架空の話の第二弾。今回は憲法改正で様々な国民の権利が奪われる中、一つだけ叶えられるならどんなものだろうという話を考えた。残念ながら悲劇に終わるのだが、何がいけなかったんだろうか。
政府が提唱する憲法改正案の骨子が明らかになってきた。日本全体が没落してゆくなかでは「公の権利」を盾にして国民の財産を徴収するしかないというのが政府の基本的な考えだった。しかし、それだけでは有権者の興味を引けないと感じたのか、予算がないなかで教育を無償化するという話が盛り込まれた。学校に行けない貧乏人が多く、彼らは大学にいけさえすればいい就職口が得られると信じているようだった。学士と言っても一部のエリート以外は奴隷のようなものであるということを彼らは知らないのだ。
政府が主体になった改憲議論そのものが立憲主義に反するとして対抗していた政党もあったが、有権者は憲法問題には興味がなく憲法議論そのものは下火だった。かつて勢いがあった憲法9条を守るという動きも最終的には単なる主婦のお付き合いのおままごとのような運動となり護憲派は落ちぶれていた。戦争は嫌だという意見に反対する人はいなかったが、具体的な戦争を思い浮かべることができる人もまたいなかった。
そこで立憲〇〇党はAIを使って一つだけ憲法議論に応じるとしたら何がよいのかという研究を行った。国民による抵抗権を入れるという話もあったが、そもそも団結するのが苦手で弱いものを叩きたい日本人の心根にはなじまなかった。
最終的に導き出されたのが「個人としてゲームオーバーする権利」だ。日本で生きてゆくというのは無理ゲーになっており、いったん路線を外れてしまうと浮かび上がれない。しかしゲームオーバーもできないので、惨めな老後を送るしかないことは統計上からも明確だったし、立憲〇〇党も彼らを食べさせて行けるだけの福祉財源を準備することはできない。AIの計算によると人口の1/3以上は搾取されるだけの人生を歩むことになっており、生きて行く価値はないものと評価された。
かといって練炭を使ったり、新小岩駅に飛び込むのは勇気がいる。「痛くて苦しいのではないか」というのも嫌だった。そこで国は責任をもって安楽に「ゲームオーバー」できるようにする義務があるという条文を加えようということになった。ゲームオーバーというと憲法らしくないので「尊厳的最終選択権」と呼ばれることになった。これを人権の一つとして認めようというのだ。
最初は受け入れられないと思ったこの尊厳的最終選択権だが、会議の結果、日本には古くから諸行無常という考え方があり、これは「保守的な考え方なのだ」ということになった。つまり我が政党こそが真性の保守なのだ。この考え方のすばらしいところはこの権利さえ獲得してしまえばこれ以上くだらない憲法議論に巻き込まれることはないということだった。嫌になれば降りてしまえばいいからである。
程なくして憲法改正が行われた。投票率は30%強であり約半数の17%程度が賛成した。自衛隊は憲法に書き込まれ、公共の名前の元に様々な国民の権利が制限され始めた。あらかじめ予測されていたように政府の情報は黒塗りにされたがこれは全て公益保全という名目で合憲とされた。さまざまなプロジェクトは内閣直轄ということで国会の審議なく行われるようになった。もはや特区を作って面倒な議論にお付き合いする必要はなくなり、日本は決められる国になった。
中でも憲法改正の影響が大きかったのは教育の無償化だった。カリキュラムは国が決めるようになり、いかに国に貢献するかということばかりが教えられるようになった。予算は限られているので先生の労働時間が長くなり荒れる先生が問題視された。表立って学校に反旗を翻すと非国民として裁判なしで私刑にされるのだが、弱い生徒をいじめても逆に教育熱心で愛情のある先生だと認めてもらえたのである。
教育が荒れたもう一つの理由は政治家が国民の教育を向上ささせる必要がなくなったからでもあった。つまり国民の生業を奪って私物化すればよく、特に教育に力を入れて国力を涵養する必要がなくなってしまったのである。
目的を失った学校では当然生徒と先生を巻き込んだいじめが蔓延したが、こうした面倒な問題が表立って語られることはなくなった。いじめに耐えかね先の希望もなくなった生徒たちだったが「尊厳的最終選択権」についてだけは教えられており、10年も経たないうちにこの権利を行使することが生徒たちの間で一般化した。
この権利は国民の権利として認められており、尊厳的最終選択権を行使する施設に入る人たちの情報は保護された。保護や親族たちには権利の行使が終わった後で青い紙で知らされるのである。それは彼らが教育に失敗したという最後通牒のようなものだった。子供を持ってもいつかは青紙に持って行かれるかもしれないのだから、人々は子供を作るのをためらうようになった。
毎年何人がこの権利を行使したのかということについては公式の発表はなかった。政府は、この権利があるおかげで新小岩での人身事故が少なくなりJR東日本や私鉄のの生産性指数が向上したという大本営発表を流し続け、国民もそれほど青紙については気に留めなくなった。
政府内部で共有されるペーパーでは人口が5000万人を割り込むのは時間の問題とされていたが、これは国民に知らされることはなかった。さらに施設内部のことは誰にもわからないのだから、ガスを使って「効率よく権利を行使してもらう」にはどうしたらいいかという議論が行われるようになった。