馬鹿な左翼が増えたのはGHQのせいかもしらん

石井孝明さんというジャーナリストが「頑迷な左翼が増えたのはGHQの教育プログラムのせいかもしれない」と仄めかしていた。GHQのは日本の教育を改悪して考える力を奪ったのだそうだ。頑迷な左翼が多いこと自体は否定しないが、日本の矛盾をすべてマッカーサーのせいにしても問題は解決しないと思う。いずれにせよ、面白そうなのでカウンターを考えてみた。

アメリカに住んでいたとき、カフェのテレビで討論番組をみていた。討論番組では福音派の男性が「子供を学校に通わせない」といきまいていた。学校で進化論を教えるからだそうだ。嘘を教える学校に子供を通わせることはできない、というのが彼の主張だった。周囲の人たちが「化石が出ているから進化論のほうが信憑性がある」と言っても頑として聞き入れない。次第に討論はエスカレートしてゆき福音派の男性は怒鳴り始めた。私は悲しくなりカフェのマスターに「なぜアメリカにはこのような頑迷な人が多いのか」と嘆いた。するとユダヤ人のマスターが面白いことを教えてくれた。

その昔、マッカーサーと言う人がユダヤの資本家たちつるんで、アメリカ人がものを考えないように教育プログラムを変えたんじゃ。科学的な教育をなくせば、アメリカ人たちは合理的な思考力をなくして喜んで企業のために働くようになる。自分たちの権利ばかりを主張してまとまらなくなるから労働運動もつぶせる。それが「この国の自由」の本当の意味なんじゃよ。

僕は「なるほど」とひざを打った。「テロで殺されるよりも多くのアメリカ人が銃で殺されているのに、誰も銃規制を訴えないのはアメリカ人が合理的に思考できないからなんだ」。マスターは否定も肯定もしなかったが、なんとなく肯定しているように思えた。

これが妄想だといいと思うのだが、頑迷なアメリカ人が多いところを見ると案外真実が含まれているのかもしれない。

というか、これは完全に妄想だ。頑迷なアメリカ人は多いことは確かだが、マッカーサーとは全く関係がない。もちろんアメリカには優秀な人たちも大勢いる。同じように日本で教育を受けた優秀な人もたくさんいるわけだ。「自由と権利」についても同じで、うまく活かせない人がいる一方で、立派に国のために尽くす人も多い。中には国のために働いて、戦争で四肢を失ったり大怪我をしたアメリカ人もいるのだ。

このエントリーを書いていて、大学生の元ルームメイトにたびたび聞かされていた言葉を思い出した。Stupid Americans(馬鹿なアメリカ人)という言葉だ。大量消費に明け暮れて物事を真剣に考えないアメリカ人を指す言葉である。彼はイランからきた移民の息子だった。LAにはお金持ちのイラン人がたくさんいるが、そうでない人たちも大勢いる。

左翼って馬鹿だなあと考える日本人と同じように、アメリカ人って馬鹿だなあと思うアメリカ人もいるのだ。単に馬鹿だと思っているうちはいいのだが、それが別の感情に変わることもある。

彼は大学でイスラムサークルにはまり、だんだん過激なことを言うようになった。最後には「一神教を信じない人とは暮らせない」と言われて追い出された。僕がアメリカにいたのは9.11のずっと前だが、こうしたルサンチマンが蓄積してやがてホームグローンと呼ばれる人を生み出すことになったのだと思う。自分以外は堕落している。それは教育が悪いからだ、自由が悪いからだ、というのはどこの国でも聞かれる言葉なのだ。

もちろんすべての人がそうなるというわけではないのだろうが、他人の自由や権利を恨む意識の中からやがて過激な方法で他人の自由を奪ってもよいと思う人たちが出現することがある。アメリカは徐々に不自由な国になりつつあるが、誰もその傾向を止めることはできない。「どこにでも安全を脅かされずに自由に出かけて行ける」という当たり前のことを平和で幸せな日本人はもっと自覚する必要があるのではないかと思う。

失うまでは気がつかないのかもしれないが。

i-dioとNOTTV

無料モニターに応募していたi-dioのwifiチューナーが届いた。携帯電話にアプリをダウンロードして使うのだそうだ。3月に放送開始ということで今は何もできない。普通、本格放送前にベータテストくらいやるものなので、本放送開始がそのままテストになるのだろう。開始一ヶ月前を切ったのにアプリもまだ完成していない。なんとものどかな話である。

CIMG7990i-dioのサービスはそれでも先の失敗に学んでいるらしい。失敗とはNOTTVのことだ。NOTTVはVHFアナログ放送の跡地を独占するためにNTTが始めたサービスだった。外資の参入を怖れた政府がNTTに引き取らせたと言われている。結局、コンテンツプロバイダが表れずにNTTと民法連が作った会社が運用することになった。

