いつも怒っている人ではなく、なんとなく動く人になる

「糸井重里的なもの」と感動マーケティングの終焉について考えている。

いろいろ考えるうちに、左派リベラルと呼ばれている実際には社会主義とはなにの関係もない人たちが何に苛立っているのかということを考えるようになった。もともとは反原発・護憲の人たちなのだが、それにまつわるさまざまなものに反対しているようだ。その底流には「人間は平等であるべき」という社会主義的な思想や、これまでの既成概念に縛られてはいけないというリベラルな思想があるというわけでもなさそうだ。

彼らには「自分たちが希求する正義が全く実現していない」ということに対する苛立ちがあるのではないかと考えている。左派リベラルの意見は政治的には全て無視されている。これまで政治的意見を表明する場所がなかったので、自分の理想が実現しなくても「まあ、そんなものか」と諦められるのだが、いったん口に出した以上「無視されている」ということが明らかにわかってしまう。にもかかわらず、自民党政権は次から次へとカンにさわることを提案し続けているので、それにいちいち怒らなければならない。だから常に怒り続けているという気持ちはよくわかる。

しかしながら「糸井重里的なもの」の崩壊を考える上で、社会主義とは関係がないあの界隈である「左派リベラル層」の反発はあまり参考にならなかった。むしろ参考になったのは「あの人はなんとなく嫌いだ」という人たちの声だ。実は普段からなんにでも反対している人の動向はあまり当てにならない。むしろ、あまり関心がなく「説明もできない」人たちが「なんとなく」動いた時に、ああこれは風向きが変わったんだなと思うわけである。

「あの人たちは常に怒っているんだな」と見られてしまうことには弊害が多い。

第一に「対象は別に良いんだな」と見なされてしまい社会への影響力がなくなる。第二に雛形が明確なために「あの人たちを対象にして煽り立てるようなことを言えば一定時間は評価してもらえるんだな」という人たちを惹きつける。その意味では<商売左派リベラル>的な人も一定数いる。第三に左派リベラルを攻撃することで支持が得られる人というのが出てくる。最近では名前を聞いたこともない落語家の名前を覚えてしまったが、多分認知を得るために左派リベラル叩きをやっているのだろう。

確かに「自分と同じ考えを持っている人がいるのだな」という「つながっている感覚」は心地よいのだが、それなりのデメリットも覚悟しなければならない。さらに、もし本当に世の中を変えたいなら、いろいろなことに「とりあえず」怒り続けるのはあまり得策ではないと思う。

つまり、群衆であっても「常に怒り続ける人」と「たまに動く人」では「たまに怒る人」の方が社会的な影響力が強い。政治は常にこの「たまに動く人」の動向を気にしているので、もし社会的に影響力を行使したいなら「いつも怒る人」ではなく「たまに動く人」のように見えていた方が都合がよいということになる。

では「なんとなく動く人」に見えるためにはどうしたらいいのだろうか。

ネットには様々な声が溢れておりいろいろなことをしている人がいる。例えばTwitterで毎日のようにイラストを発表している人とか、煙突の写真をひたすらアップしている人とか、Facebookで何かのキャラクターの像を制作している人もいる。何気なくやっていることが集積することはないので、なんらかの意志を持って継続的に行っているのだろうと思われる。

ネットはこういう人たちをとがめ立てしない。世の中にはいろいろなことをいう人がいるんだなあで終わってしまうからだ。彼らがたまに政治課題に反応してそれが複数のルートから来たとき「ああ、なんとなく動くのかな」というような印象が得られる。

ソーシャルメディアが台頭すると「誰にも気にされないで何かやっている人」風な人が増えてくる。すると「この人は自分の意見を押し付けているわけではなさそう」と考え、「本当に好きなことをやっている純粋な人なのだろうな」と考えてついついその人そのものが気になってしまう。一貫性がある人をみると自動的に好ましい印象を持つという効果もある。インプレッションの回数と長さである程度の評価が自動的に決まってしまうからだ。さらにその人たちが空気を作り出しており、実際に大きな影響力を持っていると言える。実は「何気ない(風の)自己発信」にはメリットがたくさんあるのだ。

ネトウヨの人が日本国旗をTwitterのプロフィール画像に使うのをとがめ立てするつもりはない。彼らは特に自分の言動で何かを変えたいなどとは思っておらず、さらに「日本人である」という帰属意識の他に依存できるものはないから、あのような自己表現をしているだけだからである。

ネットのプロフィールに「立憲主義を守る」とか「原発のない綺麗な世の中を作る」とか「戦争反対」と書くとつながりを得ることができるので、それはそれで悪いことではない。ただし、本当に世の中を変えたいなら、それはあまりよい作戦ではないかもしれない。

