共産主義という悪魔

政府が言論の自由を制限し人権をないがしろにすれば、経済の活気が失われる。だから、自民党の政策を進めて行けば国家は没落するだろう。これは自明の理屈だと信じていた。

だが、右派の人たちはそうは考えないように思える。どういう世界観があるのかいろいろ聞いてみたかったのだが、どうやら仮定そのものが間違っているらしい。そこに理屈はないらしいのだ。

出発点になっているのは知性への反発のようだ。知性といってもマスコミと学校の先生といったレベルなのではないかと思う。どちらも左翼に支配されていると考えているようだ。知性が左翼に支配されているのは、もともとはGHQが、日本を弱体化させるために民主主義を持ち込んだせいなのだが、それを引き継いだのが北朝鮮であると彼らは考えている。彼らの世界観では先生たちは無知な生徒を洗脳しようと「人権教育」をするのだが、マスコミも左派知識人に支配されていて、この邪悪な計画を隠蔽しているのである。

右派の目的はそうした「悪い人たち」から無知でではあるが善良な市民を守ることらしい。むしろ「正しい人権」の守護者であるという認識を持っているのではないかとすら思える。

こうした意識がなりたつのは「自分たちは賢いのだ」という万能感を持っているからだろう。ほとんどの人たちは真実を知らないか興味がないので「私達が正しいことを教えてやらなければならない」という認識が成り立つ。ただし、教師やマスコミと言った人たちは「賢いのではなく間違っている」なぜならば、外国に協力する売国奴だからである。そうすることで自分たちの万能感が担保されるわけである。

ただし、民主主義についてはあまり関心がなさそうだ。売国的な知識人さえ排除できれば、正しく民意が反映されるだろうと素直に信じている。権力者が権力を濫用するだろうなどということは全く考えていないようだ。現在の経済状態についてもあまり危機意識を持っていないのではないようだ。

よくわからないのは自民党の改憲勢力との関係だ。磯崎議員は「キリスト教的な天賦人権論は日本にふさわしくない」と主張しており西田議員は「そもそも日本人に人権があるのがおかしい」などという。

だが、今回お話したネトウヨ系の人たちは「立憲主義が破壊されることがあれば、世界から非難されるだろう」と言っている。今非難されていないから安倍政権はそのようなとんでもないことを考えているはずがないという理屈になるらしい。彼らは安倍政権とお友達の連続性をどう捕らえているのかが気になるところだが、怖くて聞けなかった。もしかしたら耳には入っていないのかもしれない。

逆に左派への危機感のアンテナはびんびんに張られている。彼らによると、中国は虎視眈々と日本の殲滅を狙っており、左派勢力は彼らの尖兵になって日本を弱体化させようとしているらしいのだが、最終的な目的は不明なままである。「所詮ファッション左翼」なので深く考えていないのだろうと推論している。また、人権派は行き過ぎた見返りを求めていて、日本に寄生しているのだそうだ。

高度経済成長世代は「中間層が階層を昇る余地があることが経済的な繁栄をもたらす」と考えるし、成長が定常状態だと考える。だが、そもそも「成長」という概念そのものがない。だから成長しないから政府の政策が間違っているという認識はなさそうだ。だから彼らの政治への関心は分配に向いてしまう。政治といえば分配の議論なのである。そこで「行き過ぎた分配を求める人がいけない」という理屈が成り立つのだろう。

こうした世界観はキリスト教の信仰心に似ている。神は無謬であり、祝福された民は神を信じる限りは繁栄することができる。なぜなら神がそう約束したからだ。しかし、世の中には悪魔がいて、何かと神が作った平和を壊そうとしている。だが、悪魔がなぜ神を邪魔するのかという点についての答えはない。神に祝福された世界では、悪い事は起こりえない。何か起こったとしたらそれは「罰が当たった」のである。行いが悪かったのだ。故にセーフティネットなど必要ないのだろう。

この人たちと国体原理主義の人たちとの間には断層があるように思える。国体原理主義者たちは日本書紀に書かれたことは真理だと考えており、明治維新で捏造された伝統と信じている。だが、ネトウヨの人たちの多くはそこまで急進的な国体教を信じているわけではなさそうだし、普通に資本主義社会を生きていると感じているのかもしれない。これは、マルクス主義を教条的に信じている人と単に分配を求める人が一緒くたに「左翼」と混同されるのと同じことなのかもしれない。

左派と右派の一番大きな違いは、現状への危機意識というか不安を持ちあわせているかという点のように思える。一方共通点もある。左派が疑念を持っているのは権威主義的な父性への反発なのだと思うのだが、右派はそれが知性への反発にすり替わっている。これは同根なのではないかと思うのだ。

日本の左派たちは分配こそが解決策であって、全ての問題が解決されると考える。その原資は儲けすぎている企業が支出すべきものだ。一方で、右派は、アメリカ・資本主義・自民党という旧西側の体制を信じていて、これに従っていれば全てが解決すると考えているのかもしれない。トランプ旋風を見ると、アメリカ人は、自分たちの不調はすべて外国人に起因すると考えており、サンダースの支持者たちは企業と1%が悪いと考える。

非常に単純化すると、共産主義という悪者がいるために、それに対峙する人たちを正義だと定義しなければならないのだろう。天国とは悪魔がいない場所のことなのだ。

“共産主義という悪魔” への1件の返信

  1. で、どの辺が共産主義は悪魔なの?

    あと知性を否定するのにその反抗対象の知性を自分が持ってると自分で確信しているのに自傷行為には及ばないという
    右派のくだりが皮肉(矛盾しまくり)すぎてわろた。

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