今年も終戦記念日が近づいてきた。テレビ局では昔の戦争の映像を見せながら「日本は再び戦争ができる国になってはいけない」と言っている。これを見ながらいろいろと考えた。最初は、なぜ東京オリンピックは戦争のメタファーで考えられるようになったのかという筋で一文書こうと思ったが、どうも面白くない。
最近、オリンピックが戦争のメタファーで語られるようになった。オリンピックは一部のお金持ちをさらに儲けさせるために誘致されているのだが、予算が足りないので、多くの人々が物資やサービスの無償提供を求められるようになっている。そもそも国威発揚を目的とした集団の競い合いであり戦争に似たようなところがあるのだが、日本では経済的に行き詰ってスキームを維持できなくなってきていることも第二次世界大戦に似ている。
ここで重要なのは多分オリンピックの是非ではなく、多くの人が経済スキームの維持を「徴用」のように感じ始めているということではないだろうか。
第二次世界大戦は、基本的には老人が外交政策の稚拙さの結果を若者に押し付けたという図式でからることができる。当時の金本位制をうまく扱えなかったことと人口が増え続ける農村部に十分な農地を与えられなかったことなどが経済の行き詰まりを産んでおり、中国大陸に進出することでその行き詰まりを解決しようとした。そこでアメリカとぶつかり、さらに傀儡政権の運営にも失敗した。満州国は傀儡政権に他民族を抑圧させておけばよかったのだが、日本人が他民族を抑圧し、後々とても恨まれることになった。この辺りの事情はよくわからないが、日本では社会的に下位のグループだった人たちが、いきなり主人のように振る舞ったのが原因なのではないかとも思う。つまり支配することの怖さがよくわかっていなかったのではないだろうか。
同じように現在では土地バブルから以来の経済政策の行き詰まりのツケをバブル期以降に大人になった人たちに背負わせている。このため先行きが見えないという人が多いのだが、老人たちは反省するどころか「生活態度がなっていない」とか「仕事も子供も両立させたいなど贅沢だ」などといってさらに恨みを買うことになっている。
その意味では日本は戦争状態にあると言っていいだろう。今ある体制を守るために、年が若く立場が弱い人たちから使い捨てられるという世界である。
で、あればこの人たちは誰が救ってくれるのだろうかという疑問が出てくる。誰か外にいる敵と戦っているわけではないのだから負けることはありえない。ということはGHQもやってこない。したがって、この戦争はずっと続くことになるのだろう。
さて、こうしたことを考えながら終戦の日の特集を見ていた。すると識者と言われる人たちはほとんどが老人であって、日本は戦争から解放されて平和になったと言っていることに違和感を感じるようになった。この人たちは高度経済成長を経験していてそれなりの達成感に裏打ちされた成功体験を持っている。つまり、日本が平和国家として国際社会に参加することによって経済的なメリットがあった世代だった。だから平和憲法を肯定することができ、なおかつその美しさを称揚することによっていい気分に浸ることもできるのである。
だが、今の若い人たちにはこうした体験がない。そしてどうしたら同じような体験ができるかどうかはわからない。さらに上の世代からは説教がましく憲法第9条は素晴らしいなどと言われる。こういう人たちに日本は平和国家なのだからそれに感謝しようなどと言ってもほとんど意味がない。それどころか恨みを買う可能性すらある。
行き詰まりを感じている人たちが、何を経済停滞の原因だと考えているのかはわからないのだが、一部の人たちは中国や韓国が侵攻してくることが停滞の原因だと考えているかもしれない。彼らは中国を叩きたいが、どうしていいかわからないので、日本が軍隊を持てば国際的な力がまして日本が有利になるだろうという提案に乗っている可能性はある。
このため、高度経済成長を知っている世代と知らない世代では政党に対するものの見方が全く違っている。高度経済成長を知っている世代は、現実的な政策に終始する自民党を牽制する存在としての左派勢力が先進的に見える。一方で若い世代は左派勢力は弱者のわがままか中国の手先のように思っているかもしれない。
いずれにせよ、現在のように「戦争は庶民の暮らしを破壊する」というような観点で戦争に反対する番組を作るのは、ある程度以下の年代の人たちにはあまり受け入れられないのではないかと思う。それどころかそうした番組に陶酔することで、却って若年層の反発を招く可能性すらある。
いろいろな対策が考えられるが、第二次世界大線だけでなく、それ以外の戦争でも庶民の生活が破壊されるということを例示する必要があるだろう。例えばシリアなどがその事例である。いわゆる若年層のネトウヨという人たちを非難しているだけでは、次世代に戦争をしてはいけないというメッセージを伝えることはできないのではないだろうか。