中心にFacebookが浸透したという経緯も考慮に入れるべきなのかもしれない。世界調査とは異なっていたことになる。

同じ画像系でもPinterestは収入が高い人ほどよく使われていることがわかる。ただ漫然と画像を集めただけでは面白くないサービスだし、クリエイティブな人ほど使い勝手が良さそうなサービスだ。Linkedinを合わせて考えると、目的を持ってSNSを使っている人ほど収入が高いのではないかという仮説が得られる。この延長として自己演出の一貫と捉えればよいのかもしれない。

ファッションでも「自分が着たい服」と「人からの視線を意識した服」は違っているはずで、こうした質はSNSの利用率だけでは測ることはできない。さらに「見る専門」の人と「情報発信する人」は異なっているはずだ。こうしたことは調査からはわからないので、有料のレポートを買うか、実感を足して推し量る必要があるのだろう。

今回は30分ほどGoogle検索しただけなので、全体像を掴むことはできない。もし、何かご存知の人がいれば何らかの手段でお知らせいただきたい。

 

デザイナーが引き出しを増やすためにできる便利なPinterestの使い方

ファッションについて調べている。現在のファッションは定番化と部族化が進んでいる。だから、普通の人がファッションデザインについて調べると、自分の半径500mくらいで「定番」が決まってしまうことになる。だが、たとえば、定番のカジュアル服と言ってもアメリカと日本ではかなり違っているし、日本でもMens Non-noとBitterでは異なっている。だから、選択肢が狭まるのはちょっと危険なことなのかもしれない。

最近、Pinterestの面白い使い方を見つけた。例として作ったのがアバンギャルドというコレクションだ。多分、正式な名前ではないと思う。アバンギャルドには幾つかの特徴がある。

  • 概ねモノトーンである。
  • ドレープを使っていて芯がない。
  • 形はアシンメトリーなものが多い。
  • パンツが太いことが多く、フードを使ったものもある。

アバンギャルドといっても、全く革新的なものではない。もともとは砂漠の遊牧民と着物からインスピレーションを受けているのだろう。つまり「巻きつける系」の衣服を洋服として再アレンジしたものである。最近ではD Squared2が日本をモチーフにしたようなショーを展開したことからわかるようにメインストリームでもちょくちょくと取り入れられている。

さて、ここまでは普通のコレクションなのだが、Pinterestはコレクションから同じような形のものをお勧めしてくれる。タイムラインに表示されたり、メールでのお知らせが来る。ポイントは「最初のキーワード」と違っても、なんとなく似たようなものがレコメンドされると言うことだ。そこからキーワードを拾って行けば、それがそもそも何のコレクションなのか分かるのである。

アバンギャルドと名づけたコレクションは、もともとパリコレに着物のデザインが導入されたことが源流にあるのではないかと思われる。これがSF映画に乗って広まり「未来風の」デザインという印象が生まれたのではないだろうか。

SNSと時系列情報

今朝地震があった影響で時系列情報について呟いている人がいた。これを中途半端に理解した上でツイートを流したためにちょっとした混乱があったようだ。ちょっと整理しておきたい。

元ツイートは、ツイッターは時系列だがFacebookはそうではないので、ツイッターは時系列を維持して欲しいというものだったようだ。これを流し読みしてツイッターを使っている人でも時系列ではなくなって困っている人がいると思ったの「ツイッターでも時系列にできますよ」という情報を書いた。

普段はほとんど見られていないので、これほどリツイートされるとは思わなかった。つまり、ツイッターのツイートが時系列になるということを知らない人が結構いるようだ。デフォルトではないからだろう。

しかし、元ツイートを正しく読んだ上でFacebookでもできないかという人が現れた。調べたら一応できるようだ。ただしアプリケーションの場合は設定が面倒な上に、しばらくすると元に戻ってしまうのだという。ブラウザ版の場合は左メニューのニュースメニューを「ハイライト」から「最新情報」にすると時系列単位に並ぶ。ただ、Facebookでは他人のアクティビティが割り込んだり、そもそも表示件数に制限があるらしく、完全には時系列にならないということのようだ。

このツイートをするときに少しためらいがあった。それは元ツイートを正しく読めているかというようなことではなかった。アルゴリズムを排除したら「完全に時系列に並ぶのか」という確証がなかったからである。

そもそもツイッター社はなぜ時系列を排除しようとしたのだろうか。それは会社にとって重要なツイートが埋もれないようにしたかったからではないかと考えられる。それは言い換えれば広告を出してくれる人というような意味である。彼らにとって「無意味な」ツイートが広告を埋没させることがあってはならないということになる。Facebookはさらに強硬にスポンサーの利益を守っている。避難する人がいるかもしれないが、営利企業なので仕方がないことだろう。

そもそも「間違えちゃいました」というフォロー記事なので「今後気をつけます」で終わるべきところなのだが、ちょっと考え込んでしまうこともある。

Facebookはなかなか会えない友達に最近何が起こっているかを知るためのツールでライフラインとして使おうとは思わない。Twitterも切迫したときのライフラインではなく「外国製のお楽しみツール」だ。時々刻々と起こっていることを知るためにはテレビなどを使うべきだと思うのだが、テレビを見ていると「意図的に何かを隠しているのでは」などと疑ってしまうので、とても疲れる。

ツイッターが時系列メディアとして期待されるのは、それだけ既存メディアとプロのジャーナリストへの信頼がないということになるんだろう。

トランプ大統領の外交政策が大惨事となる可能性

トランプ氏のツイートを見て、いろんな意味でちょっと背筋が凍った気がした。普段は安倍政権に対する文句とゆるいつぶやきで満たされているタイムラインで背筋が凍るような経験をすることはなかなかない。

