面白い記事を見つけた。タワマンの「一斉老化」が止められないという記事である。面白いのは他人事として観察できるからである。日本人は議論ができないのでコミュニティ管理ができない。つまり日本人は「民主主義ができない」のだ。
この話は貴重なサンプルだ。日本人が民主主義ができないというと犯人探しに変わってしまうか、そんなのは決めつけであるという反発をうむ。<右傾化>著しい日本ではよくあることである。問題が切実になればなるほど「他人に変わって欲しいが自分は何一つ変わりたくない」と考えるのが日本人だ。言い換えれば日本人は自分が先に動いて損をしたくないのである。だから外から日本人の行動様式についてみないと我々日本人は日本人を観察できない。
この記事を読むと日本人ができないことがわかる。
- 日本人はまとまれない
- 日本人は話し合えない
- したがって、日本人は決められない
今回ご紹介するのは、タワーマンションが老朽化すると運営が立ち行かなくなるところが出てくるだろうという記事だ。その内容を見ると「決められない住民」という言葉が出てくる。では何故決められないのか。
タワーマンションは管理費の中から将来の改修費用を積み立てて行く。これが税金のような役割を果たしている。ただ、当初の見通しが甘く「税金」だけでは足りず将来行き詰ることが予想されているのだという。政治家が票を買うために甘い見通しを立ててあとで有権者が困って揉め始めるというのはよくある話だ。この場合は票ではなくマンションを買っている。
いずれにせよ甘い見通しを信じて人生設計した住民はどうしていいかわからない。それでもタワーマンションは上と下で収入格差があり意見がまとまらないようだ。記事には書かれていないのだが恐らく普段は上の方が偉いという上下意識があり下の人は反発しているのではないかと思う。当然「金持ちが多く負担すべきだ」という話になるだろう。また最下層には店舗も入っておりこれもまとめられない。村を原型に社会を組み立ててきた日本人はお互いの気持ちを慮りながら言語化して話し合いをすることができない。
ここで調停を求めるのだが、管理組合は「最終的には決めるのはオーナー様ですから」というような言い方をする。これは政治家や司法関係者が最終的に何も決めないのによく似ている。最終的には同じようなバックグラウンドの人たちだけであつまってバラバラに意思決定をするということが起こっているようだ。つまり、低層と高層で村が分かれてしまうのである。
もともと規制緩和でできた高層マンションにはまた運営のノウハウがない。そこで筆者は「国が入ってなんとかしてほしい」といっている。
国交省は、容積率を緩和し、補助金を投入してタワーマンションの建設を後押ししてきた。「都心回帰」の旗を振った責任があるのだから、一日も早く、ガイドライン作りを始めてほしいものだ。
タワマンの「一斉老化」が止められない…日本を蝕む「不都合な真実」
なんとなく気持ちはわかるのだが「規制緩和」というのは自分たちで判断するから好きにやらせてくださいということである。ところが日本人はここで「自分たちで判断しよう」というつもりにはならない。
住民には「主権者意識」がない。主権者はなんとかして物事をまとめて最終結論を出すという意思が必要なのだということがわかる。リスク評価と意思決定はしないのである。住民は希望は出すがあくまでもお客様気分であり経営のことは考えない。そして誰かに調停を求めていつまでもまとまらずに言い争いをする。裁定者は出てこない。誰も責任は取りたくないからである。だからいつまでも揉め続け、その間にも建物は老朽化してゆく。
多分一生に一度の買い物をした人も多いはずで、課題は切実なはずだ。しかし、それでも日本人はそうなる。本質的に「民主主義」ができないことがよくわかる。多分同じことはタワーマンションだけではなくいろいろなところで起こっているはずである。学級会くらいからやり直したほうがいいとは思うのだが、そもそも学級会運営のノウハウすらないかもしれない。
どうしてそうなるかはわからない。でもそうなるのだ。