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永久凍結にお怒りのみなさんへ

Twitterでのいほいさんが永久凍結処分を食らったということで怒っている人がいる。Twitterの本社に手紙を書こうという人もいるのだが、無駄だからやめたほうがいいと思う。

ルールを読むと他人を煽る行為はたとえ正義のためであってもルール違反とみなされる可能性が高い。一方ヘイトであっても、いっけん合理的な説明がなされていればヘイト発言とみなされない可能性が高い。今回の騒動は注目を集めるために過激な言葉を使ったのがルールに触れてしまったことが原因なのではないかと考えられる。一方、いっけん紳士的な態度で外国人やマイノリティを排除してもヘイトとはみなされない可能性が高く、あるいは公平性がきちんと担保されているとは言えないのかもしれない。

最近、Twitter社のアメリカ以外の規約が変わった。テッククランチによると、この規約には2つの重要な変更点がある。1つはTwitter社やその他の会社(端的にいうとテレビ局などだ)が勝手にコンテンツを二次利用できるというものだ。つまり、ニュースでTwitterの投稿を勝手に使ってもよいということである。

よく「無断でRTするな」という話を聞くのだが、ユーザーは投稿した時点で無断RTも許可したことになっている。Tweetは全世界に公開されており誰でも見ることができる状態になっているのでそれを回覧しても別に構わないという理屈である。

一見放送局に都合が良さそうなルールだが、同時に真偽不明の情報が排除できなくなるということになる。だから許諾のためだけに発信者と連絡をとるのではなく、真偽を確かめるために連絡をとるようにすべきだと思うのだが、日本の放送局は人手不足に陥っているので、この変更はフェイクニュースを蔓延させることになるだろう。

次にTwitter社は勝手にアカウントを勝手に停止することができる。例えばTwitter社が悪魔教を信仰していていて「悪魔は救世主ではない」というTweetを取り締まったとしてもユーザーは文句が言えない。仮に日本の体制を支持していて反体制思想を取り締まったとしてもユーザーはそれに従うしかないのである。

一見ひどいことのように思われるかもしれないが、Twitter社はプライベートな(ついでにいえばあまり儲かってもいない)会社であり、自分の提供するサービスをどう使っても構わない。嫌なら使うなというのが社のスタンスなのだろう。

これがひどいと思う人には幾つかの選択肢がある。最近マストドンというサービスが出ており、ここに乗り換えるという選択肢がある。マストドンはこうした検閲的な態度に批判的であり表現の自由が守られている。代替え手段があるので抗議するなら乗り換えたほうが早い。ユーザーが目に見えて減ればTwitter社は考えを変えるだろうが、いわゆるリベラルは数が少ないので自分たちの影響力のなさに直面するだけに終わるかもしれない。

次に、Tweetが削除されても構わないように、重要なTweetがある人はあらかじめダウンロードしておくと良いかもしれない。試したわけではないがCSVにも落とせるようなので、やりようによればWordpressなどに移管できるのではないかと思う。多分、自分の意見などをオンライン上に集積したい人は自分でサーバーを立てたほうが良いと思う。お金がかかると思う人もいるだろうが、最近のサーバーは安くなっているので300円程度でプラットフォームを作ることも可能だ。それも出せないというのであれば友達同士で話し合ってサーバーを借りれば良いのではないかと思う。知識がなくてWordpressなどが導入できないと考える人もいるかもしれないが、導入くらいなら教えてあげても構わない。だがやってみると意外と簡単である。さらに友達同士で宣伝しあえば良いのではないかと思う。こうやって協力体制を作っておくと発言力も増すだろう。

最後にこの文章を「Twitter社は何をやっても構わないのだ」という意味で取られると困る。個人的に凍結された経験があるからだ。当時は自分を否定されたようでかなりショックだった。記憶によれば事前通達はなかったし、事後説明もなかった。多分、プログラムを使って自動でブログの告知を流していたのがよくなかったのではないかと思う。しかし、なぜそうなるのかがわからず色々と悩んだ。Facebookからの自動投稿は問題なく受け付けられるので、あまり公平なやり方とは言えない。

Twitter社は昔から公平とは言えないが、こちらも呼び込みのツールとして利用しているだけなので、時々別のTweetを混ぜるようにしている。ブログにレスポンスをくれる人はほとんどいないので、動向を探るためには良いツールだ。だが、呼び込みにはそれほどの効果がない。時々爆発的にフックするがTwitterユーザーは飽きるのも早いのであまりいつかない傾向にあるように思える。

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Twitter民はなぜいつもイライラしているの?

