それは美しい伝統なのか、それとも単なる奴隷制度なのか

あなたは生まれたときから将来の身分が決まっています。逃げることはできません。父親が死んだらあなたがその地位に就きます。将来あなたは影響力はある地位に就く可能性があるのですから、自分たちの将来を決めるような意思決定には関わることはできません。あなたがその身分から逃れることができるのは死んだときだけです。辞めるなんて許しません。お前に(いや失礼あなた様に)選択の余地はありません。

あなたはそれが気に入らないかもしれませんが、あなたの祖先がそうだったのだから、仕方がありません。諦めてください。というか、いや何もいうな。いや……その、仰らないでください。

生活保護はしてあげます。そのかわり無駄遣いだと思ったら、いろいろと文句を言いますから、覚悟しておいてください。特別な家にお嫁に入ったんですから、好きなときに買い物に行ってはいけません。贅沢だといって叩きます。実家に帰るのもいけません。実家で何か吹き込まれるとこまるでしょ。お父さん、偉いかたなんですよね。

仕事は山ほどありますよ。ただ、笑って手を振っているだけの簡単なお仕事じゃないですか。なんで満足にできないんですか。適応障害ですか。あんた、甘えているんじゃないのか。男子が生まれない。おおごとです。子供を産めないなんて、一人前じゃありません。

嫁が苦しんでいても文句を言ってはいけません。いや、匂わせるのもけしからん。いいですか。あなたのお仕事は、ただ笑って手を振るだけなのですよ。

女の子は結婚したら自由にしてあげます。いいや、人手不足だからそのままの地位にいてもらおうかなあ。でも、特殊な生まれなんだから、外に出てもひっそり騒ぎを起こさないように暮らしなさいよ。その点、旦那にもよく含んでおけ。いや、お伝えください。

いいですか、あなたたち。これが日本の美しい伝統なのです。あなたたちをかごの中に閉じ込めているから、私たちは思う存分美しい伝統に耽溺していられるのです。逃げ出すなんてとんでもない。考えるのもいけません。私たちが考える国体が台無しになってしまうじゃないですか。お城が崩れてしまうではないですか。

いいですか、あなたたちだけが犠牲になればいいのです。その他大勢が、甘い夢に浸れるのですよ。主人のいない神殿で、私たちだけが代理人として振る舞えるのです。私たちの尊厳はあなたの犠牲のうえに成り立っているのです。それを台無しにすることは、私たちが許しません。絶対にそれだけは許しません。

あなただけの問題ではありません。未来永劫あなたの子孫も同じ暮らしを受け入れなければなりません。

EXILEのダンスとジャニーズのダンスはどこがちがうのか

テレビ東京で4時間の音楽番組をやっており、そこにEXILE系のグループ「EXILE SECOND」が出てきた。常々、EXILE系の人たちの踊りはジャニーズと違っていると思っていたのだが、何がどう違うのか分からない。Yahoo!知恵袋で聞いてみたのだが、そもそもこの話題に興味がある人もいないらしい。体系的な研究はないようだ。

ジャニーズのダンスは伝統的な「歌謡曲ダンス」らしい。曲全体に流れがあり、動作が止まらない。源流をさかのぼるとバレエに行き着くのではないかと思う。全体的に優美に見える動きが多い。一方でEXILEのダンスには直線的な動きが多く、動作に切れ目があるようだ。リズムによるメリハリが付く。偏見だけでいうと「ストリート」というか「アフリカ系」の踊りなのではないかと思う。キーワードが断片的に浮かぶだけなのだが、ランニングマンはヒップホップであり、ヒップホップにはアップとダウンという二種類の相があるということである。あまりにも雑駁な感想なのだが、リズム重視なのは間違いがなさそうだ。

EXILEのダンスは組体操のように見える。日本人は生真面目なので、直線的なダンスを揃えてしまうのだろう。多分、アメリカ人はそこまで集団でダンスを揃えるという発想を持たないのではないかと思う。三代目 J Soul Brothersのダンスを見たが威圧的なのも特徴だ。足を大きく踏ん張って相手を脅かしてみせる動きが多い。これもストリートの影響なのではないかと感じた。

意外なことに踊りに着目すると、最近のジャニーズはあまり踊らないらしい。関ジャニ∞のダンスは途中で切れていた。昔のジャニーズのダンスがデザイナーが制作したブランドものの服だとすると、最近のジャニーズの踊りはカジュアル服のようだ。パーツパーツは印象的だが、全体としてはまとまりのない「振り」がダンスの代わりに使われている。