このツイートを見ても一瞬意味が分からなかった。ナイジェル・ファラージといえばイギリスがEU離脱を決めた時に「有る事無い事」を吹き込んで離脱派を煽った前科がある人だ。最終的には「もう知らない」と言って党首をやめたのだが、後継者がいないという理由で党首に復帰したようだ。

その人がイギリスの駐米大使になればいいのにと言っている。一瞬「大使が決まったのか」と思ったのだが、そんなニュースはない。つまり、トランプ氏は(認証アカウントとはいえ)プライベートのアカウントから、イギリスに「大使はこの人がいいな」という「ツイッター辞令」を出したことになる。

イギリス人はプロトコルにうるさい国民として知られているわけだし、そもそも内政干渉になりかねない。もし、同じように日本の大使をトランプが指名したらきっと大騒ぎになるだろう。日本人はアメリカの意向を気にするから「向こうからのご指名があるわけだし」という話になりかねない。独立志向が強い(日本はアメリカの属国だからよいとして、イギリスはもともと宗主国なのだ……)イギリス人がこれを許容するとは思えない。

ファラージ氏はいち早くトランプ支持を表明していたという。そういう義理を大切にる人なのだろうということはよく分かる。安倍さんのように後から支持を表明したような人は、外様大名みたいな扱いを受けることだろう。この内と外を分ける感覚はわかりやすく発揮されている。多分、本気で指名しているわけではなく、ファラージ氏を喜ばせるジェスチャー(相手を喜ばす行為)だった可能性はある。

最近共和党の重鎮たちはトランプ氏に対して「ツイッターでの発言を控えるべきだ」と諌めていたようだ。それはアメリカ大統領の発言は国際紛争や金融などに大きな影響を与えるからである。

現に、今朝方ツイッター経由でビデオを発表し、その中にTPPから撤退するという発言が含まれていたために、日本の政治家やマスコミは大騒ぎになっている。これはあらかじめわかっていたことであり「まあ、かわいいな」などと思っていたのだが、同盟国のプライドを平気で踏みにじるようなことをする大統領は早晩大きな問題を起こすに違いない。下手をしたら、Twitter辞令で国際紛争勃発みたいなこともあるかもしれない。

「馬鹿」が変えたアメリカ政治

トランプ大統領が誕生したことでTwitterの役割が見直されているらしい。

トランプの手法は暴言で注目を集めるというものだ。これをテレビや新聞が否定的に伝える。しかしTwitterには半匿名の人がたくさんいて、多くは発言せずに閲覧だけをしている。そしてトランプの暴言はこの半匿名の人の気持ちを代表しているのだ。

この結果、トランプがかけたキャンペーン費用はヒラリークリントンを大きく下回るといわれている。逆にクリントンは多額のキャンペーン費用をポケットにしまったのではという疑念を持つ人が出る始末だ。

キャンペーン費用の安さはトランプ大統領の今後の政策に影響する可能性があるという。これまでの大統領はすべて「紐付き」政権だった。ところがトランプ大統領は安くて効率的なキャンペーンができたのでこうした「紐」がない。そのため大衆が喜びそうな政策を自由に展開することができることができると考えられている。

Twitterのようなソーシャルメディアにはいくつかの特徴がある。

  • 興味が短期的にしか持続しない。
  • 因果関係が単純化される。
  • 「隠された」情報に人が集まる。

Twitterのトピックは深く考えられることはなく、何か隠された情報があると瞬間的に人が群がる。「隠れた」といってもそれを作るのは簡単だ。たいていは二次情報なのでテレビなどのマスメディアを使って不完全な情報を流すと大衆が勝手に穴を埋めてくれるわけだ。これが特定の人に向いたのが炎上である。

Twitter向けの才能があるとすれば、それは決して自分が攻撃対象にならないことと、絶えずどのように注目を集めることができるかを考え続けることだ。あるいはベッドの中で何か考え付いたら、後先考えずに発信できるほどにしておかねばならない。これを365日繰り返せば、Twitterでスターになることができるかもしれない。

Twitterは「馬鹿発見器」と呼ばれることがある。見落としがちなのはこの「馬鹿」が集まってしまえば正義になるのが民主主義だということである。

ではどんな馬鹿が政治を動かしたのだろうか。今回の投票率は実は50%ちょっとしかなかったそうだ。前回よりも400万票ほど低いそうだが、それでも大きくは変わっていない。しかし電話調査で調査しても浮かび上がらなかった。支持を表明することが恥ずかしいと思っているのである。だが結局のところ「行動する馬鹿」が政治を変えてしまったのだ。

自分で考えることができる人は「経済界と癒着する政治家」と「ワイドショーで有名になった素人」という二者択一に嫌気がさして投票に行かなかったのだろう。この人たちは政治から排除されてしまうことになる。

今回トランプに先導された人たちに利益が還元されれば「馬鹿こそ正義」ということになるのだが、実際には搾取されて終わりになるのではないかと思う。トランプの政策は減税で政府を小さくすることなのだが、これで排除されるのは実は貧困層だ。

しかし、代わりに外国などが攻撃されている限り、この人たちは搾取されていることにすら気がつかないかもしれない。これが「トランプ大統領になると戦争になる」といわれるわけである。争いを仕掛けて自分だけは安全なところにいられると考える人だけが、大統領になれる国になってしまったのだ。