政治に対する危機感を共有したい人がまずやるべきこと

政治には危機感を持っているが、政治について話せないという人は多い。当初、それについて対応策を書こうと思った。

多分、自分が話すのではなく、相手に話させるのが良い。「ニュースが分からない」などと言えば、相手は得意になって話してくれるだろう。すると相手のポジションが分かるので、それに従ったテーマで話せばよい。「興味ない」という人もいるだろうが、トピックは刷り込まれるだろうから、関連するニュースを追うようになるだろう。単純接触を繰り返して徐々に洗脳してゆくというテクニックはポテトチップスの販売から新興宗教まで幅広く利用されている、とてもありふれた方法だ。

だが、これを書くのはやめにした。過去に書いた記事を思い出したからだ。

もともと日本ではデモが起きなかった。東日本大震災の後でさえ目立ったデモは起きておらず「日本ではなぜデモが起きないのか」というエントリーを書いていた。

だが、実際にはデモが起きていた。最初に起きたデモは小規模なものだった。民主党政権の打ち出した福島への帰還基準年間20msvに反対する人たちが抗議運動をしていたのだ。やがてこれが反原発運動になった。

デモをしなかった人たちはなぜ突然デモに目覚めたのだろうか。例えると赤信号に似ているのではないだろうか。日本人は赤信号で道路を渡らない。しかし、誰かが信号を無視して渡りはじめると、続いて皆が渡り始める。規範そのものではなく、その規範に対して周囲がどのような反応を示すかが重要なのだ。

職場や学校で話題が出るようになれば、次第に政治の話題は増えるだろう。

現在の問題は「語り手」が少ないということではなく「聞き手」が少ないことだということになる。

清原和博容疑者は釈放されるべきではないのか

清原和博容疑者が覚醒剤使用の容疑で逮捕されてからしばらく経った。この問題を見ていて、この人は犯罪者として裁かれるべきではないのではないかと思った。

清原容疑者が薬に手を出したきっかけは痛み止めの服用だったようである。意外なようだが、痛み止めと違法薬物は地続きになっている。アメリカでは痛み止めへの依存性から抜けずにリハビリセンターに入る人もいる。記憶に新しいところでは(もう忘れている人もいるかもしれないが)トヨタ自動車で女性初の役員になったジュリー・ハンプ氏が「麻薬(オキシコドン)を密輸した」疑いが持たれた事件がある。痛み止めなのだが麻薬成分が含まれており、依存性もあるようだ。アメリカでは合法だが、処方を問題視する人もいる。

清原容疑者の報道者たちは、売れるネタが欲しいばかりに彼を見殺しにした。どうやら普段から異常行動があることを知っていたらしい。家族も気がついていて精神科もに担ぎ込まれたことがあったようだ。早くからリハビリセンターに入れていればここまで状況がひどくなることはなかったはずだ。それができなかったのは「犯罪者として前科がついてしまう」からだろう。

鎮痛剤など一部の人のものだと思うかもしれない。だが、麻薬と鎮痛剤が地続きになっているように、抑うつ状態と覚醒剤も地続きになっている。

「家族と離れて落ち込んだ」ことなどが清原容疑者をさらに追い込んでゆく。「ちょっとさびしい」ことで薬物やお酒への依存に追い込まれる人も多いはずだ。大人になると仕事がきついとかさびしいとかいうことはよくあるが、相談できる場所は少ない。動けなくなるほどぼろぼろになって初めて精神科に行くことになる。

精神科では長い時間待たされて5分ほど診察がある。そして、薬を渡されることになる。具合が悪いというと、薬の量が増えてゆくばかりだ。本当に必要な薬を飲まされているのか、5分ほどの診療でわかるはずはない。必要な薬を処方される人もいるだろうが、不必要な薬を飲まされている人も大勢いるはずだ。しかし、医者は困らない。親切に診療しても、5分で薬を与えても報酬は同じだからである。

誰でもうまくいっているときは良いのだ。しかし、何かトラブルがあったときに頼れる場所は多くない。その結果、非合法の薬物にすがることになる人が出てくるのだろう。いったん非合法薬物にすがると、そこから抜け出せなくなる。問題が地下化するからだ。特に覚醒剤は依存性が強く、再犯率も高いそうだ。

