NHKのシビリアンコントロール違反というプロパガンダ

本日のエントリーはある意味失敗作だ。最初に日報を隠すのがどうしていけないのかということを説明しようとして失敗した。隠してはいけない理由が見つからなかったのである。

前回、日報を隠すのはクレジットカードの明細を隠して総額だけを渡すようなもので、それは社会通念的に認められるものではないと書いたので、これは全体の筋立てに無理があったということになる。つまり、日報を隠すのは法的にはいけないことなのかもしれないが、必ずしもいけないとは言い切れないということである。

例えば、全体例に出したクレジットカードの場合には、支払いという社会的な義務を正しく行うことが重要だ。もし、クレジットカード会社が「支払いがなかった」かのように振る舞うと利用者はどう思うだろう。最初は裏があるのではと疑うかもしれないのだが、周囲の人にも請求書が送られていないことがわかると次第に慣れてしまい「まあ、いいか」と思うかもしれない。

もちろん、誰かが支払いをする必要があるわけだから、請求は回り回って大きくなるはずである。だが、その結果がわかるまでには時間がかかる。それまで「なかったことにしょう」と思う人も出てくるかもしれない。

日報は不都合なことが書かれていた。自衛隊は憲法の制約があり戦地にはいけない。それは彼らが軍隊ではないからである。だから行った先は戦地であってはならない。しかし、非戦地が戦地になったからといっていち早く撤収することはできなかった。それは「かっこ悪いから」である。外国には軍事的貢献をしていると見られなければならないので撤収の決断ができなかったのだろう。

確かに、送り出した人たちは悪い。だが、反対している人たちも「本当に軍事的な国際貢献が必要ないのか」とか「この状態で本当に日本人だけが逃げ出してもよいのか」ということを議論しなかった。

政権運営に失敗して国民の信任を失った野党には他に攻め手がなかった。軍事・防衛は彼らにとっては格好の逃げ場だった。戦争がいけないという意見に反対する人はおらず、実際に戦争が起こるような状況にも置かれてこなかったからである。

もちろん、ここを攻められる原因は与党側が作っている。これまでだましだまし既成事実を作ってきたから法的な整備が一切進まず、さらに国民の理解もえてこなかった。

加えて、軍事防衛に固執するようになってしまった野党に対峙するうちに「あのうるさい野党が唯一根拠にしている憲法さえなければ、日本はもっと国際的に尊敬されるのに」と考えるようになる。さらにそれを単純化して「軍隊さえ持てば世界から尊敬される」などと考えるようになってしまった。

日本は今回の朝鮮半島対話から完全に切り離されている。これは、日本が軍隊を持たないからではなく、国内的な意思統一ができていないからである。

日本はアメリカの周辺国家に留まるのか大国として振る舞うのかというポジショニングの問題を解決していない。仮に大国として振る舞うなら「主権」に対して国民が関心を持つはずで米軍の常駐に拒絶反応が出るはずだ。しかし、日本人は軍事的にはコンパクトのような協定を憲法の上において満足している。コンパクトのような自由協定は軍事基地を置く以外に主要な産業がないような小さな国々にとっては合理的だが、日本にとっては必ずしも合理的なシステムとは言えない。それは政策オプションがアメリカのポジションに制約されるからだ。小国としてもピボットができなくなるので不利に働くということは以前のエントリーで説明した。

日本政府に大国指向があれば周辺国を挑発することはないはずだ。これは中国が経済圏を作ろうとしている大陸中央部の国を挑発しないのと同じことである。だが、実際に安倍政権がやっているのは中国への対抗心からくるバラマキであり、一帯一路のような戦略性が見られない。

野党に対峙していくなかで、日本政府の軍事・防衛戦略は「ボーイズクラブの妄想」のようになってしまった。幼稚な中国への対抗心や軍隊を持ったらもっと威張れるはずというような国家像なので、大人になる前の中学生的な妄想と言って良いかもしれない。

戦争は全部いけないという野党、軍隊を持ったら強くなって威張れると考える与党、面倒なことを考えたくない国民。これを総称して「文民」と呼んでいる。これが統制しているのが自衛隊である。

ここまで考えてくると日報の隠蔽問題がどうして国民の間で問題にならないのかがわかる。つまり、何も考えたくないし、不都合なことは見たくないからだ。だから、日報が隠されるのは実は「文民の要望だ」ということになる。野党は騒いでいるのだから非難の対象から除外されるべきだと考える人がいるかもしれないが、彼らは政権が欲しいかあるいは気に入らないから騒いでいるに過ぎない。問題そのものに関心があるわけではない。

国民は無関心から自衛隊を難しい立場に追いやっているという点で改竄や隠蔽に加担している。しかし、みなさまのNHKは優しさからくるのかもしれないが嘘をついている。それが表題になっているNHKのニュースの伝え方である。つまり、文民統制に違反しているとほのめかすことで国民の責任を曖昧にしているのである。

