国会が始まったので、仕方なく所信表明演説とそれに続く代表質問の一部を聞いた。国内外に問題は山積しているのが多分国会がこれを解決することはできないだろうということはわかっているので、質問も答弁も無意味だなあと思った。多分、今回の国会は来年の参議院議員選挙までの消化試合のような感じになるだろうし、国民はすでに政治には興味を持っていないはずである。
特に安倍政権側の答弁はひどかった。一部の野党は現状を分析した上で懸念を表明しているのだが、それに応えるつもりがまったくないらしい。聞いていて、安倍首相は政治に飽きているんだろうなと思った。民主党を嘲って「自分たちは違います」と言っていた頃の方が、まだ聞き応えがあった。
国会の代表質問は「一応宿題をしてきました」と言っている子供を叱っているような状態に近かった。中を開けてみたらやっていることはデタラメだし、自分ではやっていないようだし、嘘もついているようである。そこで職員室に呼んで叱ったり諭したりするわけだが、まるで響いていないようだ。しかもなんだかそわそわしているので聞いてみると頭の中は野球のことでいっぱいになっているらしい。
いちおう支持者に言われたことはやっている。財界に言われて安い人材の確保に邁進している。前回の労働基準監督署の骨抜きに続いて、今回は外国人を使いやすくするような労働法改正などが計画されているようだ。しかし、やれと言われていることをやっているだけなので「あとで大変になるかもしれませんよ」と指摘されても一切聞く耳を持たない。アメリカがうるさく言ってくるのでFTAも始めたい。だが、これも野党が「ガミガミと」うるさいので、その場その場で嘘をついて言い繕っている。そして、それが国内産業にどのような影響を及ぼすかということには全く想像が及ばないようである。FTAに関しては「農家が心配するといけないから配慮して言葉を変えた」と堂々と語っている。嘘をつくことに罪の意識がないのだろう。
そんなことよりも安倍首相は野球がしたい。安倍首相の野球というのはつまり憲法改正のことである。
普通の子供だったら職員室に呼ばれて叱られたら少しは堪えると思うのだが、安倍首相の心には全く響かない。こういう子供をどうやったらしつけられるのかと考えてみた。
説教をしてもその場ではしおらしいことをいいながら、職員室を出れば忘れてしまう子供には何を言っても無駄な気がする。だったらもうグラウンドに呼び出して一度実力を知ってもらうしかない。今までは身内に囲まれて「晋ちゃん上手だね」と言われているだけで、多分本当の野球は知らないのではないのだろうから、千本ノックくらいを受けて欲しい。
これまで、憲法改正について「憲法第9条などは形骸化しているから改憲の必要はあるが、憲法をおもちゃにする安倍政権や人権を理解しない自民党のもとではやるべきではない」という前提で論を組み立てて来た。だが、安倍政権ごときの改憲論を論破できないのも問題だ。本当にヒトラーのような狡猾な人が出てきた場合、国民を騙して改憲するのは「赤子の手をひねるように」簡単だろう。
「安倍政権ごときで」という主張に反発する人もいるだろう。だが、国会議員に憲法観を語らせるととんでもないことになるのも事実である。「憲法は国家が価値観を提示すべきだ(訓示的憲法観)」とか「天賦人権は日本人にはふさわしくない」といった発言が飛び出す。今回の質問では「民主主義の基本は我が国古来の伝統であり、敗戦後に連合国から教えられたものではありません」という稲田朋美の妄言も飛び出した。交通信号の意味を理解しないままで路上に出てきた危険なドライバーがたくさんいるのが日本の議会なのである。
その上、現在の法律はほとんど官僚の力を借りて書いているはずだ。だから、官僚の助けを借りずに書いた自民党の憲法草案はボロボロだったわけである。その上、日本の政治家には官僚の助けなしに自分たちだけで法律や憲法を書ける能力がない。
もちろん憲法議論のフィールドでボコボコにされたとしても安倍首相が心を入れ替えるようなことはないだろう。誰かのせいにして他の遊びを探しはじめるはずである。あるいは誰も望んでいない上に実現する見込みのない金正恩との対話などを夢想しているうちに3年が経過する可能性もある。根本的には安倍首相を総裁から外してもらわないと解決しない。だが、それでも「憲法を改悪されてしまうのでは」と心配し続けるよりは気が楽だ。
ただ、この場合「国民から信頼されるバランスのとれた改憲派」がいないことが最大の問題になる。やはり「絶対に改憲はダメ」という人たちだけの議論は国民から信頼されないだろう。だが、現在の護憲派は自分たちが支持されていないことを知っているので「議論に持ち込まれたら負け」の一点張りである。国民はバカだからCMでも流されればきっと騙されるだろうと思っているうちは国民から信頼されることはないだろう。
現在の憲法のもとでガラパゴスな議論を繰り広げてきた学者さんたちも信頼できない。制憲当時になかった自衛隊を合憲とみなす人たちはやはりどこか無理をしている。安保議論があった時の木村草太さんの議論も詰将棋としては面白いかったが、やはり議論のための議論という気がする。だがこういう詰将棋的な議論も権威化されれば学派になってしまう。憲法そのものが変わってしまうと権威と村が一気に崩れるので、彼らが改憲に反対するのは当たり前なのである。
日本には憲法がまともに議論できるフィールドがない。だから、誰かがデタラメな改憲を言い出してもそれを止める手段がない。これは実は大変危険なことなのである。だが、よく考えてみればそれは国の成り立ちやあり方について議論ができないことを意味している。漠然とした正解がなくなりつある今、日本は自分たちで自分の国のあり方を決めて行かなければならない。実は改憲議論よりも国のあり方を決めるために話し合いの場所が設けられないことの方が危険なのかもしれない。