春子の「成仏」

『あまちゃん』が最終週を迎えた。鈴鹿ひろ美が歌を披露して「昔の春子が消える」というのが昨日の内容だった。昔の春子は「残してきた思い」のようなものを象徴しており、それが消え去ることで「過去の思い」が解消するということを演劇的に表現している。思いを残していたのは春子だけではない。劇中では語られないものの鈴鹿ひろ美にもそれなりの思いがあったようである。

人は誰でも過去の選択に後悔した記憶があるはずだ。そうした後悔は消えてしまう場合もあるが、いつまでも残り続けることがある。ただし、それを直接的に表現することはできないために、可視化するためにはなんらかの工夫が必要である。今回は過去の選択と後悔が主人公の一人になっている。

そしてそれが「解消」されたときに、ある種の解放感が得られる。これをカタルシスと呼んだりする。ドラマの中では、過去の後悔が登場人物を結びつける装置として働いているので、これが解消されることでドラマそのものからの解放が図られる。

よく「あまロス」ということが語られる。『あまちゃん』が終ってしまったら、心の中にぽっかり穴が開くだろうという予想である。ところが、よくできた演劇は「時間と空間」が区切られていて、いわゆる「演劇的空間」が作られている。そこに引き込んでから解放してあげるところまでが劇作家の仕事だ。

区切られた空間で演劇を見るのは、普段の生活の中では得られないカタルシスが得られるからだ。お茶の間で見ることが前提のテレビドラマでにはこうした区切りがないものもあるのだが、今回はうまく作用している。

問題は、なぜこのドラマでカタルシスを得る必要があるのかという点だろう。今回のドラマは東日本大震災を扱っている。震災では多くの命が失われた。ご遺体も上がらず「さよなら」も言えずに別れ別れになってしまった人たちがたくさんいるはずなのである。

日本人は、亡くなったら自然に還って行くという死生観を持っている。最終的には個人が消え去り集団に戻るというのが、伝統的な考え方である。これは現代の仏式の葬儀儀式にも残っていて「順番を追って」気持ちを切り離して行く。通夜を行い、葬儀をして、初七日があり、四十九日がある。霊魂の存在を信じるかどうかによって「成仏」にはいろいろな解釈があると思うのだが、生きている人たちから見ると、こうした手順を追う事で「お互いに残した思い」を解消する装置になっている。

NHKでは「3.11の被害者をいつまでも忘れない」というようなキャンペーンをやっている。そのキャンペーンソングの中に「私はなにを残しただろう」という歌詞があるし、思い出すのも「あの人たち」ではなく「あの人」だ。いつまでも忘れたくないという気持ちが残るのは当然だ。その一方で、当事者たちからすると「いつまでも思いが残っている」ということは、なかなかしんどいことなのではないかと思う。

100x100「昔の春子が解消した」ことの裏にあるのは、単に過去が解消したということだけではなく、そこで得たつながりを保ちつつも「さあ、前に進もう」という共感だ。直接的には犠牲者については触れず – このドラマでは終始一貫して直接的な言及は避けられている – 思いを汲み取ろうという努力が感じられる。

演劇的なカタルシスに価値があるのは、私達の普段の生活の中に意のままにならないことが多く存在するからだ。

HTML5とSVGを使って着せ替え人形を作る

昔、ユニクロでグリーンのカラーチノを買った。500円と安かったからだが、何と合わせてよいかさっぱり分からなかった。今年の春はカラーパンツが流行したのだが「何と合わせてよいか分からない」という人も多いのではないかと思う。売る側からすると「合わせ方が分からないから買わない」というのは大きな機会損失だ。もちろん、カタログを揃えるという手もあるだろうが、もう少し単純化できそうだ。

そこで、SVGを使ってファッションコーディネートが提案できないかと思っていた。なかなか普及が進まなかったHTML5だが、iPadなどでも扱うことができる。アプリと違って、そのままe-commerceサイトやカタログに接続できるのが利点だろう。

ところが、なかなかできなかったので開発は難しいのだなあなどと諦めていた。

ところが本(『HTML5ガイドブック 増補改訂版 (Google Expert Series)』)を読んで一から勉強してみると1時間程で完成してしまった。(できあがりはコチラ)ここまで苦節1年。いったい、この1年は何だったのだろうかと思ってしまう。つまり実際はとても簡単なのだ。

