災害伝言板の使い方を確認しておきましょう

鳥取県で地震が起きた。「ああ、大変だなあ、日本は地震が多い国なんだなあ」と思ってからふと我にかえった。家族がたまたま鳥取を旅行しているのだ。そもそも鳥取なのか島根なのかよく分からなかったし、テレビで出てくる地名がどこを指しているのかということも分からない。

どうやら火災が起きたり土砂崩れが起きるなどの甚大なことは起こっていないようなのだか、それでも心配になる。連絡が取れればよいだろうと考えて携帯電話に連絡を入れてしまったわけだが、そのあとで災害時には電話しちゃいけないんだっけなどと思った。留守電につながったのだが、その場で取れなかっただけなのか、つながらないのかがよく分からない。

そこでauに「電話がつながりにくくなっているのか」という問い合わせをした。問い合わせセンターは新潟県にあるらしく、センターのバイトのお姉さんは「私言われたことだけやっています」という感じだった。そこで上位の人に出てもらったのだが、まったく要領を得ない。「鳥取市中心でつながりにくくなっているという情報はあります」という。

※クレームがこないとも限らないので、お断りしておくと「このオペレータは責任感がないバイトだろう」と思ったのは私の主観です。実際にはスクリプトの問題なのですが、これを書くと長くなりそう。

後で分かったのだが、地震の中心は倉吉市あたりで鳥取市とはずれている。次に災害伝言板という言葉を思い出したので、それを聞いてみたのだが、オペレータは「言われた質問には答えるが一切提案はしない」という姿勢を崩さないのでよくわからない。

このブログで何回も書いているが、分からないのは「概念のフレームワーク」ができていないからなのだが、ロボットのオペレータはそれを理解しないのだ。多分、お客の心理的なステータスがどうなっていて何を知らないのかということを考えないとクレームが増えるだろうなあとは思うのだが、バイト感覚で責任感に乏しいオペレータは知ったこっちゃないのだろう。

そうこうしているうちに留守電を聞いた家族から連絡が入ったので、オペレータの方はガチャ切りした。罪悪感はあった。ひどい災害の場合、こういう問い合わせは増えるだろうし、オペレータを占有しているという気持ちもある。だが、どうしていいか分からないのだ。キャリアはこうした混乱が起こらないように、紋切り型でもよいから標準スクリプトみたいなものを準備しておく必要があると思う。

慌てた理由はいくつかある。家族は「災害時には伝言板を使おう」と考えるほどのITリテラシはない。だから電話がつながるかつながらないかということはかなり大きなことなのだ。

また、オペレータはしきりに「auは伝言板を準備していてauの携帯電話から聞ける」と繰り返すのだが、これがNTTやインターネットとつながるかということは分からない。それでもオペレータは自分の会社が準備しているサービスについて案内しようとする。「操作方法をお教えしましょうか」などというわけだが、連絡を取りたい家族が登録方法を知ってどうするのだろうか。

今日改めてauのページを見てみたのだが、やはり世界中のすべての人たちがauを使っている前提で説明をしている。世の中にスマホを使わない人がいたり、パソコンからチェックする人がいるということは想像していないようである。Docomoは少しマシだったがやはり不親切だ。この分かりにくさが緊急時に余計なトラフィックが増える要因なのだ。

実際に操作してわかったのだが(現在は各社とも伝言板を開設している)各社ともデータベースを相互開放しているようだ。だから、ユーザーはキャリアを意識せずに自分がアクセスできるインターフェイスを使えばよい。

Docomoの場合はiMenuのトップに「災害伝言板が提供されている」という案内が出る。iMenuはとても見にくいのだが、災害伝言板は簡単なインターフェイスだ。そこに選択肢がいくつかあり簡単なメモが10件登録できるようになっている。

一度登録したら、各社が提供しているインターネットインターフェイスに行く。試しにauの準備するURLに行ってみた。そこでDocomoの番号を入力するとデータを引き当てる。詳細はNTTが準備するインターネットインターフェイスから閲覧する仕組みである。もちろん携帯電話からも確認は可能だ。