覚醒剤使用者を逮捕することで、却って覚醒剤の蔓延を助長しているのは確かだ。覚醒剤ばかりではなく、その他の違法薬物摂取者を見つけたら早めに通報してリハビリできる場所を作る必要があるのではないかと考えられる。

日本人はこうした薬物問題が起こると、逮捕して社会的に制裁すれば「なかったものにできる」と考えているようだ。確かに安心感を得る効果はありそうだ。「まっとうな社会は薬物的にクリーンだ」というメッセージだ。

しかし、もし問題を解決したいと考えるなら、今の法制度は健全に機能しているとはいえない。誰でも問題を抱える可能性があるということをもっと強く認識すべきだろう。

安倍首相に憲法を改悪させないために民主党ができること


前回は「人を動かす」方法について学んだ。今回はこれを応用して、現実の問題を考えてみたい。安倍首相の憲法改正案が危険だと考える人は、知っている政治家にこの方法を勧めてみていただきたい。一人では効果がないかもしれないが、何人かからの働きかけがあれば態度が変わってくるかもしれない。危機的な状況において重要なのは行動することだが、聡明な方ならお分かりいただけるのではないかと思う。

その方法はあっけないほど簡単だ。民主党は安倍首相の憲法改正案について見解を正してもよいが、その場で非難してはいけない。

人は誰でも傾聴されることを求める。逆に反対されると頑になってしまう。国会では安倍首相に大いに語っていただきたい。

傾聴の効果はすぐに現れるはずである。第一に、安倍首相の発言はすぐにつじつまが会わなくなるだろう。彼の発言を聞いていると、憲法そのものには対して興味がないことが分かる。最近有名なのは「経済的自由と表現の自由に関して異なる基準が適用されているのはなぜか」という質問に答えられなかったというエピソードである。語っているうちに言っていることがめちゃくちゃになってくるはずである。

次に話の矛盾を他の官僚に語らせることだ。安倍首相と周辺にいる人たちの特徴はプロセスに無頓着なところだ。故に、安倍首相の発言の確認を官僚にさせるとよい。だんだん整合性が合わなくなってくるだろう。平和安全法制を書き換えるに当たって過去の法制局の憲法解釈を変えさせたようなことが頻繁に起こるはずだ。時間勝負なので、予め「クイズ」をたくさん用意しておくと良いだろう。

平和安全法制の場合にはかなり長い時間をかけてつじつまを合わせていた。論理的にはめちゃくちゃでも口裏は合っていたので、なんとなく論破しにくかった。しかし、こうしたことが矢継ぎ早に起これば、国民も「ああ、これはおかしいな」と思うだろう。批評は憲法評論家やニュースコメンテーターに任せておけば良い。早く言えば、犯人を自供させるために「優しい刑事」と「怖い刑事」を組み合わせるようなものだ。

相手を責める為にはまず自分が謝ること、というのが『人を動かす』の鉄則である。だから民主党は憲法改正そのものに反対していた過去の姿勢を反省してみせればよいだろう。これは一部の護憲派の人々の離反を招くかもしれないが、一般国民への印象はかなり変わるはずだ。こうした戦略的進路変更は民主党にしかできない。社民党と共産党はそもそも憲法改正そのものに反対しているからだ。民主党は柔軟さをアピールし、差異を際立たせることができるだろう。

一般の国民は憲法には関心がない。憲法に関心があるのは「意識の高い」人たちだろう。これは残念なことだが、やりようはある。一般国民が怖れているのは、現状変更だ。そこで、民主主義が否定されたとき「価値観を共有する国」(特にアメリカ)がどのような態度を取るか、諸外国からどう見られるかということを心配してみせるとよいだろう。人権を軽視するような発言が自民党政治家から繰り返されればされるほど、同盟関係が損なわれる危険性が増すことになる。特にアメリカは「フェアさ」や「民主主義」にはうるさい。少なくとも表立って安倍首相を応援するようなことはやりにくくなるはずだ。

最後の効果は限定的かもしれないし、根本的に重要かもしれない。安倍首相は憲法には興味はないが、憲法は改正したがっている。それは多分「心理的リアクタンス」によるものだ。自民党の憲法改正案は自民党が選挙に負けた後で作られた。「負け」を受け入れられなかったので、リアクタンスが働きめちゃくちゃな憲法案が作られたのだ。下野していた安倍首相は憲法改正を「戦い」と評している。野党が攻撃すればするほど憲法改正案に固執するようになってきたし、これからもそうなるだろう。