最初に準備するのはillustratorで作った線画だ。ベジエが残っていると扱えないので、すべての点は角になるように作る。

なおSVGを表示するためににはHTML5が動作するブラウザーを使う必要がある。今回はSafariの5.xを使った。

まず、HTML5で宣言する。

<!DOCTYPE html>
<head>
<meta charset=”utf-8″>
</head>

SVGは直接書いても良いし、DOMに付け加えていってもよいらしい。この時ポリゴンにIDを付け加えておくと、JavaScriptで操作ができるようになる。要素を作ってappendしてゆく。

var SVG = ‘http://www.w3.org/2000/svg’;
var svg = document.createElementNS(SVG,’svg’);
svg.setAttribute(‘width’, ‘300’);
svg.setAttribute(‘width’, ‘300’);
polygon.setAttribute(‘points’,points);
polygon.setAttribute(‘fill’,#FFFFFF);
svg.appendChild(polygon);
root.appendChild(svg);

20130725-01

さて、座標の指定だが、Adobe Illustratorなどで最初に人形を作っておき、SVG形式で書き出す。ここから座標を抜き出して行く。後で操作が複雑になることを避けるためには人形を単純にしておくと良い。すると人形ができ上がる。

今回は色を変えたい。jscolorというコードが手元にあったので使ってみる。どうもFirefoxの3.xでは動かないようだ。

SVGは属性のセットの仕方が独特である。属性情報を得る為にもgetAttributeという特殊な形を使う。

function change_color(){
var elements = document.getElementById(“pants”);
var color = document.getElementById(“colorfield”);
elements.setAttribute(“fill”, color.value);
elements.setAttribute(“stroke”, “#000000”);
elements.setAttribute(“stroke-width”, “.25”); }
20130725-02

すると、フィールドから色を変えるたびにパンツの色を変えることができる。 Safariの他にOperaでも試したが、動作が確認できた。Firefoxは左側の色変更ができなかった。

 

二重ルータという「問題」

二重ルータという問題がある。実際には二重ルータが問題なのではなく、設定の不具合によって、複数のルータが1つのネットワークに対して矛盾した指示を出すという問題だ。近年になって無線機器が増加したために、知らず知らずのうちに設定が複雑化することがある。解決策はネットワークの簡単な仕組みを理解することなのだが、これがなかなか大変だ。




近所のリサイクルショップで無線ルータを買った。300円だった。当初想定していた設置はできなかったものの、ルータとしてはきちんと使える。スィッチングハブの機能がついているので、ハブとして使うことにした。設定の仕方を勉強しているうちにいろいろとおもしろい記事を見つけた。世の中には「同じネットワーク内にルータが2つあるといけない」と信じている人がいるのだ。これを二重ルータ問題という。ありもしない問題を解決しようと、様々な「取り組み」が行われている。

普通、家庭内のネットワークは1つの装置を通じて外(いわゆるインターネット)とつながっている。これを「モデム」と言う。モデムにはルータ機能がついている事が普通だ。無線をやりたい人は、もう一つルータを買ってきてつなげる。すると、家庭内ネットワークの中に入れ子のように別のネットワークが作成される。ルータの外側には192.168.0.1、192.168.0.2というような番号(IPアドレス)が付与されている。内側のネットワークに同じ192.168.0.2という番号を付与すると、番号の重なりが生まれる。そこで内側のネットワークには、違った番号体系を付けるという約束がある。例えば、192.168.1.1、192.168.2.1という具合だ。

同一ネットワークは、192.168.1までは共通であり、その下の番号だけが識別に使われている。これを明示的に示すために255.255.255.0という番号を使う。この番号を「サブネットマスク」と呼んでいる。パソコンのネットワーク設定の画面には必ず付いている。つまり、IPアドレスとサブネットマスクを合わせたものが、識別番号になる。

なぜ、IPアドレスが192.168で始まるかという問題(他にも10.1.0.1というような番号体系もある)や、どうして最後の数字の固まりだけ意味を持たせた場合に、255.255.255.0になるのかというのはちょっと複雑なのだが、とにかく、IPアドレスとサブネットマスクさえ整理すれば、いくつものルータを混在させたりすることもできる。また便宜上「入れ子」という説明の仕方をしたが、実は下流にあるパソコンをそのままネットにつなげることも可能だ。インターネットはクモの巣のようにネットワークを張り巡らせることができる。だからWorld Wide Web(クモの巣)と呼ぶのである。

このようにちょっとした知識さえあれば、ネットワークは簡単に設定できる。しかし、テレビやゲーム機を無線LANに参加させることができるようになり、知らず知らずのうちに設定が複雑になる場合が出てきた。またパソコンにもルータ機能が付いており、さらに複雑化が進む。大抵の機械には「自動でつなげます」という仕組みが備わっているのだが、他の機械が入るこむことが想定されていない(全ての組み合わせを事前に予測する事ができない)ために、自動設定でも問題が排除できない。