しかし、加入者が伸び悩み、累積赤字を貯め込んだ結果潰れてしまったのだ。どんなサービスを後継にするかは全く決まっていないらしい。NOTTVのチューナー入りの携帯電話端末を買った人は何も見られなくなってしまうようだ。

i-dioはこの失敗から学んでいるようだ。まず端末を無料で配る事にした。モニターと言っているが実際はベータテストではなく無料配布なのだろう。50,000人に配るそうである。さらに、コンテンツ事業者とインフラの事業者を分けた。そしてコンテンツ事業者を地域ごとに分割した。

i-dioは無料でコンテンツを配信するらしい。NOTTVは有料コンテンツだったのだが、加入者が集らなかった。不思議なことに日本ではお金を払ってコンテンツを買う文化が根付かない。TVには必ずBS/CSチューナーが入っているが、スカパーの加入者は350万人程度なのだそうだ。NHKのBSですら2,000万人の加入者しかいないそうである。有料どころかTVはNHKしか見ないという人も多いのではないだろうか。BS/CSアンテナですら付けるのが面倒だという国民が、わざわざNOTTV対応の端末を買って有料放送なんか見るはずがない。

このように失敗から学んでいるように見えるi-dioだが、懸念もある。wifiを切り替えて使うようなのだが、使っている間は既存のwifiが使えなくなる。携帯電話を想定しているようなので、携帯の電波を使ってwebにつなぐ構想なのかもしれないが、wifi専用のi-padなどではネットにつなげなくなるし、通信料も高くなるだろう。

さらに、ブラウザーではなく専用のアプリを使うようだ。なぜか日本のメーカーは自社技術でユーザーを囲い込みたがる。ブラウザーにHTML5で動画配信するということならばPCでも対応できたはずだが、そのつもりはないのではないかと思う。

ハードウェアも一から作り直す。VHF帯の電波をwifi変換できる機械があれば汎用的に使えるはずだが、細かく分けた上で専用機器を作るのだ。i-dioの他に自治体用に緊急放送を送る機械を作るということである。

ユーザーはいろいろな機械を買わなければならない。デジタルTV、ワイドFM用のラジオ、i-dioチューナー入りのナビゲーションシステムなどなど。汎用タブレットで全部できればそれでよさそうだが、どうしても専用機を作りたいみたいだ。

一連の話を調べていて不思議だったのは、未だに通信と放送が完全に分離されているということだ。法律が違うのだそうだが、実施にはどちらも電波にデジタルデータを乗せているだけなのである。技術的には放送電波にYouTubeを乗せて、それをwifi変換してパソコンで見るということもできるのだが、法律の体系だけはラジオが登場したときと同じ区分を使っているのである。

Twitterを分析する

Twitterにアナリティクスという仕組みがあり、ツイートの反応を分析することができる。分析の目的の目的は「今夏の選挙で立憲主義を争点にすると負けますよ」ということの証明なのだが、その他にもいろいろなことが分かるのでご紹介したい。

政治にだけ着目すると「左派インテリ」への反発が強まっており、立憲主義や民主主義を守りたいという欲求は退潮しているということが分かる。左派も民主主義を守りたいわけではなく、安倍晋三という人そのものに反発しているのではないかと思われる。

それ意外だと「自分に関係あること」の反応率は高いが、それ以外のことには関心が高くない傾向もありそうだ。

twitter_analytics001

立憲主義を争点にすると負けます

まず、メインテーマから。立憲主義への関心はほとんどない。閲覧数も少ないし反応率も今ひとつ。つまり、興味を持っている人は少ないのではないかと思われる。また左派インテリへの反発も強そうだ。

甘利問題もあまり興味を引かなかった。金権政治家への風当たりは弱まっているらしい。ただし「甘利さんは陰謀で陥れられた」と思っている人は多いらしい。検索経由での閲覧が多かった。黒幕を探していた人もいた。甘利問題は金権政治の問題ではなく陰謀論として捉えられているのだ。

その他興味を引かなかったもの

TPP、電力自由化なども興味を引かないらしい。Twitter Analyticsによると、フォロワーで最も多いカテゴリはテクノロジーに興味がある人らしいのだが、テクノロジー関係のツイートも興味を引かなかったようだ。「新製品が出た」とか、そういう話題が受けるのかもしれないが、よく分からなかった。また格差問題には関心が集ったが生活保護に関するツイートはあまり関心を集めなかった。生活には不安を感じているが生活保護を受ける程度には至っていないと考える人が多いのではないかと思われる。生活保護に関する拒否反応はよく語られる。やはり「恥だ」という認識なのかもしれない。

どのようなツイートが受けたのか

逆に、反応が良かったり、インプレッションが伸びたものは下記の通り。

個人に訴えかけるもの

立憲主義はあまり関心を集めないのだが「安倍政治を続けさせたくない人に読んで欲しい」というツイートの反応率は良かった。個人に訴えるとよいのだろうかと思った。また、安倍晋三個人への反発が強いのかもしれない。

個人に関係があるもの

金融で統計を取ると関心はあまり高くなかった。そこで金融のテクニカルなつぶやきと口座維持手数料に分けてみると顕著な違いが出た。「マイナス金利」のニュースに際して「自分の銀行の手数料が高くなるか」ということが関心の対象になっていて、それ以外は、言葉は悪いが「どうでも良い」ことなのだ。

弱い犬を叩くもの

「民主党のていたらく」と名付けたのは、民主党は解党すべきとか、経済政策がないというもの。どうやら民主党は、否定的な感情を持つ人たちから監視されているらしい。ネット右翼が韓国に詳しくなるのと同じ理屈なのだろう。これらのツイートはインプレッションを稼いだ。逆に擁護したり提案しても全くと言っていい程反応はなかった。

