「アイヌ語は日本語の方言です」の破壊力

Twitterで「アイヌ語は日本語の方言ですがなにか?」というつぶやきを見つけた。日本では民主主義や議論の空間とというものは徹底的に破壊されているのだなと思った。

議論が成り立つためには「お互いに気持ちの良い空間を作って行こう」という双方の合意が必要だ。政治の世界ではこれを「統合」などというようだが、この統合がまったくなくなっているのではないかと思う。その裏には「今まで協力して何かをなしとげたことがない」人たちが大勢いるという事情があるのだと思う。

この<議論>の裏にはアイヌ振興予算の存在がある。かなりの額が支出されているので「アイヌはおいしい思いをしている」という嫉妬を呼んでいるのだが、実際には博物館建設のような箱物にも支出されている。アイヌ系のデヴェロッパがいるという話は聞いたことがないので、実は仕事のなくなった和人系の人たちへの対策になっているのである。

もちろんアイヌ語は日本語の方言ではないのだが、これを言語学に興味がない人に説明するのは実は難しい。言語と方言というものの境界に曖昧さがあるからである。

琉球諸語と日本語には語彙に関連性がある。また文法もほぼ同じで単語にも関連がある。つまり、日本語と琉球諸語には強い類縁関係が認められる。ゆえに琉球諸語と日本語を同じ言語とみなして、お互いを方言関係にあるのか日本語族の中に琉球諸語が含まれるのかというのには議論の余地があるものと考えられる。沖縄の言葉と本土の言葉の関係が方言なのか言語なのかというのは歩い程度政治的に裁量の余地がある。

しかし。アイヌ語と日本語の間には類縁関係は認められない。統語方法も単語も発音も全く異なるからだ。日本語や朝鮮語は膠着語であり文法は似通っているのだが、日本語と朝鮮語には語彙の違いがあり発音も異なり同じ言語とはみなせない。アイヌ語には縫合語という日本語にはない統語法があり、なおかつ語彙もほとんどが違っており発音も異なる。ゆえに、朝鮮語、日本語、アイヌ語を方言関係にあるという人はほぼいないはずである。日本語と朝鮮語は同じ語族であるという人がいたが、アイヌ語と日本語が同じ語族にあるという人はほぼいないのではないだろうか。

何が言語で何が方言かという議論には幅がある。例えば琉球諸語と日本語を言語として呼ぶという立場は極めて政治的なものであり、朝鮮語と日本語が別の言語であるという立場はそれほど政治的ではない。だが、議論するためにはそれを相手に理解してもらう必要があり、理解のためには相互で意思疎通をして共通の問題を解決したいという意欲が必要である。

だが、実はこの議論の基本にあるのは、では「日本語とは何なのか」という認識なのだ。つまり、我々の源とと周辺諸言語の比較によってしか「日本語の位置」はわからない。だから「アイヌ語は日本語の方言」と言い切ってしまうと、実は自分たちのことがわからなくなる。そして、実際に日本人は自分たちのことがわからなくなっており、他者に説明できないがゆえに様々な問題が引き起こされている。

ここまで考えて「この議論には価値があるのか」という問題が出てくる。議論する余地がないなら別に放置しておいてもよいのではないかということだ。そこで「民主主義について無茶苦茶なことを言っていた人たちを放置した結果、今の惨状がある」のではないかと考える。大勢で無理をいうとそれが多数派になり<事実>として受け入れられるという見込みがあるのだろうが、そのような人たちが蔓延しているのでついついいろいろなものに対して防衛しなければならないのではないかと思ってしまうのだ。

アイヌを民族として保護しようという立場に立つと、いろいろな方法でアイヌがなぜ民族なのかということを説明せざるをえない。だが、アイヌは民族ではないという人はいろいろ勉強する必要はない。単に「民族ではない」といえばいいだけである。これはイスラム過激派がシリアやアフガニスタンの遺産を壊して回るのと同じことだ。建設と保全には長い時間がかかるが、壊すのは一瞬で、それが気持ちよかったりする。

本来ならば消えてゆくアイヌ語をどうやって守るかという点に力を尽くさなければならないはずなのだが「なぜアイヌ語は日本語ではないのか」ということに力を使わなければならなくなる。

この背景にはアイヌ振興予算に対する嫉妬のようなものがあるようだ。かなりの予算が振り向けられておりこれを「ずるい」と考える人がいるのだろう。そこでアイヌ語は日本語の方言であるとか、アイヌ料理などというものは存在しないのだなどという話が出てくることになる。しかし、予算の中身を見てみると「博物館や公園を作る」というものが含まれている。アイヌ系デベロッパという話は聞かないので、多分和人が公園を作る言い訳に使われているのだろう。

本来ならば「議論を有益なものにするためにはオブジェクティブに戻って考えてみよう」などと言いたいところなのだが、そもそも何のために議論をするのかということが幾重にもわからなくなっており、単にそんな議論はそもそも存在しないのであるなどと言っても構わない状況になっている。

この惨状のもとを辿ると今の国会議論に行き着く。その原因は安倍政権であることは間違いがない。では安倍政権の源流はどこにあるのかといえば、時代に取り残された人たちが暴論を振りかざしていたいわゆる「ネトウヨ系」の雑誌に行き着く。

もともと自民党は甘やかされた政治二世・三世が政権を担当していたのだが、2009年の政権交代の民意を受け止められなかった。政権交代など先進国ではよくあることなのだから「否定されたら次はもっと良いものを出してやろう」と思えばいいのだ。だが、彼らは甘やかされているがゆえに政治姿勢を変えたり政策を磨いたりということはせず「政権を失ったのは国民が馬鹿だからだ」と考えるようになった。そこで詭弁術を学んで政権に復帰すると、徹底的に議論を無効化することになった。

彼らは留学経験もあり議論のやり方はわかっている。しかし、彼らに影響を受けた若い人たちは<政治議論>というのはこのようなものだと感がているのではないだろうか。これはイスラム過激派の元で育った戦争しか知らない人たちがその後の平和な時代になってもそれが受け入れられないという状況に似ている。現在はこうした過激派の人たちが大量生産されている。Twitterを通じて我々はその現場を見ているのではないだろうか。

単に甘やかされた政治家のルサンチマンから始まったことなのかもしれないが、今後の日本の言論に大きな影を落とすことになるだろう。

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日馬富士の暴力騒ぎに見る日本人が憲法を作れないわけ

日馬富士がビール瓶で後輩力士の頭を思い切り叩いたらしい。興味深いのは後輩力士が殴られたのが10月26日頃で表沙汰になったのが11月13日だったということだ。半月のタイムラグがあったということである。故に被害者・加害者ともに隠蔽しようとした可能性があるということになる。貴乃花親方はすでに事件直後に被害届けを出して「撤回するつもりはない」と言っているので、どちらかといえば日馬富士側が隠蔽と示談を模索していたのだろう。少なくとも警察はこれを知っていたのだが、捜査はしていなかったようだ。

この件については未だにわかっていないことが多い。かなりひどい怪我なのだという声もあるのだが27日には巡業に出ていたという情報もある。貴乃花親方も一方的な被害者というわけではなく巡業を監督する立場にあったらしい。また相撲協会はしばらくは知らなかったという情報がある一方ですぐに被害届けが出ているという情報もある。

これが事件化するかというのは相撲界の問題なのでさておくとして、ここではなぜ日本人が憲法が作ることができないかという問題に置き換えて考えたい。端的に言うと日本人は自ら最高規範たる憲法を作ることはできない。善悪の明確な区分けがなく多様な価値観も収容できないからである。

この件が表沙汰になった理由はよくわからないが、表沙汰になると相撲協会の体裁を取り繕うような報道が相次いだ。取り繕ったのは相撲の事情通という人たちで、長年の取材を通じて相撲界と心理的に癒着してしまった人たちである。これは明らかな暴行事件であり刑事事件なのだがこれを「事件だ」とい言い切る人はいなかった。さらに、これを隠蔽しようとした相撲協会にはお咎めがなく、NHKは相撲の中継を中止しなかった。