ルータには、IPアドレスを自動で付与する仕組み(これをDHCPと呼ぶ)が付いている。つまり、個々のルータが自動でIPアドレスを付与するうちに整合性が取れなくなったりすることが起こる。つまり「二重ルータ」が問題なのではなく、IPアドレスの重複が実際の問題なのである。ところが二重ルータ問題という言葉があるので「ルータが2つ以上あるのは良くない」と思い込んでいる人がいて、その人が別の人にアドバイスをしたりするために、話が必要以上にややこしくなっているらしい。

これを解決する一番よい方法は、まず手持ちの機器がどのように接続されているのかを書き出してみることだ。必要でないルータは機能を使わないようにする。もしルータとして使うのであれば、固まり(これをセグメントと呼ぶ)を分けて管理すると良いだろう。こうして図を作ると、速度が遅くなっている原因(これをボトルネックと呼ぶ)を突き止めることもできる。無線装置の中には300Mbpsなど通信速度が早いものも売られている。しかし、途中で10Mbpsの装置が使われていると、通信速度を活かすことはできない。

100x100

問題を解決する方法には2つある。1つは基本的な仕組みを理解した上で「デザインする」というやり方だ。ネックは英語由来の専門用語が多いということと、基礎概念へのなじみのなさ(例えば、255は2の8乗-1を意味する)にあるだろう。もう一つは複雑さを回避(つまり、使用するルータを1つに限定)するというやり方である。柔軟なのは前者のやり方だが、基礎知識が必要になる。後者のやり方は基礎知識は必要でないのだが、柔軟性に欠ける。

後者のアプローチを取ると「1つのネットワークにはルータは1つのみ」となってしまうのである。

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Google検索で名前を売る方法

世の中には匿名で意見を言いたい人もいれば、自分の名前を売りたい人もいる。コンサルタントのような人たちは記名付きの記事を増やして、信頼を醸成する必要がある。また、何かあったときに信頼できるコンサルタントを「知っている」事も重要だ。今のところ、ネットにはこうしたつながりを記述できるフォマットはないのだが、google plusがこうした機能を担う可能性がある。

実際に検索してみると次のような写真付きの記事がヒットすることがある。google_kensaku

googleにお金を払って登録してもらっているわけではなく、個人が自分で設定している。設定のやり方は簡単な3ステップだ。以下、手順をご説明したい。

まず、ブログのhead部分に以下のようなコードを付ける。その為にはgoogle plusのアカウントが必要なので、ない人はこの際作っておきたい。hrefにはgoogle plusのプロフィールページを記述する。

<link href="https://plus.google.com/112686945113811468123" rel="author" />

次に、Google Plusのプロフィールページの「寄稿先」にサイトのURLを登録する。業界紙に記事を書いていて、個人でも情報発信をしているような人はどちらの記事も同じアカウントで対応できる。

登録には時間がかかるらしいが、一週間くらいあればクロールしてもらえる。Wordpressを使っている場合には、さらに簡単に実装できる。「google author」や「google plus」というキーワードで検索すると、プラグインを見つけることができる。同じ記事をいろいろな所に配信している人はインデックス登録してもらえないことがある。有名な方が優先されてしまうので、自サイトの記事を配信する場合には注意が必要だろう。

記名入りの記事が、劇的にトラフィックを増やすということはないだろうが、検索するたびに名前を見ることになるので、累積的な信頼性は増すはずだ。

この方法をプロモートしたいと思った理由はいくつかある。最初の理由は最近Twitterのアカウントを凍結されたからだ。予告無く凍結される可能性があるサービスだけに依存するのは危険だ。

次の理由は、こうしたネットワークが必要とされていると思うからだ。会社が経済活動の主役だった時代には、専門家のネットワークは特に必要とされなかった。上司に言われて競争しながら働いていれば良かったからである。こうした働き方は「所属型」と呼べる。ところが現在必要とされるのは、専門家が役割を分担しながら働く「チーム型」だ。チームを形成しようにも、専門家がどこにいるのかが分からなければ、形成できない。

100x100現在のネットには意外とプロフェッショナルな意見をまとめられるツールが少ない。例えば、ジーンズに詳しい人が、ブログを使ってプロフェッショナルな見解をまとめる。その記事を読めば「この人の記事をフォローしてみたいな」という気持ちになる人もいるだろう。google plusはグループを細かく分けて管理できるので「アパレルの専門家」といったグループを作れる。同じように「ジャーナリズムの専門家」もグループ管理できるはずである。

こうしたプロフェッショナルなネットワークは、ネット界の有名人(いわゆるアルファブロガや識者)以下、個人の情報発信者以上というポジションにあたる。もちろん自前で紳士録を整備することもできるが、強力でみんなが使っているプラットフォームがあれば、それを使った方がよい。

