蓮舫叩き

ここのところTwitter上で不快なツイートを見る機会が増えた。蓮舫氏の二重国籍疑惑について執拗に叩いている人がいるのだ。蓮舫氏は首相には不適格だというのが理由のようだが、多分誰も民進党が政権を取れるとは思っていないわけで「叩きたいから叩いているんだろうなあ」という印象が残る。

叩くなら内容のない民進党の議論を叩けばいいのだが、それだと耳目が集められない。そこで、出自を叩くことにしたのだ。

蓮舫氏を叩くのは、彼女が颯爽としているからだろう。加えて女性であり民族的に多様なバックグラウンドを持っている。日本人は同調圧力が強いので「おとなしくマジョリティのために雑巾掛けをしろ」という主張に違和感がないのだろう。しかし、それをダイレクトにいうと人種差別・女性差別ということになってしまうので、国籍離脱の手続きの問題にしているわけである。

「在日台湾人の代表ならいいが、日本人全体を代表でできない」という主張があった。「俺は女で外国人の下は嫌だね」と言っているのだ。素直に「俺は」といえば良いのだが、それを言えないので「日本人」に置き換えている。会社でも「みんな嫌だって言ってますよ」というのは「私は嫌ですよ」くらいの意味しかない。

やっかいなことに、こうした考え方の人は多い。心の中では「女は黙って男のいうことを聞いていればいいのだ」と考えているのだろうし「外国人は下働きしていればいいのだ」という意識があるのだろう。アメリカではAlt-Rightという運動体にまで発展したし、フランスでは公共の場ではブルカは着用してはいけないというような移民に対する排斥運動も起きている。人々の本音は世界を覆いつつある。

さて、もう一つの面白い点は国籍に関する認識のずれだ。一連の<議論>を見ていると、日本人は国籍を「その人の出自か所属」だと考えている節がある。一種の家のようなもので、同時に二つの家に所属することはできない。ところがこれも国際的にはスタンダードではない。

欧米では、国籍をナショナリティといわずにパスポートホルダーという言い方をすることがある。いわば資格のようなものだ。もともと出自が多様なアメリカでは外国人のステータスのままで何世代も止まられると困るという理由もあるのだろう。スイスのように意図的に周辺国から人材を集めてきた国もある。厳密には「スイス人」という民族はないので、これも当たり前の考え方だ。結果的に、これが国に多様性をもたらしてきた。これが過去20年停滞してきた日本と成長を続けた欧米の違いになっているのだろう。

中国人もナショナリティにこだわらない。平気で国籍を変更する。変更先はカナダやオーストラリアといったアングロサクソン圏だけでなく東南アジアなどの周辺国に及ぶ。タイの華僑のようにタイ化する人たちもいるが、ほとんどは中国人意識を持ち続ける。中には子供に違う国籍を与えようと動く人たちもいる。国ではなく家族が安全保障の単位になっており、財産を保持し家を存続するのためにリスクを分散しようとしているのだろう。こうした国際的なネットワークが華僑の強みになっている。かといって華僑が中華人民共和国に忠誠心を持っていると主張すれば笑われるだけだろう。「国なんかどうでもいいしあてにならない」と思っているわけだ。

日本が停滞しているのは外から新しい知識が入ってこなかったからなのだが、それは多様性を徹底的に排除してきたからだ。蓮舫叩きをする人たちは、心のなかでうすうす自分たちが出遅れていることに気がついているのだろう。多様性の重要さを認識しているが、それに対応できないことに気がついているのかもしれない。中途半端に英語ができたりするらしいが、読み書きはできるが話せないし、英語のコミュニティで相手にされなかった過去がある可能性もある。

だからこそ多様性を叩くのだ。結局、自分たちの能力のなさを恨んでいるかわいそうな人たちなのかもしれない。

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