例えて言えば「勉強しなさい」と言われた子供が頑に「勉強はしない」と思い込んで行くようなものだろう。それが自分のためにならないということが分かっても、「勉強嫌い」を表明してしまったためにロック・インされてしまうのである。安倍首相を支えているのは「戦っている」という自覚だけだろう。

そこで、野党が反対するのをやめて「自分で考えさせる」と多分頭の中には何もないということに気がつくはずだ。最悪、安倍首相は政権を維持するモチベーションを失ってしまうのではないか。空っぽになった頭で、論理的矛盾を突かれながらぼろぼろになる安倍首相を想像するだけで楽しくなってしまう。いったんぼろぼろになったら、安易に辞任させずその様を眺めるのも楽しいのではないだろうか。

他人をコントロールするには

まず、人は自分にしか興味がないことを知るべき。つまり、相手を直接コントロールすることはできない。また、人は敵対的な態度にリアクタンス(心理的抵抗)を覚える。逆に共感的な態度は賛同を得やすい。つまり、他人は変えられないが関係性や空気はコントロールできる。あいてに好ましい影響を与えるためには、相手を直接コントロールするのではなく、間接的な方法をとるべきだ。

こうした手法は昔から提案されている。第二次世界大戦前に書かれたデール・カーネギーの『人を動かす』などが有名で今でも読み継がれている。『人を動かす』や最近の読み物などを参考にして他人をコントロールする方法をまとめてみた。『人を動かす』には『マンガで読み解く 人を動かす』もある。

他人をコントロールするにはまず自分が変わる

『人を動かす』の中には「聞き手になる」など受身の方法が多く書かれている。カーネギーは主にセールスマンなどに向けたセミナーを行っていたからだ。だが、現在では聞き手に回ると「この人はなんでも聞いてくれる」などと期待されたり、いやな役割だけを押し付けられたりしがちだ。セールスマンと違ってその場にとどまらなければならない人が多いからだ。閉ざされた空間では、まず自尊心を持って、相手に支配されないようにするのが重要なのではないかと思う。偉い人に認めてもらいたいなどと思うと卑屈になりがちだが、状況をコントロールしてくらいのだという意識を持つことが大切だろう。ボディランゲージや姿勢などで状況を動かすことができるようだ。人を変えるためにはまず自分から変わらなければならない。

influ

人間は共感と社会的承認を求めている

人を動かすためには、まず、他人が何を欲しがっているのかを見極める。見極めたらそれを惜しみなく与える。また、他人がそれを得られるように援助を申し出るのもよい。多くの人は社会的報酬を欲しがっている。相手の成功を「おめでとう」と評価する・思いがけない賛辞を送る。重要感を持たせる。期待をかけるなどが効果的だ。直接与えるだけでなく、援助の気持ちを表すのも効果的だろう。相手が望むものを得られる方法を提案してみるのも良い。

協力的な態度は重要だ。名前を覚えたりして、相手に誠実な関心を寄せて置くと人から尊敬されるようになる。人を非難する代わりに理解している姿勢を示す。つまり、心理的リアクタンスはできるだけ取り除いてやると良い。

相手に影響を与えたければ自分から話してはいけない。聞き手に回るべきだ。相手への共感を示し、議論を避ける、間違いを直接指摘しない。自分の間違いは素直に認める。何かやらせたいと思ったら提案せずに相手に思いつかせる。相手に信頼して欲しければ、相手にしゃべらせるのがよいという科学的な知見もあるようだ。まずは、質問すると相手は話しやすくなる。

人間は空気に支配される

相手の美しい心情に呼びかける。相手を優遇するとそれなりに返礼しなければならないと考えるようになる。相手にうなずいていると、相手もイエスと言いやすくなる。肯定には肯定で、協力には協力で対応する態度をミラーリングという。アメリカでは相手を触るとチップが多くなるという研究があるらしい。日本では親しみを込めた態度をとるとよいのかもしれない。

特には意外性や演出も大切

ただし、相手を褒めてさえいればよいというものでもない。例えば賞賛しなれている人は褒められてもあまりうれしいと感じないだろう。国会議員を褒めてもコントロールできないだろう。意外性のある方法を考えるべきだ。つまり、演出も大切だ。肯定的な雰囲気を作り、穏やかに話し、笑顔で接し、イエスと答えられる質問を選ぶと相手は協力しやすくなる。逆に、対抗意識に訴える方法も効果的だ。相手同士を競争させて効果を上げる方法がとられることもある。