ある「フリーランスの作家だか他称自称ジャーナリスト」氏が民進党が参考に呼んだ人が筋悪だったと書いていた。「嫌な予感しかしない」と書いたのだが「どうして俺のあのツイートを読んで、民進党の議員が何かをしでかすと思い込むのかわからん」というような内容でキレ気味に返ってきた。

面白いなと思ったのは、その返事が全く的外れだったことだ。僕は前回民進党の掲載しているPDFに改ざんの後があるのではないかと書いた。どうも筋の悪い情報や人が民進党に集まってきているなあという疑念を持っているのである。つまり、民進党の議員が何かするに違いないというのは、作家さんの脳内補正の結果であって、コミュニケーションの結果ではないということになる。

日本人は党派性に反応しているだけで、事実は特に重要視しないことはわかっているので「民進党には頑張って欲しいから心配しているんですよね」というようなことを書いた。返事はこなかったので納得したか、その他の炎上しそうな何かに突入していったのだろう。

普段から喧嘩腰のひとなので特に驚きはしないのだが、面白いのはこの人に「情報が役に立たないと思うんだったら自分で調査しろや」というような喧嘩を売っている人がたくさんいるということだ。つまり、わざわざ喧嘩をふっかける人がいて、自分が言っていることが100%理解されないと怒り出すという人がいることになる。結果<議論>が荒れるわけだが、どうしてこういうことが起こるのだろうか。

一つにはこの作家氏がどうも「自分が考えている通りにことが進まない」ことに大変イライラしているという点だ。自分の判断基準がありそれに沿わない人がいることが許せないのではないかと思う。こういう人はよく見かけるが、議論には向いていない。議論とは誤解や知識のなさを埋めて、相手を説得するための技術だからである。そもそも成功するかがわからない上に、人と自分は意見が異なるということが前提なっている。村落的な状態で育った人たちはそもそも議論に向いていない。

ということは裏を返せば「知らない」ことが前提になっているソーシャルネットワーキングサイトは荒れないということである。

さて、最近新しいSNSを二つ始めた。一つは外国人の疑問に答えるQUORAというものだ。何回か答えを書いたが、普段当たり前と思っていることを改めて調べるといろいろな発見ができて面白い。例えば「日本のレストランに箸を持ち込んでも怒られないか」という疑問について調べていて、割り箸をやめてマイ箸を持ち込もうという運動があるのを知った。さらには割り箸は間伐材だから特に環境を破壊していないという意見もある。

次にWEARの投稿もやっている。こちらはみんな自分の服を褒めて欲しいわけだから、あえて他人の服を悪し様にいうことはないし、そのような仕組みもない。興味がなければそのままスルーすれば良いという仕組みになっている。実践が中心のSNSは荒れることが少ないわけだが、知らない人が知っている人を参考にするという仕組みがあり、うまく機能していると言えるだろう。

Twitterが荒れがちなのは、参加している人が答えを知っていると思っているからだろう。例えば、反安倍の人にとっては、日本の政治がよくなるためには安倍首相が今すぐ退陣しなければならない。これがなかなか起こらないからみんなイライラしているわけである。

これを打破する方法はいろいろあるのだろうが、SNSの例からみちびきだせる答えは2つあるように思える。一つは新しい視点を取り入れてゆくことで、もう一つは実践を伴うということである。新鮮な視点を得ることには喜びがあり、その分イライラが軽減される。

そう考えると、日本語のTwitterで議論が成り立たないのは、日本人のメンタリティや言語の構造などとは全く関係がなく、単に新しい情報や視点が入ってこないことの裏返しなのかもしれない。いつも同じような人たちが同じようなことを言っている環境というのは、改めて考えてみるとかなりフラストレーションが溜まる状態なのではないかと考えられる。つまり、新しい視点や知識は酸素のようなものなのだ。

だが、それを打開するのは極めて簡単だ。最近では様々なSNSがあり、特に海外旅行したり、繁華街に出かけて行かなくても様々な体験をすることができる。例えばかつて流行を知ろうと思ったら街に出て写真を撮影するしかなかったわけだが、これは一歩間違えると「俺を撮るな」と通報されかねない行為だった。だが、今では自分から進んでコーディネートを紹介して、アイテムを買う場所まで教えてくれるのだから、つづづく便利な時代になったものだと思う。

やはりネットというのはうまくつかえばとてつもなく便利な場所なのである。

メールの盗聴システムを騒いでいる人たちに言いたいこと

アメリカが日本にメールの盗聴システムを提供したというのが話題になっているようだ。朝日新聞にも記事が出ている。

が、なぜ騒ぎになっているのかよくわからない。なぜならばメールは盗聴されるものだからである。だからメールは「誰かに盗み見られてもよい」ように書かなければならない。

これはメールの根本的な仕組みによる。例えば、あなたが共産党より左側にいる組織のメンバーで、自宅のパソコンから組織にメールを送るケースを考えてみよう。あなたのパソコンはプロバイダー経由でメールを発出するわけだが、それが直接極左組織に届くことはない。どうがんばってもどこかのサーバーを経由する。つまり経由地のサーバーが暗号化を施していなければ、途中経路のメールは盗み見られてしまう可能性があるのである。だから極左組織のメンバーであるあなたはメールを使ってはいけない。

