Uniqloのキャンペーンを見て、日本にデモがない訳を考える

Uniqloが面白いデニムのキャンペーンを始めた。なぜ、Uniqloが日本では通用してもアメリカで苦戦するのかがよくわかる。

Uniqloだけをみつめていてもよくわからないので、Appleがなぜもてはやされるのかを見てみよう。Appleはもともと巨人IBMに対抗するというイメージで成功した。コンピュータは専門的な知識が必要だと考えられていた当時、Appleのパソコンはグラフィカルインターフェイスを持っていて「誰でも簡単に」使うことができたのだ。これが巨人や権威をうちたおすというイメージに転換され、クリエイティブな人たちに受け入れられた。彼らの目標はパソコンで作品を作ることであって、コンピュータを操作することではなかった。

つまり、価値観を通じて企業と消費者が結びついていて、製品はその間を結びつける媒体になっている。価値観で結びつくためには、当然ながら消費者の中に価値観がなければならない。価値観は「生き方」である。こういうアプローチをライフスタイフ型という。

同じことはDIESELにも言える。DIESELの現在のキャンペーンは「壁を壊す」というものだが、当然ながらトランプ大統領のメッセージの否定になっている。つまり、消費者の中に価値観があり、商品を買うことでその価値観を発露しているということになる。政治は当然ライフスタイルの一部なので、アパレルメーカーが政治的メッセージを発するのは当たり前のことだ。

ここでUniqloのキャンペーンを見てみよう。Uniqloのキャンーペーンは、デニムの聖地であるロスアンジェルスで様々な形のデニムを研究するというものだ。やっていることはデニムの3D加工である。つまり、デニムは工業生産品として扱われており、その加工を「効率的に行う」ことで、できるだけ安価に人気のデニムが生産できることになっている。これは極めて工業生産品的な扱いかたである。それを象徴するのが「イノベーション」で、イノベーションそのものがかっこいいということになっている。

こうしたやり方は「みんなと同じものを」「より安く」手に入れたい日本人には受けるやり方なのかもしれない。しかし疑問もある。3D加工は何のライフスタイルの反映なのだろうか。

3D加工というのはもともとアメリカ人のお金持ちが「履き古したようなジーンズ」をできるだけ早く手に入れたいという欲求から生まれた。その祖型はビンテージのジーンズだと考えられる。ジーンズはもともとワークウェアなので、これ見よがしではないが高級感は出したいというような気持ちの発露なのだろう。例えていえば、ステーキではなくおにぎりを食べたいが、やはり近所の惣菜屋の弁当は嫌なので梅干しを南高梅にして、その伝統やうんちくを語るというような感じなのではないだろうか。

ところが、Uniqloはロスアンジェルスで3D加工のものを安く作れるという方向に舵を切ってしまう。確かにいろんなジーンズがあるけれど「どれがUniqloのオススメですか」ということはよくわからない。「いろいろ作ったからあとは自己責任で選んでよ」ということになっている。なぜそうなるかというと、日本人には作り手にも受け手にもライフスタイルがないからである。

まずUniqloにはデザイナーは存在しない。そもそも個人の価値観で消費者を引っ張るという考え方がないからだ。デザイナー集団は外注になっていて「部材」の一つとして扱われている。かといって、消費者にどんなデザインが欲しいのかを聞いても「よくわからない」というような答えしかも取ってこない。それは、消費者も「今流行っているものを手っ取り早く教えて欲しい」とは思っても、個人の価値観が存在しないからではないだろうか。多分、日本人にライフスタイルを聞くと「より安く」「より楽に」ということになるはずだ。

「人は見た目が100%」というドラマを見ているのだが、テーマは「男性や世間に受け入れられるためにファッションを選ぶ」というものになっている。つまり日本人にとっては「人は他人からどう思われいるかが100%」なのだ。

これは日本人にとっては極めて自然なことだ。日本人は政治的な意見を持つことを自分に禁止しているのだが、これは政治的意見に限らないということがわかる。つまり、日本人は自分自身がより好ましいライフスタイルを持つことを禁止していて、他人にもそれを強制するのだということが言える。日本人がライフスタイルを維持するのは他人の目を気にしているからなので、そこに協定が加わると「楽な方に」と流れてしまう。これを理解すると、次のような問題にも応用できるだろう。

  • なぜ、日本ではデモが起きないのか。
  • なぜ、野党がだらしなくなり、選挙がないと、自民党の中で失言が増えるのか。

また、改革は自己目的化するのだから、政治改革にはめざすものがなくなり、政治改革や民主化の推進が自己目的化した挙句、何も達成できないということになる。これはUniqloのキャンペーンでデニムのイノベーションが自己目的化しているのと同じことなのである。

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