懐疑心

読みが難しいものもあった。これが今回のトップツイートとなった。組体操は憲法違反だという木村草太氏へのツイートに反応したもの。「議論」というラベルを付けた。

「社会が大きな目的を達成するためには個人の犠牲はやむ終えない」というのが、校外の合意となり法制化されたら、やはり法律は尊重されるべきなのだろうか。

いくつかの読み方ができるが、左派インテリ層(「戦争は良くない」などという学校の先生みたいな人)への反発のようなものを感じる。立憲政治を守りたいというツイートが無反応なのと一対になっているのではないかと思える。もう一つインプレッションを伸ばしたのがこれ。哲学者の永井均氏に宛てたもの。

この論法だと安倍政権の憲法改正も民主主義を通じた真摯な普遍道徳の追及だということになると思うですが、永井先生はこの説を支持なさいますか。支持しないとすると「徳」のような判断スイッチを外に置かざるをえなくなると思うのですが。

自民党の憲法案への賛成票であればまだ良いと思うのだが「左派インテリが困った顔をするのが見たいから」というルサンチマンで憲法改正案が成立してしまうのだとしたらかなり問題が大きいのではないかと思う。

その他

twitter_analytics002

その他受けたものをいくつかご紹介したい。まず民主党の長島昭久議員との間のやりとりで「愛国心」に関するもの。広がりは全くないのだが、反応率が高かった。キーワードは「保守」や「愛国心」。こうした言葉に対する反応率の高さは意外だった。しかし、質には少し違和感がある。グローバル化や左派インテリへの反発が重なっているのではないかと思う。これについては少し考えた方がよいかもしれない。

また松田公太議員との間のやり取りも反応があった。こちらも広がりはない(多分世間一般への関心は高くないのだろう)が、反応率が良かった。根強いファンが付いているのかもしれない。

トリビアも反応率が高かった。福岡県の京都郡がきょうとではなく「みやこ」と読むというもの。どうでもいい話だが、こういう軽い話題は受けが良いようだ。

その他ジャンルが受けたように見えるのは、受けが良いものだけをその他に入れたからだ。山本太郎議員が北朝鮮反対の決議に加わらなかったことを非難している人がいたので次のように呟いたら6700回閲覧された。プロフィールを見に来る人がやたらに多かったので「こいつは左翼(あるいは山本太郎のシンパ)だろう」と思われたのではないだろうか。

自民党の議員さんの中にも北朝鮮への非難決議を拒否した方が大勢いらっしゃったようです。先生はこの件について何か御存知ですか?

調査の方法

まずTweet Analyticsを使ってデータをエクスポートした。どの分野のツイートなのかは手作業で入力した。今回は20のカテゴリーに別れた。金融をサブカテゴリに分けたので、合計で21になる。カテゴリごとのインプレッションを合計し、ツイート数で割った平均を横軸にとり、反応率を縦軸にとった。反応率には、URLの押下・プロフィールの閲覧・いいね・リツイートの数などが含まれる。よって、反応率は「賛同率」とは異なる。ツイート数は200ちょっと。

格安コンピュータで日本経済の再生を!

国会で安倍首相が「第四の産業革命」とか言っている。ドイツなんかで流行っているIndustry 4.0を誰かが吹き込んだんだろう。国を挙げてスーパーコンピュータ開発や人工知能開発を目指さねばなどと言う人もいた。「ふーん」とは思うのだが、全く響かない。その理由は、彼らが考える「ハイテク」感が20年くらい遅れているためだ。

最近のコンピューティングのトレンドは「安く気軽に」だ

最近、格安のコンピュータが流行っている。Raspberry Pi Zeroというイギリス製のコンピュータが5ドルで買える。スペックはなかなかのもので1GHzのシングルCPUと512MBのRAMを備えている。電子部品やセンサーと組み合わせて遊ぶ教育用のコンピュータだ。

また、アメリカではCHIPというコンピュータが10ドルで売り出される予定だそうだ。同じようなスペックだが、BluetoothとWIFIが付いているそうである。

コンピュータとその周辺機器は完全にコモディティー化していることが分かる。スタバでコーヒーとチーズケーキを買うより安く付くくらいの価格なのだ。コンピュータで差別化できる時代はとっくに終った。「スマートテレビ」のコンピュータ部品は5ドルもあれば作れてしまうようなものなのだ。

近年IoTが流行り始めているので、Raspberry Piを使ってモノづくりを楽しんでいる人がたくさんいるみたいだ。UNIX、Pythonと電子部品の知識が必要で、理系の人のホビーみたいなイメージらしい。

日本の悪いクセ

スーパーコンピュータも結構なのだが、安いコンピュータをたくさん並べて処理をした方が何倍も効率的なことも多い。だが、大手メーカーは5ドルのコンピュータなんか作らない。おじさんたちの高い給料を賄えないからだ。政治家さんと仲良しのおじさんたちがいろいろと吹き込むのだろう。

日本人は変化を嫌うので、延々とスペック競争を起こす。家電ではTVが4Kや8Kを目指し始めた。ホームビデオを8Kで撮影するのだそうだ。その結果、新しい製品は売れなくなり、ついにはヤマダ電機が中古市場に手を出すようになってしまった。