ここからわかる点はいくつかある。最初にわかるのは「横綱の品格」の正体である。ビール瓶で後輩を殴る人がいきなり豹変したとは考えにくい。普段からこのような激情型の人間であったことは間違いがない。少なくとも一般人の品格とは性質が異なっていることがわかる。許容されている行動の中には、一般人が行うと犯罪行為になるものが含まれているということである。

品格が非難されるのは「ガムを噛む」とか「挨拶をしない」などという村の掟的なものが多く、咎められるのはそれがマスコミに見られた時だけである。すべて外見上の問題なのでいわば「相撲村の風俗に染まる」ことが品格なのだということがわかる。外から見て体裁が整っているのが「品格」なのだ。キリスト教世界であれば品格とは内面的な善悪を指すのだが、日本語の品格は外面的な体裁のことであり、集団の掟と違った行動をとらないという意味になる。いずれにせよ、日本人は内面的な善悪を信じないしそれほど重要視しないのである。

次にマスコミ報道を見ていると、犯罪かどうかは警察が逮捕するかしないかによって決まるということがわかる。警察がまだ動いていない状態では、あたかも何もなかったかのように扱われる。しかしながら、いったん逮捕されてしまうと罪状が確定していない状態でも犯罪者として扱われてしまう。これはどの権威が罪人であるというステータスかを決めるまで周りは判断しないということである。つまり、いいか悪いかは文脈(相撲協会の支配下にあるか、それとも日本で働く一外国人として裁かれるか)によって決めるというかなり明確な了解がある。

例えば、薬を飲ませた状態で女性を酩酊状態にした上でホテルに連れ込んで陵辱したとしても、首相に近い筋であればお咎めはない。これは一般社会ではレイプと呼ばれるが警察が動かない限りこれをレイプとは言わない。さらに「女性にもそのつもりがあったのだろう」といってセカンドレイプすることも許されている。

このことからも日本人が善悪を文脈で決めていることがわかる。横綱は人を殴っても構わない場合があるし、政権に近いジャーナリストはレイプをしても構わない場合があるということである。

これが問題になるのは、相撲界の掟と社会の善悪が異なっているからであり、マスコミと一般の常識が異なっているからである。つまり、今回の一番の問題は日馬富士が貴ノ岩を殴ったことではなく、それがバレて相撲協会のマネジメントが破綻していることが露見したからである。同じようにレイプの問題では被害者が沈黙を守らずマスコミの慣行と一般常識が違っていることが露見して、マスコミが「バツの悪い」思いをしたのが問題なのだ。だから、れいぷされて黙っていなかった女性が叩かれて無視されたのである。感情的には受け入れがたいが、メカニズムは極めて単純である。

さらに、これが公になるのに時間がかかったことから、相撲協会は事件についてまともに調査していなかったことがわかる。多分調査というのは「いかに風評被害が少なくなるか」という研究のことだったのだろう。被害届が出ていたのだから、警察ですら「相撲協会の問題」と考えて捜査を手控えていたようだ。つまり、相撲協会の中の問題であるので、日本の法律は適用されないと考えていることになる。

これを「日本の問題」と捉えるのは大げさなのではないかと思う人がいるかもしれない。しかし、同じことが起こる閉鎖空間がある。それが学校だ。

大相撲では虐待・暴行のことを「可愛がり」と呼び訓練の一環だとする。同じように学校内での暴行はいじめと呼ばれ、それが自殺につながるようなものであっても生徒間の些細なトラプルとして矮小化されてしまう。この「いいかえ」は社会一般の規範が必ずしも集団では適用されないということを意味している。さらに、警察は学校に介入するのをためらう傾向にある。つまり学校の中には日本国憲法は適用されないということである。むしろ学校側は「人権などとうるさいことをいって、学校の事情と異なっているから憲法が変わってくれればいいのに」と考えているのではないだろうか。

さてこれまで日本人には内面化されてコンセンサスのある善悪が存在しないということがわかった。しかし、まだまだ解決しなければならない問題がある。これがモンゴル人コミュニティで起きたということである。モンゴル人の気質についてはわからないが日本人との違いが見受けられる。だから、日本人について分析するのにこの事件を持ち出すのは適当ではないのではないかという批判があるだろう。

モンゴル人と日本人の違いは日本人が擬似的な集団を家族と呼ぶことである。モンゴル人同士の交流がありそこに上下関係があったことを考えると、どうやら血族集団的なまとまりがかそれに変わる何らかの統合原理があったことが予想される。彼らは外面的には「イエ(つまり部屋のこと)の掟に従って師匠(イエにおける父親のようなもの)」に従うということを理解したが、その規範が内面化されることはなかったようだ。中学校や高校の頃から日本語を習得するのであまりモンゴル訛りがない日本語を話すのだが、それはあくまでも外見的な問題であって、実際には日本人化していなかったということになる。彼らは日本社会に溶け込んだ移民集団のようなものなのだ。

モンゴルがユーラシアを席巻するときに強みになったのは徹底した実力主義であるとされているそうだ。つまり年次によっての違いはなく、実力があればとって代われるということである。これも年次が一年違えば先輩後輩の差ができる日本人とは違っている。

マスコミはモンゴル人横綱は日本に溶け込んだと思いたがるので、このことが報道されることはないと思うのだが、社会主義だったモンゴルには敬語があまりないそうだ。貴ノ岩は「これからは俺たちの時代だ」と日馬富士を挑発したということがわかっているが、これが日本語でなければ「タメグチ」だったことになる、。日本人から見るととんでもない暴挙だが、モンゴル人にとってはこうした挑発は当然のことであり、挑発したら「実力で押さえつける」のも当然だったということになる。だからある意味ビール瓶は適当な制裁だったのかもしれない。

今回は、日本人と規範について分析しているのだから、こうしたモンゴル的要素が絡む事件は特殊なものではないかと思えるかもしれない。しかし、実はモンゴル人コミュニティが管理できていないということは、実は日本人が多様な価値体系を包含する規範体系を作ることができないということを意味している。これは日本人が価値体系を作る時に「イエ」というローカルな規範を部品として再利用するからなのである。

前回のエントリーでは、戦前の日本人論が破綻した裏には、国の1/3を占めるまでになった朝鮮人コミュニティをうまく取り扱えないという事情があるということを学んだ。日本人はこれを身近な集団である家族で表現しようとしたのだが、実はこの家族という概念は極めて日本的で特殊な概念だった。中国・朝鮮との比較でいうと「血族集団対人工集団」という違いがあったのだが、モンゴル人と比べると「年次による秩序の維持対実力主義」という違いがあったことになる。かといってアメリカのような完全な個人の集団ではなく、例えば年次の違いや風俗の違いに完全に染まることを要求され、その習得には一生かかる。

つまり、日馬富士問題を相撲協会が管理できず、マスコミが適切に報道できなかった裏には、第一に内在化された規範意識がないという問題があり、第二に家によって記述された秩序維持が必ずしもユニバーサルなものではないという事情がある。

これらのことから、日本人は国の最高法規である憲法のような規範体系を自ら作ることができない。それは必ず曖昧でいい加減なものになる。

もし、日本人が一から憲法を作るとそれは学校でいういじめが蔓延することになるだろう。つまり「校長という家族の元でみんな仲良く」という規範意識だけでは、生徒の間に起こる様々な軋轢や紛争をうまく処理できないということだ。相撲協会の場合には「みんなが見て立派な人間に見えるようだったら何をしてもよい」とか「部屋の父親である親方の顔にドロを塗るなよ」いうのが規範になっており、これではモンゴル人集団のような多様な価値観が収容できなかった。

保守という人たちは既存の体系に疑問を持たないので、決してこの欠点を超克することはできないのだ。

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コンスタンティノープルからカラコルムに行くには何日かかったのか

ムガール帝国への興味からモンゴル人がどのように移動したのかを調べている。面白いことに中世の旅行だけを研究した本というものが出ている。誰が読むのだろうなどと思うのだが、たまに物好きな人がいるのだろう。

