立ち方に関する覚え書き

全身写真を撮影すると姿勢が崩れているらしい。だがやっかいなことにどう崩れているのかがわからない。背伸びをして写真を撮影すると少しはマシになるが安定はしない。基礎ができていないのに無理矢理背を伸ばしている感じだ。ということで、基本の立ち方について調べてみた。

基本の立ち方

pause1

実は背中が尻よりも後ろに来るのが正しい姿勢らしい。背中(A)を湾曲させるのだが、だらっとした姿勢を続けているとすぐに湾曲を作るのは難しい。感覚としては反り返っているような感じになってしまう。そもそも背中の筋肉が弱いということだから、背筋のトレーニングをやっておくと正しい姿勢を作るのに役立つ。

この湾曲がきれいに作れると首(B)が斜めになる。このとき重心はかかとあたりに乗ることになる。一度つま先立ちしてみて足をおろすと正しい重心になるとされている。

さらに肩を開いて背中の上部に力を入れる。肩を後ろに引くのが正しい姿勢である。

次いに腹筋に力を入れる。へそが一番前に出るのだからそのままではおなかを突き出すことになる。ちょっとへこませるような感じだ。

次は脚だ。まず肩幅で立つのだが、そもそも何が肩幅なのかがわからない。骨盤の部分(C)から大腿骨が伸びている。これが膝に向かってまっすぐに伸びたのが「正しい」立ち方である。外腿に力を入れる感覚で立つときれいなパンツのシルエットを作ることができるのだが、人によっては外腿で支える「がに股」の人がいるということだ。

前から見た場合にはこれでまっすぐな脚が作れるんのだが、実は足がまっすぐになっているかはわからない。つま先が上がらなければ膝が伸びていない。膝を後ろに引くような感覚にして横からみるとそれが「まっすぐ」だったりするようだ。

横から見ると踵→膝→腰→胸→首とまっすぐになっていないことが分かる。実は少しずつS字に傾きながら重力を支えているようである。

モデルのポージングを実践する

pause2基本的にここまでができると次に進める。次にポージングを実習する。

この姿勢、傾きが多いようだが、実はまっすぐに立っている。ポイントになるのは上半身だ。傾いているように見えても肩を引いているだけということがあり、体幹はまっすぐになっている。ただ、これだと退屈なので脚の重心をやや動かしたりする。基本的に膝は引き気味になっていて、足をあげている側の膝を前に出すようにするとよい。

実は大きく肩を引いて手を動かしながら歩くのと同じ構図になっている。実際のポージングを観察すると基本の立ち方を保ったままで、重心を微妙に変えている。基本の立ち方が崩れているとどこかに無理がきてバランスが崩れる。

 

歩く

いきなりきっちりした姿勢をとることはできないし、ポージングの練習ばかりはしていられないので歩き方を練習するとよさそうだ。まず背中の湾曲を作る。次におなかを引っ込める。さらに大腿骨上部の骨頭から膝にかけて大きく脚を使うように意識するとよいらしい。このような歩き方は脚を長く見せる効果があるとされる。

 

洋服が売れないのは選択肢がたくさんありすぎるから

ということで、近所にあるアウトレットモールに行ってきた。そもそも太ってしまい洋服が似合わなくなったことから始まった「プロジェクト」も終わりである。今回の一応の結論は「豊富すぎるから買わなくなるんじゃないだろうか」というものなのだが、急がずにだらだらと行きたい。

もともと洋服が似合わなくなり古着屋で買った280円のパンツなどを使っていたのだが、さすがにそれはまずいだろうということになり、いろいろ洋服を探し始めた。ユニクロ、GU、古着屋、ヤフオクの四択だ。DIESELのストレートジーンズとGUの980円ジーンズを手に入れた。

それでもひどい感じだったのだが、どうやら体型が崩れているのが理由のようだった。腹筋運動をしたり、姿勢を改善したりしてこれを少しだけマシな状態に戻した。要するに再び鏡を見たわけだ。

さらにネットや雑誌で情報を仕入れて、中古屋でトップスを探した。テーマになったのはできるだけ「シンプルな格好」だ。ジーンズに手が加えてあるので、トップスはあまり凝ったものでないほうがよいと考えたわけだ。

最初はファストファッションのものばかり探していたのだが、途中からブランド物のコーナーも探すようになった。そこでArmani Exchangeの服を見つけて、やはりぜんぜん違うなあなどと思ったわけである。つまり、知らないうちにファストファッション慣れしている。

