価格と期待値

昨日は「消費者があまり期待しない市場」での価格形成について観察した。市場が決定する最低価格帯に価格が収斂する。まれにそこから外れる値段がつくものもあるが、それは例外的である。例えばヤフオクでは、ひと世代かふた世代前のMacにこうした動きが見られる。一方、最新型の機種ではこうした傾向は見られない。新品よりもいくらか割安な値段で取引されるし、値段にもばらつきがあるようだ。

両者を分けている価値は曖昧だが、強いて言えば「ライフスタイル」だ。スペック(速度)にはそれほど大きな違いはないのだが、やはり「スタバでどや顔」したい人たちはライフスタイルの選択肢として最新のMacを選んでいるのだ。最新型のマックには「ブランド価値がある」ということになる。

ユニクロは「あまり期待しない」人たちから脱却し、ブランド価値への移行を指向していたようだ。しかし、それを諦めて価格志向に回帰しょうとしている。週末だけ安い価格で売るのもやめるらしい。ユニクロは「品質」と「価格」を両立させる方針だという。

これが正しい選択なのかはよくわからない。価格重視の人たちは「価値にはあまり期待をしない」からだ。最低限着られればよいのである。こうした顧客たちが商品知識を持っていないとはいいきれない。商品について熟知したからこそ、あまりこだわらなくなった可能性もある。だから、消費者を教育するのも徒労に終わるかもしれない。

IMG_0133では、価格重視の人たち向けにオペレーションを省力化するのがよいのだろうか。その典型的な例がマクドナルドだ。

マクドナルドは近視眼的にコスト管理をするとどうなるかという壮大な社会実験になっている。

この写真は最近食べたマクドナルドだ。200円で買える。包みを開くと具とパンがバラバラになっていた。レストランというよりは給餌場の様相だ。話には聞いていたが、実際に見るとかなりショッキングである。日本人が持っている食堂に対する期待値を大きく損なう。

だが、これを目にすると「ああ、やっぱり」くらいの感想しか持たない。そもそも300円(税込)でコーヒー(これもまともに抽出したものかどうかは怪しいものだが)とわずかな休息さえ得られればよいのである。

マクドナルドは主婦を雇って「子供にも優しい」品質をアピールしようとしていたが、業績は回復しなかった。従業員も顧客もマクドナルドには過剰な期待はしていない。だから、高いものを食べたりはしないだろう。それくらいの価格帯で食べられるおいしい(そして期待を裏切らない)ものはいくらでもあるからである。

低価格路線を取ると品質にはあまりコストをかけられなくなる。それでも「品質」と「価格」を両立しますと言い続けなければ、マクドナルドのようになってしまうというわけだ。

このように価格は需要と供給の単純な交点ではなさそうだ。同じ品質のものでも価値観によって大きく変動してしまうのだ。

1971年にマクドナルドが日本に入ってきたとき、それは「あこがれのアメリカ」というライフスタイル商品だった。日本は40年ちょっとであこがれを消費し尽くしてしまったことになる。

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