日報は国民が「不都合なものはみたくない」から隠されてきた。しかし、隠すこと自体は悪いことであり肯定できない。そこで「文民統制の点で問題がある」という認識にすり替えた。もともと統制するつもりがなく不都合があれば現場で適当に対処せよといって送り出しているのに、実際に文書が隠されていることがわかったら「軍人(自衛隊)が勝手にやった」「暴走した」と騒いでいる。これは戦前の国民が大陸進出を支持したのに、結果的に失敗して第二次世界大戦で負けた途端に「大本営発表で隠蔽した」とか「関東軍が勝手に暴走して戦争を始めた」などと騒ぎ出したのに似ている。

クレジットカードのたとえに戻ると、日報を見るということは「使いすぎてしまった明細を受け取る」のと似ている。ここで「なぜお前はそんなに使ったんだ」と夫が妻を攻め立てて、妻が黙ってしまうというような話である。だが、ここでやらなければならないのは「なぜそんなことが起こったのか」を検証することであって、離婚だ、家を出て行けと騒ぎ立てることではないはずである。

しかし、日本人は戦前と同じ過ちを繰り返そうとしている。誰かが勝手にやったことだと騒ぎ立てて問題の解決を避けている。確かに文書の隠蔽はいけないことなのだが、この話は多分そこで終わらせてはいけないのではないだろうか。

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カルボナーラを炊飯器で作るべき理油

時々カルボナーラを作るのだが、フライパンの上で卵が炒り卵状になり失敗する。何度やっても失敗するので作り方が間違っているのだと思うようになった。そこで色々と調べてみたのだが、どうやらカルボナーラを作るには蒸気が必要なようだ。だから炊飯器を使えば良いのではないかと思った。

ヒントになったのはあるYouTubeの動画だった。後半2分くらいのところで出てくるのだが、パスタを茹でているところに行って卵と麺を混ぜている。フライパンで炒るようにして卵を混ぜるから「炒り卵スパ」になってしまうのだ。

もちろん、フライパンを使う動画もあるので、これじゃなきゃダメということもないのだろうが、このやり方でやってみようと思った。

スパゲティを半分に折って塩水を多めに入れた炊飯器に投入する。10分ほど経過するとふつふつと煮立ってくるし、お湯で始めれば袋の表記通り7分で済む。パスタは炊飯器でも茹でられるし、時間を研究すればアルデンテも作れる。

パスタの水を切ったら、テフロンの釜にオリーブオイルをスプーン一杯垂らす。小麦粉がすでに溶けているので水と油が乳化してソースが絡むようになる。

そこに卵とパルメザンチーズの粉をまぜてしばらく置いておいたものを入れる。混ぜてからすぐに入れると卵とチーズが分離した状態になる。コメント欄にもあるように本来はパルメザンチーズは使わないそうだ。つまり、これは「カルボナーラ風」ということになるだろう。

このような手順で作るとビデオと同じような状態になり炒り卵にはならなかった。今回はハムは入れなかったがフライパンで調理したハムを入れてもいいかもしれない。代わりにチキンスープを入れて茹でても美味しい。

あと何かやることはあるかと思ったが何もない。カルボナーラにはニンニクも入らないし、一部のレシピのように生クリームも入れない。湯加減や油加減の調整だけで好みの味が調整できるので意外とクロウト好みかもしれない。しっかり水切りをすれば水分が少なくなり、ざっくりと水切りをすればスープっぽい仕上がりになる。

ということで、テクニックというほどのテクニックもなく完成した。簡単だし具材もあまり入らないので給料日前などいいかがだろうか。

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スウェード靴の消しゴム

スウェードの靴を買った。なかなかおしゃれでいいんじゃないかと思ったのだが、雨の日には履けない(実際には水はじきのあるスプレーが売られているが、気分的にどうしても避けてしまう……)という欠点がある。

また、意外に汚れやすく、これも気にし始めるとちょっとしたストレスになる。そこで活躍するのがスウェード靴の消しゴムである。

使い方はいたって簡単で単にこするだけである。まずはブラシで汚れを落とすのだがこれだけだと深く入った汚れは落ちない。例えばこの靴だと左足のつま先のところに白い筋が入っている。蹴り癖があるらしく、必ず同じところに汚れがつくのだ。そこでこのクリーナーでこすってやる。すると汚れがゴムに移動するという仕組みになっている。

前向きに考えてみると革靴のようにクリームをつけて磨くという工程がないので、スプレーをつけてこまめにブラッシングしてやればスウェードの方がお手入れが簡単と言えるかもしれない。

ちょっと張り込んでCOLUMBUS コロンブス スエード ラブラブクリーナー クリーナー 起毛系レザー汚れ落としを買ってきた。それほど頻繁に使うものでもないのでお財布と相談して購入するのが良いのではないかと思う。スウェードの靴を頻繁に履きたいなら気軽に使える靴用のブラシとクリーナーは常備しておきたい。