ごちゃごちゃと書いたが、結論としてはユーザーはキャリアを意識する必要はないということだけ知っておけば安心だ。あとは自分の携帯電話からの登録方法が分かればよいということになる。

いざというときに慌てないようにするためには、一度システムを使ってみると良いと思う。だが、実際に怖い思いをしないとなかなかやる気になれないということがよく分かった。だが、システム自体は単純なものなので、いったん使えば簡単にマスターできるだろう。

洋服が売れないのは選択肢がたくさんありすぎるから

ということで、近所にあるアウトレットモールに行ってきた。そもそも太ってしまい洋服が似合わなくなったことから始まった「プロジェクト」も終わりである。今回の一応の結論は「豊富すぎるから買わなくなるんじゃないだろうか」というものなのだが、急がずにだらだらと行きたい。

もともと洋服が似合わなくなり古着屋で買った280円のパンツなどを使っていたのだが、さすがにそれはまずいだろうということになり、いろいろ洋服を探し始めた。ユニクロ、GU、古着屋、ヤフオクの四択だ。DIESELのストレートジーンズとGUの980円ジーンズを手に入れた。

それでもひどい感じだったのだが、どうやら体型が崩れているのが理由のようだった。腹筋運動をしたり、姿勢を改善したりしてこれを少しだけマシな状態に戻した。要するに再び鏡を見たわけだ。

さらにネットや雑誌で情報を仕入れて、中古屋でトップスを探した。テーマになったのはできるだけ「シンプルな格好」だ。ジーンズに手が加えてあるので、トップスはあまり凝ったものでないほうがよいと考えたわけだ。

最初はファストファッションのものばかり探していたのだが、途中からブランド物のコーナーも探すようになった。そこでArmani Exchangeの服を見つけて、やはりぜんぜん違うなあなどと思ったわけである。つまり、知らないうちにファストファッション慣れしている。

ファストファッション慣れが起こる原因にはべつのものもありそうだ。例えばPARCOに入っている店の品揃えはかなりひどいものだった。アクリルのセーターと古着しか置いていないようなWEGOに多くの若者が集まっている。これはつぶれるのも当然だと思った。

「アパレルって荒れているなあ」などと思ったわけだが、この印象は大きく崩れた。BEAMSにしろSHIPSにBanana Republicにしろ、良い素材で優れたデザインのものがいくらでも売られている。しかも価格は定価の30%(つまり7割引だ)だったりするのだ。大げさに言うと世界で作られた名品がお手ごろ価格で手に入ってしまうということになる。

しかし、あまりにも選択肢が多すぎる。古着屋さんが良かったのは価格が安いからではないことが分かる。定番商品があまり多くないので、限られた選択肢の中でどうにかして着こなしてやろうなどと考えるわけである。つまりセレクトショップのような存在になっているのだ。

考えてみると、「自分だけに似合う特別な一品」というものがあるわけではない。ジーンズの場合は自分で「育てる」し、いろいろと研究して征服してゆくのが当たり前だ。つまり、ある程度の品質さえ確保されていれば、キーになるアイテムについては福袋でもかまわないのである。

後は気合である。

だが、いろいろなものが置かれていると、そもそも何がキーになるのかが分からなくなる。もちろんこれは、受け手の問題なのだが、すべての商品が並列でおかれている(ようにみえる)ために起きる状況だ。

スーパーマーケットの場合は、入るとまず野菜売り場があり、魚から肉に進んでゆく。あるいは検索にたとえてみてもよいかもしれない。ある人は値引率で検索するだろうし、別の人はキーアイテムとの組み合わせで検索するかもしれない。

かつては雑誌が情報を限定する役割を果たしてくれていたのだろうが、今ではネットでコーディネートが次から次へと飛び込んでくる。すると「また今度でいいや」みたいなことになる。それに加えて毎日のようにメールによるお勧めが流れてくる。正直これを見ているだけで混乱する。いったい自分が何を探しているのかがわからなくなってしまうからだ。