これが当たり前になると、却って本格的な踊りが時代錯誤に見えるようだ。なぜかSMAPはテレビ東京の番組には参加しないのだが、木村拓哉がきれいにダンスをすると「古くさいなあ」と思われたのではないかとすら思う。

かといって、ダンスのカジュアル化はジャニーズの踊り手が「ダンスができなくなった」ということを意味しないだろう。国分太一は普段は踊らない(キーボードなので踊れない)のだが、シブがき隊の一員として昔風のダンスをこなしていた。その他のジャニーズメンバーも基礎があって崩しているというところなのではないかと思う。

一方、その対極にいるのがAKB48グループだ。そもそもかわいい動作をさせることに力点が置かれている上に、ダンスの基礎もなさそうである。日本のダンスはこうした人たちでもそれなりに見せられるように進化してきたのではないかと関心した。

その点、E-Girlsは、胸を強調してみたり、足を開いてみたりと、大きくセクシーに見えるような動きが目立つ。体のコントロールという意味でも難易度は高そうだ。

ただし、日本人は男性も女性も幼形成熟を好むという印象がある。このE-Girlsはどのようなターゲットを意識しているのかよく分からない。男性が大人の女性を恋愛対象にするとは思えないし、かといって女性がE-Girlsのダンスをまねるのもなかなか難しそうである。

いずれにせよ、日本のダンスがどのような体系と歴史を持っているのかについて研究した人は多くなさそうだ。調べてみると面白いのではないかと思うが、多分踊れる人は実際に真似して踊ったほうが楽しいのかもしれない。

民主主義という暴力

イギリス国民がEUからの脱退を決めた。結果は重大で、世界の株価は下がり首相は辞任を表明した。スコットランドはイギリスから離脱すると息巻いている。一番驚いたのは当のイギリス人だったようだ。離脱に投票した人たちの中には「まさか過半数を取るとは思わなかった」という人がいるそうだ。ちょっと怒りを見せつけてやろうという軽い気持ちが大きな結果につながってしまったのだ。

このように民主的な意思決定プロセスは時に暴力的に作動する場合がある。なぜ、民主主義は暴力化するのだろうか。

人間は社会集団を維持するために暴力を封印して暮らしている。しかし、表面的に穏やかだからといってその人が暴力的でないという証明にはならない。イギリスで投票した一人ひとりの有権者たちが暴力的だったとは言えないが、その帰結は破壊的だった。一人ひとりが暴力だと思わないからこそ、大衆は暴力化するのだ。

背景には集団思考があるようだ。自分が極端な判断をしても誰かが調整して責任を持ってくれると考える心理状態を集団思考と呼ぶ。イギリス人は「ちょっと脅かしてやろう」と考えていたようだが、まさか自分たちのささやかな一票が国の形を大きく変えてしまうことになるとは思っていなかったのかもしれない。

  • 国民は根拠のない自信を持っている。
  • 叩く相手が見えず、軽い行動にはリスクがないと感じてしまうので、自分たちの行為が深刻なダメージを相手や自分に与えるとは想像できない。

情報そのものは氾濫しているが、国民一人ひとりの情報処理能力はきわめて限定的にしか動作しない。情報を埋もれさせて隠すのも簡単だし、逆に見つけさせるのも簡単だ。誰にでも分かるところに隠しておけば、誰かが見つけて拡散してくれるだろう。

  • 国民は自分のスケールでしか比較・検討・分析ができない。
  • 「市民感覚」は全てを網羅しているとは言えない。
  • 直近の変化にだけ反応し、蓄積する変化には対応しない。

大衆にとって最も分かりやすいのは「誰が正義で」「何が敵か」というメッセージのようだ。

民衆に暴力的な行動を起こさせるのは実に簡単だ。対立構造を作れば良い。いったん枠組みを作ることができれば同調圧力が働き運動体は自然に動き始める。「相手が優れていて序列的に上だ」と思わせてしまうと戦意が鈍るので「敵だ」と認識させるのがコツである。善と悪という構図さえ作り出すことができれば、運動は完成する。普段バラバラな人たちほど作られた枠組みに舞い上がりやすい。孤立した群衆は扇動者の味方なのだ。職場を破壊し地域社会や家族を分断すれば、国民は喜んで権力に従うということになる。

