ノーベル経済学賞で注目されるコモンズ
ノーベル経済学賞(アルフレット・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞というのだそうだ)のキーワードはガバナンスだった。受賞した1人の研究対象はコモンズだそうだ。新聞報道を読む限りは、人間が社会を維持するために相互協力が有効だという主張のようだ。国家でも経済でもない公共をみなおそうということらしい。これを市場競争主義の反省に立った主張だと見る向きもいる。
自律的に運用される市場
ちょっと極端な例なのかもしれないが「ヨーロッパの朝市」みたいなことを考えてみる。みんながチーズやら野菜やらを持ち寄って、そこそこの値段で売る。お客さんも新鮮な食糧が手に入るので市場をありがたいと思うだろうし、一人が10種類の野菜を作るより、得意な野菜に特化して収穫を交換した方が効率的だ。よく考えてみればこれも市場だ。うちのトマトの方が甘いといってちょっとした自慢合戦をするのが「競争」ということになる。ところがそこに大きな街の資本家が乗り込んで来て、安い労働力を集めて作った野菜を売り出したとしても、これも市場だ。
「ヨーロッパの朝市」には自主的なルールが作られる。みんなが使えるテントなどの機材や、野菜が洗える場所なんかが備え付けられる。そういった場所はみんなで管理する。しかし悪辣な資本家はそういった場所を利用しないし、保持するために金を出したりもしないかもしれない。
競争と協力は両立する。また両立させなければならない。
脱線する前にここでやめておくことにするが、何が言いたいかというと、「市場」と「コモンズ」は二律背反の概念ではないということだ。ただ、みんなで協力して作っている市場と何人かが独占している市場は明らかに違った市場だろう。前者の市場は参加者によって守られている。しかし後者の市場は常に警戒する必要がある。いつ搾取されて怒った労働者が石を投げてくるかもしれないからだ。
ここにお客さんを加える。お客さんがコミュニティの一員である場合には、悪辣な資本家の店では買い物をしないかもしれない。「あの人悪い人よ」というのをみんなが知っているからだ。しかし、例えば表からそのことがわからなかったり、お客さんがコミュニティの参加者でない場合には、単純に店構えがきれいだから、値段が安いからという理由で品物を選ぶことになるだろう。どちらも市場原理に従った(つまりお客さんに選択されるので)淘汰が起こるはずだが、その結果は大きく異なってしまう。
従来の貨幣理論だけでは説明できない市場の成り立ち
この違いを「通貨流通量」で説明することは難しい。
経営学の方でも、このところ資産としての信用が大切みたいなことが言われ続けている。共生もキーワードになりつつあるようだ。かならずしも「新しい」ことが賞賛されるわけではなく、どのような価値観を提供するかが重要ということだろう。
一方、今年の経済学賞には批判もある。例えば池田Blogは「変だ」といっている。この批評によると、理論としては新しくも、わかりやすくもないそうだ。この分析はたいへん面白い。なぜならば「美しい数式では解けない」ようだからだ。つまり、群れを維持するために、人間はかなり複雑な行動を取っているのかもしれないということが提示されているようだ。純粋な理論家ではなく、フィールドワークに基づいてという点がこうした違いを生んでいるのかもしれない。
こうした議論が起こる背景には、経済学かくあるべきという専門家の見方があり、市場原理で泣いている人がいるから、市場原理は批判されるべきだと考える人がいるということなのだろう。フレームは世界を理解するために有用なのだが、それがうまく作用しなくなった場合にはフレームを再編成する必要がある。
多分これから1年は、市場主義や数式の美しさというものより、「共生」やら「信頼」といったウエットな議論が多くなってくるだろうと思われる。個人のレベルではコントロールできないように思えるが、一人ひとりの心持ちが実はシステムに重大な影響を与えているというような世界だ。それが受け入れられて改めて考えるまでもないというレベルに落ち着いたあたりで、再び「個人」「スキル」「起業」といった個人にを示す言葉が流行することになるだろう。