FOAFなどで個人管理をしていた時代には「これからは人と人のつながりをネットが記述するようになるだろう」と主張しても、単なる絵空事だと考えられていた。今ではTwitterやFacebookといったツールがあり、こうしたアイディアを笑う人は誰もいない。ニーズがあるサービスはやがて使われるようになる。

ただし、googleはSNS分野facebookに負けた過去がある。仕組みが複雑で広がらなかったのだ。このように、全く新しい所から別のツールが台頭してくる可能性はあるだろう。

Twitter Cardsを利用する

最近、Twitterに「概要を表示する」とか「画像を表示する」とかいうリンクが付いている投稿がある。知っている人は知っているのだと思うのだが、Twitter Cards(リンク先はTwitterの仕様書)という仕組みを利用している。特に写真は直感的でわかりやすいので、写真素材を使ったサイトは、ぜひ利用を検討すべきだろう。tumblrではこのように表示される。

twittercards001

Twitter Cardsにはちょっと分かりにくい仕組みがある。申請方式になっているのだ。つまり、タグを実装しただけではカードが表示されない。申請にはかなりの時間がかかる。「数週間」ということになっているが、本当に数週間待たされる。

twittercards002

しかし、いったん認証されてしまうと、ドメイン全体に効果が及び「過去にさかのぼって」展開されるらしい。同じドメインの中で複数サービスを展開するというのはよくある話だ。また、tumblrのようにオリジナルドメインが使えるものは、別途申請しなければならないらしい。ドメインごとに表示するかしないかを切り替えているようだ。

さて、この仕組み「メタタグ」という情報を読み取っている。メタタグは、具体的にはFacebookとTwitterで使われている。分かりにくいかもしれないが、title、description、url、imageは共用だ。

<meta property=”og:type” content=”article” />
<meta property=”fb:app_id” content=[app_id] />
<meta property=”og:title” content=”Key Questions” />
<meta property=”og:description” content=”key Questionsは次世代クリエータのためのちょっと変わった考察プラットフォームです。” />(もしくは、各記事の概要など)
<meta property=”og:url” content=”http://wpmu.hidezumi/” />(もしくは、各記事のURLなど)
<meta property=”og:image” content=”http://wpmu.hidezumi.com/keyquestions_logo_150.jpg” />
<meta name=”twitter:card” content=”summary” />
<meta name=”twitter:site” content=”@hidezumi” />

Facebook(リンク先はFacebookのデバッガ)にもTwitterにもこのような情報をテストできるツールがある。また、Wordpressにはこのようなメタタグを自動的に付加してくれるプラグインがあり、特に難しい技術仕様を知らなくても展開することが可能だ。

このメタ情報はいろいろな所で利用されるので、ブランディング対策を行う必要がある。気まぐれにいろいろなキャッチコピーを付けたり、ロゴを使ったりしていると、収拾がつかなくなってしまうに違いない。(と、いうより収拾が付かなくなりつつある)

ということで、サイトのマネジメントをしっかり行う必要がある。また、いろいろなところでロゴを使っているので、ウェブサイトやサービスを提供する時には、サイト用に集客効果がある(または印象に残りやすい)ロゴを作る事を考えるとよいと思う。企業ブランドの場合ロゴのガイドラインにオンラインサービス用の規定を設ける必要もあるだろう。

ミツバチと農業の多様性

 

2006年にアメリカ合衆国でハチが大量に失踪するという出来事があった。『ハチはなぜ大量死したのか』はそれを扱った本だ。結論から言うと、この本を読んでも、ハチが大量に失踪した理由は分からない。分かるのは「あまりにも複雑すぎてよく分からない」ということだけだ。原因は未だによく分からないらしい。

セイヨウミツバチはいろいろな作物の果実を実らせるために利用されている。だから、ミツバチの大量死は、農業そのものの崩壊につながりかねない。そして、農業の崩壊は局地的に起こるわけではない。ミツバチは世界各地を人の手で移動させられている。世界が緊密に連係しているせいで、ある地点で広がったウィルスは直ちに別の場所に広がる。

各地で使われている農薬も多岐に渡る。単体ではテスト可能だが、複合的にはどのような影響を与えているのか、実はよく分からないし、実験室レベルでは確かめる方法もない。

このように様々な理由が積み重なって、結果的にミツバチの群れが崩壊したのではないかというのが、最終的な結論だ。

この実例は「アイルランドのジャガイモ飢饉」に似ている。アイルランドでは、限られた場所に単一の品種のジャガイモを植えたために、ウィルスが劇的に広がったのだった。アイルランド人はジャガイモに極度に依存していた結果、人口は大幅に減少し、その後の回復には長い時間がかかった。

