アイヌ先住権訴訟をめぐって我々は何を話し合っているのか

2020年8月17日にラポロアイヌネイションがアイヌのサケ漁を認めるように国を提訴した。どうやら国に許可を得ずにサケを捕獲する権利を認めて欲しいのだという。NHKも同じニュースを伝えている。これに先立って儀式に使うサケを「勝手に取った」紋別アイヌ協会の畠山敏会長が書類送検の上不起訴処分になっていたそうだ。

これら二つのニュースを読んで「儀式に使うサケと生計を立てるサケではかなり量が違うなあ」と思った。これをどう調整するのかというのは、おそらく裁判ではなく政治が調整すべき課題だと感じる。だがいずれにせよこれは北海道の当事者問題である。当事者とは北海道の水産業者とアイヌの人たちだ。アイヌの人たちもみんなが同じ意見を持っているとは限らない。

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個人主義と集団主義の合間で揺れ動く日本

コメント欄で感想をいただいた。「あくまでモデレーター的な態度を崩さないHIDEZUMIさんは、「秩序の中に暮らす」ことが怖くないのでしょうか?」と書かれたので心の中で一通り毒づいた後で、でもこれを説明するのは意外と面倒だなあと思った。Quoraだと面倒なので「そうですよねえ」といって逃げてしまうことが多い。この議論で一番面倒なのは「個人主義・集団主義」という用語の粒を揃えることである。わかりやすい漢字なのでなんとなくみんな知ったつもりになってしまうのである。

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日本人が政治を語れないのは正解に帰着してしまうから

文章を毎日書いているがとりとめなくなってしまうというお悩み質問に回答した。これを無理矢理に日本人が政治議論ができないという話に書き換えた。「強引だなあ」と思われそうだが、個人的には意外と面白かったのでまとめ直したい。これを延長するといろいろな説明に使える。例えば高付加価値型のサービス産業が日本で発展しなかった理由もわかる。

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政治議論では沼に引きずりこまれないように注意しなければならない

政治議論について考えている。コメント欄の文章を読んでいて面白かったことがある。自分の立場を開示した上で、お前はどう思うのか白黒はっきりさせなければいけないと書いてきた。その上で「ボールは今お前が持っている」という。

「キャッチボールをしているつもりはないのだが……」と思った。そもそもボールを投げつけることをキャッチボールだと思う人はいないだろう。

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他人の話を聞けない人たちと聞かない人たちが主役の政治議論

面白い経験をした。だが、考えるうちに「自分はバカの共犯者になっているかもしれないなあ」と思い、ちょっと怖くなった。きっかけになったのは敵基地攻撃で自民検討チーム 山口公明代表「慎重に議論」という記事だった。日本政府は理論上、能力の保有は憲法上許されているが、現実的な保有は政策判断としてしないという一貫した態度を取ってきた」と指摘したという発言をこのブロクで書いたのでそれを別のSNSにも紹介しておこうと思ったのである。意味がわからないというかあまりにも苦しい言い訳なので外から見ると面白いのだ。

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日本には言葉による牽制はあるが議論はない

新憲法の担当大臣だった金森徳次郎が「憲法を愛していますか」の中で面白いことを書いている。他人が自分の意見い反対すると、すぐ腹を立てる、ちょっと意見が違うと仇のように思う、こういう傾向があって、天下に一つしか真理はないというきもちではありますが、というのだ。戦後すぐの1951年に書かれた文章なので当時からそれほど変わっていないんだなあと思った。

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新型コロナの犠牲者 :「絆」があっても最悪の結論を選ぶ人たち

練馬区のとんかつ屋さんのご主人が火事で亡くなったそうだ。毎日新聞に記事が出ている。普通ならよくある地域面のニュースなのだが、ちょっと事情が違ってみえた。新型コロナウイルスで経済の先行きが見えなくなる中で油をかぶって亡くなったのではないかと見られているそうだ。

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