一億円の「裏金」で揺れたレコード大賞を興味本位で途中まで見た。新人賞の下りで知らない人たちが4組出てきて、結局日本語があまりうまくないiKonという韓国のグループが学芸会のようなラップ(いちおう日本語らしい)で最優秀新人賞をとった。検索してみるとエイベックスが韓国のプロダクションと組んで作ったレーベルの新人らしいことがわかった。韓流ブームはすでに去っており今更感が強いなあと思った。エイベックスは浜崎あゆみとExileが牽引してきたが、今は目立った稼ぎ頭がいなくなりつつある。そこで、新人に箔をつけようとして話題作りを狙ったのだろう。
さて、これだけだとブログにならないのでかなり無理矢理ではあるがいろいろ考えてみたい。今回のレコート大賞の特色は誰でも知っている曲が「企画」扱いされていたという点だ。PPAPとパーフェクトヒューマンである。
そもそもレコード大賞は優れた音楽や人気のある音楽を讃える賞ではない。レコード会社のプロモーションが上手くいった曲を讃えるという内輪の催事である。ところがPPAPのプロモーションにはレコード会社は関与していない。去年のクマムシの「暖かいんだから」にも片鱗が見られた。こちらはもともとはCMだが、流行はネット発であり、レコード会社の関与は後追いになっている。
レコード大賞というのは本来はアーティストが苦労して作り上げた芸術性の高いアルバムに対して贈られる賞だ。まずはティザー(焦らし)から始まり徐々に情報を解禁し、最終的にヒットに結びつけるのである。だから「ネットでたまたま当たった」ものは「単なる企画」に過ぎないということになる。
だが、実際には世間はレコードに大した関心は持っていない。幼稚園児から大学生くらいまで真似をするのは、パーフェクトヒューマンとか、恋ダンスとか、PPAPなどの企画ものだ。企画の特徴は「短くて覚えやすく、真似がしやすい」という点にある。
同じようなことはゲームでも起きていた。隙間でできる「ライトゲーム」が流行の兆しをみせていたアメリカと違い、日本のターゲットはゲームオタクであり「こなしがい」があるゲームが良いのだとされていた。これは観測していた人たちがゲーム雑誌関連の人たちだったからだ。業界のお友達が作った流行が核になっていたわけだ。
しかし、実際に起こったのはゲームオタク層の凋落だった。彼らは特殊で暗い人たちだと考えられるようになり、ライトゲームが市場を席巻することになる。「アルバム」にあたるコンシューマーゲームは開発費が高騰した(高速のCPUで高い解像度のモデルを回すためである)結果、スタジオが閉鎖された。代わりに出てきたのは一回あたりの開発費が低いが、だらだらと開発が続くケータイ型のゲーム開発方式だったのである。
いずれにせよ、レコード会社と世間は乖離している。ゲームレベールがなくなることはなかったが、規模はかなり縮小した。同じようにレコード会社が今の規模に止まることはなく、YouTubeのプロモート会社やプロダクションのようなところが台頭してくる可能性があるのではないかと思われる。
テレビは流行の発信地から、ネットでできた流行をキャッチして広げるという役割に変わりつつあるのではないかと考えられる。同じことは政治の世界でも起きている。現在は政府の言い分を伝えるのがNHKの役割だということになっている。NHKはそのために全国にくまなくネットワークを張る。これを支えるための資金をどう捻出するのかということが問題になっており、テレビだけでなくパソコンやスマホにも課金しようというような話が真剣に語られている。
これをレコード会社に当てはめると、AKB48の人気を保つために、国民にアルバムの購入を義務付けるというような話だ。だが、国民はAKB48を好きになる義務はないわけだ。つまり、国民を洗脳して一つの曲を聞かせ続けるということは少なくとも自由経済社会では不可能なのだ。
いったんドミナントな地位についた会社はなかなかその地位を降りられない。資金力が豊富にあるのでいろいろな策を講じてしまうからだ。そこで1億円払って音楽に箔をつけるというようなことが行われるわけだが、結果「それよく知らないんだけど」ということになってしまう。
レコード大賞の凋落は間接的にレコード会社が影響力を失いつつあることを暗示している。と、同時にNHKの情報発信者としての地位が凋落しつあることが、受信料の話を聞いているとよく分かる。「騒いでいる人たち」が問題なのではなく、騒がなくなった人たちが問題なのだ。