さてこの本の中に「アジアの旅」というセクションがあり、モンゴルへの旅について書かれている。1245年にイノセント四世が使節団を派遣した。この命令を受けたフランシスコ会のギヨーム・ド・リュブリキは1253年から1255年までモンゴル帝国を旅行した。

リュブリキは5月7日にコンスタンティノープルを出発し5月21日にクリミア半島に到達した。6月に旅行が始まり、7月20日ごろにドン川を渡った。8月5日にはボルガ川に到達し、9月27日にはウラル川(カザフスタンを通過して黒海に注ぐ)を通過する。途中有力者のテント(幕屋と書いてある)に逗留しつつ1254年の4月にカラコルムに向かったと書いてある。

当然パスポートなどはない(そもそも外交関係もない)ので有力者に旅行許可をもらいながら旅をしたということを考えても2年で帰って来れるというのはかなり意外である。

リュブリキは2年かけて往復しているのだがその距離は15,000キロ以上を旅しているそうだ。試しにGoogle Mapで検索してみたが、カラコルムからオデッサまでゆき、そこからフェリーでイスタンブールに行くと1320時間かかるそうである。1日8時間歩くとして165日だそうだ。ユーラシア大陸はかなり広大に思えるのだが、実際には半年かければ歩けるわけでやってやれないことはないような気持ちになる。

実際にユーラシア大陸を歩いて横断した人がいるようだ。この人のウェブサイトには、2009.1-2010.8ユーラシア大陸徒歩横断約16000キロと書いてあるので2年くらいかければ歩けるということになる。

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ロンドンで騙された話 – ジャージー代官管轄区

その昔ロンドンで「このコインは受け取れないよ」と言われたことがある。なぜかはわからなかった。後から見るとコインの表にはエリザベス二世女王の顔があるが裏面には見慣れない名前が書いてある。それが原因みたいだ。

スキャンだとよく読み取れないが「Bailiwick of Jersey」と書いてある。日本語ではジャージー代官管轄区などと訳されるようだ。よく、フランスに一番近いイギリス領などと説明されている、イギリスの南にある島である。イギリス王室がフランスにある領土を奪われたときに残ったようだ。

しかし、ロンドンでこのお金が通用しないところをみると、ジャージー島はイギリスではないのだろう。誰かがイギリスでは使えないお金を持っているのに気がついて旅行者である僕に押し付けたに違いない。イギリスを旅行するときにはコインには気をつけたほうが良さそうであるが、慣れないお金だといくらだかわからないし、瞬時に判別するのは難しそうだ。今の価格でいうとだいたい七円程度の詐欺である。

外国旅行から帰ってくるとコインがたまるのだが捨てるのはもったいない。かといってスクラップブックに入れて整理するほどマメでもないのでそのまま紅茶の缶に入れて死蔵してある。そのうちにドイツマルクのように使えなくなってしまったコインもあった。そこで、とりあえずそれをスキャンしてデジタル保存することにした。そうい昔のお金を見ているうちに、騙されたことを思い出したのだ。

さて、ジャージー代官管轄区だが、ここは正確にはイギリス領ではない。イギリス王家が私的に管轄する領地ということである。だからイギリスの法律は通用しないし、EUの一部でもないということだ。外交や防衛についてはイギリスが管轄しており、パスポートコントロールもイギリスと共通なのだという。イギリスの法律や税制の管轄外なので租税回避地として知られている。パナマ文書で有名になった租税回避地だが、イギリスがこのような悪知恵を思いついたのはこのような伝統を持っているからなのだろう。

面積を調べてみたがジャージー島は意外に大きいらしい。小豆島の2/3程度の大きさがある。小豆島の人口は23000人程度なのだが、ジャージー島には95000人が住んでいる。当然議会もあり最近では内閣や政党もできたということである。

今ではロンドンからは格安航空を使うと10,000円前後で往復できるということだ。また、ロンドンから車を借りてフェリーで移動するルートがある他、いったんドーバー海峡を渡ってフランス側からフェリーで移動するルートもあるのだという。

この通貨はジャージーポンドと呼ばれる。ジャージー島の中ではジャージーポンドとイギリスポンドが使えるが、イギリスではジャージーポンドは利用できないそうだ。

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モンゴル人はどこからインドまできたのか

ムガル帝国関連の遺産の写真を見ているうちに、ムガル帝国がモンゴルという意味だと知った。もともとフェルガナ盆地で生まれたバーブルが紆余曲折を経てインド北部まで降りてきたのである。そこで、どのような経路を伝って降りてきたのかを調べてみた。

バーブルはまずサマルカンドに行く。そして、そこからカブールを侵攻し、そのあとでデリー近郊まで降りてきてインドの豊かさに驚いたとされる。その途中経過はよくわからないが、現在の道を伝って行くとだいたいえんじ色で書いたような経路が浮かんでくる。

ポイントになっているのはアムダリア川である。この川が北方にある世界とその南側を分けているそうだ。近代になっても、北部はソ連が支配し、南部はイギリスが支配した。この川を超えてソ連が侵攻してきたことでアフガニスタン情勢は泥沼化し現在に至る。

バーブルはカブールからまっすぐ故地には帰らず、ヘラートに寄り道をした。厳しい山道だったという記録が残っているようだ。ヘラートをまっすぐに進むとペルシャに出る。現在、アフガニスタンの治安は極端に悪化しているがそれでもカブールからマザリシャリフを経てヘラートにゆきそこからイランに行った人の記録があった。アフガニスタンは内戦で荒れており厳しい山岳地帯が続くので飛行機で移動するのが一般的なのだそうである。

なんとなくものすごく寒そうな地域なのだが、実際には東北地方くらいの緯度に当たる。ここより南に行くと乾燥が進み、北に行くとステップになってしまうという絶妙な地理条件の地域である。各地の勢力が支配者になりたがる気持ちもわからなくはない。現在でもウズベキスタンでは、米・小麦・大麦・とうもろこしなどが取れるようだ。ただし、綿花栽培のために大量取水を行ったために水がアムダリア川を流れなくなり、アラル海が縮小した上に塩害がひどいことになっているそうだ。

この地域に雨は降らない。インド洋からの雨は山岳地帯にぶつかってしまうのだろう。だが、山に積もった雪が川になって流れることで、この地域が潤い農業に適した土地が広がっているのである。

この地域より北にはカザフスタンが広がっているのだが農地の70%は牧草地として利用されているそうである。

この地域にはキリギスとタジキスタンがあるのだが、山岳地帯のようでこうした民族の経路とは外れている。なおタジキスタンに住んでいるタジク人はペルシャ系だ。モンゴル人が侵入してきた時に山岳地域にいた人たちが残ったのかもしれないと思った。

さて、なぜそもそもこの地域にモンゴル系の人たちが住んでいたのだろうか。チンギスハンについての項目を読むと、和平を求めて現在のシムケントまでやってきた使者が現地の支配者に殺されたのが直接のきっかけのようだ。シムケントが入り口になっているということになる。この地域を席巻し、さらにアムダリア川を遡りウルゲンチあたりまで遠征しているようだ。

では、チンギスハンがどこから来たかというと、もともとはバイカル湖の付近にいた人たちだということである。ここよりも寒い場所にいて寒地適応のために平たい顔になったのだが、それが南下してモンゴル高原にゆき、そこから南下して中国を支配したり、西進してロシア、ヨーロッパ、ペルシャ世界を席巻したことになる。

このようにしてみると農業を生業としている人たちはそれほど遠くに行かなくても食べて行けるわけで、世界帝国を作ろうなどという野望を持たないのかもしれない。モンゴルの人たちは厳しい条件を移動するために馬を乗りこなしたりしていたために、軍事的に差がついたのだろう。

しかし、遊牧の人たちはわざわざその地域で腰を据えて農業をやろうなどとは思わず現地とそれほど同化せず、現地の文化になんとなく影響を与えつつ同化して行ったのではないだろうか。

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デリー・アグラ近辺のイスラム建築の写真を整理する

いつもの政治経済ネタとは全く関係がないのだが、昔行ったインドツアーの写真を整理することにした。このブログに掲載したのは単に他にハコがないからである。だから政治ネタに興味のある人は読み飛ばしていただきたい。

