ということで、Twitterに渦巻く不満の1/10でも生産的な活動に充てれば日本はもっとよくなるだろうシリーズの最終回。今回は好きなことをしようというものだが、サブタイトルは「狭き門より入れ」だ。
これまでの考察をまとめる。経済が成長しない理由はいくつかあるのだが、経済が複雑になりすぎていることが要因の一つになっている。このため単純で簡単なソリューションが求められているのだが、それは今までの経済の延長線上にあるものではないだろう。
組織が大きくなるとオペレーションが複雑になるだけでなく、労働者がコントロールできる領域が減る。労働者は自分の興味のあることにしか一生懸命になれない。成長とは余剰の蓄積なので、自分のやりたいことを通してしか経済成長はできないということになる。やる気を外から操作することはできないし、できたとしても持ち出しになる。人が自治できるのは自分が影響を及ぼせる範囲だけなので、影響を及ぼせない範囲では努力を控えるか、あるいは奪い合いが始まることになるだろう。
つまり自分がコントロールできる範囲で「やりたいことを追求したほうが」みんなが幸せになれる可能性が高いということになる。いろいろ遠回りしたのだが、市場経済のもっとも基本的な価値観を再学習しただけなのかもしれない。自分が得意なことをやって、相手の得意なものと交換するというのが市場主義経済であり、これを国レベルまで拡張したのが自由貿易構想だ。
ところが、これがなかなか難しいのではないかと思う。
第一に日本人は自分の意見を持たない。自分の考えに固執せずに回りにあわせるほうがよいことが多い。例えば「あなたはどんな政治的な意見を持っていますか」といわれても「みんなが受け入れられるようなふわっとしたこと」しかいえない。そのため、そもそもやりたいことがないかあったとしても言語化できない人が多いはずだ。この現象は子供のころにはすでに始まっているらしい。日本人はSNSで創造的な発信が世界一低いという国際的な調査すらある。
次にやりたいことを実現するために必要なスキルがない人が多い。文章を書いたり、絵を描いたり、プログラミングをしたりなどするためにはある程度の技術の蓄積が必要だが、「嫌なことをこなせてこそ仕事でそれ以外は単なるお遊びに過ぎない」ということを言う人がおり、そういう人たちが暗黙のルール(文脈依存でしか使えないことも多い)を押し付けてくる。すると、やっていることがなんとなくつまらなくなってしまうのである。
これを超えても、誰か他人のために何かがしたくなる傾向がある。いわゆる「大義のために」何かがやりたくなるわけだ。この大義がなかなか厄介だ。自分の願望を混ぜ込んだ大義はたやすく暴走する。それぞれの道には伝統からくる自律性があるはずなのだが、伝統から切り離された大義はその自律性を欠いていることが多い。これを原理主義という。
まとめると、意識化・技術・自発性という3つもの関門をくぐる必要がある。その関門を越えてやっと、私はやりたいことがあるからあなたのやりたいことも協力してあげるというミューチュアル(お互い様)の関係ができるのだろう。
ということで、今一度「自分のやりたいことって何だろうか」ということを考えてみるのがよいのではないだろうか。議論がはじまるのはずっとその先だと思う。