入手可能な情報が多くなるに従って人々の情報検索範囲は狭まってゆく。多分、高級セレクトショップの価格が「投売り」状態になっていることに気が付かない若い消費者も多いのではないだろうか。質のいいものが世界中から送られてきて並べられているのだ。なんだかもったいない話だなあと思った。

アパレルについて観察しているとどんどん科学的な知見からはずれてくる。似合っているアイテムというものがあるわけではなく、与えられたものを「気合」で着こなすと思ったほうが良い結果を得られそうだ。もう一つ思ったのは洋服屋に出入りする人も働いている人もあまり楽しそうに見えなかったという点である。毎日働いているわけだから慣れているのは当たり前のような気もするが、たいていの店員さんたちは服を制服のように着ていた。これ、もうちょっとなんとかならないんだろうか。

デフレが進行したのはIT技術の発達が原因かもしれない

前回はパルコがなくなるのを見て「日本のファッションは砂漠化している」などと嘆いてみたのだが、実際にはもっと大きな変化が起きているようだ。いくつか見てみたいポイントはあるのだが、一番注目すべき点は、日本の流通が実は大胆に合理化されているというちょっと意外な事実である。

一般に、日本のサービス産業や流通はIT化が遅れており生産性の向上も進んでいないと考えられている。確かに産業という側面から分析するとそうなるのだが、消費者を加えると全く異なった実態が見える。

日本のアパレル産業の市場消化率は50%弱なのだそうだ。残業して一生懸命作った服の50%は売れ残ることになる。売れ残った服は中古市場に流れる。ほどいて毛布などの原料にする、機会を拭くウェスとして利用する、東南アジアに輸出するというのが主な処理方法になるそうで、これを専門に取り扱う業者もある。燃やされているものもあるはずだが統計には出てこない。

一方、急速に中古市場が立ち上がりつある。実際に中古ショップを見てみると「未使用品」が売られていたりする。寂れたファッションビルが「売れ筋」と考えられる画一的な商品に高い値札を付けている一方で、ユースドショップに豊富なデザインが色柄が安い価格で売られていることも珍しくない。

だが、新古品の出先はリユースショップだけではないようだ。アプリを使ったオークションサイトなどが複数立ち上がっている。総合通販サイトも中古品を扱っている。さらにファッション通販サイトも中高品を扱うようになった。

同じような状態は中古車市場にも見られる。軽自動車が過剰生産され新古品市場が発達しつつある。実質的な値下がりが起きているのである。

つまり、アパレル専業の会社や自動車業界が市場を読まずに産業ゴミを量産する一方で、消費者はIT技術を駆使して自分が欲しいものを探しているという実態が見えてくる。

これが顕在化しないのは政府統計が古い概念のもとで組み立てられているからではないかと考えられる。いろいろな人が推計を出しているが「どれくらい中古化」が進んでいるかということはよくわかっていないようである。「もはやデフレではない」という統計も新品だけを対象にしているはずだ。小売物価統計調査の概要の説明には次のようになっている。

調査店舗で実際に販売する平常の価格を調査する。ただし,特売期間が7日以内の安 売り価格,月賦販売などの価格及び中古品などの価格は調査しない。 

一方、産業界には「新品が売れなくなった」という認識はあるようで、日経新聞までが中古市場に関する記事を書いている。

アパレル業がいびつになってしまった原因はいくつかありそうだ。アパレルは中小業者が多い。さらに、毎年流行が入れ替わり去年の服は今年は着られないという刷り込みがある。さらに、情報産業(ファッション雑誌など)が盛んに消費者を教育するので、ファッション好きの消費者は豊富な知識を持っている。彼らはITに対するスキルも業者より多く持っている。

女性に対して調査したところクローゼットの7割は着ない服だったという統計もある。ほとんどの人は着なくなった服を単に捨ててしまうのだそうだ。アパレル商品の半数が売れないという統計も考え合わせると、日本で作られた洋服のほとんどが捨てられており、実際に使われるのは定番の商品のみということになる。定番品だけしか売れなくなるのもよく分かる。結局、それ以外はゴミになってしまうのだから、最初から買う必要はないのだ。