もっとも相手が協力的かどうかはわからない。ためしに視線を変えてみて相手が同じ方法を見たらリベラル(共感的)である可能性が高いそうだ。そうでなければ保守的だ。共感的で協力的なほどリベラルということになる。社会的承認を得られている人をほめても効果的ではないかもしれない。

聞き手に回ることと服従することは違う

聞き役に回っていると、相手は「話を聞いてもらえて当たり前だ」と感じるようになるかもしれない。すると相手をコントロールすることは難しくなるだろう。うつむくと服従的な態度だとみなされるので避けた方がよいらしい。体や手足を大きく広げると重要な人に見える。また、一歩手前に出ると会話を支配できるようだ。聞き手に回ることと服従的になることとは違う。

若者は検索する

さきほどコンテンツの年齢分布を調べていて「検索は若者」で「ソーシャルは高齢者」なんじゃないかと思ったのだが、当たったようだ。検索エンジンを使って情報を集めている中高年は少ない。

多分、Twitterには年寄りしかいないというわけではなく、たまたま見られているコンテンツが高齢者向け(主に政治ネタ)だったからかもしれない。中高年である作者が提供するネタに引き寄せられた人がフォロワーになり、それを見て記事を書くと同じような年齢の人が集るのではないかと思われる。違う年代の読者を集めようと思ったら、時々毛色の違う記事を書いて検索エンジン経由のトラフィックを分析するのがよいのかもしれない。

ソーシャルのグラフ

age-001

検索エンジンのグラフ

age-003

ダイレクト(ブックマークなど)の直接参照は年齢的にバランスが取れている。

age-002

高齢者が好む読み物、若者が好む読み物

先日来、高齢者のページビューが増えたので動向を分析してみた。若年層は情報収集をモバイルに頼る傾向があり、モバイルを辞書代わりに使っているようである。年齢が上がるに従ってモバイルの依存率は減り、PCの依存率が増える。また「週刊誌的(読み物的)」なコンテンツへの人気が高まるようだ。また、若年層はタブレット機器を持っていないが、それ以降の年代では率に変化はなかった。

user_mobie

ブラウザの分布についても見てみたが、特に年齢による違いは見られなかった。意外とChromeが使われている。高齢者だから全てデフォルトのブラウザーを使っているというわけではなさそうだ。

一般的にインターネットの利用率は60歳代を境に減少すると言われている。また、所帯年収が下がるとパソコンの所持率は減る。つまり、貧しい世帯の老人ほど情報から取り残される傾向があるということになる。しかし、今回の動きでわかったように、Twitter上に高齢者が全くいないというわけではない。高齢者も、Twitterで有名人をフォローして情報収集をしているのだ。

全世代に読まれているもの

ウィリアム・ジェームズ(死にたくなったら)は全世代に読まれている。悩んでいる人は全世代で多いらしい。

0003

科学的なものに弱い若者

若者は辞書や実用書代わりにウェブを利用している。MBTI(INFJ)、不適切な敬語(やらさせていただく)について、ボーダー柄を着ると錯視が起こるというファッションの話、理系脳は共感が欠落しているという話、立ち泳ぎの練習方法などが若者に読まれている。特徴として「科学的」なフレーバーに弱い。言い換えると、若者は理由付けを必要としている。一方で政治問題への関心は高くない。0001 0002 0006 0010

若者と中年が均等に含まれるもの

政治問題になると壮年期の人たちの流入が増える。若者も一定数含まれる。なんとなく「週刊誌っぽい」ものが好まれるようである。TVニュースをソースにしているような印象がある。

フジテレビで安倍首相が生肉の模型を使って国民を困惑させた話、甘利大臣が陰謀で陥れられたという話、山本太郎議員はバカだという話、フジテレビで奥田愛基氏がTVで田崎史郎さんいディスられたという話。

0009 0008 00070014

二重ルーターの設定に悩んでいる中年も多いらしい。ゲーム機などの設定に困っているのであろう。立ち泳ぎの練習法も幅広い読者層から人気がある。品質管理が得意という嘘についても壮年層の閲覧が高かった。

0011

0015

0004

中年だけが見ている記事

江川紹子さんのTwitterフォロワーは中年が多いらしい。理由は分からない。孫崎先生のフォロワーは高年齢の人が多いのだが、この2例から中高年は有識者の影響を受けやすいことが伺える。

