日本人と味覚

インド料理について調べていると「日本人が持っている味蕾の数は世界一である」というような記述があった。なかなかすばらしいことではあるが、日本人が書いた日本人論を見ると「これ、本当かなあ」と思うことがある。特に、客観的な事実が書いてあり、出典がないものは要注意だ。ということで調べてみた。

この「日本人が持っている味蕾の数は世界一」という表現は、いくつかの事実が合成されてできた「風説」のようだ。このフレーズだけを聞くと「ああ、僕の味覚も優れているんだなあ」などと思ってしまう。そして「トウガラシばかり食べている他の国の人と違い、日本人は繊細な味が分かるのだ」という結論を出したくなる人もいるかもしれない。

味覚を調査した論文がいくつ載っている本には「白人に比べて、アジア系には味蕾の数が多い人の割合が高い」書いてあるものがある。この研究は中国人と白人を比べているが、アジア系一般に言えることらしい。インド料理の本で読んだのはこの「アジア系」を日本人に置き換えたもののようだ。

一方、オーストラリア人と日本人を比較対象した研究には別の記述がある。オーストラリア人と日本人を比べて味の識別能力がどれくらいあるかを調べた。「うま味」(グルタミン酸など)で優位な差が出たが、その他の感度に違いはなかった。この調査は溶液を使ったものだ。ところが、実際の食品の味付けを変えて出した所、オーストラリア人と日本人には違いがあった。(以上『味とにおい – 感覚の科学-味覚と嗅覚の22章』)

どうやら「白人と比較するとアジア人(日本人も含まれる)には味覚が鋭敏な人が多く」「日本人は西洋の人の味の好みは違う」というところまでは「事実」らしい。一般的な体験を重ね合わせても、日本人の方が薄味を好むという点までは合意ができそうな気がするが「日本人の味覚は世界一」とまでは言えないようだ。

この「日本人の味覚は優れている」という説には続きがある。ネット上でいくつか見つけたのは「うま味は日本人が見つけた。これがわかるということは日本人が繊細な味つけを好むからだ」というような主張だ。確かに「うま味」は世界共通語になっていて、5つの基本的な味(しょっぱい、あまい、すっぱい、にがい、うまい)の1つとして認知されている。ところがこれも「日本人」をどう捉えるかで、意味が違ってくる。

うま味を見つけて、命名したのは、池田菊苗という日本人だ。1907年に発明して特許も取っている。ところが「うま味は日本人が発見した」と聞くと「日本人一般が古くからうま味の存在を知っていた」というようにも取れる。

ところが、東南アジアから東アジア一帯には魚醤を使う文化圏がある。魚が発酵するとタンパク質が分解されうま味成分が作られる。例えばキムチにもこうしたうま味成分が含まれている。つまり、日本人は海洋アジア系の伝統を引き継いでいるということは言えても「日本人だけがうま味を知っている」とまでは言い切れないことになる。アジア人は古くからうま味を利用してきたのだ。

一方で、日本人が諸外国の人々と比べて特に際立っていることもある。それが「風味」に関する欲求だ。風味は「フレーバー」と翻訳されたりするのだが、どちらかというと「新鮮さ」を識別する指標として使われることが多い。スーパーでも「産地直送」の新鮮な野菜や魚などに人気が集る。そのために物流網が発達し、鮮度を保つ冷凍技術なども充実している。デパートの売上げが落ちていると言われているが、デパ地下の人気だけは衰えない。

強い味付けが好まれないのは「魚や野菜の素材を活かして新鮮なうちに食べるのが一番おいしいのだ」と思っている人が多いからなのかもしれない。

こうした鮮度に対する欲求が際立っているせいで、外資系のスーパーマーケットはなかなか日本で成功することができない。コストコのように価格で成功している店もあるが「日用品」「加工食品」「肉」といった主力商品は、どれもあまり鮮度が重要でないものだ。

また、新鮮な素材が豊富に手に入り、消費者の食べ物への関心が高いために、東京では世界各国の料理が食べられる。

総論すると、日本人の味覚が世界一と言えるかどうかは分からないが、新鮮な食べ物が手に入れやすい点と、世界各地の料理が食べられる点では、かなり幸福な環境に暮らしているということはいえそうである。

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