これを防ぐための仕組みは提供されている。例えばG-mail(フリーメールだから安全じゃないと思っている人もいるだろうが、かなり安全なシステムだ)はメールの暗号化に対応しているそうだ。メールそのものが暗号化されれば、途中で盗み見られても中身がわからない。

だが、たまたま見かけた2016年の記事によると、暗号化に対応しているプロバイダーはほとんどないそうだ。また、暗号化は途中経路の暗号化のようで、メールそのものは暗号化されていないようだ。こうした暗号化されていないものを「平文」という。平文のメールは途中で開けられたらそこで中身が見られてしまう。かといってメールそのものを暗号化してしまうと、到達しなかったり、到達しても相手が読めなかったりということがある。いずれにせよ、暗号化の動きが広がっているのは、CNETによると政府がメールを盗み見ようとするためだという。

スノーデンの文書について本当に知りたいのは、こうした通信がSSL対応した通信網(SSLにもいろいろなバージョンがある)にどれくらい有効かということなのだが、かなり前の資料になるはずなので、現在の仕組みにどれくらい対応しているかはわからない。というわけで資料としてはあまり意味をなさないのではないかと思う。

クレジットカードの文章も当然盗み見られるのだから番号は知られていると考えたほうがよい。Amazonで買い物してもフルのクレジットカード番号を記載しているものはないはずである。いずれにせよ、明細をチェックして怪しい動きがないかはチェックしておいたほうがいいし、余計なカードは作らないほうがよいだろう。

だが、こうしたシステムがテロの防止にどれくらい影響力があるかはよくわからないところである。例えば国家転覆を狙うテロ組織は当然中国共産党から支援を受けているだろうが、中国といえばサイバー攻撃が盛んな国だ。彼らは当然暗号化された連絡手段を持っているだろう。一方、一般庶民のメールは盗み見放題ということになる。

ということで冗談で「〜さんをやっちまおうぜ」というようなメールを送るのはやめた方が良い。共謀罪が成立すればそれを受け取っただけで罪に問われる可能性が出てくるからだ。

なお、メールを使うよりは、SNSのメッセージアプリを使った方が安全性は高くなる。いろいろなサーバーをホップすることはないからだ。しかし、例えばLINEは捜査機関に情報を開示しており(開示した件数も公表している)絶対に公的機関にバレないということはない。リンク先は、令状に基づくものがほとんどだったと書いてある。つまり「令状に基づかない」ものがあるのだ。

多分、メールを盗み見るというのは、違法ないしは違憲なのだと思うが、戦争はいたしませんという憲法を持っていてもこの体たらくなのだから、憲法で信書の機密性が守られているなどと信じるのはあまり得策ではないのではないだろう。現在の法体系では少なくとも政府がメールを盗み見るなどということは表沙汰にはできないだろうが、既成事実を作って法律さえ変えてしまえばそれも可能になる。共謀罪の成立過程を見ていると、政府はもはや一般人も網にかけるつもりでいるらしく、それを隠そうともしないので、いわゆる「監視社会」が実現する日は遠くないのかもしれない。

できるだけ手間をかけずに趣味の写真をまとめる

Webサイトを使ってコレクションの写真をまとめて発表したい。でも、できたらシステムのメンテナンスではなくコレクションそのものに集中したいですよね。そこで写真の管理を極力簡単にするようなワークフローを考えてみました。準備するのはPHPが動くウェブサーバーとMacintoshです。globは4.3以上で動くそうですがもうPHP5じゃないシステムは残っていないと思います。最新のバージョンではWeb共有はなくなってしまいましたが、ローカルでAppacheを走らせることは可能だそうです。

まずコレクションの写真を撮影したら作品ごとにフォルダーを作ります。Macintoshはフォルダーに写真を貼り付けられるのでフォルダーのサムネイルを写真にすると整理が楽です。Windowsの人はどうやって写真を管理しているのだろう。

  1. フォルダーを作る。
  2. コマンド+iで情報を表示しフォルダーアイコンを選択。
  3. 好きな写真をコピーして、貼り付けます。

前回作ったシステムに導入してゆくのですが、今回はあらかじめディレクトリとタイトル情報を配列化しておきました。こうするとデータベースを作らなくて済むので楽です。管理画面を作る必要もないし、phpMyAdminを毎回叩く必要もありません。で、コアになるコードはこれだけ。ファイルはアルファベット順に読まれるので時系列順に名前をつけておいたほうがいいです。これでファイルを追加するたびにデータベースを書き換えたりHTMLを書き換えたりする必要はなくなります。

foreach (glob($dir,GLOB_BRACE) as $imagefiles){
echo <<<EOF

<div class=”item”><a href=”$imagefiles” rel=”lightbox[images]”><img class=”centerimage” src=”$imagefiles” alt=”image”></a></div>
EOF;
}