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100円均一の材料を使ってジーンズを補修する

長年ジーンズを履いていると擦り切れたり穴が開いたりすることがある。でも、捨てるのはもったいない。こういう時に100円均一で買った布用のボンドを持っていると便利だ。

やり方はいたって簡単である。ダイソーにはデニムはぎれが売られている。これを布用のボンドでくっつければ良いのである。針と糸は必要はない。5分程度押し当てれば十分に接着でき、ちょっとした洗濯で剥がれることもない。

コンビニでも補修ボンドが売られているが、若干値段が高めである。

ただし、元の布と当て布の色があまりにも違いすぎると悪目立ちしてしまうので、できるだけ同じような色合いの生地を探した方が良いかもしれない。ダイソーは濃いインディゴ一択なので、そこが少し使いにくい。

おしゃれな人なら別の色の布を使ってもよいだろう。コートの裏生地と合わせるなどという手もありそうだ。だが、コーディネートが難しくなるという難点がある。汎用性ということを考えるとちょっと考えものである。

一時期流行したダメージデニムなのだが、最近では穴が開いているものは流行っていない。もちろん、おしゃれな人はきれいに加工されたダメージデニムを選択するのだと思うのだが、お気に入りのジーンズを延命させる程度であれば100円均一のボンドでも構わないと思う。

もちろん、このボンドは裾上げにも使える。「洗濯したら剥がれてしまうのではないか」などと思ったのだが、数回の洗濯で剥がれるということはないようだ。裾上げが必要なくなったら剥がすこともできるのだが、若干糊の跡は残る。また、これで見てわかるように暗めの色だと若干跡が気になる。さらに、布には使えるがニットは浸透がよすぎるせいかうまくいかなかった。

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セーターの補修をしたいなら別の方法を使った方がよい。フエルト生地に針をさしてなじませるパンチングという技法があるそうである。フエルトとニードルパンチも100円均一で売られているそうだ。

100円ショップの泡立て器(ホイッパー)は使えるのか

限られた道具だけでお菓子を作って生活を少しでも華やかにしたい…… 突然だが、炊飯器と100円ショップにある素材だけでケーキを作ろうと思い立った。

いろいろ調べていると、セリエで売っているホイッパー(泡立て器)が使えるという評判を見かけた。ネットの評判だと小さいのによく泡が立つそうだ。なんか期待が持てる。

早速買ってきたのだが、なぜか台紙が2枚付いていた。さすが中国製だ。

まずクリームを試した。スジャータの植物性のやつを(あまり考えもなしに)使った。5分ほどで泡が立った。ただしケーキに使うと少し柔らかめだった。泡が立ったからといって満足してはいけないらしい。そこで今度は10分ほど泡立ててみた。すると、いわゆる「ツノが立つ感じ」で仕上がった。冬の室内なので15度くらいの温度だが氷には当てていない。

ということで、憧れの「家でスタバ」ができたわけだが、これはあまり美味しくなかった。多分スタバのクリームは植物性のものと動物性のものを混ぜているのではないかと思う。植物性だけではコクが全く足りない。マクドナルドとかコンビニのコーヒーについてくる「フレッシュ」の味がするのだ。


  • セリエの泡立て器はクリームには使える。
  • ただし、植物性のクリームはコーヒーには合わない。
  • あと、一回作ると大量に余るので、一杯だけ飲みたいならスタバに行った方が良い。スタバすごい。

さて、気を取り直して今度は卵の泡立ての方を試してみよう。結論からいうと10分程度泡立てても期待通りの泡立ちは得られなかった。実験のために大型の泡立て器でやってみたところいつも通りに5分ほどで泡が立った。この小型のものは卵用には使えなさそうだ。あと、小さいもので力いっぱい泡立てていると余分な力が加わってしまうので手が疲れる。


  • 大型の泡立て器ははセリエには売られていないのだが中ぐらいのものはあるので、ケーキ作りのためにはそっちを買った方が良い

これが、炊飯器で「焼いた」ものなのだが、卵一個だと5分ほどでスイッチが上がってしまう。10分以上加熱するためには水を入れることになるわけのだが、今度は蒸しケーキみたいになってしまい、いずれにせよ膨らまない。写真のようにぺったんこの仕上がりになる。

膨らませるためには、卵を3つくらいで作るか、ベーキングパウダーを加えた方が良いと思う。実際に「炊飯器でケーキを作ろう」という類の本ではたいていベーキングパウダーが使われている。何にでも理由はあるんだなと思った。

さて、実験のために、オーブンでも作ってみた。分量通り(卵一個・小麦粉35g・砂糖45g)で作ったのだが、実はこちらも前に作ったみたいには膨らまなかった。「大きい泡立て器で作ったから泡は立ったのにどうしてだろうか」と思った。前との違いはいくつかある、卵液を湯煎しなかったということと、小麦粉を一度に入れて力任せにかき混ぜたことである。手順では50度くらいまで湯煎にかけることになっているのだが、これが意外と重要なんだなと思った。