  • 権威との一体感を与える。
  • 新しい序列を与える。

キャメロン首相は国民投票で離脱派が負ければ保守党内の離脱派を抑えられると考えたようだ。しかし国民を理論的に説得することができなかった上に、壊滅的な結果をもたらし、世界経済を混乱に陥れることになった。つまり大衆的な暴力は火をつけることはできても制御はできないのだ。

一方で日本でも民主主義が破壊的な結果をもたらすことがある。舛添都知事を辞めさせるに至ったのは投票ですらなく、国民のチャンネル選択権だった。一人ひとりの国民が舛添裁判について見たがるのでメディアが燃え上がるために、舛添都知事は都知事の職を投げ出すことになった。市民感覚では不適切だが違法ではなかった。本来は法律そのものを是正すべきだが、法律は放置されたままだ。これが延焼しないように、自民党と公明党は舛添氏を切った。もし守っていれば政権批判にまで及んだかもしれない。

何が正義かという問題はきわめて流動的だ。しかしながら、イギリスの離脱派の勝利は、各地の分離主義者を力づけつつある。オランダでもEUからの離脱を訴える動きがあり、スコットランドもイングランドからの分離を訴えている。カタロニアもスペインから独立する法的根拠が得られると主張する人たちがいる。トランプ候補はアメリカも再独立すべきだ(何から?)と訴えており、サラ・ペイリンに至ってはアメリカは国連から脱退すべきだと訴えているのだ。

誰かが火をつけた暴力は延焼することがある。これをティッピングポイント(沸点)と呼ぶことがあるそうだ。

なぜテロはなくならないのか

問題を解決するためには問題の原因を取り除くとよい。原因が特定できない場合、原因についての仮説を立てることになる。今回はなぜテロがなくならないのかを考えてみたい。

そもそもテロとは何だろうか。テロは政治的な目的のために人の命を奪う行為を指す。恐怖により人を従わせるのがテロである。故にテロ犯には政治的な意思がなければならない。犯人は死ぬかもしれないが、仲間がその意思を引き継ぐことになる。

しかし、この定義は広く受け入れられているとは言えない。最近のテロの定義は「イスラム教徒が起こすキリスト教世界の破壊」という定義だ。この定義を作ったのは9.11テロの後のブッシュ政権である。この解決策としてブッシュ大統領が提示したのは、外国にいるイスラム教徒の過激派(テロリスト)を殲滅するというものだった。

だが、この仮説と戦略は正しくなかったようだ。実際にはイスラム過激派に「インスパイア」されたホーム・グロウンテロと呼ばれる人たちはなくならない。中にはイスラム教とは全く関係なく殺人を行う人もいる。

ところが、いったん出来上がった「仮説」を取り下げるのも難しい。アメリカではトランプ候補が「イスラム教徒を入国禁止しろ」と主張している。だが皮肉なことにトランプ候補はイギリス人に命を狙われた。このイギリス人は自分の命を投げ出して政治的メッセージを伝えようという意味ではテロリストなので、トランプ氏の主張に従うと、イギリス人を入国禁止にしなければならなくなる。いったん入ってきたイギリス系の移民(建国に関わった人たちの多くはイギリス系だ)もテロリスト予備軍ということになってしまう。イスラム教徒だけがテロを起こす訳ではないので、この解決策は破綻している。

テロは不安だ。不安を解消するためには原因を取り除きたいと思うのは自然な感情だ。だが、これが結果的に「外国のイスラム教徒を叩く」という無意味な行動につながっている。だが、この行動は結果的に憎しみの再生産につながるだろう。

にも関わらず、テロに対するイスラム仮説がなくならないのは、この仮説が楽だからだろう。一般大衆は「イスラム教徒を叩いてさえいれば」テロが防げると誤認してしまう。つまり、人は自分の支出が一番少ない解決策を自然に選んでしまうということになるだろう。

そもそも、現在テロ行為の背景には格差の拡大があるようだ。もうこれ以上生活の改善が望めないと思った時「社会に見捨てられている」という感覚が生まれ、テロ行為が発生する原因になるということがいえそうだ。政治的主張というにはあまりにも未熟な怒りの表明である。故にテロをなくすためには格差をなくすべきだと言える。だが、そのためには自分が獲得したものを他人に渡さなければならない。これは非常に難しいため、テロはなくならないのだろう。