<script src=”masonry.pkgd.min.js”></script>を使うと自動でグリッド上に並びます。Masonryなどは別途ダウンロードしてください。スマホでの表示を考えると横幅280ピクセル位がよさそうです。帯域が狭いときはサムネイルとなどを作ったほうがいいのかもしれませんが、面倒なので今回はやりません。回線が早いと読み込みにさほど時間もかからないので便利な時代になりました。サムネイル作りはPHPで自動できると思います。

<script src=”lightbox2/src/js/lightbox.js”></script>をライトボックス化のために導入します。面倒なので自分でプログラミングはしません。ライトボックスを使うとこのように大きな画像が表示できます。スマホで試したら自動で表示変更してくれました。ただスワイプじゃないのでちょっと気分が出ません。スワイプで使えるプラグインも探せばあるかも。 Masonryは最初の読み込みで不具合がでることがあるので、イメージがロードされた時に並べかえが必要です。そのためにもプラグインを導入します。<script src=”imagesloaded.pkgd.min.js”></script>です。イメージがロードされたらこれを読み込むと画像が整列するという仕組みです。

$(function() {
var $container = $(‘#container’); $(‘#container’).imagesLoaded( function() {
$container.masonry({ itemSelector: ‘.item’, isFitWidth: true, isAnimated: true
});
});
});

で、グリッドが自動なので縦と横の写真が混在していても大丈夫です。スマホでもなんとか表示できます。

DISQUSを使えばコメント欄もつけられます。Twitterでシェアなどもできますが、その場合にはmetaタグなんかを整備しておいたほうがいいです。これで、写真を軸にしたSNSも簡単に作れるわけです。今回の例は植物なので時系列で並べてますが、ジャンル別にディレクトリを分けてもいいと思います。

奥野総一郎議員の辻立ち

愛生町の道端で民進党衆議院議員奥野総一郎さんが辻立ちしていた。先週も殿台のローソンの前で拝見したので多分週末にはやっているのだろう。こういうことでしか日本は変わらないんだろうなあと思いながら通り過ぎた。

この話、当初は「希望はないけど、だったら気持ちが大切なんだよな」という筋で話を考えていたのだが、一晩寝かせてみて「意外とチャンスなのでは」と考え直した。ポジティブなアイディアというのはとても重要なように思える。

さて、話を元に戻す。正直言って民進党には全く期待していない。信号待ちの間の一分くらいで聞いた内容は「明治期に戻って人に投資すべき」という内容だったのだが、ぱっとしない内容だ。民進党のこの「人に投資しろ」はその後消費税の増税議論につながる。しかも自分たちで言い出すつもりもなく自民党にやらせてがっかりした有権者の票をもらおうというさもしささえ感じさせる作戦なのだ。日教組がバックの議員もいるので、教育現場に利益誘導するつもりではなどと考えてしまう。

にも関わらずこの辻立ちがいいなと思ったのは、多分誰にも知られないような活動だからだ。多分、駅(田舎とはいえ、駅くらいはある)とかショッピングモールみたいなところで演説したほうが効率的なわけだし、場所を決めて予め告知するともっと集客ができるだろう。人気がある議員や著名人を呼んでくるという方法もある。

ではなぜそういう演説会がつまらないのか。それは「安部打倒デモ」みたいな内容になることが大いに予想されるからである。この「安倍倒せ」は一部では猛烈に盛り上がっているが一般的な広がりは一切ない。つまり、予めトピックを決めてしまうと、想定の範囲にしか話が広がらない。

であれば「国会議員なのに、こんなところにも来るんだ」という驚きがある。一回や二回では変わらないかもしれないのだが、続けているうちに少しづつ印象が変わるかもしれない。

今の民進党には「何も期待しない」という人が大半だろう。蓮舫代表になってから「民進党って口先だけだよね」感は増した。多分テレビ的なパフォーマンスはできるんだろうが、全く驚きがない。テレビ慣れしすぎた人を起用したのはよくなかった。「地道さ」とか「実直さ」は今の民進党にもっとも足りない資質だろう。

Twitterを使って民情を煽るという方法ももちろん考えられるし、これは有効に使ったほうがいい。しかしTwitterは破壊行為には向いているが建設的な議論はできない。それは人々が「予め想定された範囲」でしか発信もリアクションもしないからだ。

さて、ここまでが寝る前に考えた話の筋である。驚きと実直さのアピールからはじめるのがよいのではないかというものだ。しかし一晩寝て考えがちょっと変わった。

これに車載(自転車で回っているのだが)カメラとPCと通信装置をつければライブ配信ができるわけだ。これをYouTubeなどで流しておいて人を集めるという手があるよなと思ったのだ。国家議員YouTuberという人はいないと思うのだが、国会議員に言いたいことがあるやつはここに集まれなどとやれば、ライブイベントの出来上がりである。