ミツバチの例はもっと複雑だ。原因は1つではないし、影響を受ける範囲も限定的ではない。地球上がアイルランドのようになっても、逃げる場所はどこにもない。

生態系というものは、注意深く積み上げられたパズルのようなものだ。そして多様な生態系ほど、変化やストレスに強い。システム内で回復力が働くからである。世界中が緊密につながると、その変化に系が対応できなくなる可能性がある。そこで起こるのが「系の崩壊」である。

つまり、世界を緊密に連携させることを決めたのであれば、その一方で多様性を守るために何ができるかを考える必要があるようだ。

日本の農業は、多様性にはあまり注意を払っているとは言えないのではないかと思う。スーパーマーケットも消費者も均一な大きさの人参やブロッコリを好むし、兼業農家はあまり手のかからない米ばかりを作りたがる。。時折提案めいたものが出てくるが、それは「工業」や「経営」の立場から出てくる生産性向上の提案ばかりだ。

とはいえ、以上の議論はあくまでも当事者ではない人の意見だ。やはり、単純に「多様性を守れ」と言うのも抽象的な議論に過ぎない。その意味では「美しい国を守れ」という議論とそんなに変わりはないのかもしれない。

すると、本当に問題なのは、当の農業従事者や流通の側から「今後日本の農業をどうしたいのか」といった声が全く聞こえてこないという点なのかもしれない。経験に即した発信ができる人がいないという点が、日本の農業の大きな問題なのかもしれない。

トウガラシから見えてくるもの

インド料理について調べていて興味を持ったので、トウガラシのことを調べてみた。なかなか面白いことが見えてくる。

トウガラシは中米(現在はメキシコ説が主流らしい)原産のナス科の植物だ。にも関わらず、トウガラシ料理を自国の文化と結びつける民族は多い。例えば韓国と日本を比較するのに「トウガラシとワサビ」という言い方をする人もいるし、インド料理やタイ料理にはトウガラシが欠かせない。

新大陸からヨーロッパに渡ったのはコロンブスの時代であり、それ以前のインド料理にはコショウはあってもトウガラシの辛さはなかったはずだ。こうした料理を見るとグローバル化という言葉が使われる以前から、世界の交易が盛んだったことが分かる。

トウガラシの叫び: 〈食の危機〉最前線をゆく』は、気候変動とトウガラシの関係について書いた本だ。邦題を読むと、いたずらに悲壮感をあおる本のように思えるが、実際にはトウガラシとアメリカ各地の人々の関係について実地調査した「明るめ」の本だ。

この本を読むと各地のトウガラシ – 日本人はひとまとめにしてしまいがちだが、実際には様々な品種がある – とのつながりと「トウガラシ愛」が分かる。気候変動によって引き起こされたと思われる水害によって壊滅的な被害を受けた土地もある。気候変動が将来の可能性の問題ではなく、いま目の前にある現実だということが強調されている。その一方で、過去には育てられなかった作物が収穫できるようになった土地もあるそうだ。

『トウガラシの叫び』は作物の多様性についても言及している。農作物も産業化しており、大量に収穫が見込めるトウガラシがローカルのトウガラシを駆逐して行くことがあるそうだ。それぞれのトウガラシには固有の風味というものがあり、それが失われることで、食べ物の多様性も失われて行くであろう。各地のトウガラシ栽培には、先祖たちのストーリーがある。それが失われるということは、すなわち先祖とのつながりや誇りといったものが切れてしまうということを意味する。

その事は、『トウガラシの文化誌』からも読み取ることができる。この本も人々のトウガラシ愛について言及している。

両方の本に書かれているのが、タバスコ・ソースについての物語だ。現在に至るまでルイジアナの一家が所有した企業によって作られているタバスコ・ソースは、南軍の兵士がメキシコのタバスコ州から持ち帰ったトウガラシから作られている。この一家の先祖は、北軍による攻撃を受けてその土地を追われてしまった。戦争が終わって戻ってくると土地は荒れ果てていたのだが、ただ一本残っているトウガラシを見つけた。タバスコペッパーは生きていたのだ。そのトウガラシから作ったソースは評判を呼び、今では世界中で使われている。

このようにトウガラシから分かることはいくつもある。地球温暖化や気候変動は身近な作物 – つまり私達の生活 – に影響をあたえている。多様な食文化は、食材の多様性に支えられている。グローバル化はそれを脅かしつつある。一方で、伝統的に思えるローカルな料理も実はそのグローバル化の影響を受けて変質している。変質してはいるものの、世界の人たちはおおむねこの変化を歓迎しているようだ。

