継続的な統計データ収集の重要性を実体験から考える

冬になって活動量が落ちてきたからなのか体重が増え始めている。そろそろまずいなと思っているのだが意外な発見をした。それがデータロギングの威力である。

今回、体重が増えたのは見切り品の肉まんを見つけたからだ。寒くてウォーキングをする機会も減った上に、肉まんを5つも食べてしまったために急激に体重が上がり「ああこれはまずいな」ということになった。一瞬目を背けたい気持ちもあったのだが思いとどまった。その時に役に立ったのが継続的に収集しているデータだった。




体重が増えると慌てて現実から目を背けたくなるのだが、今回はちょっと面倒なことをやってみることにした。カロリーの洗い出しである。最近写真を撮影してもちょっと太ったなあと思っていたのだ。

MacのNumbersに表を作って食べたものを記録してゆこうと考えた。とりあえずやってみたのだが基本的な表は1時間ほどで完成した。EXCELで使っていたvlookupはNumbersでも使えるようだ。普段食べているもののカロリーを洗い出して単位表を作る。あとは食べているものと量を記録してゆけば1日の消費カロリーが計算できる仕組みを作ることができた。

当たり前といえば当たり前だがやはり甘いものがかなりカロリーを稼いでいる。例えばアイスクリームは374kcalある。これをバナナに変えるだけでカロリーが節約できることになる。なんとなく方針がわかると「安心」できる。あとは実行するかしないかである。

さらにスーパーに行って肉まんのカロリーを確かめて見た。1つ200キロカロリーがある。これを5つも食べたのだから1000キロカロリーを一気に平らげたことになる。気軽に買っているメロンパンも450キロカロリーあった。ちょっと甘いものが欲しいと気軽に食べていたウエハースも400キロカロリーほどある。

そもそもいつから体重が増え始めたのだろうか?と思った。これが意外と簡単に把握できた。毎日測っている体重がBluetoothを通じてiPhoneに記録を送っているのだ。中国製の安い体重計なので体脂肪率はアテにならないのではと思っているが大体の傾向は把握できる。2019年9月からのデータがきちんと記録されていた。

さらにiPhoneは自動的に歩いた速度なども記録している。つまり活動量も調べることができる。こちらはあまりトレンドに変化がないようだ。

このデータをグラフ化したいところだがAppleのヘルスケアデータはXMLで記録されているためにそのままNumbersなどでグラフ化できない。XMLが扱えるRを試そうと思ったのだがそれも面倒そうだ。最終的にQS Accessというサードパーティーのアプリがあることがわかった。エクスポートする項目を選んで単位を指定するとNumbersでも読み込める表形式にしてくれる。これがiCloud上に保存されるのでMacから開くとデータが作られる。

データをみても確かなことはわからないのだがなんとなく思い当たるところはある。年始にはほとんど「おやつ」の類は食べていなかったのだが「少しぐらいならいいだろう」と少しづつ消費カロリーを増やしていった。それが習慣化するとそれがやめられなくなる。思い返してみれば数日に一度が毎日になり数が増えていったという感じのように思える。

ただ、食習慣が変わってもすぐさま体重が増えるということはないようだ。数ヶ月経って初めて体重増加という形で現れその時に慌てることになるわけである。

体重を減らしたいなら思い切って全てやめてみるといい。過去の経験から言えば、二週間くらいは動かないはずだがそのうち体重が減ってくるはずだ。だが現状維持でいいならば余計な摂取カロリーを減らせばいいことになる。急激に増えた体重は水分なのでそれほど慌てる必要はない。だがじっくり増えてゆく体重は脂肪なので、こちらは総摂取カロリーを見直す必要があるはずである。

今回のエントリーは単にデータロギングの大切さを訴えるものになるはずだったのだが期せずして国土交通省のデータ偽装のニュースが飛び込んできた。

安倍政権が始まった後の2013年から始まり政権終了後会計年度の切り替えを待って元に戻したそうだ。GDPへの影響があ流統計なので何らかのプレシャーが国土交通省にかかっていたものと思われる。思えば安倍政権はGDPは順調に伸び続けていると主張し続けていた。経済成長の伸びは「戦後最長に及んだ」とされたが、途中GDPの算出方法を変えている。

体重のデータが継続的に収集されていてありがたいなあとは思ったが「偽装」しよう考えなかった。どうやったらそれが管理できるかわかっているからである。

おそらく安倍政権はもともと国家統治に自信がなかったのだろうなあと感じた。国土交通省は原票を廃棄してしまったため「統計への影響はもうわからない」と言っているそうである。鏡を見ることができなくなった人がSNSの写真を修正して「まだ自分は大丈夫なはずだ」と思い込もうとしているのに似ている。これについては情報が入り次第まとめようと思う。

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