いずれにせよ欧米の指導者たちは社会の分断が結果的にテロを生み出すことに気がつき始めているようだ。そのために大量殺人が起きたときに「これはテロだ」と断定することに慎重になっている。たいていのケースにはそれなりの複雑な背景があり、それを解明しない限り問題の解決にならないとことを実感しはじめているのではないかと思われる。

中国艦船の日本への侵攻 – 2つの異なるストーリー

人々がいかに簡単にストーリーを作るかについて考えたい。

NHKは中国艦船が日本の領海に侵入したことを伝えた。なんだか分からないが「怖い」という印象が残った。だが、調べてみると全く違った情報がいくつも出てくる。マスコミは伝えていないわけではない。後に中谷防衛大臣が演習について発表した。だが、扱いが小さかったせいで漠然とした印象しか残らない。

もともと、沖縄近海ではインドとアメリカが軍事演習を行っていたようだ。両国とも中国と対峙しており、中国を牽制する意図があるものと思われる。日本はこの演習に最近迎えられたばかりだ。つまり、現在日米印の合同演習が展開中なのである。訓練は日米印共同訓練(マラバール2016)と呼ばれる。つまりこれは中国を刺激する作戦であり、中国軍が牽制(あるいは情報収集のために)艦船を送っても何も不思議ではないのだ。もっとも、わざわざ領海をかすめているのだから牽制しているのは明らかだ。日本は防衛しかしないので舐められているのは確かなのだろう。

このことは2つのメッセージを与えうる。一つは安倍政権が余計なことをしたおかげで中国を刺激したというもの。これだと「安倍政権のやり方は日本を危険に晒す可能性がある」という結論になる。安倍首相は憲法第九条を改正しようとしており、緊張は増大することになるだろう。もう一つはなぜだか分からないが中国が日本の領海を侵犯したという印象だ。中国の脅威が高まっており、周辺諸国が一体となって警戒すべきだというストーリーになる。

どちらが正しいとも言い切れない。つまり、これは車の両輪である。つまりこれが国際間で緊張が高まるというのはこういうことなのだ。だが、たいていの人は答えを求めたがるし、両輪を処理することはできない。

領海をかすめた中国軍も最初から答えを準備していたようだ。領海を通っても平和的な利用であれば特に許可を取ったりする必要はないということだ。詳しいことは分からないが(ニュースは本当に知りたいことは教えてくれない)西洋諸国が言い出したことらしい。だから「法を重んじる」建前の日本政府は抗議できない。つまり「中国さん、それはちょっとどうかと思うよ」と言うことしか言えないのだ。政府の発表はこの事情に即した物となっており、従ってマスコミもその線で報道している。

これに関するネットの対応は面白い。領海への艦船の侵入と領土に上陸したというのは全く別のことなのだが、同一視している人たちが多い。これに尖閣諸島の漠然とした印象(こちらは、中国が自分の領土だと主張しているので、扱いは別であるはずなのだが)がごっちゃになっているらしく「中国が勝手に領海に侵入して良いと主張している」などと考えている人もいる。

政府は最初から「領海に入っても違法じゃない」ことを伝えていて、全ての新聞社がそう書いている。だが、ネット世論はそれでは納得せずに「弱腰だ」などと騒いでいる。テレビでもたびたびニュースを流しているが扱いが短いので「こんな重大なニュースなのにマスコミが伝えないのは、隠蔽しているのでは」と騒いでいる人もいる。だが「法的に問題がない」ものについてどう騒げばいいのか。「政府は毅然とした対応をすべきだ」とコメンテータがしたり顔で言えば満足なのだろうか。

ネット世論は「中国は日本を侵略しようと考えており、安倍政権が毅然と対応してくれている」と信じ込んでしまっている。だから「ただ、中国艦船が入ってくるのを傍観していました」などといおうものなら大騒ぎになるわけだ。いったん火をつけたナショナリズムはこうやって手がつけられなくなってしまうのである。

日本人はシャイで内向きなので、愛国デモを起こして中国企業を打ち壊したりはしないだろう。代わりに自国の政府にプレッシャーをかけることになるはずだ。

確かに中国艦船が日本に侵入したのは由々しきことなのだが、もともと中国を刺激するようなことをしているわけだから、報復行動は予想の範囲内だろう。もしカウンターアクションを想定していなかったとしたらそれこそ国防上の大問題である。少なくとも、国内世論に根回しして、国民が動揺しないように情報を提供すべきだった。そもそも中谷防衛大臣はなぜ何も想定していなかったのか。この無能な責任者をそろそろ問いつめる必要があるのではないか。

