長い文章になってしまったので要約しておく。リベラル勢力が夫婦別姓を実現したければ、結婚制度そのものに依存しない方がよい。どちらかといえば非婚夫婦(同性を含む)に法的資格を与えるか、結婚のメリットを「差別だ」として糾弾した方がいい。一方で、保守勢力が家族の絆を強制すると、少子化が進み結婚制度が崩壊してしまうかもしれない。不思議なことに、どちらの勢力も自分たちの目的と反対の方向に努力していると言える。「結婚」という形に形にこだわりすぎているのだ。
結婚と家に関する議論は思ったよりも面白かった。今回のお話は、いつか保守派が夫婦別姓を懇願する日が来るかもしれないというものだ。
今回はまず議論の視点をちょっと変えて、ゲイのカップルはどうして同性婚を熱望するのかという視点から考えてみた。ゲイのカップルが結婚したがるのは、カップルというものは「人並みに」結婚すべきだと考えているからだ。愛し合っている2人が結婚できないのは「人並みではない」のだ。
では、先進国では結婚はどれくらい「人並み」なのだろうか。これに直接答える統計はない。事実婚は政府に登録しない結婚なので統計が取れないからだ。それに代わる統計が婚外子の割合だ。スウェーデンやフランスでは50%以上が婚外子で、アメリカも40%以上が婚外子なのだそうだ。こうした国々では「結婚する事」はもはや当たり前でもなんでもない。
フランスで婚外子が多いのは結婚制度が窮屈だったからだという説がある。カトリック国なので離婚が難しいという説があるが、これは疑わしい。スウェーデンはカトリック国ではないし、イタリアの婚外子率はそれほど高くない。
フランスで結婚に人気がないのは、結婚が難しいからだそうだ。いくつもの書類を揃え、最後には市長との面談が必要なのだ。離婚にも同じような煩雑さがある。かつては弁護士を立てて裁判をしないと離婚ができなかったそうだ。一方、アメリカで婚外子が多いのは、結婚が贅沢な行為になっているからだという。経済的に結婚生活が維持できない人たちがいるのだ。
つまり、結婚が難しくなると、結婚しないで子供を作る人が増えるのである。
フランスでは結婚できないゲイのカップル向けに契約制度を作った。最初はゲイカップルが利用するだけだったが、そのうち「結婚したくない」カップルが制度を利用するようになり、婚外子が増えていった。つまり結婚の枠外にある人向けに「その他」扱いした制度を作ったがために「その他」が一般化してしまったのである。
結婚しても姓を変えたくないという人は、事実上「結婚して新しい(同一の)家を創る」という制度を否定している人たちだ。法的には一つのまとまりとして認められたいが、別々の家に属したいと思っているということになる。こういう人たちは、結婚以外に法的な枠組みができれば、それを選択してもよいはずなのだ。つまり、婚姻と一つの家を作るということは全く別のことで、さらにいえば、事業体としての家、婚姻、家庭というのも別々の概念なのだ。
日本では婚外子の割合は極端に低いことから事実婚が多くないことが予想される。事実婚が多くないのは結婚や離婚が比較的に簡単だからだという人もいる。第二次世界大戦後、当時としてはリベラルな価値観(男女の合意だけで結婚できる)が持ち込まれたので、結果的に西洋のような結婚制度からの離脱が起こらなかったというわけだ。さらに、終身雇用が当たり前で、扶養家族としての妻を優遇した税制があったという理由を加えてもよいかもしれない。
いずれにせよ、結婚が難しくなると、結婚できない人が増える。結婚できなくても家庭はできるわけだから、社会がそれを追認せざるを得なくなる。と、同時に事実婚が増えて結婚に対する憧れが消えてしまう。すると、結婚という制度自体が相対的に意味をなくしてしまうのである。
そんなのは「お笑いぐさだ」と考える人もいるかもしれない。しかし、若い女性の中には「結婚はしたくないが、子供は欲しい」と考える女性が増えているという話もある。すでに父親のいない家庭というのを指向している人がいるということになる。
日本でも結婚のコストは高くなりつつある。特に、女性が負うコストは大きい。企業からはパート労働を担う安価な労働力として期待されているし、子供の面倒も母親が見るものだと考えられている。家庭では、無料の労働力として期待されており、家事や介護は妻の仕事だとされている。自民党はこうした無理難題を女性に押しつけて「社会進出」と呼んでいる。支払うコストが大きいのに得られるベネフィットは少なくなれば、結婚制度を選択する合理的な理由がなくなる。
つまり、結婚に対する縛りをきつくしてしまうと、結婚制度そのものが崩壊してしまう可能性がある。すぐにガラガラと崩れ去る事はないだろうか、数世代単位で消えてしまうかもしれない。
リベラルな人たちは自民党の諸政策に反対しない方がいいかもしれない。自民党が憲法や法律など様々な手段を駆使して、結婚や家庭の義務などを強化すると、人々は結婚制度から逃げ出すだろう。結婚したら離婚できないようにするのもよいかもしれない。多分、婚外子差別があるなかで結婚のしばりをきつくすれば出生率の低下が起こり、あるしきい値を越えた時点で、女性は結婚を選ばなくなるはずだ。皮肉なことに、保守派が自説を通せば通す程「リベラル」が狙っているとされる「家制度の崩壊」が起こりかねないのだ。自称保守派は、理想の家庭を追求するあまり、日本民族の転覆を狙う共産主義者の手先になってしまうのだ。
結婚制度が破壊されても女性は案外困らないかもしれない。妻と子供の姓だけが同じになり、父親がどの姓なのか分からない(つまり、父親が誰なのか分からない)という「家庭」が増える可能性もある。その時の保守派は「姓は同じでなくてもよいので、昔あった結婚という制度を使ってください」とお願いすることになるかもしれないのである。