この国会議員YouTuberのメリットは、今までにないアイディアや不満などが直接聴取できるというところだろう。民進党は「言いたいことだけいう」という一方通行的な政党なのだが、彼らがいうことを誰も聞いてくれないという状態にある。

Twitterに欠けているのは「話を聞いたり、読んだりしてくれる」受け手だ。辻立ちは人の話を聞くよいチャンスなのだが、単にのぼりをもって演説している人に話しかけるのはなかなかハードルが高い。ライブ配信はイベントとして楽しそうだし、話しかけるきっかけになるのではないか。

意外と地道で地味な活動が最先端に近いのだなあと妙に感心した。まあ、民進党の議員がやるかどうかはわからないが、街頭演説をやっている議員は多いので、そのうち誰かが始めるだろう。

 

もう着るものに迷わないシステムの構築

もともとは 「向こう一週間の最低気温が5度を超えたら植物を外に出す」というようなシステムを作りたかったのだが、ライブドアのAPIでは最低気温・最高気温も今日と明日のものしか分からない。そこで今日の気温をもとに何を着ればいいのかを薦めてくれるというシステムを作ることにした。

まず下準備として写真にコートやジャケットなどというタグ情報を追加しておく。気温が7度以下になったらコートを着るなどというように決めておくのだ。ポイントになるのは10度近辺だとコートもジャケットも着られるが、7度くらいになるとコートしか着られないというように条件が細かく変わる点だ。

次にライブドアのWeather Hackからお天気情報を引っ張ってくる。今回は千葉市(120010)を選んだ。リクエスト結果がJSONで戻ってくる。PHPの受け取りは意外と簡単でfile_get_content($url)で受け取り、エンコーディングを整えた(多分UTF-8なのでそのままでもよいと思うのだが)うえで、 json_decode($json,true)する。すると配列に情報が入るのであとはprint_rで中身を確認しつつ必要なデータを取り出すだけ。意外と簡単だ。

お天気情報配信はRSSが多いようでこれだと少し使いにくい。Yahoo! はこのタイプ。

さて、個人的に使うものを世界中に発信するわけにもいかないので、いつものようにログイン情報がないと「使えない」旨の表示を出す。ただしお天気情報そのものは商用利用しなければ使っていいですよという仕組みのようなのでそのまま表示する。

ログインすると写真が表示される。例えば気温が7度以上で10度未満だと、コートは表示されないがセーターとジャケットが表示されるようにする。if($max < 7){コート}elseif{ジャケットとセーター}のようになる。とても簡単。

気に入らないコーディネートが表示されたら、ボタンを押して別のイメージをランダムに表示する。データベースをもう一度読むことはなく、予め該当する写真のURLをブラウザ側で蓄積しておく。JavaScriptを利用している。

同じことを、ファッション雑誌でやろうとすると朝起きたときに雑誌をひっくり返して、好みのコーディネートを確認するということになり現実性がない。例によってスマホで見てみたのだが、お天気とコーディネートを一覧するのには明らかに不向きだった。ただ、画像そのものをボタンにするなど工夫をして、とりあえずコーディネートを表示するようなシステムを作ることは可能だ。

このようにファッション雑誌もオンライン化すれば工夫によって様々な再利用ができることがわかる。

タグシステムを作る

ということで、1システムを作り終えたので、ためしにもう一つ作ってみた。だいたい2日くらいで50枚の写真(今度は寄せ植え)をタグとカテゴリーで管理するシステムを完成させることができた。

散発的に作っていると「あれどうやって作るんだっけ」ということになるのだが、一通りレビューしてからやるとその時間が節約できる。こういう技術が集積したミニシステムは意外と重要なのかもしれない。一つの作業に入るまでの時間を「オーバーヘッド」と呼ぶのだが、役職が明確でない現在の正社員層の人たちは大変なんだろうなあと思う。

発想と作業が不可分に結びついているということもある。着手する前にあれこれ考えたのだが、結局パソコンの前に座って作り始めたほうが早かった。最初はjQueryを使った難しいシステムを考えていたのだが、フォームにボタンを足したり外したりすればいいのだということに気がついた。で、小さなスクリプトを書くと動いた。こういう集積が大きなプログラミングにつながってゆくのだ。逆にいくらやっても動かないとモチベーションが下がる。今回作った仕組みは標準のjavascriptでできてしまう。と同時にリクエストを発行しサーバー側で管理することにした。

実際にはデータベースがエラーを返すことがある(あるいは動いていない可能性もある)ので、ボタンをサーバー側で発行してajaxで戻してやってもいい(というより本来そうすべき)なのだが、できちゃったし使えるからいいやと思った。