航空券とホテルの一部だけを予約して行ったのだが、ツアーは現地のものを利用した。英語のツアーがたくさん出ているので、ツアーを見つけるのにはそれほど困らない。ついでにインドは安宿も多いので宿泊先に困ることもそれほどない。ただし、長距離鉄道は安いので予約が埋まりやすい傾向にある。事前の予約をお勧めする。

現地のツアーを利用したのは良かったのだが、ムガル朝の歴史に詳しくないためどれも同じに見えてしまい、帰ってからどこに行ったのかがわからなくなってしまった。そこで時系列に整理することにした。もしかしたら日本に外国人にとってはお城もお寺も同じように見えるかもしれない。お墓も御所も同じように見えるのではないか。整理できるようになったのはグーグルのイメージ検索のおかげだ。写真をアップすると場所を特定してくれるのである。

整理してみると、意外にムガル朝の歴史を網羅していることがわかる。知らないって怖いことなんだなと思った。市内ツアーは200円で1日がかりのアグラツアーは2,000円弱(朝飯と昼飯付き)である。それほど高くはない。現在の価格を調べてみたがそれほど値上がりはしていないようである。

ムガル帝室はこの地域に進出してから、アグラとデリーの間を行ったり来たりしている。アグラとデリーの間は230kmほど離れているのだが、どちらもヤムナ河沿いにある。この両都市にジャイプールを加えるとちょうど一辺が200km強の三角形になり一週間程度で回れるコースができる。地図で調べるとヤムナ河とガンジス河に囲まれた地域が平原になっており、農業に適した土地だったのではないかと思われる。ムガル帝国はこの地域に目をつけたのだろう。

ムガル帝国

中央アジア出身のバブールによって成立した。父親はモンゴル系のチムール朝の王族で母親はテュルク・モンゴル系の遊牧民族だった。バブールは中央アジアからインドに移ってインドで帝国を作った。ムガル朝はイギリスに滅亡させられるまでの間、モンゴル系統のチムールの末裔を主張していたとのことである。ムガルはモンゴルの意味を持つペルシャ語系の他称だそうだ。

バブールが生まれた地域は現在のウズベキスタンに当たり、ムガル朝はよそから来た他民族王朝だったことがわかる。ただしその系統は複雑である。前身であるチムール朝はモンゴルの後継だったが、言語はすでにトルコ語化していた。これをチャガタイ・トルコ語と呼ぶそうである。しかしながらムガル朝はフマユンが一時ペルシャに逃れたこともあり建築などにペルシャ様式を残した。だからムガル帝国の公用語はペルシャ語だった。さらにチムール朝の前身はチャガタイ・ハン国だったが、これはトルコ・イスラム化したモンゴル系国家だった。チャガタイ・ハン国のイスラム化は徐々に進展した。

つまりムガル朝時代のインドはモンゴルの伝統、トルコ系の伝統、ペルシャ系の伝統が複雑に入り混じってできたものだと考えられる。今でも中央アジアにはイラン系の白人とトルコ系、モンゴル系のアジア人が入り混じった他民族国家が多くある。

インドとイスラム

インドというとヒンディ語という印象があるのだが、ムガル帝国の歴史を見るとわかるように史跡はほとんどペルシャの影響を受けたイスラム様式である。ただし、イスラム教そのものはペルシャ経由ではないという複雑さがある。一方、デリー近辺にいるヒンディ語を話す人たちにも「ヒンディ人」という民族意識があるわけではなく、単に言語によって民族を規定しているような状態になっているそうだ。彼らはムガル朝より前にペルシャあたりから東進・南下してきたアーリア系の子孫が現地の人たちと混血してでき他民族だと考えられる。この混血具合が違っており、現在の複雑なカスト制度ができている。

デリーで最初に宿泊した土地にはモスクがあり早朝からコーランがスピーカーで鳴り響いていた。朝の暗いうちからお祈りで出てくる人がおり、彼らを目当てにチャイとトーストを振る舞う店がある。インドはイスラム系のパキスタンとヒンズー系のインドにわかれたのだと教科書で習っただけだったので、これは少し意外だった。

重層的なデリーの街

デリーは古くからイスラム系勢力の支配地域だった。その最初は「奴隷王朝」という聞いたことがあるような名前の王朝だ。しかし勢力は安定せず帝国と呼べるような国は出なかった。

デリーとその近郊には緑豊かな平原が広がっている。これはガンジスとその支流のヤムナによって作られたものである。山がなく緑が多いので農業に適した土地が広がった豊かな場所だったことがわかる。ここから200km西に行くとラジプタン州になるのだが、ここは砂漠地帯である。しかし、さらに南進するととても暑い地域が広がっており、さらにガンジスの下流域では洪水なども起こったのではないだろうか。

さらに、ペルシャや中央アジアからインドに来ると必ずこの地域を通るので交通の要衝でもあったのだろう。そのため度々他民族から侵攻された。

幾つかの小さな王朝が攻防を繰り広げた後、最終的にムガル朝の本拠地となる。イギリスが支配を始めた時の中心都市はコルカタだったがやがてデリーに移ってインド支配を本格化させた。イギリス時代の建物はムガル朝の首都よりやや南にありニューデリーと呼ばれている。ただしニューデリーができたのは比較的新しく20世紀に入った1911年のことだったようである。

旧デリー市街はゴミゴミと活気のある町並みなのだが、ニューデリー地域は広々とした空間に建物が広がっている。この写真では向こうの方にかすかにインド門が見える。

かつては地下鉄網が発展していなかったために空港から市街地に出るのは一苦労だった。ガイドブックには「市街地に行くのに騙されないようにするにはどうしたらいいか」というページがあったほどである。のだが、最近では地下鉄が整備され旅行が安全になった。ニューデリー駅の近くには安宿が点在しており予約なしでもそこそこのホテルに泊まることができる。ただし、女性には性被害が頻発しており昔よりは一人旅が難しくなっているかもしれない。

フマユン廟

ムガル帝国2代皇帝フマユンの墓として作られた。フマユンはいったんペルシャに逃れた後、北インドに戻りデリーとアグラを征服したのち1556年に亡くなった。

ペルシャの王朝はサファヴィ朝でありもともとはトルコ系だったということである。サファヴィ朝は、その成立過程で宗教的に先鋭化し、スンニ派からシーア派になった。その後イランは今でもシーア派が主流の地域になっている。そしてその影響を受けたムガル帝国もシーア派化した。ただし、現在のパキスタン・インドのイスラムはスンニ派だということなので、帝室の伝統は必ずしも現地のイスラム教の伝統とはならなかったようだ。

このお墓はアクバル大帝の時代になってペルシャ出身の皇帝母によって建築されたのでペルシャ式になっている。この頃からムガル帝国はペルシャ語化してゆく。

1857年にムガル帝国が崩壊した時、最後の皇帝パハドゥル・シャー二世がフマユン廟に逃げ込んだところをイギリス軍に捉えられ帝位を剥奪された歴史もあるそうだ。

フマユン廟は地下鉄駅から離れているのでツアーを使ったほうがよさそうだ。近くにハズラト・ニザーム・ウッディーン(ハズラト・ニザムディン)駅という国鉄の駅がありアグラに行く新しい急行列車ガティマン・エクスプレスが出ている。

通常、アグラやジャイプールに行くにはニューデリー駅からのシャタブディ・エクスプレスを使うのだが、朝が早いのでこちらのほうが時間的には便利なのかもしれない。(写真はニューデリーを出発してジャイププールジャンクション駅に着いたシャタブディエクスプレス。この後、アジメールまで向かうのでアジメール・エクスプレスと呼ばれる。)

急行列車はかなり人気なので、チケットは前もってとったほうが良い。数日の余裕をもって行動したほうが良さそうだ。なおインドには特急というクラスはないようで、すべてエクスプレスと呼ばれているようだ。

アグラ城塞(アグラ城)

デリーからアグラへ遷都するのに皇帝アクバルが築城し1573年に完成した。その後3代、シャー・ジャハンまで皇帝の居城だった。シャージャ・ハーンの息子アウラングゼーブが重病(催淫材の多量服用が原因とされるそうである)の父親を幽閉したのちデリーに移った。