0005

政治に興味があり、若者を嘆く老人

若者は政治に参加しないという話は老人のアクセスが多かった。これはほとんどが孫崎享氏のフォロワーだ。かつての全共闘世代が多く残っているのかもしれない。政治に興味がありかつて「改革意欲」に燃えていた人たちだが「政治を変えるにはまず自らが変わらなければならない」という記事には注目が集らなかった。さすがにある年齢を越えてしまうと変わるのは難しいのだろう。革新の高齢化・保守化が進んでいる様子が伺える。

0013

池田信夫さんはマックを使うといいんじゃないか

どうでもいいといえばどうでもいい話なのだが、池田信夫さんがLENOVOのパソコンについて怒っている。どうやらOSをアップデートしようとしたところ、不具合が生じて、最終的にデータが吹っ飛んだのだという。そこで中国は信用できないと息巻いているのだ。

いや、LENOVOのパソコンはいいパソコンですよ。作りが単純で頑丈なので持ち運びに気を使わないし。HDやメモリの入れ替えなどのメンテナンスも楽だし。メモリやSSDも安くなっているので、改造のしがいもある。個人的には中古で買ったので「安いのによくここまで動くなあ」と思った。

とはいえ、OSを入れ替えたらデータ吹っ飛んだというのは、さすがに引くなあ、とは思った。確かに、OSをアップしたらタッチパッドとか無線LANが動かなくなったという話はよく聞く。LENOVOのウェブサイトに案内されている方法ではだめで、手動で直したという人が多い。これ、中国(LENOVO)のせいというよりはアメリカ(マイクロソフト)のせいだろう。

OSの切り替え時にパソコンを買い換えたのもよくなかった。どのOSでも切り替え期の新製品は人柱だ。問題が枯れてから価格COMなんかで評判を見て買うのが正しい方法だろう。

いずれにせよ、OSを入れ替えるのにバックアップ取っておかないっていうのが「狂ってるなあ」と思う。Macにはタイムマシーンという方法があり、外付けのハードディスクに取ったバックアップから復旧できる仕組みが整っている。だからOSを入れ替える前にタイムマシーンするのがお決まりだ。デスクトップPCであれば、複数のハードディスクに違うバージョンのOSを入れておくこともできる。最悪データが吹っ飛んだらネットでリカバーできる仕組みもある。高いといわれるMacだが10万円を切るminiというカテゴリがある。(Mac Miniについては別途調べた。その記事はこちら

一方、Windowsはバックアップを取るのが意外と面倒だ。

さらにWindowsで驚くのが「クリーンインストール」という言葉である。Windowsパソコンが重くなったというと、お決まりのように「できればクリーンインストールを」と言われる。最初はからかっているのだろうと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。相手は真顔だ。しばらく使っていたら重くなって復旧できないなどというのはMacintoshの世界では冗談でしかない。

手持ちのXPパソコンをWindows10にした人もいるらしいのだが、XPからWindows10にするためにはクリーンインストールしか手がないのだそうだ。古いパソコンは捨てて新しいの買ってくれという意味だとは思うのだが、あまり便利でもないし、クールでもない。

池田さんは動画の編集をしなければならないので、49,000円のパソコンで一番早そうなやつを買ったとのことだがが、Macであれば最初から動画編集などができるツールを揃えることができる。素人が使っても使いやすいようにインターフェイスが工夫されている。他社製品と組み合わせる必要がないので、ドライバーも安定している。

ということで、池田信夫さんはDELLなんか買わずにMacを導入すべきなのではないだろうか。しつこいようだがMacが欲しくなった方はこちらもごらんいただきたい

XPパソコンとUbuntu

最近、リサイクルショップにはたくさんのノートパソコンが売られている。価格は2000円から5000円程度である。なぜ安値で売られているかというと、OSがサポートされなくなったWindows XPだからである。性能はまちまちだが性能的にはまだ使えるものも多い。

こうしたパソコンがサポートされていないという理由だけで使えなくなるのはもったいない。そこで登場するのが無料OSのLINUXだ。最近はUbuntuというのが人気らしく、パソコン関係の雑誌売り場にもガイドブックが出ている。Ubuntuは南アフリカの言葉で「思いやり」を意味するとのことだ。