以前、「スポンジケーキLESSON―卵1個でちゃんと覚える」に書いてあった手順を守ってやったものはこんな感じでできあがる。同じ分量で湯煎をして大きなホイッパーで泡立てたものだ。


  • ケーキを膨らませるためには卵液を大きな泡立て器で泡立てるべき
  • 卵液は必ず湯煎する

最後に炊飯器レシピで作ってみた。炊飯器レシピにはいくつかの違いがある。

  • スポンジケーキより多めの小麦粉が使える。スポンジケーキは卵一個あたり35gだったのだが、こちらは40〜50g入っている。
  • ベーキングパウダーが小さじ一杯入る。
  • あとは混ぜるだけ。難しい工程は一切ない。
  • あとは炊飯器で15分ほど蒸すだけ。

厚みは前に作ったケーキと同じなのだがふわふわ具合が全く違っている。砂糖を入れてデザートにもできるし、塩を入れて野菜と混ぜればご飯系になる。

なお、ベーキングパウダーと重曹は同じ成分なのだそうだが、重曹の方が純度が高いそうで、同じ分量を入れると苦さが増してしまうそうである。ベーキングパウダーには他にもコーンスターチなどが入っており口当たりをよくする工夫がなされているそうだ。

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コンピュータグラフィックス作品を作ってYouTuberになる

昔作った曲をYouTubeで発表する

1990年代にMacintoshを買ってしばらく作曲をしていた。当時はハードウェアの音源をシーケサーソフトで鳴らすという構成だった。

Yamahaのサイトで見ると希望小売価格80,000円ということだったので、定価ではないにしてもかなり思い切って買ったのではないかと思う。FM音源とPCM音源を掛け合わせて音を作っている。FM音源はいわゆる1980年っぽい「シンセっぽい」音がする機構だ。

ある日「YouTubeで発表できるんだ」と思いつくまで、このTG-33で作った曲は単に埋もれてしまうんだろうなあなどと思っていた。作った曲はプレイリストを使って共有もできる。

ただし曲だけでは発表はできない – 動画が必要

調べてみるとYouTubeは曲だけをアップすることはできないようだ。だからどうにかして映像にする必要がある。iMovieというムービーを作るソフトを自分が持っているのは知っていたのだが、なんとなく使い方が難しそうで諦めていた。

そこで意を決して使ってみたのだが、ウィンドウにフッテージを並べてゆくだけで映像が作れる。YouTubeの作品を見ながら、なんでこんなにビデオが量産できるのだろうなどと思っていたのだが、こんなに簡単に作れるんだと思った。

ビデオの作成はAfter EffectとPremierという思い込みがあり敷居が高いと思っていたのだが、完全に裏切られた。あっけないほど簡単だった。凝ったものの場合には別途グラフィックスの作成が必要なようだが、基本的なことは全てiMovieで行えてしまうのだ。圧縮技術も進んでいて数分なら100MB程度で済んでしまうし、かつてのように圧縮方式を選んでくれなどという面倒なこともない。

ただ、テレビをみると名前の入ったキャプションが細かく動いていたりなど、それなりの工夫が凝らされている。iMovieはレイヤーの数が制限されているので、あまり複雑なことはできない。意外とこういうところにお金がかかっているのかもしれないと思える。

音源は全てiTunesに取り入れてあったので、これにタイトルをつけて「共有」をするだけで音楽作品が映像になった。これをアップしたところ、ほんの数分で世界公開ができた。

調子に乗ってコンピュータグラフィックに挑戦する

iMovieを使っているうちに、これだったら映像作品とかも簡単に作れるんじゃないのかと思った。

手持ちに映像のフッテージがないので、昔使っていたPowerMac G4を取り出してきてClassicでStrata Studio Proを動かしてみた。ほとんど使い方を忘れていたのだが、なんとなくアニメパレットを動かすとなんとなく動いた。これも凝ったものは作れないのだが、直感的に動くのが良いところである。これにGarageBandで適当に音楽をつけたところ、意味不明ではあるがCGが完成した。Strataは今でもハイエンドな製品を作っており最新版は10万円程度ということである。

レンダリングについて復習する

3G作品を作る上ではレンダリングをしなければならないのだが、Phong Shadingを使うとロースペックのマシンでもそれなりのスピードで処理をすることができた。Phong Shadingは荒いという印象があったのだが、改めて見てみるとそこそこ使える映像になっている。Strata ProにはRay Tracingという光線をシミュレートするシェーディング方法もあるのだが、計算が複雑で15フレーム(15フレーム進行で1秒にしかならない)を計算するだけでも一時間かかった。10秒10時間だ。マシンのスペックのせいもあるのだろうが、現在では純粋なRay Tracingはあまり使われず他の方法などを組み合わせるのが一般的なのだそうだ。せっかくなので、代表的な三つのシェーディングを比較してみた。

グーローシェーディングと読むそうだ。テクスチャが全くわからない
フォンシェーディングはテクスチャがよくわかるのだが、影にもテクスチャが出てしまう。光をシミュレートしきれていないようである
光まで考慮に入れたレイトレーシングだが、計算にとても時間がかかる