今でもアグラ城からタージマハルを眺めることができる。

門には文字が書かれているのだが多分コーランなのではないかと思う。お墓に経文を彫るようなものなのだろう。

アグラ城塞とタージマハルは駅(アグラ・カントンメント)から離れているので、ツアーを使ったほうが良いように思える。アグラ城とタジマハールも若干離れている。デリーから出発する日帰りのツアーも探せるし、特急を使えば1日で帰ってこれる距離である。

シカンドラのアクバル廟

アクバル1世はフマユーンの子供として生まれたのち、宰相から権限を奪い皇帝権を確立した。日本でいう徳川三代将軍みたな感じの人らしい。

帝国領域が拡大し非イスラム教徒が増えたため人頭税を廃止して税制を改革した。この後ムガル朝の最盛期になるのだが、アウラングゼブが再び人頭税を復活させた後、治世が安定しなくなり崩壊に向かった。

アクバルは1605年にアグラで亡くなった。ちょうど関ヶ原の合戦のころの人ということになる。

なおこの建物はアグラ中心部から10kmほど離れたシカンドラという街にある。アグラは公共交通が発達していないので現地でツアーを利用したほうが良いと思う。

ホールのボタニカルな文様は鮮やかで見ごたえがあるが、墓室そのものは質素なものだ。

タジ・マハル

シャー・ジャハンが妻のムムタズ・マハルのために建てたお墓。タジ・マハルは建物の名前ではなく皇妃の名前が省略されたものだそうである。

1632年に着工して1653年に完成した。ムムタズ・マハルは14人の子供を産んで36歳で亡くなったということである。夫が元気だったので大変だったのだろう。

シャー・ジャハンは放蕩の末、息子に幽閉されて居城からこの墓を見ながら亡くなったという。丸屋根の高さは53mだそうだ。周囲の尖塔は42mということで遠くからでもはっきり見ることができる。

この建物の向こうにヤムナ河が広がっており、河を挟んでシャー・ジャハンの墓を作る計画があったそうだ。

レッドフォート(ラール・キラ)

別名はラール・キラー。ムガル帝国五代皇帝シャー・ジャハンがアグラから遷都してデリーに居城として築いた。1639年に着工し、1648年に完成した。シャー・ジャハーンは重病となりアグラに帰り、その後息子(アウラングゼーブ)に幽閉された。

最初の写真が城門にあたり、次の写真が皇帝が謁見した建物だそうである。

アウラングゼーブ帝は父親のように幽閉されることはなかったが、晩年自分も同じように息子から廃位されるのではないかとか、息子たちが争うようになるのではないかと思い悩むことになる。

その予想は半ばあたり、息子たちが争うようになる。この後ムガル帝国は緩やかに衰退してゆくことになった。

レッドフォートは珍しく地下鉄駅が近くにある。バイオレットラインのラール・キラ駅が最寄りだが、チャンドニ・チョウク駅からも歩いて行けるくらいの距離だ。チャンドニ・チョウク駅からはジャマ・マスジッドにも行くことができるくらいの距離感である。この地域はオールド・デリーなどと呼ばれている。

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排除の論理の論理

小池百合子東京都知事が排除の論理を言い出した。これにたいして「政党は同じ考えを持った人の集まりであるから政策による排除があっても当然」という擁護論を見かけた。ただ希望の党が躍進すると日本はかなり悲惨な状況に陥ることが予想される。

  • 国民は希望の党が後日決定する法律に無条件に従え。
  • 国民は希望の党が後日決定する税を無条件に支払え。
  • すべての結社は禁止され、ガバナンス庁がこれを監視する。

だから、小池擁護に回る人は間違っているのだが、それが「間違っている」という反発意見にもどこか説得力を感じない。それはこの議論には一つ大きなものが欠落しているからだ。あまりにも大きすぎるので却って見えにくいのかもしれない。

もともと政党は同じ考えの個人が仲間を募るというものだ。例えば、平等な世の中を作りたいと考えている人は共産党を組織するし、宗教団体が政治に影響力を与えたいと考えると公明党ができる。

こうした政党の理念にはそれなりの説得力があるので、有権者に影響を与えて自発的に賛同者が集まる。現在この過程が進んでいるのが立憲民主党である。本当は演技なのかもしれないが「草の根的に盛り上がった」という演出をしており、それなりの共感が広がっている。

人々は自分で考えて納得した主義にはより従いやすいので共感は重要である。ある考え方や組織に共感して自ら従うことをコミットメントという。人々がコミットするように働きかける人をインフルエンサーと呼ぶ。枝野さんはリベラルな人に「影響力がある」インフルエンサーであると言える。

ところがよく考えてみると、インフルエンスにもコミットメントにも適当な日本語の訳がない。先日見たリベラルが混乱して受け止められているのを見ると、インフルエンスもコミットメントも理解されていない概念なのかもしれない。

そもそも、日本には人々は自分の信念に基づいて自発的に協力するという概念がないので、それに関連する日本語がない。だから小池百合子さんが自分の主義を押し付けて議員をコマのように使ってもそれほど違和感を感じないのかもしれない。

しかし、このトンネルには裏側がある。それは「日本型の合意形成はどのように行われていたか」という視点である。

日本人は個人には意見がないと考えている。まず小さな組があり、その組がより大きな組を作る。最終的には集団が代表を出し合って、中央にいる空白を祭り上げながら意思決定を行う。つまり、誰も何も決めず、従って誰も排除されないという構造を作るのである。集団主義などと呼んだりもするのだが、どこまでも集団がつきまとうのが特徴である。

ここで重要なのはこうした意思決定の構造を温存するのが「日本型の保守である」ということだ。意思決定は利益の追求と分配のための装置だから、日本の保守は思想ではなく、いわば生業のようなものである。いずれにせよ、保守が成り立つためには日本人がどのように意思決定しているのかということを理解するか、意思決定を支えている構造を丸ごと温存する必要がある。前者は暗黙知の形式知化であり、後者は暗黙知をホールドする装置の温存である。

小池百合子の排除の理論が間違っている理由はこの2つの通路から説明ができる。第一に西洋型の民主主義を理解していないという批判ができる。次に、古くからある日本型の意思決定プロセスを理解していないと言える。

日本の政治団体を見ていると末端の人たちはそもそも信念に基づいて行動しているわけではなく、たまたま近しいからという理由で政治家を信じているに過ぎないように見える。今回民進党はいったん前原さんのいうことを信じたが「組織がそう動く以上従わなければならないと思った」と考える人が多いようである。加えて地方組織には情報が全く降りてこなかったようだ。これは民進党が西洋型の意思決定を行っていなかったことを示している。

いずれにせよ、第一の通路から小池さんを批判することは難しいように思える。もちろん立憲民主党が西洋型の民主主義正統になる可能性はあるのだが、草の根は選挙向けの演出にすぎないという可能性は捨てきれない。

ゆえに、希望の党は日本型の意思決定を逸脱していると考えた方が、批判としては説得力がありそうである。だが、残念ながら民進党右派の崩落はとてもわかりにくいものになっている。小池さんの政治手法は希望の党だけを見ていてもわからないが、都民ファーストの会と合わせると次のような特徴があることがわかる。

  • 都民ファーストの会では派閥の設立につながるような食事会が禁止されている。
  • 都民ファーストの会では議員が個人で有権者とつながるようなSNSの利用が制限されている。
  • 希望の党では明示されない「党の(とはいえその党が何を示すのかがわからない)方針」に無条件で従うことが求められている。
  • 希望の党ではガバナンス長が設置され、議員の思想と行動がチェックされる。
  • 希望の党では明示されない「党の求める金額」を収めることが要求される。党が誰なのかは明示されないし、金額も提示されていない。

この一連の方針を見て思う疑問は次のようなものだ。

  • 小池新党はどのようにして利益を分配するのだろう。
  • 小池新党はどのようにして意思決定し、どのようにして利害調整をするのだろう。
  • なぜ人々は小池新党に従うべきなのであろう。