さらに日本には「囲い込みたがる」クセもある。昔政府が「INSとキャプテンシステム」を組み合わせたニューメディア構想というのを推進していた。高付加価値化を目指したので通信料や端末の料金が高く全く売れなかった。政府は全国の郵便局に端末を設置したりしたのだが全く普及せず、枯れた技術であるTCP/IPを使ったネットワーク(後にインターネットと呼ばれるようになる)に完全に取って代わられた。

ニューメディア構想のもう一つの失敗の原因はコンテンツの貧弱さだった。政府やメーカーはハードウェアには熱心だったが、コンテンツにはほとんど関心を寄せなかった。儲からないからなのだろう。しかし、実際にユーザーが関心を寄せるのはハードウェアではなくコンテンツなのだ。

日本のIT技術の底上げはボトムアップで

もし日本のIT技術を底上げしたければ、1000円〜2000円くらいのコンピュータを中学生に配った方がいい。日本の技術があればいくらでも作れるだろうし、コンピュータそのものは英米から輸入してもよい。ネットワーク対応はした方がいいと思うが、その他のスペックはたいしたものではなくても構わないのではないか。独自技術で囲い込みたくなるかもしれないが止めた方がいい。すぐにガラパゴス化してしまうだろう。枯れた技術で作るから安く作れるのだし応用もできるのだ。多分「独自OS」とか言い出す人がいるだろうが、それも止めた方が良い。

ただし、いろいろなセンサーは付けられるようにすべきだ。その方がいろいろ遊べて楽しい。ヒーターのスイッチをオンオフしたり、音声認識をしたり、GPSを使ったり、RFID(非接触型の読み取り装置)と通信したり、光センサー、加速度センサー、温度センサーなどなどとできることはたくさんある。

これを頭が柔軟な子供に使わせれば、様々な用途に応用できる。UNIXの知識も身に付いて一石二鳥だし「お金がなくてパソコンが買えない」みたいなこともなくなるだろう。

パソコン教育というと、Officeを使わせてインターネットで調べものをして、みたいなことを考えがちだ。確かに働くとき便利だろうが、パートや事務員になるためだけにパソコンを学ばせるよりも、プログラミングを勉強してもらった方が将来に広がりが出るのではないだろうか。

もう一つ分かるのは、これからコンピュータ産業はどんどんオープンソース化して行くだろうということだ。一部のエリートエンジニアたちが家電を差別化するために競争するというような時代は終ってしまったのだ。何万人もの素人がアイディアを競うような時代になってくるのだろう。

もともと細かくちまちまとしたものを作るのに長けていた日本人が、コンピュータだけは大きくて立派なものを作ろうとするのだろうか。政治家やおじさんたちの頭の中には、公共事業のイメージがあるのかもしれない。

Feedlyを使う

最近、Feedlyを使って当ブログを閲覧する人が増えてきた。ソーシャルメディアが台頭した数年前にRSSリーダーなど過去のものになったと思っていたので、ちょっと意外な傾向だ。読まなければならないブログやニュースサイトが爆発的に増えているからなのかもしれない。モバイルとPCで共有できるのも人気の理由なのかなと思ったりもするが、よくわからない。

遅ればせながらFeedlyボタンを右サイドバーに追加した。モバイルで閲覧している人は画面の下(コメントよりも下)に表示されているのでちょっと見つけにくいかもしれない。

ついでにモバイルのレイアウトを見直した。普段はPCでしか見ていなかったので、広告とソーシャルメディアのシェアボタンのレイアウトが崩れているのに全く気が付かなかったのだ。2/3のユーザーがモバイル経由なので、読みにくかったんだなあと思う。申し訳ない限りだ。スペースの関係ではてなブックマークとGoogle+は外した。残念ながら、はてな村からの支持はあまり得られなかったみたいだ。

Feedlyボタンをつけるのは簡単だった。Feedlyのサイトに行き、RSSのURLを埋め込んだコードをコピーするだけだ。Feedly対応で気をつけなきゃと思ったのはサマリーの書き方だ。今はTwitterカード用に書いているのだが、Feedlyはより多い情報が使える。この使い方を工夫するとソーシャルメディアへのシェアが増えそうだ。ただし、ここでまとめてしまうと概要だけ見て本文を読まれない可能性もある。多くの人はヘッドラインをフォローするのに忙しく、本文をじっくり読む時間はないんじゃないかと思う。一覧から選ぶと概要が表示される。本文を読むためにはもう1クリックする必要があるのだ。WordPress系の場合RSSにアイキャッチ画像を表示するには改造が必要なようだ。面倒なのでやっていないのだが、ニュース系サイトではデフォルトになっているようで、写真がないと埋没しそうだ。

Feedlyはブログの整理だけでなく新しいブログの発見にも役立つようだ。たとえば政治家のブログをフォローしたいとする。何かひとつ政治家ブログを選んで登録する。するとそのブログを購読している人が読みそうなブログを自動的にお勧めしてくれる仕組みがある。これは旧来のRSSシステムにはない機能だろう。Twitterは自分がフォローしている人の気になる情報しか発見できないが、Feedlyはソーシャルで盛り上がっているニュースをトップに表示する機能がある。

改めて、世の中には読まなければならない情報がたくさんあるんだなあと思った。この中で埋もれないようにするのはなかなか大変だ。場合によってはヘッドラインだけでも読んでもらえればという割り切りも必要かもしれない。

