日馬富士の暴行事件が思わぬ方向に展開している。最初は「暴力はダメだろう」というような論調だったのだが、次第に貴乃花親方の挙動がおかしいという話になってきた。診断書が二枚あり貴ノ岩も普通に巡業に参加できていたというのである。さらに協会側は医師のコメントを持ち出してきて「疑いとは書いたが相撲はできるレベルの怪我でしかなかった」などと言わせた。つまり、状況的には貴乃花親方が「嘘をついている」ということになる。さらに親方は普段から目つきがおかしく「何か尋常ではない」ものが感じられる。
これだけの状況を聞くと「貴乃花親方の挙動はおかしい」と考えるのが普通だろう。
いろいろな報道が出ているが毎日新聞は面白いことを書いている。相撲協会は力士の法的なステータスを明確化しようとして誓約書の提出を求めたが「親方が絶対だ」という貴乃花親方だけがそれに協力しないのだという話である。
普通に考えると相撲は近代化したほうがよい。いろいろな理由があるのだが、一番大きな理由はリクルーティングの困難さである。力士には第二の人生があり、そもそも力士になれない人もいるので、相撲について「仕込む」のと同時に相撲以外の社会常識を教えたり、関取になれなかった時の補償などをしてやらなければならないからである。
そう考えると、この問題の複雑さが少し見えてくる。貴乃花親方は「たまたま成功した」が「相撲以外のことを全て失ってしまった」大人なのだ。
第一に貴乃花親方の父親はすでになくなっており、母親はすでに家を出ている。さらに兄とも疎遠である。さらに実の息子も「ここにいたら殺される」と思ったようで、中学校を卒業してすぐに留学してしまった。現在相撲とは全く関係のない仕事をしているそうであるが、これは家族の離別ではなく「美談」として語られている。相撲界は個人としてもいったん外に出ると戻ってこれない片道切符システムなのだが、それは家族の領域にも及ぶ。
加えて中学校を卒業してからすぐに部屋に進んだため高校に進学していない。中卒が悪いとはいわないが、相撲で現役を退いたあとすぐに親方になっており社会常識を身につける機会はなかったはずである。しかし、相撲のキャリアとしてはいったん外に出て社会常識を身につけた上で復帰するという制度は考えられない。
さらに、相撲の影響で体にかなりの影響が出ているようである。Wikipediaを読むと「右手がしびれて使えない」とか耳が聞こえにくく大きな手術を余儀なくされたとある。
「相撲に命をかける」といえば聞こえはいいが、家族と断絶し学歴や社会常識を得る機会も奪われた。さらにそれだけではなく健康すらも害しており「もう相撲で生きてゆくしかない」ということになるだろう。そして、これは貴乃花親方個人の問題ではない。
もともと相撲は興行(つまり見世物のことだ)のために必要な力士を貧しい農村部などから「調達」してくるという制度だったようだ。
花田一族で最初に相撲の世界に入った初代若乃花(花田勝治)は青森のりんご農家に生まれた。しかし一家は没落してしまい室蘭でその日暮らしの生活をしていた。戦後すぐに素人相撲大会にでて力士の一人を倒したことで相撲界にリクルートされたという経歴を持つ。しかし、働き手を失うとして父親から反対されたので、数年でものにならなかったら戻るという約束で東京に出てきて「死に物狂い」で稽古をして強い関取になったとされる。これは美談として語られている。
しかしながら実態はどうだったのだろうか。厳しい練習をしても相撲で食べて行けるようになるかはわからない。東北・北海道の寒村というものは日本から消えており「全てを投げ打って相撲にかけるしかない」という地域は消えてしまった。
実は、モンゴル人の力士はこのような背景から生まれている。つまり日本で力士が調達できなくなったから貧しいモンゴルから連れて来ればよいと考えられるようになったのだろう。しかし、当初の目論見は失敗に終わる。
最初のモンゴル人力士たちは言葉がわかるようになると「これはあまりにも理不尽で将来に何の保証もない」ことに気がつき脱走事件を起こした。逃げ出さないようにパスポートを取り上げられていたので大使館に逃げ込んだそうだ。これが1990年代の話である。つまり日本がバブルにあったので力士調達ができなくなった時代の話なのである。
しかし、中国とロシアが世界経済に組み込まれるとモンゴルにも経済成長が及んでおり今までのようなやり方で見世物のために力士を調達することはできなくなっている。だから、相撲協会はなんらかの形で現代化してスポーツ選手としての力士を「養成」しなければならない。
ところが、相撲協会は、大相撲が興行だったころの体質を残している。もともと興行主である「相撲茶屋」が興行収入を差配していたようだが、これを力士で運営して利益配分しようという制度に変えつつあるようだ。つまり資本家から独立した労働者が利益を分配しようとした「社会主義革命」だということになる。相撲協会はソビエトのようなものだが、共産主義は例外なく労働者の代表が新しい資本家になってしまう。
2010年の貴乃花一門独立騒ぎでは、貴乃花は「改革の担い手」だと認識されたのだが実際には「旧態依然とした相撲道のために全てをなげうつ」という現在では通用するはずもない価値観の犠牲者になっていることが判る。
相撲はこのように多くの矛盾を抱えており潜在的には存続の危機にあるのだが、相撲ジャーナリズムはこのことを真面目には考えていないようだ。彼らは相撲協会と精神的に癒着した利益共同体を形成しており批判的な態度を取れば取材が難しくなる。
さらに相撲の商品価値を高めておく必要があり話を美しく「盛る」必要があり、全ての矛盾を隠蔽したまま「品格」というよくわからない言葉で全てを包んで隠蔽しているのである。
「品格」という言葉は聞こえはいいが、実は何が品格なのかというのは誰にもわからない。にもかかわらず相撲で成功してしまった貴乃花は家族と孤立し健康も失い社会常識を身につける機会もなく、変化にも対応できなくても一生品格という言葉に縛り付けられることになるだろう。それがどのような人生なのかは想像すらできないが、過酷なものであることだけは間違いがないだろう。