一方で、生産性の低下についてはあまり嘆く必要がないという気もしてきた。供給側が過剰生産に陥っている原因は、ITへの支出を怠り、市場で何が起こっているかを知る手段がないからだ。政府も統計を取っていないので、何が起きているのか把握している人は誰もいない。

だが、消費者は豊富な商品知識とITスキルを持っているので、それなりに楽しく自分にあう洋服を選ぶことができる。消費者がバリューチェーンの一環をなしているというのが新しい視点かもしれない。

ただし、供給側からはアービトラージの機会が失われ、今までの仕事の一部が無償化(ユーザーが流通に参加しても給与は発生しない)するのでデフレが進行するのはやむをえないのかもしれない。

スマホに支配される人

先日面白い光景を見た。子育て世代は始終子供に付きまとわれている。小学校に入る前の子供は一日中、思いつきを垂れ流しており、その聞き手はお母さんだ。思考が外部に溢れているような状態なので、人間の思考というものがいかにとりとめのないものかということがわかる。

そこでお母さんは子供に古くなったスマホを与える。YouTubeを見せている間は子供は黙っているからだ。子供はかなり手慣れているようで、CMをスキップしていた。お母さんは、その空いた時間にスマホで友達と連絡を取っているようだ。結局、親子2人でスマホに向かうことになった。

ここで「ああ」と思った。なかなか返事が帰ってこない人なのだが、その理由がわかったからだ。主婦は時間がない。そこで空いた時間で友達に返信しているらしい。そこで連絡が必要な人がテトリスのように溜まってしまい「ご新規様」が受け付けられなくなるのである。時間を詰めて簡単に返信するという手段があるわけだが、それはやりたくないらしい。

これを改善するためにはいくつかの工夫が必要だ。第一に着信手段を集約する必要がある。次に情報を整理する時間を決めて、まとめて返信すればいい。言ってみればビジネスマンがよくやっているような方法だ。

一見すると「その場で返事ができない」ことが問題になりそうだが、実は最大のディレイは24時間で済む。1日経てば確実に返ってくるということがわかれば、意外と待てるものである。また、メッセージの総量が決まるので、それに掛けられる時間も決まる。さらに、注意力が散漫になることがないので生産性を挙げることもできる。

実は、この現象は、受信者・発信者ともに経験しているのではないかと思える。即時で返信がもらえるのはいいことのように思えるが、実は常に待っているという状態に陥っていることがわかる。ずっと待っているからこそ、これ以上の待ち時間が許容できない。つまり問題は待ち時間ではなく、自分のペースが作れないということなのだ。

多分「時間を決めて返信しろ」というようなことを直接アドバイスすると「私は忙しいのに、わかっていない」というレスポンスが予想されるのだが、実際には時間を決めた方が効率がよくなるということがわかるだろう。実際にそのような研究はいくつか出ている。

  1. マルチタスクで生産性が40%下がる。
  2. マルチタスクをしてはいけない理由

スマホが悪いわけではなく、マルチタスクに問題があることがわかるだろう。もっとも、常時スマホ依存をやめるためには、周りの人たちの協力が不可欠だ。

第一の障壁は人によって連絡手段が違うという点だろう。年配者ほどメールに依存する傾向がある。年配主婦はパソコンが扱えないので携帯メール+ファックスになる。一方で若年層はパソコンを持っておらずLINE一辺倒だ。急激に通信環境が変わってしまったので、かつてのように電話と手紙があれば用が足りるということはなくなっている。

さらに、周囲がそれなりのペースをつくる必要がある。下層の中間管理職や主婦のように時間の自由がきかない人たちになるとそれは難しくなる。つまり、生産性が悪い人たちはいつまで経ってもその状態から抜け出せず、生産性の良い人たちは協議して1日のペースが作れるようになる。ここでも格差が生まれることが予想されるのだ。

 