実際に難しいのはUIの部分かもしれない。ボタンなので押すとデータが消えてしまうし、間違いが許されない。Wordpressではタグの横に小さな×印がついている。PHPで整形してから戻してやるとか、javascriptだけで構成する必要があるのだろう。文字が入力されたフォームを消したり、Enterキーだけでフォームをサブミットしたりと、細かいところで使い勝手のよさが変わってくるはずである。こういうのは職人技の集積なのだろう。

いずれにせよいったんタグが作れると、すべてのタグを取り出してメニュー化できるので写真の一覧システムが作れる。今回は寄せ植えなので「使っている植物」がタグになった。

前回のシステムではカテゴリーもデータベースに入っていたのだが、今回は配列で対応した。前のシステムではカテゴリが数字になっていてそれに対応する名前を付ける仕組みなので後からカテゴリ名が変更できるのだが、今回は配列を変えてもデータには反映されない。カテゴリ名を試行錯誤しなければならない場合(カテゴリ作りそのものが学習の一環になっている)とそうでない場合(今回は季節と植木鉢の種類)では、作り方が違うということになる。

しかし、何かを分類するためには「タグ」と「カテゴリ」があると良いということは分かったので、さまざまな写真の分類に利用できると思う。

ライフログの大切さ

今日はライフログの大切さについて考えたい。ライフログとは毎日の生活を記録したものだ。ライフログはどうして大切なのだろうか。

モチベーションの維持

第一に習熟度が分かる。去年の秋からダイエットをしている。徐々に体重を減らして5kgくらいやせた。とはいえ1カ月にikg減るか減らないかというペースなのであまり面白くない。だが、去年秋に買ったトップスを着ると「うわ、こんなに体型が違うんだ」と思うこともある。例えば毎日写真を撮影していればその進捗が中期で分かるだろう。写真を撮影してもダイエットそのものにはつながらないのだが、モチベーションの維持はできる。見た目で成果が上がらない場合にはライフログはきわめて有効だと思う。

無駄な買い物をなくす

次に計画上手が立てられるようになる。これはライフログに学習効果があるからだ。例えば、過去に作った寄せ植えの写真を撮影している。何気なく作ったものを後から見直すと意外と絵になっていることがある。作っているときにはあまり良さ(悪さもだが)が分からないのだ。これを時系列に並べると計画も立てやすい。いつごろ何を植えればよいかが分かる。

これとは別にクローゼットの中身をすべて撮影している。このブログでも何回か書いているが、ファッションが分からないので勉強したいと思っているのからだ。システムを組んで何をいつ着たかがわかるようにしている。必然的にクローゼットの一覧ができるのだが、これを見るだけでも「こういうアイテムはよく着ているんだな」とか「これが足りないな」ということが分かる。現在登録アイテム数は170程度なのだが、これくらいであれば一覧処理は可能である。こうして記録すると無駄なアイテムを買う必要がなくなるし、失敗したものを再び買わなくてもすむ。ファッションの場合「こなせないけど好き」というアイテムがあり、そういうのばかり買ってしまうことがあるのだ。

歴史的価値

大げさだと思うだろうが、ライフログには歴史的価値がある。例えばジーンズはめまぐるしく変化しているが、このアーカイブが意外と残っていない。雑誌が記録しているはずなのだが、ファッション雑誌は1年くらいで売れなくなってしまうらしく、廃棄されてしまう運命にある。逆に1990年代のMen’s NON-NOなどが3000円くらいで売られている。不景気のせいなのか古本屋も淘汰されていて通販でしが買えないことも多い。意外と「ちょい前」の情報がないのだ。

普段着ているもののような「下らない素材」はほかにもある。例えば高度経済成長期の超合金なども現代であればアーカイブの価値があるだろう。こうした情報がまとまっているというのは大きなことなのである。

情報はあふれているが見たいものがない

現在、Twitterなどで情報があふれている。さぞかし必要な情報が手に入れやすいだろうと思うのだが、意外とまとまった形で保存されていない。これはTwitterなどのSNSが引用形で流れてゆくメディアだからである。

さらにコンテンツ制作のためにお金をかけないことが流行しており、まとめサイトが氾濫している。これも引用なので情報の集約には役にたっていない。偽情報を拡散しているだけだったりする。これは彼らのいう「情報」が一次情報ではないからだ。で、あらためて一次情報って何だろうかと考えると、それぞれは、作った弁当とか、着た服とか、歩いた距離と方向とか、こどものおもちゃなどの下らないデータの集積なのだ。

それでも、意識して選んでいると、すこしづつ何かが分かってくるのは楽しい。多分、学習には快感が紐づいているからなのだろう。画像アーカイブはWordpressなどを使ってもそれなりに楽しめるが(エントリーにカテゴリーとタグが付けられるので1枚1エントリーにすると良いのかもしれない)、手作りでデータベースとプログラミングが楽しめると、柔軟な画像データベースが作れる。サーバーは1カ月ワンコインくらいから手に入る。