 

違法ではないが一部不適切なチャールズ皇太子

アメリカのタブロイド紙グローブが5月にチャールズ皇太子のキス写真を掲載した。チャールズ皇太子はダイアナ妃と結婚していた間、カミラ夫人と不倫関係にあったことで知られている。また、浮気をしたのかとうんざりさせられる写真だ。

エリザベス女王はたいへん立腹しており、ウィリアム王子に王位を継がせたいと考えており、カミラ夫人は離婚して多額の慰謝料を請求したいと考えている、とグローブは伝えている。

ただ、この写真には別の問題もある。チャールズ皇太子がキスをしている相手は、女性ではなく男性なのだ。この写真が本当だとすると、チャールズ皇太子は「同性愛者」もしくは「バイセクシャル」ということになる。

こうなると話は一気に複雑になる。ヨーロッパでは同性愛者が結婚する権利というものが認められつつある。パワーゲイと呼ばれる経済的に成功している人たちがいる。「王様にはゲイはふさわしくない」というのは、主張としては受け入れがたい。しかし、自分たちの王様としてゲイを尊敬できるのかという問題もある。他人の家庭がどうであろうと知ったことではないが、自分たちの問題となると心情的に受け入れられないと考える人もいるということになる。

タブロイド紙が伝えているだけであり、日本では大きな問題とは見なされていないようだ。

ゴッタルド基底トンネル

青函連絡トンネルが世界一でなくなったということに焦点が当たったゴッタルド基底トンネルのニュース。だが、知りたいことが欠けていたので調べてみた。それは「どうやったら通れるのか」というものだ。

チューリッヒからミラノに抜けるのがスイスからイタリアへのメインルートだ。この途中にアルプスがある。どうやら全ての列車がゴッタルド基底トンネルを通るようだ。乗客を乗せた本格的な営業運転が始まるのは2016年12月ということだ。営業運転が始まると3時間40分程度で抜けることができるようになるらしい。ヨーロッパの鉄道は日本から日本語で予約することができる。ただし、予約ができるのは秋頃になるらしい。

日本から行く場合には、飛行機でチューリッヒまで行き、ミラノから日本に戻る必要がある。そのような航空券をオープンジョー(開いたアゴ)といい、日本で予約できる。格安なものだと60,000万円くらいからあるのだが、アラブ首長国連邦のどこかの都市で乗り換える必要があるらしい。ヨーロッパに行くのに丸一日かかる。

とはいえ、よく考えてみるとトンネルを通っても景観がよいわけではないので、別にうれしくもなんともない。スイスの鉄道旅行といえば、ユングフラウ鉄道とかベルニナエクスプレスなどの観光列車だ。ところがこの2つはスイスの東西に離れていて、全部をうまく回るのはなかなか大変そうである。チューリッヒからサンモリッツに行きベルニナエクスプレスに乗りイタリアのティラノに行き、そこからスイスのルガーノに戻り、ルツェルンまで戻りインターラーケンを目指すという行程が考えられる。

ただ、観光列車が発達していて、ツェルマットからサンモリッツへ抜ける急行列車などを利用することができる。

swiss

スイスは東西南北ヨーロッパの要衝になっているので、鉄道を使うと、フランス、ドイツ、ベルギー、イタリア、オーストリアに抜けることができる。リヒテンシュタインのファドーツに行くにはバスに乗り換える。

ニュースの中にはゴッタルドトンネルと言っているところもあったのだが、ゴッタルドトンネルは既に開通している。今回はさらにその深いところを通るトンネルを作ったのだそうだ。それで「基底トンネル」という名前が付いている。総延長距離57キロメートルで20年の歳月と1兆3000億円をかけたビッグプロジェクトである。そこまでしてトンネルを通したかったのは、この地域が交通の障害になっていたからだということだ。イタリアからスイスに抜けるルートはドイツやフランスまで続いている。物流上のボトルネックになっていて、トラック渋滞が慢性化しているのだそうだ。地域の環境保全にも良くくないためにトンネルの掘削を選択したのだという。