ネット上で議論が成り立たないわけ

表面上「ネット上で議論をしたい」と思っている人は意外に多いようだ。だが、実際に意見を書いてみてもほとんど反論がない。傲慢にも「これだから日本人は」的なことを思ったりするわけだが、一から考えてみると意外と難しい。自分自身がディベートとはどういうものかということを良く分かっていないのだ。

そもそもディベートとは何か

日本語で調べてみてもたいした記事は検索できないが、英語で検索するとたくさんの記事が見つかる。英語圏ではディベートはスポーツの一つとして認知されているようだ。

まず、ディベートにはフォーマルなものとインフォーマルなものがある。フォーマル・ディベートにはかしこまった形式があるらしい。Affirmative(賛成)側は右に立ち、三回立論と反論を繰り返すと書いてあるものもあった。回数や準備期間にいろいろな流派があるようで、なかなか難しい。

一方、インフォーマルなディベートというものもある。まずは相手がどのようなポジションで立論するか分からないので、それを明確にする所から始めたりするそうだ。立論とポジションがクリアになったところで、反論を試みるべきだと書いてある。

インフォーマルなディベートは「意見交換」の場であって、喧嘩・競技・意思決定のいずれでもない。また、相手の言っていることに納得ができないからといって同じ話をいつまでも蒸し返してはいけない。意見に対して反論しても良いが個人攻撃はよくない。

「国会議員も見習って欲しい所だ」と書きたいのは山々なのだが、意外と英語でのディベートを練習したという人も多いのではないだろうか。政治家志望者の必須科目だとみなされているので、大学の弁論部出身の議員も多いはずだ。また、弁護士も弁論術を使う。それでも国会議論が口喧嘩にしか聞こえないのは残念なことである。

ネット上ではディベートは成り立たないようだ

さて、ネット議論である。今回参加したのは2つの議論だ。1つは緊急事態条項に関したもので、両論を並べて「どう思いますか」と言っている。普段のツイートから判断すると、書いている人は緊急事態法賛成派だ。背景には「中国の軍事的台頭」がある。改憲議論は「左右対決」になっているので、フレームを崩すことが大切だと思う。そこで「大地震に際して自民党が作った緊急事態条項を民主党が使ったら」という立論をしてみた。

だが、フレームを崩してしまうと、ほとんどの議論が無効になってしまう。これまでの反発が使えなくなってしまうのだ。そこで「参考になりました」という返事が来て終わりになってしまった。ディベートのお約束としては「立論の前提が違う」という反論になるはずである。緊急事態条項が重要なのは軍事的攻撃や外国に煽動された不心得なデモ(ちなみにSEALDsなどのこと)に対応することであって、政権に就く覚悟がなかった民主党が政権に就くことなど二度とないという反論になるはずである。

もう一つの議論は「愛国心」についてである。長島議員をからかったようなツイートをしたら「愛国心は大切」という反論が来た。そこで「長島先生のような立派な保守の政治家が保守を善導すべき」と書いたところ、横から「愛国心で善導なんかできるわけないだろう」というような反論が入った。その人が「愛国心と平和は両立するか」と問い掛けられたわけだ。右翼を論破しようと思ったのかもしれない。

議論をクリアにするためにはまず立論をしなければならない。その為には「愛国心」と「平和」を定義した上で、それが両立する根拠を示す必要がある。時間をかけて書きたいが、あまり長くは待ってくれそうにないので30分をメドにして立論した。

相手から来たのは意外な反応だった。宗教を持ち出したことで「ドメインが違う」と見なされたようだ。宗教はよく分からないから反論できないというのである。相手のプロフィールを見たところ「安倍政権は危ない」というブログを書いている人だった。自民党は保守ではなく極右だという。こちらもフレームが固定されていたのだろう。議論を円滑にするためには「愛国心」とは、安倍首相がいうような(いいそうな)意味の愛国心でなければならなかったのだ。子供を戦争に送り出すのに旭日旗を振るような愛国心だ。しかし、そのフレームで愛国心と平和が両立しないのは当たり前だ。戦時の愛国心だからである。

この場合議論を進めるためには「アベの愛国心は危ない」くらいにするべきだろう。ただし、これが議論になるかは分からない。価値判断なので人によって印象は異なるだろう。この手の議論はネット上に氾濫していてあまり面白みがない。

ディベートが成り立たない理由を考えてみた

たった二つのサンプルで総論するのは危険かもしれないが、日本で行われている「議論」というのは、ロジックではなく、フレームのコンペティションだということになる。フレームはいわば仮説なので、前提が狂うと使えなくなる。

日本でディベートが成り立たないのは、日本文化が探索を前提にしていないからだろう。サンプルや型というものがあり、それを模倣するのが日本文化だ。「考える」のは型に習熟した後だ。唯一の例外は外から圧力がかかった時だ。極力変化を避けるのが日本式と言えるのかもしれない。

型の習得がより重要視されるので探索型のディベートが成立しなかったのだろう。日本にもディベートを持ち込もうという人は多くいたが、その度に「型」が温存されるだけで広まらないのだそうだ。そしてまた別の型が輸入されるという状態が続いているということである。