一つだけ確かなのは、小池さんは日本型の持続可能なガバナンスについて何も理解していない。日本型の意思決定はとても複雑で冗長なので、前近代的で無駄なものに思えてしまうのだろう。と、同時にそもそも意思決定をしてこなかった民進党右派の人たちも日本型のガバナンスについての理解がない。

自民党は派閥主導の集団指導体制であり、集団は各種の利益団体によって支えられていた。つまり小池さんがしがらみと呼んでいるものが実は意思決定においては本質だったのである。

集団が代表を定期的に交代させることによって、ある集団が暴走せずすべての党員が意思決定に参加できるようになっていた。ところが、ある時点からなぜか党派同志の対立が吸収されなくなってゆく。すると場外乱闘が起き、小政党ブームの一つの要因になった。

保守はもともと思想ではないので、利害関係の調整と大きく結びついている。だから、政党が党員に利益を分配できなくなると保守思想そのものが消滅してしまう。そこで着想されたのが特区構想なのだろう。もともと小池さんは女性であるという被害者意識のために利益分配してもらえないという疎外感を持った人なので、保守的な意思決定をネガティブに捉えているのかもしれない。

こうした保守機構のアウトサイダーだった人たちが作ったのが希望の党であり、どういうわけか独裁・全体主義化してしまった。それは「無条件に私に従え」とか「私が指定する金額を貢げ」というようなものだ。前者は意思決定に関わっており、後者は利益分配に関わっている。

これが国政レベルで展開すると、個人は集団に無条件で従えという社会が構築されることになる。そしてそれは保守の完成形ではなく保守の残骸だ。議員に要求される項目を社会に展開すると次のようになる。

  • 国民は黙って私が指定する税を支払え
  • 国民はガバナンス庁が監視せよ。
  • 国民は私が指定する法律に賛同し無条件に従え。

よく、小池新党系のこうした約束を反社会組織になぞらえる動きがあるのだが、これは実は当然である。彼らも社会のアウトサイダーではあるが形式への信仰は保持している。同じような形式は新興宗教にも見られる。小池さんを「組長」とか「教祖」に置き換えてもそのままの形で通用する。実は日本型組織の残骸としては極めて一般的でありふれたものなのだ。

このような問題が起こる理由を考えてみたい。第一には保守を支える利益分配の仕組みが国レベルで壊れつつあることを意味している。次に日本の保守には「正統な」という思い込みがあるので、何が日本の保守であるべきかということを考える人がいなかった。だから、形式に内臓されている暗黙知が崩れてしまうと、保守思想そのものが再現不能になってしまうのだ。

左派リベラルには抑圧され差別されているという被害者意識があるので「では日本流の左派リベラルはどのようにして存在し得るのか」という認識を持てる。つまり、リベラルと保守を比べた場合、保守の方がより危険な状態にあるということがわかる。

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武装難民

武装難民という言葉が一人歩きしている。参加している人たちは見たくない現実を見ないために、相手を非難している。見たくない現実は2つある。日本が核兵器で攻撃されるというシナリオと日本に難民が押し寄せてきてその中に武装した人たちが含まれているというシナリオである。だが、北朝鮮を刺激するということはこのシナリオの現実性が高まるということでもある。

いわゆる右派と呼ばれる人たちは序列にこだわる人ので「優れた集団である我々」が「弱くあるべき人たちを支配する」図式については語りたがるが、その結果として社会に悪い影響があるかもしれないという点については語りたがらない。一方、お花畑系左派はすべての「かわいそうな人たち」は保護されるべきであって、その中に悪意を持った人たちがいるという可能性を排除したがる。だが、どちらも間違っていて危険な考え方である。

麻生副総理の言及するように武装難民はあり得ることである。だが、こうした人たちが生まれるから北朝鮮を刺激すべきではないとの結論にすべきで、撃退できるか議論しなければならないと話を進めるのはどう考えても間違っている。この類のことは政府内部で極秘に検討すべきことで、茶飲話で済む問題ではない。安倍首相は想定していると語ったようだが、この人は福島第一原発はアンダーコントロールだと言い放った人なので、全く信用はできない。

いわゆる難民と呼ばれる人たちには保護を与えなければならないのだが、日本は無条件に難民を受け入れた経験が少ない。新羅からの難民を受け入れたのを除けば、米軍占領時に朝鮮半島から流れてきた人たちを受け入れたのが多分最大の難民経験ではないだろうか。彼らは「不法に」海峡を渡ってきて、そのまま日本に住み着いた。1951年以前の当時はまだ難民という法的枠組みはなかった。

ベトナムからのボートピープルは主に中国の海岸に流れ着いたようだ。最終的には香港が受け入れたようで、その大部分はアメリカに流れた。アメリカはいわば当事国であり、受け入れは自然な流れだったのだろう。同じように今回日本は北朝鮮を追い詰める以上、難民を受け入れる必要が出てくるだろう。

ベトナムの場合逃れてくるのは一般の人たちだった。主に華僑が多かったようだ。しかし、北朝鮮にはこれとは違った現実がある。これは軍事組織の統制が取れている平和な国日本に住む私たちにはなかなか想像が難しい現実だ。つまり、北朝鮮が組織的な意図を持って便衣兵的に日本に人を送り込むというのとは全く違ったシナリオが予想できるのである。

北朝鮮の軍隊はすでに飢餓が進んでいると言われている。ゆえに軍隊の人たちが難民化する可能性がある。加えて北朝鮮は兵隊の割合の高い国だ。人口は2400万人程度だそうだが、兵士は120万人もいるという試算があるという。つまり、北朝鮮は一般の人たちに近い人たちが武器の扱いを知っているという国だと言える。こうした人たちは移動用の船と武器を持っている可能性が高く、普通の人たちよりも早く日本海沿岸に流れ込むかもしれない。しかし、軍として統制されている可能性は低い。この人たちを軍人として扱うのか、それとも難民として扱うのかというところから意思決定が必要となるのだが、悠長に議論をしている暇はない。また現在日本海の不法漁船を取り締まることができないことからわかるように日本海を監視して船を追い払うことも不可能だろう。

右派の人たちがこういう話を持ち出すと、やれ関東大震災の朝鮮人虐殺だというような話になってしまうので、ここはあえてリベラルな人たちが議論しなければならないように思える。つまり、彼らを人道的に取り扱いつつ、危険を取り除いて受け入れる側の人権にも配慮しなければならないのだ。

軍としての統制がないにしても、攻撃する意思がないとは言い切れない。これを軍事行動だと言いつのることはできるだろうが、日本には交戦権がない(正確には交戦権のある軍人がいない)ので、彼らと戦闘はできない。攻撃の意思を示す前に撃ち殺してしまえば明らかに過剰防衛になってしまう。かといって何もしないわけにはいかない。難民審査官と呼ばれるようになるだろう人たちは「丸腰」だろう。日本海にこうした人たちが流れ込んでくれば、海岸警備はとても厳重なものになるだろう。

この人たちが「いい人なのか」「悪い人なのか」という議論にはあまり意味がない。もしかしたら親孝行な兵士も多いかもしれないのだが、現実は日本人が想像するよりはるかに過酷なようだ。実際に中国領内に北朝鮮の兵士が侵入したという事例があるそうだ。デイリーNKのリンク先を見るともの乞いまがいの行為を働いたりしている人たちもいるという。しかし、こうした人たちを一概に責めることもできない。食べるものもなく、上納金を払えなどと言われて追い詰められている人たちなのである。環球時報は北朝鮮の兵士が現地の中国人4人を殺したという事件を伝えている。中国や韓国が一方的な軍事行動に慎重な姿勢を示すのはこのためもあるだろう。

この麻生さんの「武装難民」の話を聞いた時にまず考えたのは、北朝鮮が内戦化し、周辺に流れ込んだ武器が陸地伝いに周辺国に伝播するというシナリオだった。北朝鮮と日本は陸続きではないので、このシナリオを真剣に検討する必要はないのかもしれない。だが、ボートピープルの中に武装して武器が扱える人が乗っている可能性は排除できないし、お腹をすかせた彼らが何をしでかすかはわからない。