ファストファッション慣れが起こる原因にはべつのものもありそうだ。例えばPARCOに入っている店の品揃えはかなりひどいものだった。アクリルのセーターと古着しか置いていないようなWEGOに多くの若者が集まっている。これはつぶれるのも当然だと思った。

「アパレルって荒れているなあ」などと思ったわけだが、この印象は大きく崩れた。BEAMSにしろSHIPSにBanana Republicにしろ、良い素材で優れたデザインのものがいくらでも売られている。しかも価格は定価の30%(つまり7割引だ)だったりするのだ。大げさに言うと世界で作られた名品がお手ごろ価格で手に入ってしまうということになる。

しかし、あまりにも選択肢が多すぎる。古着屋さんが良かったのは価格が安いからではないことが分かる。定番商品があまり多くないので、限られた選択肢の中でどうにかして着こなしてやろうなどと考えるわけである。つまりセレクトショップのような存在になっているのだ。

考えてみると、「自分だけに似合う特別な一品」というものがあるわけではない。ジーンズの場合は自分で「育てる」し、いろいろと研究して征服してゆくのが当たり前だ。つまり、ある程度の品質さえ確保されていれば、キーになるアイテムについては福袋でもかまわないのである。

後は気合である。

だが、いろいろなものが置かれていると、そもそも何がキーになるのかが分からなくなる。もちろんこれは、受け手の問題なのだが、すべての商品が並列でおかれている(ようにみえる)ために起きる状況だ。

スーパーマーケットの場合は、入るとまず野菜売り場があり、魚から肉に進んでゆく。あるいは検索にたとえてみてもよいかもしれない。ある人は値引率で検索するだろうし、別の人はキーアイテムとの組み合わせで検索するかもしれない。

かつては雑誌が情報を限定する役割を果たしてくれていたのだろうが、今ではネットでコーディネートが次から次へと飛び込んでくる。すると「また今度でいいや」みたいなことになる。それに加えて毎日のようにメールによるお勧めが流れてくる。正直これを見ているだけで混乱する。いったい自分が何を探しているのかがわからなくなってしまうからだ。

入手可能な情報が多くなるに従って人々の情報検索範囲は狭まってゆく。多分、高級セレクトショップの価格が「投売り」状態になっていることに気が付かない若い消費者も多いのではないだろうか。質のいいものが世界中から送られてきて並べられているのだ。なんだかもったいない話だなあと思った。

アパレルについて観察しているとどんどん科学的な知見からはずれてくる。似合っているアイテムというものがあるわけではなく、与えられたものを「気合」で着こなすと思ったほうが良い結果を得られそうだ。もう一つ思ったのは洋服屋に出入りする人も働いている人もあまり楽しそうに見えなかったという点である。毎日働いているわけだから慣れているのは当たり前のような気もするが、たいていの店員さんたちは服を制服のように着ていた。これ、もうちょっとなんとかならないんだろうか。

デフレが進行したのはIT技術の発達が原因かもしれない

前回はパルコがなくなるのを見て「日本のファッションは砂漠化している」などと嘆いてみたのだが、実際にはもっと大きな変化が起きているようだ。いくつか見てみたいポイントはあるのだが、一番注目すべき点は、日本の流通が実は大胆に合理化されているというちょっと意外な事実である。

一般に、日本のサービス産業や流通はIT化が遅れており生産性の向上も進んでいないと考えられている。確かに産業という側面から分析するとそうなるのだが、消費者を加えると全く異なった実態が見える。

日本のアパレル産業の市場消化率は50%弱なのだそうだ。残業して一生懸命作った服の50%は売れ残ることになる。売れ残った服は中古市場に流れる。ほどいて毛布などの原料にする、機会を拭くウェスとして利用する、東南アジアに輸出するというのが主な処理方法になるそうで、これを専門に取り扱う業者もある。燃やされているものもあるはずだが統計には出てこない。

一方、急速に中古市場が立ち上がりつある。実際に中古ショップを見てみると「未使用品」が売られていたりする。寂れたファッションビルが「売れ筋」と考えられる画一的な商品に高い値札を付けている一方で、ユースドショップに豊富なデザインが色柄が安い価格で売られていることも珍しくない。

だが、新古品の出先はリユースショップだけではないようだ。アプリを使ったオークションサイトなどが複数立ち上がっている。総合通販サイトも中古品を扱っている。さらにファッション通販サイトも中高品を扱うようになった。