トウガラシに着目するといろいろなことが見えてくる。理屈だけを見るよりも、具体的な物や人に着目する事で、問題についての理解が深まる。

さて、世界の人々がトウガラシに愛着を感じるのはどうしてなのだろうか。

トウガラシにはカプサイシンという成分がある。ほ乳動物はこの物質を摂取すると舌に痛みを感じる。ところがこのカプサイシンを少量だけ摂取すると体温が上がり、ランナーズハイに似た症状を感じるらしい。エンドルフィンなどの鎮痛成分が生じるためと言われている。

また食べ物の味を明確にする機能があるようだ。よく「辛いものばかり食べていると舌がしびれてバカになる」と言う人がいるが、実際には逆らしい。このことは日本人の好きなスシとワサビの関係を見てもよく分かる。ワサビの辛みが加わる事で、味に「枠組み」のようなものが生じ、うまみが増すのが感じられるからだ。

発達障害と職場のコミュニケーション問題

クローズアップ現代が「発達障害」を取り上げてた。クローズアップ現代によると、職場で発達障害の人たちが<問題>になっている。彼らはコミュニケーションが苦手なのだが、実は人口の10%を占めるという。つまり、発達障害のある人たちをどう<対処>するかということは、どの職場にとっても重要な課題だ。

この30分のプレゼンテーションを見て、とても違和感を感じた。とはいえ、なぜ違和感を感じたのかは分からなかった。結論から言うと、発達障害について関心があるから違和感を感じたのではないようだ。

最初に思ったのは、人口の10%もいる人たちを「障害」というのはどうなのだろうということだった。例えば、日本ではAB型の人は10%いるが、その人たちを「血液型に障害がある」とは言わない。次に感じたのは、こういう形質を持った人たちは昔からいたにも関わらず、なぜ今になって問題になるのだろうかという点だった。さらに、発達障害を持った母親というのも人口の10%を占めるはずだ。彼女たちは、育児で子どものちょっとした表情の変化が読み取れないはずだが、それは<問題>だとは言われない。それはどうしてなのだろうか。

このプレゼンテーションは90%の人たちに向けて作られている。途中で「表情と言葉が一致しない」場合に意味が読み取れないのが発達障害の特徴だという例が出てくる。この例示は発達障害の人には分かりにくい。つまり「番組を見ているのは90%だけ」だという前提で作られていることになる。いいかえれば10%の人は最初から視聴者としては排除されていることになる。もし10%の人にも分かりやすい作り方をするならば、これは「不快感を表す表情ではない」ことを強調して説明する必要がある。

ユニバーサルデザインをやっている人ならよく分かる理屈だと思う。二型色覚を説明するのに「色盲の人はこう見えています」と例示するのは、視聴者が正常色覚しかいないという前提に立っていることになるので、デザイナは、この課題を扱う時に表現や見せ方を工夫するだろう。

だから、作り手であるNHKには「コミュニケーションが苦手」な人がいなかったのだろうかという気にもなる。一度、そうした人たちにプレビューすれば問題が明らかになるはずからだ。つまり、番組を作るにあたって90%が作り、視聴者も90%を対象にしているということだ。

どうやら、このあたりに「違和感」の遠因があるようだ。ここから展開できるのは、隠れた問題意識だ。

本当は「コミュニケーションが苦手な人がいるために、効率よい職場環境が作れない」から「これは困った」という<問題>がある。本来なら、そうした人たちにもコミュニケーション技術を習得して貰いたい。それでも無理なら居なくなってほしい。しかし、人権の問題もあってそうはいえない。だから「どう対処すればいいのか」という点に問題を置き換えている。それゆえに一貫して「障害だ」という主張が繰り広げられているわけである。

しかし、この事自体が直ちに問題だという主張がしたいわけではない。

<問題>を進めるに当たって、以前にも増して効率化を進めなければ、これからの職場は立ち行かなくなってしまうであろうという前提がある。コミュニケーションにある特性がある人たちを構っている余裕はない。90%が期待しているとされるのは曖昧に指示を与えてても「適当に解釈して」くれるコミュニケーションだったり、空気を読んで自発的に残業してくれる気配りだったりする。

職場にはいろいろな不調がある。それがどのような背景で生まれたものなのかはわからないが、とにかくそうした不調を「コミュニケーションの問題」として乗り切ろうとしているらしい。そこでますます生産性を上げて、では果たして何を実現しようとしているのかという点には全く触れられないし、そうした分析もない。にも関わらず「これからの職場はますますコミュニケーションが重要になるだろう」という前提が語られてしまうのである。

