テレビのリモコンが壊れそうだ。チャンネルを変えるのが面倒になったのでNHKに固定されている。すると、人はどのような信用体系を持つようになるのだろうか。
まず、日本には政党は自民党1つしかない。携帯電話の料金を下げようとしたり、給与を上げるように働きかけたりとなかなかよくやっているように見える。麻生さんは「企業は金を貯め込むのはよくない」的なことを言っていた。なかなかいいことを言うなあと思った。一度だけ岡田党首の顔を見たがなんだか顔色が悪そうだった。政府を批判しているようだが、何を言っていたのかは忘れた。共産党や維新の党(そういえば、今どうなっているのだ……)という党は存在しない。軽減税率の問題にも取り組んでくれているようだ。税金が安くなる(いや、上がるから高くなるのか?)はいいことだ。
安保反対のデモはちゃんと見かけた。若い人が政治に関心を持つのはよいことだ。最近の若者は恋愛を面倒がっているようだ。どうしてこんなことになったのかは分からないが嘆かわしい限りだ。若者はもっとしっかりしなければ、と思う。沖縄戦の特集もやっていた。戦争はいけないことだ。
そもそも政治は大きな問題ではない。それより大きいのは認知症だ。繰り返してキャンペーンをやっている。個人の努力でなんとかしなければならない。いくつになっても動けるように日々の体操も重要だろう。寝たきりになったり、ボケたりすると社会に迷惑がかかる。
TPPは農業の問題だ。農家はかわいそうだが、仕方がないのかなあと思う。安い肉や野菜が食べられるようになればいいなあ。企業が政府を訴えたりするらしいのだが、そういう例はいまだにないということなので、あまり考えなくてもよいだろう。なんとなくよく分からなかったが裁判はアメリカでやるようだ。英語ができない企業は大変だろうなあと思う。食べ物の安全についても懸念があったようなのだが、政府はちゃんとしてくれているらしい。農家に直接補助をするということだが、あんまりばらまいても良くないんじゃないのと思った。バターの品薄は改善されないそうだ。結局、情報が少ないのでよく分からない。
外国人研修生が逃げ出したのだそうだ。家族同然の付き合いをしていたのに、逃げられた建築会社の社長はかわいそうだった。ヨーロッパでは移民の問題があり、何かと大変そうだ。まあ、遠く離れているので、日本では大丈夫だろうが。アメリカは間違った情報を基にリモコンで人殺しをしているらしい。情報が間違っているので、当然間違った人を殺す。ひどい話だ。
繰り返し、傾いたマンションの問題をやっている。住んでいた人たちは運が悪かったのかもしれないが、儲けを優先する企業はもっといけない。こうした企業は国が厳しく取り締まるべきだろう。
ざっと、こんな感じ。特に何かを隠蔽しているといういわけではないのだが、政府の広報をそのまま流していて「それをどう効果的に伝えようか」というアプローチのために、批判的な態度は取りにくくなる。現在の政府の態度は「困った事は自分たちで解決しろ」「何かあったら、自分から申請してこい」という態度なので、情報構成もそうした内容になっている。
「弱者」を扱う分量が多いのはよいことのように思えるが、問題も多い。多分、問題だけでなく成功事例を扱うようにという規定か暗黙の了解があるのだと思う。成功事例はとても希なものかもしれないのだが、「困っている人は努力が足りないか、運が悪かったのではないか」という印象が残るのだ。実際に、その場になって解決策が見つけられない、解決策にアクセスできないということになるケースも多いのではないかと思われる。
もめ事に対しては、両論を流して「はい、公平に扱いましたよ。あとは、自分で考えてね」という態度のために、結局は「断片的な情報」と「よく分からないからいいや」という感覚だけが残る。
外国人研修生制度の問題は、結局のところ非定住型格安労働力の確保のための制度が破綻したものなのだが、こうした背景は扱われない。しかも、当事者である「逃げ出す外国人」にも取材をしないので、結局日本人雇用者の言い分だけが放送されることになる。
この夏、安保法制に反対した人たちには信じがたいかもしれないが、野党のプレゼンスはほとんどないと言ってよい。プレゼンスがないので、選挙のときの選択肢に入る事もないのではないかと思われる。取り扱われない理由はよく分からないが「公共放送はプライベートなパーティーの意見をいちいち取り上げない」という考え方があるのではないかと思われる。
NHKが地域に開かれた最も公平な放送局であることは確かだ。しかし、受信料を取りはぐれる心配がないので、経済や社会が傾いてゆくことに対しての危機感を持ちにくいのだろう。困っていないのだから、社会や政府に対して批判的な態度を取るようにはならないだろう。だから、社会には問題が山積していたとしても、それはすべて他人事のように扱われる。見ている人も知らず知らずのうちに「困っている人たちは大変だなあ」という感想を持つことになるのではないかと思う。