バカは自分がバカだということを知らないし検索しても自分がバカであることに気がつけない

トランプ大統領支持者が進んで民主主義を破壊するのを見た時や安倍政権の支持者たちが立憲政治を破壊しようとした時、民主主義を維持する上で市民が知識を持っていることは重要だということを学んだ。

バカがはびこると民主主義がどんな目に合うかということを学んだ数年だったといって良いだろう。そこことを痛感する本を読んだ。それが「クラウド時代の思考術」である。面白い本だが、題名が悪い。「バカは自分のバカに気がつけない」というようなタイトルにしたほうがよかった。




このたびブログをGoogleCloudに移した。無料枠が残っているので何かAIの勉強ができないかと考えて図書館目録で書籍を探したのだが「Google検索術」というような本しか出てこない。Google検索術といってもGoogle検索の機能について書いてあるだけなので全く役には立たないだろう。そういう本がたくさん出ているところを見るとGoogle検索すらできない人がいるのだろうとは感じる。

そんな中で探し当てたのが「クラウド時代の思考術」だ。要するにGoogleで検索しても肝心なことはわからないというようなことを主張したいようだ。ではその肝心なこととは何か。それが「自分が知らない」という意識である。

青土社はハウツー本を意識したのか「クラウド時代の思考術」という名前をつけている。おそらく「バカは自分がバカであることを知らない」という名前にした方が売れたと思う。原題は「雲に頭を突っ込む(head in the cloud)」だ。「五里霧中」ということなのだろうが成句としては「雲の中に頭をつっくんで空想にふける」という意味があるという。著者のウイリアム・パウンドストーンはMIT卒業のサイエンスライターでピューリツア賞のノミネート経験が二回あるそうだ。

書き出しはダニング・クルーガー効果の説明で始まる。知識が欠けた人は自分が知識に欠けていることを理解できないということを検証している。もっと簡単な言い方をすると「バカであるほど自分がバカであることに気がつかない可能性が高い」ということだ。そして本の最後はあなたがグーグルで検索できないものは、ただ一つ、あなたがつねにさがしていなければならないものだという拡張は高いがなんだかよくわからない文章で結ばれている。

本の中身はかなり退屈だ。豊富な事例が出てくるが何が言いたいかはよくわからない。そのためアメリカ人にはバカが多いという印象しか残らない。検索すれば情報はいくらでも手に入れることができる。だが情報が手に入れやすくなっても人々が正しい知識を入手できるようになるとは限らない。そもそも思い込みに支配されていて正しい問いを持てないからである。正しい検索文が作れないとGoogle検索には意味がない。

途中に「フォックス・ニュース効果」という言葉が出てくる。フォックス・ニュースを見ている人は時事問題についての知識レベルが低い傾向が強いそうだ。因果関係がわかっていないためバカがフォックスニュースに惹きつけられるのかフォックスニュースがバカを作っているのかはわからない。Forbesにはこの項目について紹介している記事がある。もともとはQuoraに登場した質問だったそうである。

もちろん政治・時事問題に全く関心がない人に比べるとフォックスニュースの視聴者の時事問題理解度は高い。だが、他のニュース媒体を見ている人と比べると理解度は低いのだという。だが、よく言われるようにフォックスニュースの視聴者がバブルの中に住んでいて他のニュースから遮断されているというのも間違っているそうだ。フォックス・ニュースの視聴者は他のメディアも見ている。

おそらくフォックス・ニュースはあまりニュースの対してリテラシーが高くない層をターゲットにしているのだろう。自分が時事問題を理解していないということを理解できない人たちがフォックス・ニュースに惹きつけられる。そしてフォックス・ニュースはさらにその人たちに向けたニュースを発信する。次第に視聴者たちが「自分たちはニュースをよく知っている」と思い込むようになるというスパイラル効果が働いているものと思われる。

最終的にこのフォックス・ニュース効果は「選挙は乗っ取られているのだから民主主義を解放するためには議会を襲撃するしかない」と考える人たちを生んだ。彼らは民主主義を救うための行動に出たと思い込んでいたのであろうが実際には民主主義を破壊しかけた。議事堂襲撃で罪に問われる人たちは700名を超えるそうだが罪を認めた上で司法取引に応じる人たちも出て来ているそうだ。

これは日本でもおなじみの現象だ。安倍政権の誕生とともに憲法の重要性を理解しない人たちが増えた。自分たちの知的レベルにあった言動を繰り返すリーダーを見て大喜びしたことだろう。安倍総理の登場とともに「政治ニュースがわかるようになった」と考えた人は多かったのではないだろうか。

民主主義がそれほど進んでいない日本では彼らが民主主義を破壊することはなかった。だから安倍支持者たちは「ほとんど無害」だったともいえる。

最近「二類相当であるコロナを五類にするとコロナの毒が弱まる」と考える人がいる。さらに「五類まで下げるのが嫌ならその間の三類か四類にすれば」などと言い出す。おそらく「類が深刻度のレベルになっている勘違いしているのであろう。そしてカテゴリーが下がればウイルスの毒性に効果があると因果関係を逆に考えてしまうわけだ。

彼らを説得しても無駄である。彼らはそもそも自分の思い込みに気がつけない。

おそらくこうした勘違いが生まれる背景には基礎となる知識レベルの違いがある。基礎になる教養レベルが低いとそもそも問題意識を持つことができない。つまり教養とは疑問を持つ能力と言える。疑問を持って質問文を組み立てて初めてあららしい知識を得ることができるのだ。

たとえ無知な彼らが検索をしても状況は改善しない。検索結果が膨大であるために「関係のあるところとないところ(relevancy)」が評価できない。その上、自分たちの思い込みに合致した情報を好んで取捨選択してしまうため思い込みの強化が起きる。

安倍支持者は「ほぼ無害」だったと書いたのだが、実は気になる影響も残している。それがG型大学・L型大学構想である。一般庶民に教養課程は役に立たないから専門教育を施せばいいという主張だ。

これを象徴するのが、一部のトップ校を除いてほとんどの大学は職業訓練校になるべきという発言だった。時代遅れの産業が温存されている日本で足りないのは単純労働力だから地方の大学は単純労働力だけ作ればいいのだという発言だ。

日本のトップリーダーたちが国力の底上げを真に望んでいたのならこの発言は国力を衰退させる非常に危険な発言だと見抜くことができただろう。だがそもそも教養の重要性を知らない我が国の首相は我が意を得たりとばかりにこの構想を応援しその知的レベルに呼応した支持者たちも「誰もがタダで大学に行けるとは素晴らしい」はやし立てた。

この本から得られる洞察に従えば日本に必要とされている知的能力とは「自分が何を知らないか」を正しく認識しどうすれば正しい知識が得られるかどうかを探す能力だったのだろう。

「知識人には教養が必要だ」と主張する人たちも教養の意味をうまく言語化できなかった。彼らもまたたくさん知識を持っていることが教養なのであると誤解していた。だからインテリの人たちは今でも「古典は重要だ」とか「悩みがあったら本を読め」などといっている。混乱している状態でさらに情報を詰め込んでもさらに混乱するだけである。

アメリカでは無知によって民主主義が破壊されかけた。おそらく日本で破壊されかけているのは我が国を先進国たらしめていた知的基盤であろう。うまくゆかないことを見つめて「どうしたらうまくゆくだろうか」と考える能力だといって良い。

確かにこれもGoogle検索では出てこない。Google検索で表示されるのは過去にうまくいったことの集積でしかないからである。

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