ここで浮かび上がる最後の疑問は、自分で考える文化がないのに、なぜ個人が確固たる意見形成ができているかということだろう。

生活保護でもないと生きてゆけない……

Twitterで生活保護についての情報が流れてきた。持ち家があっても利用できるのだという。将来、持ち家を持っているせいで生活保護をもらえない下流老人が増えるだろうという観測をテレビかなにかで聞いたことがあったのでびっくりした。

もし、持ち家がとても豪華なら「売れ」といわれるそうだが、平均の家の場合にはそのようなことは言われないのだそうだ。ただし、ローンがある家の場合には受け付けられない。また65歳以上の高齢者はリバースモーゲッジを組めといわれるそうである。これは2007年から始まった制度だそうだ。高齢者で生活保護を受けるということは扶養してもらえないということだ。相続人がいないわけで、どっちみち家は国のものになる。だから、まあこれは仕方のないことかもしれない。

生活保護は役所の窓口でブロックされるという話をよく聞く。この場合、弁護士や地域の法律家ネットワークに助けを求めることができる。弁護士を頼んでも依頼人に費用はかからないのだという。「日弁連委託援助業務」というものがあるらしい。

法律家ネットワークの話によると「事前にアドバイスを貰うだけ」で問題が解決する場合も多いそうだ。何よりも「いざとなったら相談するところがある」ということを知るだけで安心感が増すという声も多いのだという。ただし、逆に弁護士がついたからといってすべての問題が解決するというわけでもないらしい。中には「がっかりした」という相談者もいるそうだ。法律家のネットワークは手弁当らしいので「がっかりした」と言われては心外だろうなと思う。

当座の困窮者の問題は解決しそうだが、問題も多い。現在の生活保護カバー率は20%程度だという話がある。現在の生活保護支出額は4兆円に届かないくらいだが、資格者全員にいきわたると20兆円くらいになってしまう。地方財政は直ちに破綻するだろう。

非正規雇用が40%を超えたということなので、近い将来国民年金の受給者が増えることが予想される。国民年金は月5~6万円だから、働けなくなった高齢者のほとんどが生活保護の有資格者ということになる。年金を増やしたいのは山々だが、これも国庫支出が大きな割合を占めるものだ。どっちみち国家財政は破綻する。

生活保護は健康保険と連動している。生活保護が増えると国民健康保険や介護保険の被受給者は減るので、保険料は高騰するだろう。すると、保険料をまかなえない人が出てきてさらに生活保護への移行が進むことが予想される。

リバースモーゲッジで家を担保にすることはできる。しかし、人口が減りつつあるので、地方に売れない家の在庫が増えることは容易に予想される。金融会社は地方から手を引くだろう。これを地方自治体が引き受ければ、地方自治体は空き家を大量に抱えることになる。これを金に換えるためには更地に戻さなければならないが、家の解体には数百万円の費用が必要になる。更地にしたからといて売れないかもしれない。今でも空き家問題は地方(といっても、東京近郊にも空き家に悩む地域は多い)にとって深刻な問題なので、これがさらに深化することを意味している。

将来的には問題がある一方で、生活保護制度を正しく運用することで防げる問題も多い。最近も亡くなった夫のなきがらを放置したままで「死体遺棄」と「年金不正受給」の罪に問われた妻がいた。もし生活保護が受けられることを知っていればそんなことにはならなかっただろう。高齢になった子供が亡くなった親を放置したままにして年金を受け取ったという事件もある。生活保護への認知が広がればこうした事件は防げる。

インターネットがあれば「生活保護は誰でも受けられる」という知識を得るのは難しくない。しかし、たいていの場合はネットもPCもぜいたく品だろう。知り合いの数が限られるに違いない。こうした知識からの孤立の方が貧困よりも大きな問題なのかもしれない。

人を釣る科学

釣りの科学を一言で現すと次のようになるようだ。「認知的不協和を改善する情報がある」とき人は釣られる。釣られたくなければ「認知」を持たないことだ。だが、これはなかなか難しそうだ。

甘利大臣が辞任した。これは安倍支持者にとって認知不協和になったようだ。そこで「甘利 陰謀」とか「甘利 黒幕」で検索する人が増えたのだ。

安倍首相は大きな支持を集めている。それは安倍首相が人々の欲求を満たしているからだ。安倍首相のメッセージは「あなたは変わらなくてもよい」と力強く一貫している。悪い事は全て「敵」の仕業であり、敵とされているのは民主党と中国・韓国だ。裏側には「このままではすまないのではないか」という不安があるのだろう。

ところがうまくいっているはずの安倍政権に汚職事件が起きた。そこで認知的不協和が生じることとなった。週刊誌報道で疑念が芽生え、辞任劇で不協和が頂点に達した。爆発的な検索の増加はそこのことを物語っているようだ。

いろいろな話を書いているのだが、読まれないものも多い。にも関わらず冗談で書いた記事ばかりが読まれるのは面白くない。そこで「じゃあ、釣ってやれ」と思って書いたのが「マイナス金利」に関する記事である。ちょっとだけダークサイドに堕ちたのだ。

多くの人にとって「マイナス金利」はよく分からない概念だ。漠然とした不安を感じている人も多いようである。一般の人だけでなくプロの編集者にもそうした感想を持っている人がいた。