ドイツからスイスを通りイタリアに抜ける鉄道が構想されているが開通は早くとも2020年の見通しということだ。

「リーマンショック」を最初に使い始めたのは誰か

民進党の議員が日本語文書に入っていた「リーマンショック」という言葉が英語文書にない、印象操作だと息巻いている。知らなかったのだが、この用語は和製英語なのだそうだ。政府は英語にはない表現なので使えなかったのだろう。wikipediaの対応する英語項目は「リーマンブラザーズの倒産」で、重要ではあるが金融危機の一部にしか過ぎない。

まあ、それだけの話なのだが、別の疑問が湧く。この和製英語は誰が使いだしたのだろうか。これも今回始めて知ったのだが、Google Newsにはニュースのアーカイブ記事を日付付きで検索する機能がある。調べてみたところ、ロイターの記事が見つかった。リーマンブラザーズが破綻した翌日に銀行の株を中心に値を下げた。これを金融業界の人が「リーマンショック」と呼んだのだろう。当初は鍵括弧付きで報道したのだが、そのうち一人歩きをすることになったようだ。今では2008年金融危機のこととして一般に通用している。

要は株価急落がリーマンショックだったことになる。日本人にとって経済危機とはすなわち株価が下がることなのだろう。欧米では住宅ローンの破綻が相次ぎ、全体的な金融危機になっていた。リーマンブラザーズの問題だけでもなかったわけだ。また、リーマン・ブラザーズが破綻したから金融危機が起った訳でもない。だから金融危機をリーマンブラザーズの破綻で代表させることはできないのだ。

このショックという言葉の元祖はニクソンショックだろう。一般的には、アメリカがドルを金に交換するのを停止したことを指す。ニクソンショックは英語だった。その後オイルショックという言葉が生まれたが、オイルショックも和製英語なのだそうだ。その後「〜ショック」という言葉は使われなくなったのだが、2000年代後半のITバブル崩壊の頃から株価急落の意味で頻繁に使われるようになった。英語ではショックと呼ばずにクライシスというのが一般的なようである。

リーマンショック(2008年金融危機)は100年に一度の未曾有の状態と言われた。それが8年で再来するというのは、1000年に一度の東日本大震災がもうじき起るというのに似ている。とはいえ、翻訳文書に「リーマンショック」という言葉がないから「印象操作だ」というのも滑稽な話だ。そもそも国内でしか通用しない和製英語なのだ。

100円均一観葉植物の土は使えるのか

100円均一ショップで観葉植物の土を買った。ネットで調べると「100均の土は使わない方がよい」という話を多数見かける。本当のところはどうなのだろうか。

成分を見ると「ココピート」と堆肥を混ぜ合わせた土のようだ。赤玉土が入っているがごく少量。多分、100均の土を最大の欠点は、赤玉土に入っているだろう微量のミネラル成分が欠けているところなのではないかと思う。つまり、後から肥料を足してやることが前提になっているのだ。ココピートはピートモスと違って劣化による目詰まりは少ないそうだ。

ネットで調べるとココピートの原産地はスリランカだそうだ。輸入する際のトラブル(鉄くぎが入っていたり、塩害があったりする)が多数見つかった。多分もともとは産業ゴミ(つまりココヤシのゴミ)なのだろう。また有機質は酸度が高い可能性がある。一応、100均の土には酸度・塩分濃度に関する保証が書いてある。

今回植え替えたのはマダガスカルジャスミンとオリヅルランだ。マダガスカルジャスミンは10年選手なので扱いが雑になりがちだった。古土を使って植えていたのだが、土になじんでいない上に根に土が充満していない状態で半年放置されていた。そのような状態に比べると、100均の土は「まだ、まし」と言える。繊維質が根になじむので通気性はよくなるだろう。

またオリヅルランは持て余し気味で捨ててしまおうかというものだった。これは水苔でも育つほど丈夫なので土にはあまりこだわらなくても良さそうである。

土が余ったので余分な植木鉢にも入れた。ただし、使えるかどうかはオリヅルランなどの経過を見て判断したい。

ただし、どちらも肥料は必要そうなので、100均で観葉植物の肥料というものを買ってきた。コーヒー殻と紅茶殻でできているという怪しげなものだが、一応お守り代わりに蒔くことにした。繊細な植物には微量元素(マグネシウムなど)の補給が必要になるのだろう。また、酸度に弱い植物(タイム、ローズマリー、ラベンダーなど荒れ地で育つ植物)にはあまり使いたくない。また繊維質の土は乾燥には弱そうなので、素焼き鉢で外に置くというような使い道には向かなさそうである。最後にココピートは4〜5年でへたるそうなので、植え替えは必須だ。ただし、土を4年も放置するというのはなかなか考えにくい。