Classicからのファイルの移動

Classicからファイルを動かすのに少しコツが必要だった。ClassicからOS Xにファイル共有をすることはできない。OS XからClassicにアクセスすることは可能だがOS10.5からはアクセスできるのだが、El Capitanからアクセスすることはできなくなっているようだ。もはやそんなことを試す人がいないからなのか、なぜそうなるのかを開設した文書を見つけることはできなかった。

そこで、いったんOS10.5が動くマシンにファイルを転送してから、El Capitanが動くものに移動させなければならない。OS10.5にもiMovieはあるのだが画面アスペクトが4:3になっているので、できるだけ新しいソフトが動くほうがよいのである。

そうやってできたのがこれである。

思いつきフッテージなので全く意味はないのだが、簡単にできるんだなと思った。よく考えてみると昔は配信するのが一苦労だった。これを全部やってくれるYouTubeというのはあらためて物凄いい発明なのだと思う。

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憲法改正議論が盛んになり国民のゲームオーバーする権利が盛り込まれる話

架空の話の第二弾。今回は憲法改正で様々な国民の権利が奪われる中、一つだけ叶えられるならどんなものだろうという話を考えた。残念ながら悲劇に終わるのだが、何がいけなかったんだろうか。


政府が提唱する憲法改正案の骨子が明らかになってきた。日本全体が没落してゆくなかでは「公の権利」を盾にして国民の財産を徴収するしかないというのが政府の基本的な考えだった。しかし、それだけでは有権者の興味を引けないと感じたのか、予算がないなかで教育を無償化するという話が盛り込まれた。学校に行けない貧乏人が多く、彼らは大学にいけさえすればいい就職口が得られると信じているようだった。学士と言っても一部のエリート以外は奴隷のようなものであるということを彼らは知らないのだ。

政府が主体になった改憲議論そのものが立憲主義に反するとして対抗していた政党もあったが、有権者は憲法問題には興味がなく憲法議論そのものは下火だった。かつて勢いがあった憲法9条を守るという動きも最終的には単なる主婦のお付き合いのおままごとのような運動となり護憲派は落ちぶれていた。戦争は嫌だという意見に反対する人はいなかったが、具体的な戦争を思い浮かべることができる人もまたいなかった。

そこで立憲〇〇党はAIを使って一つだけ憲法議論に応じるとしたら何がよいのかという研究を行った。国民による抵抗権を入れるという話もあったが、そもそも団結するのが苦手で弱いものを叩きたい日本人の心根にはなじまなかった。

最終的に導き出されたのが「個人としてゲームオーバーする権利」だ。日本で生きてゆくというのは無理ゲーになっており、いったん路線を外れてしまうと浮かび上がれない。しかしゲームオーバーもできないので、惨めな老後を送るしかないことは統計上からも明確だったし、立憲〇〇党も彼らを食べさせて行けるだけの福祉財源を準備することはできない。AIの計算によると人口の1/3以上は搾取されるだけの人生を歩むことになっており、生きて行く価値はないものと評価された。

かといって練炭を使ったり、新小岩駅に飛び込むのは勇気がいる。「痛くて苦しいのではないか」というのも嫌だった。そこで国は責任をもって安楽に「ゲームオーバー」できるようにする義務があるという条文を加えようということになった。ゲームオーバーというと憲法らしくないので「尊厳的最終選択権」と呼ばれることになった。これを人権の一つとして認めようというのだ。

最初は受け入れられないと思ったこの尊厳的最終選択権だが、会議の結果、日本には古くから諸行無常という考え方があり、これは「保守的な考え方なのだ」ということになった。つまり我が政党こそが真性の保守なのだ。この考え方のすばらしいところはこの権利さえ獲得してしまえばこれ以上くだらない憲法議論に巻き込まれることはないということだった。嫌になれば降りてしまえばいいからである。

程なくして憲法改正が行われた。投票率は30%強であり約半数の17%程度が賛成した。自衛隊は憲法に書き込まれ、公共の名前の元に様々な国民の権利が制限され始めた。あらかじめ予測されていたように政府の情報は黒塗りにされたがこれは全て公益保全という名目で合憲とされた。さまざまなプロジェクトは内閣直轄ということで国会の審議なく行われるようになった。もはや特区を作って面倒な議論にお付き合いする必要はなくなり、日本は決められる国になった。

中でも憲法改正の影響が大きかったのは教育の無償化だった。カリキュラムは国が決めるようになり、いかに国に貢献するかということばかりが教えられるようになった。予算は限られているので先生の労働時間が長くなり荒れる先生が問題視された。表立って学校に反旗を翻すと非国民として裁判なしで私刑にされるのだが、弱い生徒をいじめても逆に教育熱心で愛情のある先生だと認めてもらえたのである。

教育が荒れたもう一つの理由は政治家が国民の教育を向上ささせる必要がなくなったからでもあった。つまり国民の生業を奪って私物化すればよく、特に教育に力を入れて国力を涵養する必要がなくなってしまったのである。