Ubuntuも当然永久にサポートされているわけではないのだが、Windowsに比べるとインストールしている人が少なくウィルスに狙われにくいと考えられている。そのため、古いパソコンで使っても安心だとみなされているようだ。

2008年ごろに作られたNetnote用にはバージョン9や10あたりが使えるようである。小さな画面用に改良されたバージョンもある。ブラウザーとしてFirefoxが使われており、既存のWindowsやMacintoshとの設定共有ができる。メールソフトやOfficeライクな文章作成ソフトもある。これらはすべて無料である。中古パソコンを手に入れて目いっぱいメモリなどを積みましたら、ソフトウェアはすべて無料で揃えることができるのだ。国際化されているので日本語も問題がないということである。

もちろん問題もいくつかある。AppleはLinuxをサポートしていないらしく、iPhoneとの接続がうまく行かないという。iCloudで連携することはできるのだが、バックアップやバージョンアップなどの作業をしたい人は最新版の「普通の」パソコンが必要だろう。iTunesもないので、音楽や映画をAppleから買っている人は使えなくなってしまう。Googleも2016年には32bit版のサポート(と同時にXPのサポートも)を打ち切るようだ。最新版のChromeを使い続けたければ新しいパソコンを買う必要がある。Google Driveはブラウザー経由で使えるようだ。

簡単にインストールできるようになったとはいえ、やはり初心者の敷居は高い。まずファイルを落としてきて、それをCD(最近のバージョンはDVD)に焼きインストール作業をしなければならない。WIndowsやMacOSの環境を残したいと思うとさらに設定が必要で、これを間違えるとOSの起動ができなくなるそうだ。ちょっとした気力があるとできそうだが、XPもそれなりに動作している(とりあえず、今のところはFirefoxとChromeが使える)ので、なんとなく「いよいよ使えなくなったらやろうかなあ」という気分になってしまう。

なお、OSを変えてしまうとパソコンメーカーのサポートを受けられなくなるので、メインのパソコンではやらないほうが無難だ。設定して動かなくなるとGoogle先生と首っ引きになることは間違いがないので、まともなパソコンは一台確保しておくべきだろう。

不倫が責められるとき・責められないとき

自民党甘利明議員の場合

誰がどう見ても口利き事件なのだが、秘書が責められただけだった。国民の前で泣いたことで「はめられたかわいそうな代議士」という印象がついた。大臣は辞職したが議員辞職はしなかった。検察当局も事件化には後ろ向きと言われる。URは補償額をもらしたことは認めたものの、つい口が滑っただけだと甘利議員をかばった。

民主党細野豪志議員と山本モナさんの場合

あまり顔の売れていなかった細野議員にはお咎めはなかったが、知的なのに親しみやすいキャラクターで知られていた山本モナさんはニュース番組を「体調不良」を理由に降板した。後に細野議員は民主党の重鎮になった。山本さんは後にプロ野球選手の二岡智宏さんとの不倫報道があり再び謹慎した。

川谷絵音さんとベッキーさんの場合

音楽業界では有名だが一般に顔の売れていなかった川谷さんにはお咎めはなかったが、元気印で好印象だったベッキーさんはすべての番組を降板させられ、CMもおろされた。当初川谷さんは結婚していることを知らせずにベッキーさんと付き合っていたということなので、川谷さんの方が悪いように思えるのだが、世間はそう考えなかった。

自民党宮崎謙介元議員の場合

お相手のタレントさんが無名なこともあり、お咎めはなかった。しかし、見た目がよく「育児休暇発言」で好印象だった宮崎議員は議員辞職に追い込まれた。宮崎議員は育児休暇発言が取り上げられるまでは無名だった。無名のままであれば週刊誌に狙われることはなかっただろう。

観察

日本では、公的な議員の汚職問題よりも個人のプライバシーに属する不倫の方が悪いことだとされる。「何をなすか」よりも「誰がなすか」という文脈重要だからだろう。

必ず男性が咎められるというわけではなく、有名な方が責められる傾向にあり、両成敗ということにはならない。不倫は社会的バッシングの対象になるのだが、社会的制裁は1人に向かう。その人を社会的に殺すことで、怒りが開放されるようだ。このことから不倫バッシングはマスによる社会的リンチだということがわかる。マスは「マスコミ」ではなく、視聴者や有権者を含む。