Twitterの2ちゃんねる化と疲弊する中間層

さて、一週間に及ぶ社会実験が終わった。まずテレビで盛り上がっている豊洲移転問題について識者への反論記事を書いた。次にファッションと情報とデータ構築に関する短い記事を買き、今度はネットで盛り上がっている池田信夫と長谷川豊バッシングについて書いた。さらに築地に戻った。結果はごらんのとおり。

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築地問題がページビューを稼ぎ、ファッションでやや盛り下がった。しかし、池田信夫と長谷川豊の件で盛り返し、築地の問題ではまたページビューが下がった。集客数とページビューは比例すると考えて良さそうだ。analytics002

面白い点はいくつかある。山本一郎氏と築地の件はGoogleでの検索が多かった。山本氏は豊洲移転派なのでわざわざ検索して記事を読んでいる人が多いらしい。それに飽き足らず関連記事を読んでいる人が多いのかもしれない。

一方、Twitterは明らかにネガティブな感情にドライブされている。「テレビはもう終わりかも」という煽りをつけてタイトルは煽らずに書いたらTwitterからの流入が増えた。一方でブログ記事に石原氏は老害だと書いて、Twitterでは煽らなかったら、それほど人は集まらなかった。Twitterのタイムラインは常に他者を罵倒する扇情的なつぶやきが流れている。使用者も高齢化しつつあるようだ。つまり、かつての2ちゃんねる化が進んでいることになる。

普段の生活がポジティブなものであれば、わざわざ個人の時間を使ってネガティブな情報を探す必要はないのではないかと思う。普段の生活にネガティブなものが溜まっているからこそ、その犯人探しが進んでいるのではないだろうか。一方で、論評の内容の批判の強さと関連してページビューが集まっているわけではなく、タイトルと煽りにドライブされている。考えたり、作戦を立てる時間はなくなっているのではないだろうか。

こうした傾向を見ると、扇情的な煽り文句をつけて文章を書きたくなるが、さじ加減が難しい。大衆は高いところから他者を批判したがっている。このために明らかに地位が低いものと弱いものを叩くわけだ。しかしながら、自分が他者より「一歩優れた地位にある」ようなデモンストレーションをすると、今度は叩かれる側に転落する。人々は正義の側にたって悪を叩きたがるのだが、正義のヒーローを気取った瞬間に叩かれる側に回る。

ただ、煽るために扇情的な文章を書きたくなる気持ちはよくわかる。顕著に数字に現れるからだ。これを後追いするテレビも同じような傾向になることは間違いがないだろう。最近のテレビは毎日のように豊洲の犯人探しが行われている。

Twitterは2ちゃんねる化が進んでいるというのは間違いがなさそうだ。世界的にはアクティブユーザーが停滞しており、身売りも検討されているようだ。

多様性が許容できないのにネットを使いたがる老人

最近、Twitter上で「蓮舫の国籍を取り上げろ」と息巻いている人がいる。賛同者はほとんどいないし、自分が何を主張しているのかよくわかっていないようだ。一応、法律違反だからダメだということになっているのだが、法律が理念を実現するための道具だということが忘れられている。

彼らの本音は多様性の排除だ。まず多様性を武器にした蓮舫新代表に対する攻撃からはじまり、同じく多様性を持ったTBSのアナウンサーに対する個人攻撃になった。さらに人権や多様性の観点から二重国籍の人たちを擁護する識者を馬鹿呼ばわりしはじめた。

二重国籍はある種の特権だ。たまたま両親が別の国の出身であるとか、別の国で生まれたという偶然がなければ二重国籍状態にはならないからだ。多分、特権を持った人がもてはやされるのが許せないのだろう。

ここから本能的に自分が多様な世界にキャッチアップできないことを知っているのだろうということがわかる。

二重国籍は現行の法律では問題行動なのだが、変化が多い現代社会では有利に働くことが多い。国際競争力ということを考えると、多様な才能を日本社会に取り込むことができるかという問題が持つ意味は大きい。だから、これを機会に現行法制をどう変更してゆくかという議論が始まってもおかしくない。