Twitterで社会正義を追求したり有名人の不正を正したりするのも楽しいのだが、現実が1mmも動くわけではないし、情報が拡散されるだけだ。情報を拡散したら集約する側に回ってみるのも悪くないのではないだろうか。

画像をストックするサービスを作る

ファッション雑誌を集めている。コーディネートの参考にするためだ。スキャンしてウェブサーバーにアップロードする。「公開」状態になってしまうとまずいので、ユーザーIDを入力してアクセスを制限する。

スキャンの自動化

スキャナーした写真はそのままでは使えない。多分ページをバラバラにしてそのまま保存すると言うこともできるのだろうが、コーディネートだけを切り取って色彩を補正する。これは手作業が必要だ。リサイズは自動化できるのだがエラーも多いので手作業でやっている。しかしファイル名を整えるのにはアップルスクリプトが使える。ファイルをドロップすると連番と日付を付けてくれる。

メタ情報が重要

写真が100を超えてしまうとどこになにがあるか分からなくなる。そこで、データベースに情報を入れておくのが重要だ。付加する情報は試行錯誤の後、次の4つになった。

  • 時期(年・月)
  • どの雑誌(あるいはカタログ)から抜いたのか:出典
  • カテゴリー
  • タグ

時期の情報は意外と大切で、例えばジーンズの形が時代によってかなりめまぐるしく違ってくるなどと言うことが分かる。だが実際には雑誌によってかなり時代性が異なるので、出典ごとに並べたほうが分かりやすい。

すべての写真はなんらかの目的のために収集されているので、何らかのカテゴリーに分類できる。カテゴリーはある程度の決まりを作ったうえで分類しないと収拾がつかなくなる。一方タグはいくつでも思いつくままに作れる。1つの写真に複数のタグということも可能なのだがUIはやや複雑になる。1つに写真に1つのタグでもそれなりに使える。

つまり自由に使える分類と固定化した分類の2つがあると利便性が増すのだ。

インターフェイスとスマホ対応

レスポンシブルデザインができて当たり前みたいな風潮があるので、最初は両対応にしようとしたのだが、これはやめたほうがよさそうだ。PCは一覧性がメリットだが、これをスマホで再現すると写真が良く見えない。ポイントは「予め写真の大きさやプロポーションが決められない」という点であり、既存のグリッドデザインでは対応できない。ただ、ウェブでみるためには写真の高さは640px程度に抑えておいたほうがよい。

PC版で異なる大きさとプロポーションの写真を並べるためにはmasonryというプラグインが使える。Pinterest(あるいはテトリス)のように写真が並べられるのだが、可変グリッドと言う名前がついているそうだ。jQueryを利用している。メニューはアンカーで並べたほうが全体像が掴みやすい気がする。

一方、スマホは写真を一枚づつスワイプしたほうがよい。FlickityというjQueryのプラグインが使える。写真の高さをCSSで(imgタグではなく)100%指定した上で並べるとそれなりの閲覧性が得られる。メニューをアンカーで並べるとうるさいのでプルダウンメニューを多用することになる。リストをプルダウン化するプラグインもあるのだが面倒なので利用しなかった。

これを切り替えるのだが、ありものを継ぎ足して作ったためにかなり場当たり的な構造になっている。切り替えにはJavascriptを使う。自作したほうがよいのだろうが、ネットには簡易的なものが落ちている。ただし、当たり前だがPCではスマホのデザインも使える。ということで実際にはスマホでアクセスしてきたときだけ、スマホ専用のデザインに切り替えるようになっている。

後作業

今回は数年に渡って開発したものを継ぎ足しながらシステムを作った。当初はlightbox.jsなどを利用していた。これはprototype.jsを使うのでjqueryベースのスクリプトとはあまりコンパリビリティがない。またタグ付けのシステムは画像をリストアイテムとして扱うのだが、可変グリッドシステムはdivを使っている。このためこの2つのインターフェイスには互換性がない。

本来ならば、使われているスクリプトやメニューを外部化したり整理したりということが必要になるのだろう。データベースのアクセスも2つのやり方が混在していたりする。こういうリファクタリングをやらないとプログラミング上手にはなれないと思うのだが、なんとなく「動けばいいや」と思ってしまうところがある。最初から別のシステムを作り直してもよいかもしれない。

行動が楽になる

画像データベースに限らないと思うのだが、こうしたシステムを作ると行動が楽になる。例えばカーディガンを着るときに「過去に見た写真」を数ある雑誌から探すのは面倒だが、このシステムを使えばスマホの画面から一発でほしい情報に到達できる。