安倍首相が「北朝鮮を追いつめろ」といい河野外務大臣が「北朝鮮と断交しろ」といったとき、日本にも武装してなおかつ追い詰められた人たちが日本にやってくるだろうという現実を踏まえたものなのであれば、それはそれで立派な態度だと言える。だが、その場合は「国連で戦争を覚悟する発言をしてきました。ぜひ応援してください」と訴える必要がある。だが、安倍政権は国民に「いちいち」そんな「些細なこと」を説明するつもりはないようなので、誰か他の人が考えてやる必要があるのではないだろうか。

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前原代表のいうAll for Allはどうやったら伝わるのか(あるいは伝わらないのか)

前原代表が今度の選挙ではAll for Allという概念を有権者にわかりやすく伝えたいと語っていた。前原さんのことは嫌いなので「お前には無理だろ」などと思ったのだが、思い直してどうやったら伝わるのかということを考えてみることにした。が、それを考えるためにはAll for Allとは何かということを考えなければならない。

All for Allというのは前原さんのような多様性が許容できない人がリベラルが多い政党で擬態するために作った言葉のように思える。多様性というのは裏返せばまとまりのなさなので、これを全体に奉仕させるためにはどうしたらいいのかと考えてしまうのだろう。元になっている概念はラグビーなどの全員が一つの目標に向かって勝利するというものだろう。だが、政治というのはスポーツではないので、社会は必ずしも一つの目標に向かって勝たなければならないということにはならない。

ゆえに前原流を突き進んでゆくとやがて論理は自己破綻するはずだ。これが自己破綻しないのは前原さんが自己抑制して理論を自死させてしまうからだ。

本来多様性を認めるということは闘争からの脱却を意味する。かといって、多様性は単なる混乱を意味するわけでは、実はない。この「認知の問題」が実は多様性と全体主義を分けている。

かつてファッションには流行というものがあった。流行にはシーズン限りのトレンドの他にスタイルと呼ばれる大きなまとまりがあった。例えば「渋カジ」とか「竹の子族」などというのがスタイルである。実際にはすべての人が渋カジだったわけでもないのに、渋カジがスタイルが成立しているように見えたのは何故なのだろうか。

多分、スタイルというものは多様にあったが、メディアがそれを捕捉できなかったからだろう。アパレルメーカーがースタイルを提案し、多くない数の雑誌がそれを伝えるというのが、かつてのやり方だったからだ。このためメーカーは数年前から形や色からなるトレンドを提示した上で一年かけてじっくりと製品を準備することができた。

ところが、このトレンドやスタイルは徐々に消えてゆくことになった。たいていの場合これは「消費者がアパレルから離れて行っている」と理解されているが、実はメーカー主導ではないトレンドが可視化されるようになったことが原因となっている。

ところが、実際には別のことが起きている。トレンドは存在する。現在はゆったりめで長めのものがトレンドである。だが、スタイルは多様化している。スタイルとは文化的背景を持った選択の偏りのことである。それがその人の体型の偏りと重ね合わされることで「その人らしさ」を作り出す。スタイルは多様化しているのだが、ファッション好きの人はそれほど困っていないようだ。

これを理解するためにはマスコミュニケーションとインターネットの違いを知らなければならない。インターネットにはタグ付けとフォローという2つのまとめ方がある。トレンドより下位のマイクロトレンドが日替わり・週替わりで出ては消えているのだが、これはタグによってまとめられ検索可能になっている。さらに、ファッションコミュニティにはスタイルを持った人たちがおり(インフルエンサーなどと呼ばれる)彼らをフォローすることで、そのスタイルを捕捉することが可能である。情報という観点から見ると、階層型からネットワーク型へと変容しているということになるのである。

アパレルメーカーはすべてのマイクロトレンドを追うことはできないし、すべてのスタイルを網羅することもできない。彼らがやるべきなのは、いくつかのスタイルを提示することと、今あるマイクロトレンドを捕捉することである。かつての糸問屋から発展した商社は苦戦しているようだが、ファストファッションはここに特化して、捕捉したトレンドを短いリードタイムで製品化できるようになっている。

一方で価値観を押し付けて凋落したアパレルメーカーもある。アメリカでは、背の高い体育会系の若者がメインストリームなのだが、アバンクロンビー・アンド・フィッチはこのメインストリームを大衆に押し付けて大炎上した。ある一つの価値観を固定してしまうとすべてのその他の人たちを敵に回してしまうということがよくわかる。政治世界でこれと同じことをやって大炎上しているのがトランプ政権であり、自民党も同じことをしている。もし「多様性を無視して、みんなのために同じ価値観を持とう」などと言い出せば民進党も同じ程度には炎上するだろう。

このようにファッションのトレンドが一見消えて見えることと、政治が一つの価値観を押し付けてくることには共通の根がある。それが「バラバラさ」に対する理解の違いである。

かつては、保守中流という大きなマスがあり、そのカウンターとしてリベラルと呼ばれる人たちがいたのだが、こうした括りはなくなっている。それは渋カジがなくなってしまったようなものである。だが、わかりやすいファッションスタイルがなくなったからといっても人々は裸になったわけではない。たいていの人は何か服を着ている。中にはスタイルのある人もいるが、多くの人は「なんとなくユニクロを着る」というあたりがスタイルになっている。同じように政治的な意見を全くもっていない人はいないのだが、こうした人たちは無党派層としてひとくくりにされ、マスコミや政党から無党派層呼ばわりされることで、そうした自己意識を<洗脳>されているのだ。

成功したアパレルは製品中心のファションメーカーから多様なスタイルやトレンドを捕捉して素早く製品化する企業に変化した。つまり、みんなが漠然と持っているスタイルやトレンドをまとめて提示するサービスを提供しているのである。多様性を扱うということは、相の変化を伴うということになるだろう。

自民党は一つの物語に有権者を押し込んで行くという政党なので、多様な声を聞いてそれを政策化できるようになれば実は簡単に対抗ができる。問題は政治の世界に多様性を扱う成功したモデルがないということだ。

与野党は、狭いコミュニティの中で有権者に受けようとする政策を探している。これはアパレルが自分たちの頭の中だけで「どのような服が売れるだろうか」と考えているのと同じことであり、現在では自殺行為である。

例えば、政治家は地盤の他の専門分野を持ち、専門分野の情報を受発信することができる。関心のある人がそれをフォローすることができればコミュニティができる。政党はナレッジのネットワークなので、これを組み合わせればいろいろな分野で問題解決ができるソリューションネットワークのようなものが容易に作れる。

色々とわけ知り顔で書いてきたが、こうしたことはSNSの世界では当たり前に行われている。その証拠にTwitterで様々な専門家をフォローしている人は多いはずである。そうすることで例えばベネズエラの現在の状況がわかったり、トランプ政権の動向を日常的に捕捉することができる。

前原民進党政権は多様性を扱えないことで崩壊してゆくはずだ。共産党という「隣にある異質」とすら協業できないのに、その他の雑多さと協業できるはずなどないからである。

こうした多様性(雑多さ)を受容できない人は大勢いて、Twitter上でのたうちまわっている。彼らは与えられるストーリーなしに社会の複雑さを許容できないゆえ、多様な価値観が飛び交うTwitterが許せないのだろう。そのため自分の捏造された価値観からの逸脱を攻撃したりブロックしたりするのではないかと思う。こうした人たちをひきつけて内部崩壊してゆく道を選ぶのか、それとも多様性を受容してより多くの価値観に触れることができる社会に進んでゆくのかという選択肢を、我々は持っている。

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前原民進党に投票するというのはどういうことなのか

今回は前原誠司衆議院議員が新しい民進党の代表なったと仮定して、前原民進党に投票するというのはどういうことなのかということを書く。もちろん私見が入っているし未確認の情報も多いので信頼する必要はない。が、一応過去の発言などを読んで構成した。いろいろと忘れていることが多いのだ。

