スマホが普及するにつれて、パソコンができない子供が増えているという。大学はまずパソコンを教えなければならないらしく「自分たちは何学部なのだ」と嘆く先生が多いのだと言う。これを聞いて「何か変だなあ」と思った。
かつて、卒論をワープロで提出しようとしたら、先生から「ワープロは心がこもらないからよい論文が書けない」と言われた。手書きだからこそ心がこもるというのだ。つまり、ついこの間まではパソコンは大学教育には必須ではなかったのだ。だから、大学生がパソコンを使えなければ、使わなければよいのである。
パソコンがなければ「調べ物ができない」と言う人がいるかもしれない。これはよい指摘だ。昔アメリカの大学では、最初に2つのことを教えてくれた。1つはGopher(Gopherはテキストベースの検索システム。wwwはこれにグラフィックスを加えたのが「画期的」だった。テーブル組でレイアウトができるようになってからインターネットは爆発的に普及し始めた)の使い方で、もう1つはそれを使って大学の蔵書リストをあたることだ。最近では、学術論文ネットワークの使い方を教えてくれる。いくつかの有料サービスが学生なら無料で使えることになっている。
これはよい仕組みだ。確かにGoogleでもあらかたのことはわかるのだが、アカデミックスキルを身につけたとは言えない。やはり学術論文をあたるのが「正しいお手前」である。「インターネットは信頼性が置けない」と言っているのは、やはり日本人が田舎者だからだ。世の中には有料のソースというものがある。知的な訓練を積ませたければこうしたソースの使い方を身につけさせるべきなのである。
さて、現在のQWERTYキーボードは、キー同士があたらないようにという工夫の結果生まれたものだ。現在ではタイプライターを使う人はいないので、キーボードがQWERTYである必要はない。これだけスマホ組が増えているわけだから、誰かがUSBで接続できるフリック入力ができるキーボードを売り出せばよいだけの話だ。これは爆発的に売れるだろう。機械式のキーボードではなく、タッチスクリーン式の液晶画面のようなものになるかもしれない。Googleはエイプリールフールのネタとして触れるフリックキーボードの提案をしている。
かつての教授たちが「手書きしか認めたくない」と思っていたのは自分たちがパソコンを使ったことがなかったからだろう。そこで「気持ちがこもらない」などと言ってみるわけだ。同じようにスマホが受け入れられないのは、現在の教授たちがスマホを使いこなしていないからだ。
さて、パソコンが使えないのはなぜだろうか。確かなことはわからないが、子供が(たとえ子供部屋はあったとしても)自分だけのスペースを与えられていないことが原因になっているのではないかと思う。じっくり自分だけで占有できる時間と空間がなく、また逆に家族とは情報を共有したくないと思っている。この結果、時間が切り貼りになり、集中することができない。そこでパーソナルスペースを持ち歩くことになったのだろう。だが、そのパーソナルスペースも人付き合いに浸食されてゆく。
多分これが「若者がスマホしか使えない」ことの唯一の問題ではないかと思うが、時間を切り売りしている大人も多いのではないだろうか。