そこで、直感的に「個人の危機感と曖昧な情報を結びつければ人を動かせるのかもしれない」と思ったのだ。前日に日本の銀行とアメリカの銀行について書いたので、基本的な情報は持っていた。30分程度で書いたのが「マイナス金利になると銀行口座が持てなくなる」というものだ。

案の定、アップしてから10分くらいで8人が読みにきた。そしてそのままいなくなってしまった。今朝確認したところ読者の総計は10名だった。結局10人が釣られたのだ。

マイナス金利のニュースが抱える認知的不協和は「経済は安定している(べき)」というものと「持続可能性に不安がある」というものだろう。マイナス金利という聞き慣れない言葉を聞いて、その不安が顕在化しかけたのだと思われる。引用した呟きには「将来の不安」だが、これは「現在は安定している(はず)」という意識の裏返しである。

この記事には嘘は書かなかった。経済が不順になり金融機関が利益を得られなくなると、結果的に低所得者層にしわ寄せが行くというのが、アメリカの銀行が教えてくれる教訓だ。金融緩和策は、経済不調の結果なので、金融緩和と銀行口座が持てなくなるというのは双方とも「果」ということになる。原因は経済が不調で金融機関を儲けさせるだけの事業がないことだ。

今まで観察したところによると、日本人は議論のプロセスを無視して「問題」と「答え」だけを知りたがる傾向にある。情報が流れて行くTwitterではその傾向はさらに強くなるだろう。5分で答えだけが知りたいのだ。

この記事はシェアはされなかった。アメリカではマイナス金利政策は実行されなかったからだろう。プロセスや構造は無視されるので、「因果関係がなかった」ことが「証明」できたということになる。「明日も暮らし向きは変わらない」という安心感も得られたのではないか。認知的不協和は解消されたということになる。

閲覧数が多いブログを書きたければ、情報が不確実で欠損があり認知的不協和のありそうな分野の記事を書けば良いことになる。ただしそれが「人気を集めるブログ」になるかどうかは分からない。

この分析を裏返すと「需要のあるブログ」は作れそうだ。既に人々の頭の中には「認知」ができあがっている。安倍支持者たちは「自分たちはうまく行っていて、悪い事はすべて民主党(中国・韓国)のせい」と考えており、反安倍支持者たちは「世の中はうまく行っておらず、悪い事はすべてアベのせい」だと考えている。その認知は(恐らく多くの場合は)間違っているので「穴」を埋めるための情報が常に求められるのだ。それを書いてやれば、多くの人は「共感する」だろう。

もし情報に流されたくないのなら、余計な認知を持たずに情報を見極めるべきだということになる。人間は情報プロセスの負担を減らす為に認知経路を作るように設計されているのだから、これはなかなか難しいことなのかもしれない。

「狂った世界」の道徳と憲法に関する議論

木村草太先生が道徳の教科書について怒っている。現在の組体操は憲法違反だが、道徳教育上有効として擁護されている。学校は治外法権なのかというのだ。木村氏は道徳よりも法学を教えるべきだと主張する。最後には自著の宣伝が出てくる。

Twitter上では「道徳教育など無駄だ」という呟きが多い。この点までは氏の主張は概ね賛同されているようだ。ただし、この人たちが代わりに法学を学びたくなるかは分からない。また、組体操についての懐疑論もある。「全体の成功の為に個人が犠牲になる」というありかたにうんざりしている人も多いのではないかと考えられる。

また、一般に「道徳」と言われる価値感の押しつけは「一部の人たちの願望である」という暗黙の前提があるようだ。その一部の人たちが押しつけようとしているのが、自民党の考える「立憲主義を無視した復古的な」憲法だ。だが、それは一部の人たちの願望に過ぎない。人類の叡智と民意は「我々の側にある」と識者たちは考えているようである。

これらの一連の論の弱点は明確だ。つまり「みんなが全体主義的な憲法を望み、それが法律になったときに木村氏はそれを是とするのか」という点である。すると道徳と法学は違いがなくなってしまうので、問題は解消する。すると法学者はけがの多い組体操を擁護するのだろうか。

考えられる反論は「人類の叡智の結集である憲法や法が、軽々しく全体主義を採用するはずはない」というものだろう。木村氏は「革命でも起こらない限り」と表現している。民意はこちら側にあると踏んでいるのだ。

このような反論は護憲派への攻撃に使われている。「憲法は国益に資するべきであり、現状に合わない憲法第九条は変更されるべきだ」というものである。天賦人権論や平和憲法は自明ではなく「アメリカの押しつけに過ぎない」という人もいる。国会の2/3の勢力を狙えるまでに支持の集った安倍政権は「みんな」そこからの脱却を望んでいると自信を持っているはずだ。

護憲派は第九条や天賦人権論を自明としているので、これに反論できない。哲学者の永井先生は木村氏を擁護し、木村氏はこう付け加える。

安倍政権は「憲法改正を望むのは民意だ」と言っている。木村流で言えば「真摯な民意」が憲法改正を望んでいるということになってしまう。選挙に行かないのは「真摯でない民意」だから無視して構わない。デモを起して騒ぐのは論外である。「選挙にも行かないくせになんだ」ということになる。

この一連の議論が(もちろん改憲派も含めて、だ)狂っているのはどうしてだろうか。「道徳」を押しつけたい側は「昔からそうだったから」と言っている。この人たちは「右」と言われている。そして護憲側は(この人たちは「左」と言われる)も「世界では昔からそうだったから」と言う。そして「みんな」の範囲を操作することでつじつまをあわせようとするのだ。