前原さんのポリシーは一貫している

前原さんの過去の発言には一貫性がある。前原さんはアメリカのジャパンハンドラーと呼ばれる人と仲が良く、アメリカで講演活動もされている。アメリカとのパイプが太いことは、北朝鮮情勢が緊迫化するなか、肯定的に捉えることができるかもしれない。

例えば、前原さんは過去に「日本の軍事産業を武器市場に積極的にアクセスさせるべきだ」と主張している。つまり、ジャパンハンドラーの人たちの主張を日本で実現するためのリエゾンになっているのだ。大げさに「CIAの工作員である」というようなことをいう人がいるのはそのためである。同じように見られている人には長島昭久衆議院議員がいる。この人も憲法改正論者だ。

ジャパンハンドラーと呼ばれる人たちは、軍事産業を儲けさせるためにアメリカを戦争ができる体制にしておきたい人たちだと言え、必ずしもアメリカそのものではない。そのためには同盟国にシンパとなる政治家を抱えておく必要があるのだろう。

前原さんは、憲法第9条についても踏み込んだ発言をしている。これは特に隠された野望というわけでもなくご本人のサイトで堂々と主張している。つまり、首相の権限を強くしてアメリカと軍事的に協力できる体制が作りたいわけである。主な首相は首相公選と一院制であり、首相の権限強化と自衛隊の正規軍化だ。一方で、世界情勢が平和を希求するのは「単なる理想主義で全く受け入れられない」としている。

これが「現実的な歴史観に沿った国家観」なのか「単なるスポンサーを引き付けるためのポーズなのか」というのがよくわからないというのが正直な感想である。

アメリカの軍事産業が潤うためには常に敵が設定されていなければならない。この地域での敵は中国だ。つまり、ジャパンハンドラーの人たちの主張を正当化するためには、中国がアメリカに対抗して世界の覇権を握ろうとしているというストーリーが必要だし、世界平和に向けてみんなが努力しているという図式はあまり好ましいものではない。

さらに付け加えるならば、アメリカの軍事産業が潤うことが政治的目標なのだから、日本の国力を上げたり、平和外交に力を入れることはポーズとしての意味はあるかもしれないが、あまり意味がない。つまり、子育て支援をして国力を高めたり、競争的な産業を作って日本を経済的に世界で戦える国にするということには力を入れない可能性がある。できればそういうことにお金をかけずに、アメリカに貢献する国を作った方が都合がよいからだ。

安倍政権にとって経済政策とは「増税しないためのいいわけ」程度の意味合いしかない。選挙に有利だからである。だからアベノミクスにはどこかおざなりさがある。一方、前原さんのみならず、民進党右派の人たちの経済政策がどこかおざなりなのは、日本を植民地的に見ているという理由によるものなのかもしれないと邪推してみたくなる。

アメリカとは何か

さて、一番の懸念はジャパンハンドラーと言われる人たちが日本を武器産業の顧客程度にしか見ておらず、いわば植民地の総督のような視点で日本を見ているという点にあると思われる。が、それ以外にも懸念はある。

つまり、ジャパンハンドラーがすなわちアメリカなのかという問題である。オバマ大統領は少なくとも表向きは軍事ではなく外交によって世界の問題を解決したいという理想主義的な政策を推進していた。トランプ大統領は全く反対に利己的な理由からアメリカは世界の警察官をやめるべきだと言っている。

冷戦期にはソ連がアメリカを攻撃するかもしれないという潜在的な脅威があったが、市場が一体化してしまったために、大規模な戦争をして世界経済を混乱させる動機はない。にもかかわらずアメリカの軍事産業が冷戦期のように軍事産業が予算を獲得し続けるためには、ある程度対立をでっち上げる必要がある。つまり、いわゆるジャパンハンドラーはアメリカそのものではないと言える。

このことは、日本の防衛政策を考える上では実はとても重要な視点ではないだろうか。アメリカは太平洋の覇権から解放されたがっているかもしれない。すると中国が覇権を握ることになり、韓国、沖縄、グアムなどに基地を置いておく理由はなくなってしまう。日本はある程度アメリカの軍事政策にフリーライドしているために(核兵器は持っていないが、アメリカの核の影響下にある)日米同盟への過剰な期待は視界を曇らせる可能性が高い。

例えば、安倍政権はアメリカから高価なミサイル防衛システムを買おうとしているが、これは却って日本の軍需産業の空洞化を招くかもしれない。日本は技術開発には関与せず、単なるアメリカのお客さんになってしまうからである。アメリカのセールスマンであるトランプ大統領は喜ぶかもしれないが、これが国益に叶うのかという議論は必要だろう。だが、前原民進党がこれをチェックすることはないだろう。

前原さんの従米の度合いは安倍首相よりも強い。が、どちらもアメリカと中国が直接結ぶ可能性を全く失念している。実は日本には憲法上制約からどのくらい協力してくれるかわからない。そんな国と結ぶより、一党独裁で決断が早い中国と結んだ方が手っ取り早い。米中が直接手を結ぶというのは日本にとっては悪夢以外の何物でもないのだが、少なくとも打ち手を考えておく必要はある。

政権を取った時、共産党は邪魔になる

前原さんは共産党との共闘には否定的である。これについて深く考える人はおらず、単に「共産党が嫌いなんだろう」と考えがちである。しかし、過去の発言をみると、実は軍事的な拡張と繋がっていることがわかる。特に政権をとった時には、中国を敵視して軍事的に拡張しなければならないので、軍拡路線に反対する共産党は邪魔な存在だ。

仮に前原さんの思惑通りに民進党が政権を奪還した時に、共産党や社会党のせいで、前原さんの従米的な政策を邪魔する可能性が高い。前原さんは菅政権時代に「日本の武器輸出を解禁したい」という方針を主張していた。これが政権に取り入れられなかったのは社会党の反対によるところが大きいのだそうだ。つまり、アメリカの利益に沿って行動するためには政権に共産党がいては邪魔なのだ。

親米・従米路線が悪いわけではない

このように書いてくると「従米は戦争への道である」という理由でこの人はこんな文章を書いているのだなと思われるかもしれない。が、政治家が特定の産業のために働くというのは必ずしも悪いことではない。特定の国の利益のために結ぶのは問題だが、アメリカの場合は仕方がないかもしれない。日本には親米の政治家が大勢おり、これを否定することは、残念ながらできない。

問題なのは、そういう意図を隠している点にあるだろう。日本の左翼運動というのは、多くの場合反米運動になっている。原子力発電所はアメリカの思惑によって日本に設置されているのだし、反戦運動も反ベトナム戦争運動が源流の一つになっているのだろう。これは反米というよりも、アメリカによって日本の意思決定の幅が狭まっていることに対する反発だと言える。

つまり、従米路線を取ること自体は、有権者の支持さえ得られれば必ずしも悪いことではないのだが、支持者は自分たちで集めなければならない。

阿部知子議員などは「共産党との共闘しないというのはデマだ」などと言っているようだが、実は前原さんとコミュニケーションが取れていないか、知っていて党員を騙していることになり、罪が重い。

これまでも「あれ、民進党(民主党)がおかしいな」ということはいくつもあったが「安倍政権を崩壊させるためには戦略的に必要」などといって我慢してきた人は多いのではないだろうか。前原民進党の民進党支持者は引き続きこうした認知的不協和に苦しむことになるだろう。

まとめ

これまで書いたことは、もちろんこれは個人が、過去の発言などから想像しているだけなので、信頼していただく必要はない。だが、過去の発言から見る限り、支持者の期待とは全く違った方向に政策転換が図られるか、やはり党内左派をまとめきれずに迷走する可能性が高い。

さらに、軍事・外交以外の政策はおざなりになる可能性が高いだろう。八ッ場ダム問題を迷走させ、普天間の基地移転問題を途中で放り出したという「前科」があり、プロジェクト管理能力や現状把握力は必ずしも高くない。逆に党内反発を抑え込むために「思い切った措置」をとり、これが暴走する可能性が高いのではないだろうか。

前原民進党を応援するならこうしたことを踏まえた上で「それでも自民党政治を暴走させないためには抑止力として必要だ」という割り切りが必要である。

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