例えば上司が「どうしていいか全く分からない問題」を「適当にやっといて」と部下に丸投げすることがある。「空気が読める」部下は、なんとなく愚痴の一つでもこぼしつつ適当に処理をするだろう。「ああは言ってるけど、きっと、たいした仕事じゃないんだろうなあ」などと思うわけだ。中にそれが分からない人がいる。この時、上司の側にも部下の側にも問題があるだろう。もし「何のためにやっているのか分からず、適当に指示するほかない」仕事があふれているとしたら、これは経営者の責任である。それを「障害」や「脳の特性」にすることで解決してしまうのはちょっと乱暴だ。

<問題>を見つめるということは、何かを見ないようにするためである可能性がある。浮上している問題を見つめるのは簡単だが、その影に隠れている当たり前の中にある問題を探り出すのは難しい。もっとも、そこまで考えてしまうととても30分で分かりやすくまとめることなどできないだろう。

いずれにせよ、公平であるということは、実はなかなか難しいらしい。

日本人と味覚

インド料理について調べていると「日本人が持っている味蕾の数は世界一である」というような記述があった。なかなかすばらしいことではあるが、日本人が書いた日本人論を見ると「これ、本当かなあ」と思うことがある。特に、客観的な事実が書いてあり、出典がないものは要注意だ。ということで調べてみた。

この「日本人が持っている味蕾の数は世界一」という表現は、いくつかの事実が合成されてできた「風説」のようだ。このフレーズだけを聞くと「ああ、僕の味覚も優れているんだなあ」などと思ってしまう。そして「トウガラシばかり食べている他の国の人と違い、日本人は繊細な味が分かるのだ」という結論を出したくなる人もいるかもしれない。

味覚を調査した論文がいくつ載っている本には「白人に比べて、アジア系には味蕾の数が多い人の割合が高い」書いてあるものがある。この研究は中国人と白人を比べているが、アジア系一般に言えることらしい。インド料理の本で読んだのはこの「アジア系」を日本人に置き換えたもののようだ。

一方、オーストラリア人と日本人を比較対象した研究には別の記述がある。オーストラリア人と日本人を比べて味の識別能力がどれくらいあるかを調べた。「うま味」(グルタミン酸など)で優位な差が出たが、その他の感度に違いはなかった。この調査は溶液を使ったものだ。ところが、実際の食品の味付けを変えて出した所、オーストラリア人と日本人には違いがあった。(以上『味とにおい – 感覚の科学-味覚と嗅覚の22章』)

どうやら「白人と比較するとアジア人(日本人も含まれる)には味覚が鋭敏な人が多く」「日本人は西洋の人の味の好みは違う」というところまでは「事実」らしい。一般的な体験を重ね合わせても、日本人の方が薄味を好むという点までは合意ができそうな気がするが「日本人の味覚は世界一」とまでは言えないようだ。

この「日本人の味覚は優れている」という説には続きがある。ネット上でいくつか見つけたのは「うま味は日本人が見つけた。これがわかるということは日本人が繊細な味つけを好むからだ」というような主張だ。確かに「うま味」は世界共通語になっていて、5つの基本的な味(しょっぱい、あまい、すっぱい、にがい、うまい)の1つとして認知されている。ところがこれも「日本人」をどう捉えるかで、意味が違ってくる。

うま味を見つけて、命名したのは、池田菊苗という日本人だ。1907年に発明して特許も取っている。ところが「うま味は日本人が発見した」と聞くと「日本人一般が古くからうま味の存在を知っていた」というようにも取れる。

ところが、東南アジアから東アジア一帯には魚醤を使う文化圏がある。魚が発酵するとタンパク質が分解されうま味成分が作られる。例えばキムチにもこうしたうま味成分が含まれている。つまり、日本人は海洋アジア系の伝統を引き継いでいるということは言えても「日本人だけがうま味を知っている」とまでは言い切れないことになる。アジア人は古くからうま味を利用してきたのだ。

一方で、日本人が諸外国の人々と比べて特に際立っていることもある。それが「風味」に関する欲求だ。風味は「フレーバー」と翻訳されたりするのだが、どちらかというと「新鮮さ」を識別する指標として使われることが多い。スーパーでも「産地直送」の新鮮な野菜や魚などに人気が集る。そのために物流網が発達し、鮮度を保つ冷凍技術なども充実している。デパートの売上げが落ちていると言われているが、デパ地下の人気だけは衰えない。

強い味付けが好まれないのは「魚や野菜の素材を活かして新鮮なうちに食べるのが一番おいしいのだ」と思っている人が多いからなのかもしれない。

こうした鮮度に対する欲求が際立っているせいで、外資系のスーパーマーケットはなかなか日本で成功することができない。コストコのように価格で成功している店もあるが「日用品」「加工食品」「肉」といった主力商品は、どれもあまり鮮度が重要でないものだ。

