ローコンテクスト文化と是々非々文化

松田公太という参議院議員が、菅官房長官の「是々非々」発言に疑問を呈している。多分、松田さんは是々非々という言葉の意味が分からなかったのだろう。海外経験が多いことが影響しているのではないかと思われる。

菅官房長官は、おおさか維新の党を指して「是々非々を歓迎する」と言っている。これは「取引が可能だ」という意味合いを含んでいる。おおさか維新に大阪府市の改革をやらせる代わりに憲法改正への道筋を立てて欲しいと考えているのだろう。お互いの利権には踏み込まず、目標を達成する協力をしましょうということである。

一方で、ローコンテクスト文化圏の是々非々は「出された法案を検討し合理的な判断を下す」という意味合いだろうと思われる。例えば社民党や共産党のような万年野党が「とにかく政府の方針にはなんでも反対する」のと比べて合理的に聞こえる。

ハイコンテクストの人たちは「関係性」に注目する一方で、ローコンテクストの人たちは「対象物」に着目する。同じものを見ているつもりで、まったく別々のものを見ているのだ。

菅官邸にとって、おおさか維新は好ましい相手だ。自民党に近寄る議員たちは「あわよくば自民党に入れてもらいたい」と思っている人ばかりだ。いわば「フリーライダー候補」と言える。また「万年野党」とも利害圏が共通している。だから「万年野党」は何かにつけて反対するのだ。一方、おおさか維新は自前の支持者を持っていて自活している。中央と地方なので利権の棲み分けも完璧である。これがおおさか維新が好まれる原因だろう。

菅官邸は取引を持ちかけるのが好きだ。沖縄に対しては「遊園地を誘致してあげるから、基地に反対しないでね」と言っている。「あなたたちのことは分かってますよ。おいしい思いをしたいんですよね」というわけだ。それは「私達もおいしい思いをしたいんですよ。分かっているでしょ」というメッセージを含んでいる。これを仄めかすように伝えるのが日本式だ。

一方、菅官邸はこうした「是々非々」の取引ができない人たちが嫌いだ。原発を稼働に「とにかく反対」という人も嫌いだし、軍事費で儲けたいと思っているのに「とにかく戦争反対だ」と叫ぶ人たちも嫌いだ。「沖縄の誇り」を持ち出されると取引ができないので、これも嫌がる。そして、こうした人たちがいないように振る舞う。

菅官房長官や安倍首相はこうした人たちと対峙するときに、目を見ないで嫌な顔をすることが多い。特に女性(多分見下しているのだろう)などが相手の場合には露骨に嫌な顔をする。取引ができないとどうしていいか分からなくなってしまうのだ。

松田さんの党は(党でなくなったみたいだが)安保関連法案には賛成しているので「是々非々党」だと思われがちである。日本人の受け手(つまり有権者)もそのように受けとめている。「政権と取引したのだろう」という具合だ。しかし、実際には「国会で審議できるようにしよう」と言っている。官邸から見ると取引したいと考えている利権に踏み込もうとしているように見えるのだ。日本人は自分の縄張りに他人が入ってくるのを嫌がる。さらに、こうした取引をするのに言語的な交渉を行わない傾向がある。お互いに目をみて「分かっているでしょ」と非言語的なやり取りを行う。

このハイコンテクストな「是々非々文化」はかなりの弊害を生み出している。そもそもコンテクストを理解できない外国人もいる。アメリカのようなローコンテクスト文化圏の人だと「日本人は集団で私を排除しようとしているし、はっきりと要求を表に出さない」と思うかもしれない。もっとやっかいなのは女性だ。「女の人は建前だけ言って困る」というのは「是々非々の対応ができない」という意味である。だから、日本では地位が上がるほど女性の管理職が少ない。「女は面倒」なのだ。

こうしたハイコンテクストな文化が残っている企業には優秀な外国人や女性が近づかないだろう。多様性がないということは、こうした顧客のニーズが満たせないということである。ハイコンテクストな人たちとの間でのやりとりが好まれるので、ガラパゴス化してしまうのである。

最近ではオリンピックでこの是々非々文化が問題を起している。ザハ・ハディド氏は外国人であり女性でもある。組織委員会の人たちは「それとなく」要求を伝えた(あるいは仄めかした)はずである。それがうまく伝わらなかったのだろう。利益が確保できない事を怖れた建設会社が法外に高い見積もりを出して「自爆テロ」を演じたのではないだろうか。代わりに出てきたのが「話が分かる」日本人男性の建築家だ。

さらにはエンブレムでも「話がわかりそうな」広告代理店が「話のわかりそうな」アートディレクタを採用して形だけのコンペが実施された。日本人にとっては「利益を分配する」というのは自然な文化なのだ。

大きな公共事業には国際コンペが義務づけられている。TPPが発効すれば地方レベルの公共事業にも国際コンペが義務づけられそうだ。日本の「是々非々問題」は国際的な軋轢を生じさせそうである。この文化は、アメリカやアングロサクソン系の人たちからは「非関税障壁」と見なされているからである。

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