先日、小川和久氏がツイッターで「西日本新聞は俺が言ってもいないことを書いている」という趣旨の発言をしたのを見つけた。西日本新聞社の記事はこちら。不毛な議論だなと思った。その不毛さの裏にあるのは「〜べき」という思い込みから脱却できない老人たちの悲哀だ。
小川氏は壊れたテープレコーダーのように「日米同盟は役に立っていて、日本は他の同盟国よりも格上である」という主張を繰り返している。これは朝鮮が自分たちは「小中華である」と考えていたのに似ている。実際には単なる属国なのだが、そう思いたくないので、自尊心を満たすために自らについた嘘である。嘘の裏には大きな国の一部にもなれないし、かといって独立もできないという中途半端な状況がある。
西日本新聞が小川氏と支持者の自尊心を満たすためには、小川氏の主張をそのまま載せるしかない。しかしそれは嘘であり、実際には米軍は日本政府や国民の心情を忖度するはずはないから、嘘という以上の情報価値を持たない。その上西日本新聞は明らかにオスプレイの事故には批判的である。
日本政府は米軍からは間接統治者としての役割しか期待されていない。米軍はローカルな人たちの心情がよくわからないので「なだめ役」として日本政府を使っているのである。それを踏まえて小川氏が言ったとされる主張を見てみよう。
軍事アナリストの小川和久静岡県立大特任教授は、国民から反発の声が上がっても「それは日本政府の声ではない。米軍は作戦行動に関して、そもそも日本の政治家や官僚の言葉は聞かない」と言い切る。
西日本新聞の記者は明らかに三流だったようだ。現実に即したとすればそもそも日本政府は米軍に声を上げることなど期待されていない。日本人の税金を米軍に吸い上げて上納し、それについて反発が起こらないように「なんとかする」ために雇われているだけだからだ。だから、小川氏がこんなことを言うはずはないのである。これは記者の思い込みだろう。記者が「日本政府は国民のエージェントとして米国に対峙すべきだ」と思い込んでいるのである。
詳しく記事を見て行くと短い記事の中に「〜か」という疑問形が二回見える。つまりこれが情報(ニュース)なのか、論評なのかということがよくわからない。もし意見ならそもそも敵対する識者の意見など聞く必要はなく、聞かなければ自分の意見に合わせて識者の発言を歪曲する必要はない。
日本人が意見を嫌うのは、世論というものを信じているからだろう。自分たちは公平で正しく、相手は偏っていて間違っていると考えたがるのだ。そこで意見記事でも「公平さ」を偽装して、双方の意見を聞いてしまうのだろう。
しかし、西日本新聞はそもそも「新聞」としての役割は期待されていないのではないだろうか。地域情報の伝え手としては信頼されているはずだが、全国ニュースは通信社に頼るのが一般的だ。しかし、地域で「ジャーナリストごっこ」をしているうちに、それでは満足できなくなってしまったのかもしれない。いずれにせよ「西日本新聞はジャーナリズムであるべきだ」という思い込みから脱却できないのだろう。かといって世論に影響を与えるという怖い体験をしてこなかったので、ジャーナリストとしての教育も受けられなかったのかもしれない。
議論自体は極めて不毛で、このことからわかることは1つしかない。日米同盟を巡る意見は抜き差しならないほどに二分されていてもはや話し合いができるほどには統合できないということである。それを推進したのは安倍政権だが、トランプ政権がどこまで状態を悪化させるのかということはまだわからない。
そもそも「日本国が軍事的に独立していて米軍の意思決定に影響を与えうる」というのは嘘なので、何かいえばいうほど亀裂は深まってゆく。本当にジャーナリストという人がいるなら、この亀裂をありのままに見つめるところから始めなければならないのではないだろうか。