目的を失った学校では当然生徒と先生を巻き込んだいじめが蔓延したが、こうした面倒な問題が表立って語られることはなくなった。いじめに耐えかね先の希望もなくなった生徒たちだったが「尊厳的最終選択権」についてだけは教えられており、10年も経たないうちにこの権利を行使することが生徒たちの間で一般化した。

この権利は国民の権利として認められており、尊厳的最終選択権を行使する施設に入る人たちの情報は保護された。保護や親族たちには権利の行使が終わった後で青い紙で知らされるのである。それは彼らが教育に失敗したという最後通牒のようなものだった。子供を持ってもいつかは青紙に持って行かれるかもしれないのだから、人々は子供を作るのをためらうようになった。

毎年何人がこの権利を行使したのかということについては公式の発表はなかった。政府は、この権利があるおかげで新小岩での人身事故が少なくなりJR東日本や私鉄のの生産性指数が向上したという大本営発表を流し続け、国民もそれほど青紙については気に留めなくなった。

政府内部で共有されるペーパーでは人口が5000万人を割り込むのは時間の問題とされていたが、これは国民に知らされることはなかった。さらに施設内部のことは誰にもわからないのだから、ガスを使って「効率よく権利を行使してもらう」にはどうしたらいいかという議論が行われるようになった。

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沖縄が中国の支援を受けて独立する話

これまでの文章とは違って、今回はフィクションをお送りします。いくつかの超えなければならない無理目な設定があり、現時点でこれが現実になる可能性はないと思います。

しかし心理的な障壁をいったん乗り越えてしまうと、逆に道が開けてしまう可能性があるなと思いました。中には「テロ」に含まれかねない危険な障壁もあります。

そしてこれが実現してしまうと日本はかなり困ることになります。それは軍事的な話だけではないようです。


沖縄の米軍基地のゲート内で小規模な爆破騒ぎが起きた。犯人はいったんは外に出たがその場でアメリカ兵に取り押さえられて基地の中につれて行かれた。後日度、この行動は重なるアメリカ軍の非道な振る舞いに抗議するものだということがわかった。日本政府は犯行声明を出した集団をテロリストと認定した。しかし、日本政府は米軍に形ばかりの抗議をするだけで日本人の身柄の引渡しを求めなかったし本土はこのニュースを一部の過激派の運動だと考えて黙殺した。

程なくして沖縄で彼の身柄の引渡しを求めるデモが起こった。報復として米軍の車両が基地の外に出るのを実力行使で封鎖することになった。日本の警察は彼らデモ隊を実力で排除する行動に出た。しかしこれが悪かった。運動がさらに広がり、日本の警察と沖縄県民の対立にエスカレートしてしまった。官房長官が調停に乗り出したが県関係者から面会を拒絶された。官房長官は違和感を感じたものの東京に戻るしかなかった。

度重なる沖縄県民を無視した日本政府の行動は沖縄人の心を刺激し、ついに大規模な反政府運動が起きた。即座に琉球独立派が「これは民族紛争である」として中国を通じて国連に訴えた。どうも話がスムーズに進むなと思っていた人たちも多かったのだが、実は一連の運動には中華人民共和国が絡んでいたのである。中国が絡んでいることが分かってはじめて本土のマスコミも騒ぎ始めた。

安全保障理事会が動かないのは予想通りだったのだが、ロシアと中国が琉球民族の支援に乗り出すとして動き始めた。沖に止まっていた中国からの貨物船から夜中に武器が引き渡されて琉球独立政府は一夜にして武装化をした。ウクライナ紛争のような大きな動きになるのではと予測する人もいた。

ところがアメリカの動きもおかしかった。本来なら日本に味方して参戦してもよさそうだったが、国連での形ばかりの非難を繰り返すばかりで実力行使はなかった。中国との全面対立を恐れているのだろうと憶測する人が多かったが、実は官邸内では、アメリカは沖縄の在日米軍さえ確保できれば中国の影響下にある政府ができてもかまわないと思っているのではという憶測が主だった。

いずれにせよ、政府の中の情報は隠蔽されて議事録はすべて黒塗りにされので、国民は「何が起きているのかわからない」という状態に置かれていた。ワイドショーは「アメリカは味方してくれるのか」という憶測報道に終始した。官邸の記者クラブに頼っていたので独自取材ができなくなっていたのだった。

こうした混乱は6ヶ月ほど続いたが、結局日本政府は国連での抗議運動を行うだけで実質的には何もしなかった。琉球独立政府は沖縄県のいくつかの市町村を配下におさめた。日本政府はこれに抗議したがアメリカの支援なしでは何もできなかった。

面白いことに、尖閣諸島問題は解決した。中国が「尖閣は琉球固有の領土である」と認めたのだった。制海権を中国が持っているので、もはや小さな岩礁にこだわる必要はなくなったといえる。日本から沖縄への渡航は国内旅行扱いとなり、琉球独立政府もこれを黙認した。穏便な措置だと思われたのだが、実はこれが中国の罠だった。