以上の特性をふまえると、100均の土はそこそこ使えそうである。植物繊維由来の土は軽いので持ち運びがラクな点はメリットと言えるだろうし、栄養を外から補給できるということはコントロールがラクということでもある。

いろいろ特性を考えると100均の土にも使い道はある。取り扱いが簡単そうなプラスティックの鉢も取り揃えているので、室内で気軽に観葉植物を育てるには悪い選択肢ではないのではないだろうか。

なお、100均には赤玉土や堆肥なども置いてある。これは小袋に入っており、ホームセンターなどと比べると単価が高いそうだ。しかし余った土を捨ててしまうよりも、少量買えた方が便利なこともあるかもしれない。六号鉢には2.2リットルの土が入るとされている。

Google Recommendation Advertisement



インド人は普段ナンを食べない説について考える

よく「インド人は普段ナンを食べないんだよねえ」という話を聞く。これ本当なのだろうか。ちなみに出てくる写真は全て北インド(デリー首都圏とジャイプール)のもの。

CIMG0028

普段のインド人が食べていると考えられるチャパティとカレーのセット。これで4ルピー。コフタらしいものが入ったカレーとお漬け物が付いていて、近くで働いているらしい人たちが集まっている。チャパティの枚数を聞かれた。枚数によって値段が違うらしい。つまりカレーは付け合わせみたいなものなのだ。

チャパティを作るためにはアタと呼ばれる全粒粉を使う必要があるのだが、これが意外と日本では贅沢品だ。アタ1kgが500円もする。(ちなみにリンク先はAmazonのアフィリエイトです。)ただし、発酵のような面倒な手続きは必要ない。混ぜて焼くだけ。

CIMG0120

エアコン付き(つまりちょっと高級な)急行電車に付いてくる朝飯。外国人だけでなく普通の人が使っている。サンドウィッチだった。イギリスの植民地だったわけで、当然インド人もパンを食べるわけだ。「インドではカレーしか食べられない」というのも本当ではないということになる。CIMG0130

ハーベリーと呼ばれる外国人向けのホテルで食べたナン。インドの家庭にはタンドールがなく、ナンはレストランで食べるものということだ。CIMG0154

これもレストランで食べたナン。前の写真は長円形だったのだが、こちらは正円。形もいろいろのようだ。これで100ルピー程度。日本円だと安く感じるが、多分インドではそれなりのお値段なのだろう。このように格差が非常に大きいのがインドで「一般のインド人は何を食べているか」という問い自体が成立しないものと思われる。白いのは米なので「米とナンが一緒に出てこない」というのも嘘らしい。
CIMG0156

おやつなのか、朝の軽食なのか分からないが、朝から混雑するサモサ屋台。ここにもタンドールはなく、油で揚げるためのコンロがある。群がっているのは男だけですね。サモサはカレー風味のジャガイモが入った三角揚げ餃子みたいなもの。CIMG0163

いきなりプーリーが出てきたが、これは南インド料理屋さんで食べたもの。バナナの葉で米という印象だがそれだけではないようです。プーリーはチャパティを揚げたもの。つまりこれも全粒粉らしい。カレーといってもいろいろな種類があり飽きないと書きたいが、これは個人的にカレーが好きだからですね。CIMG0173

ふたたび急行電車の食事。ご飯とチャパティ(丸まっている)が出てきた。普段の食事はチャパティというのは本当らしい。ホイルに包んであるのは暖めてあるから。インド=貧乏というイメージがあるのだが、冷たい弁当が主流の日本の新幹線より暖かい料理が出るインドの急行の方が贅沢なのかもしれないですね。CIMG0192

近所で買ってきたサンドイッチ。台湾、韓国、日本のようにコンビニで気軽に食事を買うというわけには行かないらしい。中の具材がカレー風味ということはなかった。ただし、付け合わせに買ったスナックはスパイシーだった。

もうそれでもカレーは嫌だという人にはマクドナルドもある。さすがに牛と豚は出てこない(ソーセージもチキンでできている)のだが、チキンハンバーガーを食べることができる。