普遍的真理は大変結構だと思うのだが、それは常に検証されなければならない。もし検証が許されないとしたらそれは中世ヨーロッパと変わらない。カトリック教会は「神の真理は不変だ」といっていた。ただし民衆は真理に触れることはできなかった。ラテン語が読めないからだ。

多分、議論に参加する人は誰も検証のためのツールを持たないのだろう。にも関わらず議論が成立しているように見えるのが、この倒錯の原因なのではないかと思う。ラテン語が読めない人たちが神の真理について議論しているのである。

「普遍的真理」というのだが、実は民主主義国は世界的に例外に過ぎない。イギリスのエコノミストが調べる「民主主義指数」によると、完全な民主主義国は14%しかなく、12.5%の人口しかカバーしていない。欠陥のある民主主義まで含めると45%の国と48%の人口が民主主義下にあることになる。普通とは言えるが過半数にまでは達しない。

どちらの側につくにせよ、それを望んでいるのは個人のはずだ。しかし、日本人は学術的に訓練されていても、徹底的に「個人」を否定することになっている。個を肯定しているはずの「左側」の人たちにとって見るとそれは受け入れがたいことなのではないかと思う。

さて、個人が政治的意見を形成するのに使われるツールがある。それは「哲学」とか「倫理学」と呼ばれる。ちなみにこの議論で出てくる永井先生は哲学の先生だ。日本語では道徳と言われるが西洋では倫理学だ。

どちらも「善し悪しを判断する」ための学問だが、日本の道徳が答えを教えてしまうのに比べて、倫理学は考える為のツールを与えるという点に違いがある。

倫理学教育が足りないと感じている人は多いようで、数年前にマイケル・サンデルの白熱教室が大流行した。もちろんサンデル教授は独自の意見を持っているが、白熱教室でどちらかの意見に肩入れすることはない。記憶によるとサンデル教授は判断基準のことを「善」とか「正義」と呼んでいたように思う。

日本の政治的風土は「自分で考える」ことを徹底的に避ける傾向があり、価値観の対立に陥りがちだ。どの伝統を模範にするかでポジションが決まってしまうのだ。ところがこれでは外部にいる人を説得できない。

しかしながら、外部にいる人たち(いわゆる政治に興味のない人)も「選挙に行かないのは人ではない」くらいのプレッシャーを受けている。そこで「科学的で合理的な」政治に対する説明を求めるのだろうと考えられる。しかしそのためには、受信側も送信側も考えるためのツールを持たなければならない。

故に、学校では道徳を教えるべきなのだ。ただし、安易に答えを押しつけてはいけない。道徳の目的は答えに至るプロセスを学ぶ機会だからである。

友達の喧嘩にまきこまれた – 検索ワードから

検索に使われたキーワードから面白そうなものを抜き出してみた。いろいろ悩んでいる人が多いらしい。

Q.友達の喧嘩にまきこまれた
A,.それは大変ですね、としか言いようがない。

Q.マイナンバーカード Felica
A. Felicaではなく、ISO/IEC 14443 TypeA/Bという規格らしいが、よくわかりません。これお仕事だったのだろうか。調査に協力できなくて申し訳ない。

Q.マイナンバーカード 点字
A.確かに必要かも。申請すれば付けてもらえるらしい。知らなかった。

Q.プラモデル火事
A.それは大変でしたね。シンナーに引火するの?

Q.Lineやめられない
A.スマホをお風呂に沈めてみてはいかがか。

Q.文明の衝突問題点
A.それは僕も知りたいですがわかりません。イデオロギーなき世の衝突を文明で代入しただけという批判があるみたいですね。

Q.ハイルヒトラー意味
A.ジーク・ハイルは「勝利万歳」という意味らしいが、ハイルは英語のWholeと同根で「完全な」とか「健康な」とかいう意味があるようですよ。

Q.オリンピックいらない
A.かかわる人が次々と不幸になる。最近ではパラリンピックの応援団のSMAPとか。確かにいらないという人の気持ちもわかりますね。

Q.シュレーバー回想録
A.「なにそれ」と思ったのだが、フロイトでしたね。すっかり忘れていた。

Q.戦争は平和である。
A.元ネタは『1984』ですね。最近では安部首相もキムジョンウンも使っていて、東北アジアでは流行しつつあるみたいだ。

Q.MBTIキャラ
A.だからあれは占いでもキャラでもないの。

Q.アベノミクスどうなった
A.どうなったんだろう。失敗したんじゃないですかね。

Q.二重ルーターメリット、デメリット、設定
A.このワードが検索されるたびに5000円くらいで相談に乗ってあげられるのにと思う。ちゃんと設定すれば二重でも三重でもきちんと動くよ。

Q.クリスランガン
A.まったく記憶になかったが、マルコム・グラッドウェルの本に出てきたらしい。

Q.ジェームスディーン・ゲイ
A.へえー知らなかった。本当なのか。過去にそんな話を書いたのかなあ。

Q.放蕩息子の帰還現代的意味
A.そんな哲学的なこと書いた覚えはないが、あれは父の赦しについて書いてある。現代的な意味合いはなくて、かなり普遍的な話だと思うよ。