おそらく誰も注目しないだろうなと言うニュース記事を読んだ。かつてアメリカが中国への核攻撃を検討したことがあったのだと言うニュースだ。最終的にアメリカ大統領はこの核のオプションを選択することはなかった。中国とソ連が結んでアメリカに核攻撃を仕掛けてくるというシナリオだったそうだ。
ジャーナリストの布施祐仁さんは日本について言及されたと言う箇所を読んで次のように書いている。もしこの時に核兵器オプションが選択されていればおそらく日本のいまの状態はかなり違っていたであろう。
安保条約改定の2年前である。当時の日本にはアメリカの戦争への巻き込まれ不安があった。米軍の基地から台湾に向けて出撃ということになれば反戦運動はさらに高まり安保改定議論もさらに混乱していた可能性がある。と同時に当時の東西対立がアメリカにいいようのない不安を与えていたこともわかる。情報も少なく共産主義というわけのわからないものに対する怯えがあったのだろう。
ここでダニエル・エルズバーグと言う人について調べて見て面白いことがいくつかわかった。この人はむしろペンタゴン・ペーパーズという機密文書の持ち出しで知られているのだという。おそらく界隈では有名な人物なのだろう。AFPの記事はペンタゴン・ペーパーズについて細かいことを書いていないが、おそらく「有名なので知っていますよね」ということなのだろうと思う。
ペンタゴン・ペーパーズはアメリカがベトナム戦争に傾斜してゆく様子を記録した文章なのだそうだ。大統領(おそらく複数人)は議会を騙し勝てる見込みのない戦争の泥沼に突入してゆく。そしてベトナム戦争では多くのアメリカ人の命が失われた。深刻な障害を負って人生が変わった人もたくさんいる。
この様子を見ていて「公開できないにせよ記録しておかなければ」という気持ちになった人がいたようである。ダニエル・エルズバーグはそのドキュメント作成に携わり、やがて記者に情報をリークした。この話は映画になっているそうだが、エルズバーグさんは婚約者や仕事仲間を失ったそうだ。
憲法で表現の自由は保障されていたものの内部告発者を保護する法律はなかった。ダニエル・エルズバーグもドキュメントそのものを公開するつもりはなかったようだが、コンタクトした記者が徹夜で文章をコピーしてニューヨークタイムズで記事になった。朝日新聞が当時の記者の様子をまとめていた。こちらもヒリヒリするような話である。夜通しコピー店でコピーしたそうだ。
記事は「あなたも、盗んだのではない。あれは、米国民みんなのものだ。あれの代償として、みんなで築いた国富と、息子たちの尊い血が注ぎ込まれているんだ。その文書に接する権利が、みんなにはある」というダニエル・エルズバーグの発言で締めくくられている。
良いことをしたのかはわからないし、あるいは犯罪なのかもしれないが、我々には知る権利があるというわけだ。アメリカ人が民主主義をどう考えているかがわかる。政治も歴史もみんなのものであるという認識がある。
おそらくジャーナリズムの根幹にあるのはこの感覚なのだろうなと思う。翻って日本人について考えてみると、この「みんなの」という感覚がそもそも希薄である。面倒なことは誰かに任せておいて上澄みのクリームだけが欲しいという人が多い。あとはお仕事としてのジャーナリズムという感覚であろう。
秩序立った国家から見るとこれは大変危険で狂った行いだ。政府はダニエル・エルズバーグの精神科医の元に盗みに入った。この人は気が狂っているという風評を流布するためだそうだ。結局これが明るみに出たことでダニエル・エルズバーグへの裁判は却下された。知る権利を守るためにという理由ではなかったことになる。
なんでもありのニクソン政権はやがてウォーターゲート事件の犯罪行為によって弾劾寸前まで追い込まれて政権を去ることになった。勝負とメンツの保持に夢中になりやっていいことといけないことの違いがわからなくなっていたということがわかる。
この一連の話を調べていて面白かったのは台湾海峡の有事想定という歴史の話ではなかった。ベトナム戦争の経緯が明るみになったきっかけは
- 公表はできないのだろうが、誰かが記録に残しておかなければ
- 全てを失ってでもいいから誰かに伝えなければ
- 盗みで訴えられるかもしれないがとにかくコピーしなければ
- 会社が対国家の訴訟に巻き込まれるかもしれないが目の前にあることを公表しなければ
というリスクやコストを度外視したやむにやまれぬ切迫した気持ちである。おそらく正義感というようなきれいな言葉では片付けられない何か合理的でない気持ちがあるのだろうと思う。とにかく書いて伝えなければという気持ちはおそらくは我々の遺伝子の中に組み込まれているのかもしれない。犠牲が大きすぎてとても合理的な説明は難しい。だがわれわれはこの犯罪すれすれの危険な行為によってベトナム戦争がどうやって始められたのかを知ることができるようになった。
ベトナム戦争で人生を狂わされた人たちにとって「何故こうなったのか?」を知ることは極めて重要だったに違いない。彼らがいくらか救われたとすればそれはおそらく合理的な行動のせいではないのである。