これを見ていて、インターネット論壇も来るところまできたなあと思った。もともとネットに注目していた人たちは最先端の人たちだった。そもそもアクセスするためにはそれなりの技術が必要だったからだ。ゆえに初期のインターネットは多様な意見の大切さを知っていた。他者の意見に触れることで、新しい視座を得ることができるからだ。実はネットが出始めの頃は、気軽に他者の意見に触れるような環境はなかったのだ。

しかし、ある時点から出版社や新聞社で食べられなくなった人たちが集まるようになってくると状況が変わり8時メタ。多様な意見に触れることがよいという考え方は持たずに、自分たちが場を支配したいという気持ちが強い。他者が許容できないのだ。もともと出版社や新聞社は入った時点で「許されたものしか発言できない」という特権を得られるので、ネットでそれを再現しようとしたのかもしれない。現実世界で特権を失ってしまったからこそ、新天地のネットで王になりたいという気持ちが強いということも考えられる。

他者が許容できないので、とうぜん多様性も許容できない。ゆえに二重国籍など考えられない。良識的な意見も許容しないらしく、異論を唱えるものをことごとくブロックしているらしい。

日本社会では他者を許容できないことが成功の要因になることがある。組織は既得権防衛のための装置だからだ。しかしインタネットは基本的に多様な意見を排除できない。ブロックするというのは、自分の意見が相手に伝わらなくなるということなので、自らの影響力を排除するということなのだが、基本的なネットの仕組みがよくわかっていないのだろう。

もちろん、ブロックはネットの「間違った使い方」とは言えない。さらに言えば、自分で出資して会員制の空間を作っても良い。それができないのは、この人たちがもともとあった会員制のサロンを追い出されてしまったからだろう。

その意味では蓮舫問題は「ネットに不適合な人達」をあぶり出す装置になっている。

5分で写真からイラストを作る方法

ウェブサイトなどにイラストが欲しい。しかし、絵なんか描けないという人も多いのではないだろうか。Photoshopがあれば簡単に写真からイラストを作ることができる。手順を2つご紹介する。

まず、スマホなどで適当に写真を撮る。加工するのでベタな絵で構わない。これはあじさい。構図もまったく工夫されていない。

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次にこの写真のレイヤーを複製する。レイヤーは2つ作る。一つは「フィルタ」から「表現手法」の「輪郭検出」を選ぶ。「イメージ」から「色調補正」の「彩度を下げる」を選ぶ。もう一つは「イメージ」から「色調補正」の「ポスタリゼーション」を選択し色数を下げておく。今回は3色にした。

必ずふちの絵を上にしてレイヤーの重ね方で調整する。「比較(暗)」や「焼き込みカラー」などから工夫すると良い。すると、ディテールが消えて描いたような写真が得られる。適当に撮影したとは思えない。

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次のやり方はもっと簡単だ。「フィルタ」から「インク画(外形)」を選ぶだけ。

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サイトのバナーやデスクトップピクチャーなどに応用できる。これはベンチで食べる前のドーナツとパンを並べて撮った写真。こんなどうでもよい素材でもポップな壁紙にできる。簡単にイラストが増産できるのだが、くれぐれも自分が著作権を持っている写真で試して頂きたい。

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ブログ用にキーワードを見つける

このブログは趣味で書いているので、好きなことを書けばよい。だが、アクセス数目当てでコンテンツを開発するとなるとそうも行かない。ある程度作戦を立ててコンテンツを作らなければならないだろう。マーケティングに活かしたいならなおさらだ。さて、そのためにはどのようにすればよいのだろうか。

ここでは、ガーデニングについてのブログ用のキーワードマップを作ってみる。必要な技術はネットワーク図を書くツールと表計算ソフトだ。今回はCytoscapeとOpenOfficeを使った。