また、新鮮な素材が豊富に手に入り、消費者の食べ物への関心が高いために、東京では世界各国の料理が食べられる。

総論すると、日本人の味覚が世界一と言えるかどうかは分からないが、新鮮な食べ物が手に入れやすい点と、世界各地の料理が食べられる点では、かなり幸福な環境に暮らしているということはいえそうである。

説得するためには何が必要か

日経サイエンスの別冊に、ケヴィン・ダットンの説得についての短いエッセイが掲載されていた。『瞬間説得』というタイトルで本にもなっているのだそうだ。ダットンによれば、説得には「意外性」や「共感」などの欠かせない5つの要素があるのだという。これを「ジーンズを売るため」に活用してみたい。手のこんだジーンズには価値があるのだと説得するためにはどうしたらよいのだろうか。

現在、ジーンズ産業は不況なのだという、かつてジーンズを作るためには、よい生地屋や染色屋とのネットワークを確保する必要があった。ところが、こうしたネットワークが一般に知られるようになると、価格競争が一般化した。2012年の矢野経済研究所の調査によると、2011年の全体の市場規模は急激には縮小してはいない。ところが、ジーンズ専業の会社の業績は急激に落ち込みつつあるらしい。

こんな中で面白い動きを見つけた。美大出身の俳優が「再生」をキーワードにした活動を展開している。在庫になっているジーンズ生地を見つけ出して、これに新しいデザインを加えるというものだ。最近の朝日新聞で見つけたのだが、2010年にこのプロジェクトを紹介した記事も見つかった。俳優の一時の気まぐれではなく、継続性のある取り組みだ。

朝日新聞によれば、成功したプロジェクトらしいのだが、このプロジェクトのおかげで、このジーンズブランドが復活したという話は聞かない。何が良くて、何が悪かったのかを考えてみたい。

再生をキーワードにしたのは良かった。社会に対して彼らなりの理解があり、それを実際の形にしているという点だ。これは、社会に対して同じような理解を持っている人たちに対して共感を呼ぶだろう。あの有名人が…という点にも意外性がある。意外性が重要なのは、これによって普段振り向いてくれない人が振り向いてくれるということだ。また、ラベルには馬を蘇生させるというアイコンが使われているらしい。ユーモアのような感情も重要な要素だろう。

ここに不足している要素は – あくまでもケビン・ダットンの説によればだが – ユーザーにとっての利益だろう。つまり、意外性に基づいて振り返っても、ユーザーが自分にとって利益があると感じなければ、その関係性は長続きしないのである。

確かに環境問題は重要な問題なのだが、現代の消費者たちがこうした問題に継続的な共感を寄せているとは思えない。やはり、このブランドが有名でさりげなく自慢できるとか、価格的に手頃であるとか、簡単に理解できるベネフィットが必要だ。また環境に関心を寄せるために、消費者を教育することもできる。

このプロジェクトで気になるのは、いろいろな人たちが「作り手の夢」を乗せてしまうところだ。朝日新聞は近頃の若いモノの中には気骨があって環境に関心がある人がいると思いたいのだろうし、ジーンズメーカーも起死回生の策として期待を寄せてしまうところがあるだろう。朝日新聞の場合には企業活動に対する潜在的な不信みたいなものも読み取れる。

消費者にとっての一番のベネフィットは、自分の価値観に合致するメーカーがいつまでも存続することではないかと思う。つまりなんらかの協調関係を築く事ができれば、そのブランドは存続しやすくなるはずだ。

ここから見えてくるのは、消費者と企業の間にある冷めた関係性だ。消費者は企業に絡めとられることを望んでいない。価格だけをコミュニケーションの媒介とした、その場限りの契約を好むようになった。例えば同じ価格で缶コーヒーを買うなら、話をしなければならない個人商店より、自動販売機の方が気楽だ。コンビニで店員と話をするのすらなんだか面倒だ。

また、高いだけのジーンズを買うということは、その間に中間搾取をしている人が多いということだと理解されている。で、なければこのジーンズプロジェクトで見たように不効率な在庫管理のツケを払わされているのだ。消費者はその1本のジーンズだけでなく、裏にある失敗作も買わされていることになる。

悲観的なことはいくらでも書けるのだが、「企業や経済活動そのものに対する不信」に陥っている産業程、差別化は簡単にできるのだと読み取る事もできる。プロセスを見直して価格を見直し、なおかつ対象となっている消費者への提案ときちんと向き合う体制さえ作ればよいのである。

厳しい経済環境の中「そんな簡単なことで企業再生ができるならみんなやっているよ」という声が聞こえそうだ。

と、すると次の疑問は「説得すべき相手の顔が具体的に見えているか」という点だ。このあたり、不振におちいっている業界の方はどのように考えているのだろうか。