同じような状態は中古車市場にも見られる。軽自動車が過剰生産され新古品市場が発達しつつある。実質的な値下がりが起きているのである。

つまり、アパレル専業の会社や自動車業界が市場を読まずに産業ゴミを量産する一方で、消費者はIT技術を駆使して自分が欲しいものを探しているという実態が見えてくる。

これが顕在化しないのは政府統計が古い概念のもとで組み立てられているからではないかと考えられる。いろいろな人が推計を出しているが「どれくらい中古化」が進んでいるかということはよくわかっていないようである。「もはやデフレではない」という統計も新品だけを対象にしているはずだ。小売物価統計調査の概要の説明には次のようになっている。

調査店舗で実際に販売する平常の価格を調査する。ただし,特売期間が7日以内の安 売り価格,月賦販売などの価格及び中古品などの価格は調査しない。 

一方、産業界には「新品が売れなくなった」という認識はあるようで、日経新聞までが中古市場に関する記事を書いている。

アパレル業がいびつになってしまった原因はいくつかありそうだ。アパレルは中小業者が多い。さらに、毎年流行が入れ替わり去年の服は今年は着られないという刷り込みがある。さらに、情報産業(ファッション雑誌など)が盛んに消費者を教育するので、ファッション好きの消費者は豊富な知識を持っている。彼らはITに対するスキルも業者より多く持っている。

女性に対して調査したところクローゼットの7割は着ない服だったという統計もある。ほとんどの人は着なくなった服を単に捨ててしまうのだそうだ。アパレル商品の半数が売れないという統計も考え合わせると、日本で作られた洋服のほとんどが捨てられており、実際に使われるのは定番の商品のみということになる。定番品だけしか売れなくなるのもよく分かる。結局、それ以外はゴミになってしまうのだから、最初から買う必要はないのだ。

一方で、生産性の低下についてはあまり嘆く必要がないという気もしてきた。供給側が過剰生産に陥っている原因は、ITへの支出を怠り、市場で何が起こっているかを知る手段がないからだ。政府も統計を取っていないので、何が起きているのか把握している人は誰もいない。

だが、消費者は豊富な商品知識とITスキルを持っているので、それなりに楽しく自分にあう洋服を選ぶことができる。消費者がバリューチェーンの一環をなしているというのが新しい視点かもしれない。

ただし、供給側からはアービトラージの機会が失われ、今までの仕事の一部が無償化(ユーザーが流通に参加しても給与は発生しない)するのでデフレが進行するのはやむをえないのかもしれない。

ユニクロのチノパンと色落ち

昨年の11月に「さすがにズボンぐらいは新品じゃなきゃまずいだろ」と思ってユニクロでチノパンを買った。2,900円だった。それが半年くらい経ってこんな感じになった。半年間毎日履いていたせいもあるのかもしれないが、洗濯を繰り返すたびに色が落ちていった。




img_2982

ジーンズの色が落ちるのはなんとなく「味」と認識されるのだと思うのだがチノパンは色があせると単に汚いだけだ。おしゃれさんと呼ばれたいわけではないが、最低限こぎれいな格好をした方がよいことはわかる。ということで、「新品を買えば安心」というわけではないということが分かった。

こういう経験をすると、なんとなく「中古ショップでも良いのかな」という気持ちになる。丈詰めしていないユニクロやH&Mのパンツが500円以下で取引されていることがあるのだ。なぜか履きつぶした感じもない。


この記事を書いたのが2016年なのだがその後新古品のようなものは少なくともユニクロではあまり見られなくなった。はっきりしたことはわからないが、成績のために売り上げを競わせることはなくなったのではないかと思う。もっとも、ウールマークがついたようなものは未だに出回っている。


もしかして新品を流している人がいるのではないかなあとすら思える。誰がわざわざそんなことをするかはわからないが、もしかしたらお店のスタッフや店長さんが売り上げを増すために流しているのかもしれないなあなどと疑った。

プレミアムコットンのTシャツとウールマークの付いたユニクロのセーターをそれぞれ280円で購入できた。天然素材の価格が値上がりしているので、ユニクロからはウールマークがついた商品は消えかけている。天然素材にこだわると中古ショップに行った方がよいというような状態なのである。

下手に安いボトムを買うと色褪せが怖いということを学んだんので、DIESELのパンツを2本買った。あまり流行に左右されないストレートなジーンズなら色落ちしても構わないし、味にもなるからだ。かつては中古品でも高価なものとみなされていたDIESELだが1500円+税という価格で手に入ったりする。

かつてはユニクロを着ていると恥ずかしいという認識があり、その後ユニクロでも構わないということになった。しかし、時代はさらに進んでいて中古ショップの方が良いものが手に入るという時代になりつつあるようである。これがアパレル産業について良いこととは思えない。