まず、いくつかの種になるキーワードを抜き出してGoogle Trendで調べてみる。例えば、ガーデニング、ハーブ、などである。これをGoogle Trendで検索すると関連キーワードが出てくる。芋づる式にキーワードが出てくるので、これをノートに書き出す。最後Open Office(もちろんExcelでも構わない)にワード,関連,ワードという形でまとめてゆく。最終的にCSVデータになる。これをCytoscapeにかけるとネットワーク図が作られる。プロセスは実に簡単である。Google Trendから直接CSVデータをエクスポートすることもできるのだが、今回はやらなかった。全ての用語を拾うと単語数は爆発的に増える。

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リサーチの目的は表データを作った時点で半分ほど完了している。例えばガーデニングや庭などのトレンドは2004年をピークにして下がっている。一方、プランター、ベランダ、観葉植物、野菜などはトレンド化している。花を育てるよりも、実用的な野菜を育てることに関心が移っており、なおかつベランダやプランターなどに関心が向いているようだ。ガーデニングで玄関に寄せ植えを作ったりするのだが、これもダウントレンド傾向だ。代わりに人気が集まっているのは「玄関の風水」らしい。アパートの玄関は北側にあり日当りが悪く植物を育てることができないのかもしれない。

以外と植物の名前で検索する人は少ない。代わりに人気のあるワードは「レシピ、育て方」などの用事語である。つまり、ユーザーは(当たり前なのだが)用事を済ませるために検索をするわけだ。だから「リシマキア、バラ、キュウリ」などのワードで検索する人はそれほど多くないわけだ。バジルなどは育てるのは簡単なので、できた後どう料理するかが気になるのだろう。「レシピ」や「ソースの作り方」などの用事語が重要なのだ。

ということで、発見もある。例えば日陰の庭を持て余している人は多いらしい。またむき出しの地面をどうにかして植えたいという人も多いのだろう。グランドカバーという言葉がある。これも用事語の一つだ。それに付随して、クリーピングタイムとかリシマキアなどというグランドカバープランツが検索されている。スターになるワードもある。グランドカバープランツ界のスターはヒメワレダイソウである。リッピアとも呼ばれて育てるのが簡単にな割に強いとされている。

よくマーケティングの教科書に「人々の用事を満たすために」商品を開発せよなどと書いてあるのだが、実際に用事を見つけるのには手間がかかる。かつては高いお金を出してパネルとモデレータを雇って特別な部屋を借りてリサーチするのが一般的だった。しかし、現代ではある程度のリサーチであればGoogleで検索すればよいのである。もちろん、それまでにワードの蓄積があるだろうから、おおざっぱなトレンド把握以上のことができるだろう。逆に商品を目の前にして「次のフェアでどのように売り出そう」などと考えると、ユーザーの用事を見失うかもしれない。

このようなチャートはブレインストーミングの材料としても使えそうだ。もう、やっている人も多いかもしれないが。

SNSとは何か

SNSはソーシャルネットワーキングの略。SNSをうまく使うとその場にいなくても友達関係を維持できる。この友達関係を維持することを「ソーシャルネットワーキング」と呼んでいる。ITツールを使うことで、年賀状のやり取りをしなくても、昔の郷里の友達が今どこで何をしているのかが分かるようになった。中には何年も音沙汰がなかった人が見つかり交際が復活することもある。また、学校の友達と学校の外でもお話ができる。SNSを使うと場所を選ばずにいろいろな人とおつきあいができる。

SNSとはパソコンやスマートフォンを使っていつでもどこでもおつきあいが継続できるようにする道具のことである、ということになる。

黙っているとおつきあいにならないので何かを話す必要がある。SNSを使うようになったら、時々近況(今何をしているか)を報告するべきだ。年賀状のようにかしこまったことではなく、毎日のちょっとしたことを記録するとSNSを続けられるだろう。難しいことのように思えるが、友達とおしゃべりするのと同じことだ。

また、友達の近況を見るためには、接続するための住所を知らなければならない。この住所のことを「アカウント」と言っている。SNSを始めるためには、どんな道具を使っているかを知り、相手のアカウントを教えてもらう必要がある。