さらに考えてみると「イメージ」を損なった人が責められる傾向にあることがわかる。よいイメージがついている場合には何事も大目に見てもらえる。ベッキーさんの例でもわかるように「この人はいい人そう」というイメージには高い金銭的価値がある。社会的制裁は不倫そのものに向いているわけではなく、パブリックイメージが毀損されることで引き起こされていることがわかる。

結論

日本人は文意ではなく文脈で判断する。つまり何を言ったかではなく、誰が言ったかが重要だ。いったんよい印象をも持たれると経済的なベネフィットがある。しかし、好印象には大きな担保が設定されている。村社会で作られた印象を裏切ると社会的に殺されるまでの制裁を受けるのだ。

高市さん、試しにTVの電波を止めてくれないかなあ

高校生になる息子が不思議そうな顔で聞いてきた。「ねえ、お父さん。さっきNHKっていう人が来てお金を払えっていうんだけど、あれは詐欺じゃないかなあ」

私は「どうしてそう思うの」と聞いた。

「だってNHKなんて聞いた事ないし、TVを持っている人はみんなNHKにお金を払わなきゃだめっていうんだ。そんなの詐欺だよねえ」

私はちょっとびっくりした。息子はNHKを知らないのだ。それも不思議ではない。我が家は光ファイバーでオンデマンドの番組を見ている。息子は自前のタブレットを使って、子供部屋で映画や音楽の番組ばかり見ている。たまにはTVの大画面でゲームに付き合って欲しいのだが、いつもつれない返事ばかりだ。

息子が小さい時にTV番組を見せようとしたのだが「アンパンマンを検索して」と言って泣き出してしまった。「TVではそんなことはできないよ」と言ったのだが、理解できなかったようだ。

私もちょっといけなかったのかなと反省した。TVはおもしろくないのでそんなに見ないのだ。いつそうなったのかなと思ったのだが、よく思い出せなかった。たしか、高市早苗総務大臣がTBSかどっかの電波を「政治的中立性がない」という理由で止めてしまったのがきっかけだったと思う。TBSの社長が土下座して高市さんに謝ったというのを週刊誌報道かなんかで見た記憶がある。

萎縮したTV局はその後、政府批判をしなくなった。コメンテータはいなくなり、どの局も政府の発表をそのまま流すようになったのだ。ニュース番組の後には安倍首相が各地を訪問する映像を流すようになった。

そういえば、ジャニーズ事務所が人気で視聴率も取れるというので、バラエティもジャニーズを礼賛する番組ばかり流していたなあ。同じような顔のタレントばかりが並び「TVってつまらないなあ」と思ったのだ。でもおじさん、おばさんたちの世代は好んでバラエティ番組を見ていた。感覚的には戦後すぐの人たちがニュースを映画館で見ていたような感じなんだろう。

家を建てた時もアンテナを設置しなかった。光ケーブルを引いたので、オンデマンド番組が見られるようになったからだ。光ケーブルだと、わざわざ録画しなくても帰宅してからニュースを検索で見られる。そのうち、Yahoo!ニュースでチェックしてから関連するニュースだけを見るようになってしまった。

昔の人は新聞を一紙しか取らず、TV局も数チャンネルしかなかったと聞く。そんな偏った情報だけで怖くなかったのかなあと思う。

「ねえ、NHKって何」と息子が聞くので「ああ、TVの放送局だよ」と答えた。すると息子は「でもTV放送って貧乏な人が見るもんなんでしょ。学校で友達が言ってた」と驚く事を言う。

確かに、光ケーブル網が発達してパソコンから情報を仕入れる人が増えた。録画機はなくなり情報家電回りはすっきりした。家にネットを引かずパソコンを持っていない人もスマホを大きなモニターに映して見ている。TVしかない家庭というのは、そういう所得の家庭なのだ。

「お前、学校では絶対にそんなこというなよ」私は息子に釘を刺した。そんな差別的なことを表立って言ってはいけないのだ。

今時政府公報のNHKの情報だけを信じている人など誰もいないだろう。そもそも、情報弱者だと言われかねないから、表立ってNHKを見ているなどは恥ずかしくて言えないのだ。

息子のバカな質問に答えながらスマホを弄っていると新しいニュースが入ってきた。視聴者を光ファイバー網に取られて受信料が取れなくなったNHKがまた放送時間を短くするらしい。紅白歌合戦や大河ドラマなどお金のかかる番組はとっくの昔になくなり、4月からは昼と夜に1時間づつ政府広報だけを流すようになるみたいだ。