チャイナマネーが流れ込む特区となった那覇市は3年のうちに上海並みの高度経済成長を見せた。新卒プログラマの給料は40万円程度となり、多くの若者や博士課程修了者などが那覇に流れ込むようになった。那覇市の成功に惹かれた周辺自治体も琉球政府入りを決めたのでなし崩し的に沖縄県全域が琉球政府の配下に入った。

この動きは各国の注目を集めた。東アジアでのアメリカの覇権が崩れ、中国の時代が来たということを印象付けただけでなく、これまでアメリカが得意としていた「自由と諸民族の解放」を中国が行ったということが明らかになったからだ。

米軍は米軍基地利権を確保したものの一歩も外に出られなくなった。つまり、琉球は交渉を断絶したので米軍基地を返還してもらえなくなったが、米軍も基地の外に飛行機やヘリコプターを飛ばすことはできなくなり事実上基地を放棄せざるを得なくなった。

このころになると、沖縄県の関係者は早い段階から日本政府や米軍との交渉をあきらめ基地も帰ってこないことを前提にして主権を獲得することを選んでいたのだということがわかるようになってきた。官房長官が会ってもらえなかったのはそのためだったのだ。

日本政府は沖縄県の関係者を内乱罪などで告訴したが、すでに実効支配を行っておらず、これには何の意味もなかった。琉球政府と人民解放軍の間には協約が結ばれ沖縄の海港のうちいくつかが中国の利用できる港になり、中国は太平洋への大きな出口を獲得することになった。程なくしてロシアとも同じような協約が結ばれた。ここにきてロシアと中国の間にも密約があったことがわかった。

この数年間のばたばたとした動きの中で日本は多くのものを失った。特に大きかったのは日米同盟の片務性がより明確になったという点だった。沖縄の基地に依存し「日本は大きな犠牲を払って喜望峰までの領域を支えている」という欺瞞は通用しなくなった。

さらに、東アジア随一の先進国であるという20世紀の幻想は打ち砕かれ、繁栄のショーウィンドウとしての琉球を横目で見ることになった。かといって、日本人の渡航を制限してしまうと琉球政府を認めたことになってしまうので人材流出はとめられなくなった。ネットでは琉球成功物語のブログが流行した。これらは日本語で書かれており、日本にいる人なら誰でも見ることができるのだ。日本人はリスクのない成功物語が大好きなのだ。

さらに悪いことに、問題が起きてもアメリカは何もしてくれないだろうという確信を多くの人が持つようになったが、それは自力で日本を防衛しなければならないということであり、形の上では日米同盟を支持する人が多いという状態となった。しかし、政府がこれを認めることはなく、すでに破綻している物語にしがみつく形で憲法改正がなされ、自衛隊が「実力部隊ではあるが軍隊ではない」という形で憲法に書き込まれた。

しかし、アメリカと中国が太平洋の覇権を二分するために頭越しで交渉しているのだという疑念も晴れないままであり、政権は戦争ができる国になりたいのだなどと言い出す人たちはいなくなった。中国は琉球を自国域に組み込まなかったので占領論もなくなった。ただし軍事的な覇権は持ってゆかれてしまい、そのことは日本政府のアメリカに対する外交的失点とみなされた。アメリカはこのころから日本への関心を急速に失ってゆき、大事な交渉は中国と行うことがますます多くなった。

こうして国内が冷戦下と同じ議論を繰り返しているうちに米軍が日本から撤退するのではないかといううわさが流れるようになってきた。沖縄程度の基地を受け入れる自治体などあるわけもなく、利権がないなら日本など守ってやっても何の得にもならないからである。

嘉手納の門が開かれて「日本への開放」が決まった。しかし、そこに入ってきたのは日本の自衛隊ではなく、中国の人民解放軍と琉球政府軍だった。米軍はこれを日本と琉球内政問題として関与しないという通達を行った。

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共立てのケーキと別立てのケーキはどちらが作りやすくかつおいしいのか

共立てのケーキと別立てのケーキはどちらがおいしいのかが議論になる。初心者向きには別立ての方がよいとか、パティシエは共立てが多いなどの情報が錯綜しており定説がない。

結論からいうと「共立てができるなら共立てにした方が良い」と思う。共立だとコツさえ覚えれば簡単に泡だつ。ハンドミキサーも不要で意外と簡単なのだ。

今回は卵一個を使ってケーキを焼いた。最初はスポンジケーキLESSON―卵1個でちゃんと覚えるの指示通りに焼こうと思っていた。

「スポンジケーキLESSON―卵1個でちゃんと覚える」は共立てである。まず卵液を温めた上でハンドミキサーでかき混ぜてシロップを混ぜる。さらに小麦粉を入れて独特のやり方でよく混ぜるのある。実は卵液を温めるというのがポイントだ。鍋でお湯を沸かせて沸騰させてその上で卵をかき混ぜればよい。このやり方だとハンドミキサーを使わなくても十分に泡立てることができる。