SNSには様々な種類がある。Facebook、Twitter、Lineなどが有名だ。パソコンでもできるがスマホを利用する人の方が多いようだ。それぞれの道具の使い方は異なっている。例えば、Twitterは自社のサービスをSNSとは定義していない。かしこまって発表するまでもない小さな考えをこまめに発表する道具だった。だが、使う人たちがおつきあいの道具として使うようになり、SNSの一つとして認識されることになった。Facebookはもともと大学生が近況を報告するために作られた。LINEは文字でのやり取りができる無料通話がもとになっている。他にもInstagramという写真を投稿できるSNSもある。多くの人が食べたものや行ったところを記録して友達に見せるのに使っている。

「友達関係を結ぶこと」にはいくつかの呼び名がある。FacebookやLINEでは友達申請と呼ぶ。一方、TwitterやInstagramは一方的にフォローすることになる。お互いがフォローしあったら友達申請と同じことになる。Facebookは実名が前提だが、LINE、Twitter、Instagramは実名である必要はないなど違いがある。

知っている友達だけでやり取りをしていると問題は起りそうにないのだが、いくつかの原因で問題が起ることがある。まず、宣伝の為に不特定多数の人を「友達」として接続することがある。また、顔が見えないことで感情のすれ違いが起ることも多い。さらに、大人の監視がないためにいじめが横行する可能性があることである。大人でもいじめに発展することがあるので、子供の場合には家族の人が使い方を教える必要がある。子供の方がスマホを使いこなしているからといって放置するのは危険だ。自宅で楽しむことが多いために「誰にも見られていない」気分になることが多いのだが、おつきあいにも礼儀があることを覚えておくべきだろう。

普通のソーシャルネットワーキング(つまりおつきあいのことだ)では、気まずくなったらそこに行かなければよい。関係は徐々になくなってゆくだろう。ところが、SNSは場所を選ばないので気まずくなっても関係を断ち切ることができない。それを防ぐために「ブロック」という拒絶する機能がついているものがある。しかし、ブロックされてしまうと人によっては突然拒絶されたように受け取ってしまうだろう。すると実生活で嫌がらせをする人が出てくる訳だ。

SNSは楽しく使えば便利におつきあいを楽しむことができる。中には知らない人と仲良くなれるチャンスもある。しかし、法律が追いついていないことも確かだ。ストーカー規制はメールだけを対象にしており、SNSによるつきまといには対応してくれないとのことである。早急な対応が求められる。それまでは、気をつけて使った方が良いかもしれない。

Googleのツールでサイトのモバイル対応度を計測する

Googleがモバイルサイトの使いやすさを計測するツールを公開した。早速、自作のテンプレートなどを試してみた。

現在では多くのユーザーがモバイルに依存している。モバイルユーザーの注意力は散漫で、ロード時間が3秒以上だと約半数のユーザーがドロップしてしまうのだという。スコアは3つある。モバイルの使いやすさ・モバイルのスピード・デスクトップのスピードである。

サーバーのスペックが低ければスピードは遅いだろうという仮説を立てた。現在低価格のサーバーで運用しているのでスピードには自信がなかったのだ。だが、これは間違っていた。

自分のサーバーのWordpress 95 59 71
WordPress.com上のWordpress 99 64 79
X Domain上のWordpress 95  60 70
自作固定長 72 74 90
自作可変長 96 97 98
自作可変長・jQueryあり 100 64 81

意外なことにWordpressでもサーバーによる違いはあまり見られなかった。広告の有無も関係なさそうだ。つまり、wordpress自体が速度低下の原因になっているようなのだ。一方でスクリプトがないサイトは成績が良い。CSSだけで組んだ可変長対応のサイトは良いスコアだった。いろいろな要因はありそうだが、特にjQueryはGoogleからは嫌われているらしい。モバイル対応としてよかれと思いやっていること(折りたたみ式メニューなど)がスピード上で悪影響を及ぼしていることもありそうだ。これを防ぐためにはナビゲーション構造をできるだけシンプルにするなど、設計上の工夫も必要なのではないかと思う。