アパレル産業の現場の人が現状をどう捉えているのかということを知りたいと思った。

Google Recommendation Advertisement



ただ、ジーンズを探したいのだが、ファッション雑誌は僕に優しくないのだった

毎日同じジーンズを穿いているうちに、ついに股がすり切れてしまった。素直にユニクロにでも行って「普通の(スリムストレートとでも言うのだろうか)」を買えばよいのだろうが「今、どんなものが流行っているのだろうか」と思い、いろいろ調べてみた。

試しに、ファッション雑誌を立ち読みしてみたのだが、いくつか問題がある。情報が脈絡無く並んでいる上に「生き方」を雑誌に合わせなければならないらしい。なぜ雑誌に生き方を強制されなければならないのか。

次にメーカーのウェブサイトをいくつか回ってみたのだが、知っているウェブサイトはどれもとても重い。しばらく待って表示されるのは馬鹿でかいイメージ画像で、どれもなんだかぴんと来ない。さらに、ファッション系サイトというのは、どれもイベントやキャンペーンの情報ばかりが並んでいる。あれは製品を売出そうとしているのではなく、マーケターが日々の仕事や知っている人たち(いわゆるセレブ)を自慢しているに過ぎないのではないかと思う。

では、全く参考になる素材が転がっていないのか、といわれるとそうでもない。例えば、Pinterestにはユーザーが選んだ素材が多くアップロードされている。気に入った素材を検索すれば、多くの情報を手に入れることができる。日本にもWEARのようなサービスがあり、多くのコーディネートを研究することができるのだ。

素材探しは楽しいのだが、結局何を探しているのだろうか、と考えた。全体を支配する法則のようなものを見つけ出して、効率よく「すっきり見える」形を探したいのだった。

20151024-001ジーンズというのは全体を形作る部品になっている。いわゆるシルエットというものだ。昔の服装は製造工程の都合に従って直線的な形をしていた。今でも規制服の標準的なものを選ぶと、箱形のシルエットが作られるだろう。

20151024-002ところが人間の体系はどちらかというと曲線を持った楕円のような形をしている。その楕円の重心をどこに置くかによってシルエットが決まる。この何年かのシルエットはこの重心を操作することによって「新しさ」を演出しているし、きれいな楕円が作れると全体的に「すっきり」した印象が作られるようだ。太さの違うジーンズというのは、こうした全体を作る為に利用されるのだ。

20151024-003モデル体型から外れた普通の人は「細長い」すっきりとした体型を作る必要があるのだが、体型は変えられない。安い服を着るとシルエットは直線的になるので、視覚効果に頼ることになる。そこで利用されるのが「ヘルムホルツ」「ミューラーリヤー」「フィック」といった視覚効果だ。これはシルエットとは違っているが、効率よくまとめるためにはとても重要な情報だろう。

20151024-004さらに体型が整っていれば、上半身の逆三角形を強調するために、セーターやTシャツの模様などを調整することもできるだろう。これも視覚効果の一つだろうと思われる。

こうした「シルエット至上主義」はイタリアのハイブランドが腰骨ぎりぎりのジーンズを売出したころには最先端だっが、若干揺り戻してから一般化した。普通だったジーンズの丈は流行遅れだということになってしまった。最近では「ノームコア」と呼ばれるミニマムなスタイルが「流行」し(脱ファッションの流れが流行するというのは奇妙なことだが)色や装飾がなくなったぶん、洗練されたシルエットの役割がとても大きくなった。

ファッション雑誌もこうしたシルエットごとに情報をソートしてくれればいいのにとは思うのだが、いくつかの点から実施は難しそうだ。第一に、ファッション雑誌は新しい製品を売りださければならないので、シルエットやディテールを絶えず操作する必要がある。さらに、整理された情報は「整然と」しているぶんだけ、退屈に見えるだろう。雑多さが活気を現すというのはよくあることだし、読者は同じお金を出すのだったら。さまざまな情報が欲しいと思うものなのかもしれない。最後に、そもそも雑誌は情報のソートができない。

さて、このように「全体を決めるシルエットさえ見つければよいのだ」という結論になったのだが、移り変わるのがファッションというものだ。同じようなものばかり作らされているデザイナーの間には、それを打破したいと考える人も多いのではないかと思う。実際に、最近のコレクションを見ていると体型を見せないシルエットなどがぼつぼつと登場しつつあるようだ。最初は試行錯誤かもしれないが、徐々に一般に受け入れられるシルエットが登場するのかもしれない。