あとは本に書いてある通りに「小麦粉を入れてからツヤが出るまで混ぜる」のを実践した。こねないで「の」の字になるように混ぜる。実はここでしっかり混ぜないと焼き上がりが硬くなり気泡が出る。バターは入れても構わないが入れなくても膨らむ。

手順さえ守ればきちんと膨らむ。要するに卵をよく温めて混ぜればよいのである。

後日同じ分量で別立てを作ってみた。卵黄だけでは水分が足りない。そこで卵白を入れるのだがこの泡は犠牲になってしまう。ということで共立ての1/2くらいしか膨らまなかった。過去の経験からべちゃっとしたケーキになるのかなと思ったのだが、口当たりはふんわりしていて口どけも悪くない。もし膨らませたいなら卵黄を入れた側に牛乳などの水分を足さなければならないのではないかと思う。

卵白だけの場合には砂糖さえ入れれば簡単にメレンゲのできぐあいがわかるので(力強く混ぜてボウルをひっくり返しても垂れてこないようにすれば終わりである)別立ての方が分かりやすいのだと思う。

卵液をきちんと混ぜることさえできれば、コーンスターチを入れたり、ベーキングパウダーなどを加える必要はない。別のウェブサイトにはレモンを入れろと書いてあった。この方が泡立ち易いのだそうだ。しっとりさせるためにはシロップを入れた方が良いようだが、これもふわふわなケーキを作る要件ではない。

スポンジケーキは単純な材料だけでできているのだが意外と奥が深い。いったんできてしまえば単純で簡単な作業の連続なのだが、そこに行き着くまでが意外と難しいようだ。

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日馬富士の引退

このエントリーは記録のために書いている。暴行問題が取りざたされていた日馬富士が引退した。貴ノ岩に暴力を振るったことは認めたが「指導の一環だった」し「これまでお酒を飲んで暴力を振るったことはない」と言っていた。

今までの同じようなことがあったかどうかはわからない。もしあったとしても「お酒を飲んで暴力を振るったことはありますか」と聞かれても「はい」とは言わないんじゃないだろうかと思った。これまでも「指導の一環として頭蓋骨が陥没するほど人を叱ったことがあるか」と聞けば、あるいは結果が違っていたかもしれない。

日馬富士の言葉の端々には「お世話になった」とか「育ててくださった」などというようなニュアンスが入っており表面上は日本の伝統である「謙譲さ」が身についているようだった。たまたま、安藤優子のコメントを見たのだが「日本精神をよく理解している」というようなことを言っていた。彼女としては善意なのだろうが、この人は本当は馬鹿なのかもしれないと思った。すでに国際化してしまった上に暴力行為が蔓延している相撲界で日本精神が押し付けられているのをみて何が楽しいのかと思ったからだ。が、普通の日本人ならば「ガイジンなのに日本のことがわかっていてえらいね」と思うのが。普通なのかもしれない。

足を怪我したらしくしばらく出てこれなかったデーモン小暮は「相撲界では指導のための暴力が必要だと考えている人が多い」というような意味のことを言っていた。つまり暴力は蔓延しているが、それを改めるつもりなどないということである。いわゆる「会友」と呼ばれる御用記者や自らも暴力に手を染めてきたであろう力士出身者には決して言えないコメントだったと思う。

ここで日本社会が発信しているメッセージは極めて単純だ。つまり、表面上日本の精神がわかったようなことを言っていれば、裏では何をしても構わないということであろう。その意味では日馬富士は相撲界が彼に対して持っている期待をうまく理解したがために、引退に追い込まれたのかもしれないなどと思った。

日馬富士が本当に「反省」していないことは、東京に戻って記者に対して「何もいうことはない」と言い放ったことで明らかになったと思う。しかし、国籍差別がある相撲界には残れないようなので、もう日本精神を遵守する義理はない。にもかかわらず彼を追いかけ回して「反省」を迫る記者たちに異様なものを感じた。彼らは読者の「日本にいるときには俺たちの文化に従い、集団リンチを受けても黙って耐え忍ぶべきだ」という、全く根拠のない期待に答えているだけなのだろう。これもとても気持ちが悪い。

今後の焦点は、これが当初から言われてきたように相撲界の権力闘争につながるかどうかである。もともと貴乃花親方は現在の相撲協会のやり方に反発しておりクーデターを企てたなどという憶測が飛び交っている。貴闘力が賭博問題で解雇されたことを恨みに思っているなどという憶測記事も読んだ。

表面上誰かを犠牲にして「更生した」ふりをしていると、それを恨みに思った人が報復に出る可能性があるということだ。もし今回の反省が形だけのことに終われば、今度は伊勢ヶ濱部屋が貴乃花親方に報復するということにもなりかねない。合理的な理由のある権力闘争だと思っていたのだが、もしかしたら狭い村の単なる遺恨合戦を村人根性が抜けない日本人が見ているというのが本当のところなのかもしれない。

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