先日、ある識者が「沖縄方言は標準文法と語彙が整備されなかったので独立した言語ではない」と言う論を展開していたのを見た。最初はネトウヨ目当ての記事だから目くじらを立てるのもどうかと思うのだが、しばらく寝かせていて考えを改めた。これはとても危険な試みのように思えてきたからである。
以前にアイヌ語について同じことを言っている人を見たことがあるので、こうした筋の議論はネトウヨ界隈では定説になっているのかもしれない。絡まれると怖いので原典はリンクしないが、まとめるとこんなことを言っている。
沖縄の人たちが話してきた琉球言葉は日本語と同系統の言葉だ。方言言なのか別の言語なのかといえば、独立した言語として成立するためには、文法がしっかり整備されたり、辞書が編纂されたりすることが決め手だが、そこまでに至らないまま明治時代に完全に日本に併合され本土の言葉が普及した。
この記事が許容できないのは、この考え方が帝国主義の文脈を持っているからである。
この文章は「ウーマン村本という人の妄言をただす」というようなタイトルになっており、人を教化する文脈で国際的には受け入れられそうにない主張をあたかも正解のように語っている。これをリベラルな人たちが読むとも思えないのだが、保守思想に共感する人たちに「正解」として普及し、実際にマイノリティの攻撃に使われる。そこが問題なのだ。
この主張を展開すると「ある一定の時点までに文法と語彙が整備されれば主権を持った言語として認めてもいいが間に合わなかったから方言的ステータスになる」と言っていることになる。これはある時点までに主権国家ステータスが得られれば主権国家格が得られるがそうでない国は植民地になっても構わないというのと同じ言い方になる。
「そんな大げさな」と思う人もいるかもしれないのだが、もともと言語・方言論争というのは極めて政治的な色合いが高い。多くの主権国家が国内でマイノリティを踏み台にしてから海外に出かけていったという歴史がある。彼らは出かけた先でさらに遅れた人たちを目にして「神様に選ばれた」という過剰な選民意識を募らせてゆく。この動きはイギリスやフランスなどから始まり、ドイツや日本は遅れて植民地獲得競争に乗り出した。最終的に起こったのが第二次世界大戦だ。
何が言語で何が方言かという議論に科学的な根拠はない。例えば、一般的にスペイン語とポルトガル語は別の言語だとされている。それぞれの言葉を公用語とする地域があり、これを同一言語という人はいないだろう。だが、この二つの言葉には語彙にも文法にも方言程度の違いしかない。
スペイン語とポルトガル語が兄弟のような関係にあるのに比べて、スペインの域内にあるカタルーニア語はオクシタニア・ロマンス語という別のグループに入っている。オクシタニア・ロマンス語はスペイン東部からフランス南部で話される言葉であり、一般的には「スペイン語」と「フランス語」と見なしうる言語が含まれている。実はフランス語も別のグループに入っており、フランス・スペイン圏は三つの異なったラテン語系の言語群を抱えていると言える。
シノドスにカタルーニアの独立運動についての歴史が書かれている。スペイン中央政府はカタルーニア語の使用を禁止する弾圧を行った。これが現在まで尾を引いており独立運動まで起きているということはすでによく知られている。
極めて不安定な政情の中で自治が開始されたが、それも軍のクーデターが引き金となったスペイン内戦(1936~39年)の中でついえ、内戦後に成立したフランコ独裁体制は、民族主義的な政治・文化活動はもちろんのこと、カタルーニャ語についても公的な場での使用を禁止した。
こうした複雑な事情を抱えるのはスペインとフランスだけではない。イタリア語も実際には西ロマンス語と南ロマンス語という別のグループに割り当てられる方言(あるいは言語)群から成り立っている。標準イタリア語があり文法と辞書が整備されているからその他の言語は方言にしかならないという定義をイタリア人に説明すれば、多分かなりの反発を受けることになるだろう。これはイタリアでは政治的問題化してい、北イタリアは独立こそ求めないが自治権を充実させて税金の使い道を決めたいという動きがある。
方言か言語かという話がセンシティブなのはマジョリティの側がマイノリティの言語を「単に方言だから」とみなして弾圧した歴史があるからだ。例えばフランスは特に非ラテン語系の言語を中心に弾圧した歴史がある。これについてよく知られているのが「最後の授業」である。ある年代の人たちは国語で習ったのではないか。
「最後の授業」はプロシアに占領されてフランス語が教えられなくなった教師が「ビブ・ラ・フランス(フランス万歳)」と唱え、それを聞いた生徒が真面目にフランス語を勉強しなかったことを後悔するという筋の話だ。しかし実際にはアルザス地方ではドイツ語系の言葉が話されており少年がまともにフランス語を話せないのは当たり前だった。当然少年は学校でフランス語以外の言語を禁止されていたのだろうから、少年にとっては「ドイツ語系の言葉」の解放であったはずでそれを悲しむはずはない。
この話のポイントは「フランス語こそが美しい言葉であって、ドイツ語などはくだらない言葉である」という国内向けの意識づけだ。言語を方言と貶めたりまた方言を言語化したいという欲求は民族意識と結びついている。だが、このような民族意識は一方で大きな反発を生むのである。
アイルランドと異なり,スコットランドやウェールズは,早い段階からイギリスに併合されていた. 1536年にウェールズがイングランドに併合されると,ウェールズ語が英語よりも劣った言語と見なされ,法廷で は英語使用が義務づけられた.さらに1870 年の教育条例により,ウェールズ語使用を禁止する運動(Welsh Not )も起こり始める.同時期の産業革命の影響と相俟って,19 世紀中盤からウェールズ語話者が急激に減 少し,その後 世紀に入っても減少傾向は止まらなかった.
ヨーロッパにはラテン語系・ドイツ語系・スラブ系・ケルト系・バスク語などの様々な系統の言語があり、支配層と被支配層が異なった言葉を話していた地域も多い。
こうした同化政策は日本にも取り入れられ「方言札」を使って沖縄や南洋諸島で現地の言葉を使う人たちを辱めたという歴史がある。だから「帝国主義の文脈で語られるのはヨーロッパだけで日本は関係ない」とは言えない。日本が民族国家として主権格を求めた時に同時に行ったのが同化政策だったので、むしろ「正しく理解したが故に同化政策を推進した」という方が正しい。琉球の方言と同じくアイヌ語もこの文脈で禁止されている。前回見た「アイヌ語は言語ではない」が有害な理由は、こうした帝国主義的な歴史と関係がある。そして、それを朝鮮半島に拡大し名前を変えさせたりした。その時も強制同化策とはいわず「かわいそうな朝鮮人が希望をしたから氏を与えてあげる」とやったのだ。
さらに、現代でも日本は沖縄に米軍基地の大半を押し付けている。本土の我々がそれほど罪悪感を抱かないのは、やはり本土とは違った歴史のある特殊な地域であり、我々には関係ないと思っているからだろう。つまり、沖縄と本土の間には差別・被差別の関係があり、本土がそれを容認したままで日米同盟に依存しているというのは、残念ながら否定しがたい事実だろう。
しかしながら「言語を否定されても同化させてもらえるならいいではないか」という次の疑問が浮かんでくる。これを明確に否定するのがアーレントである。「全体主義の起源」は民族国家の中で起こった過剰な同化欲求が異物を排除する過程で「皆殺しにしてしまえ」というほどの脅威に変わってゆく姿を検証している。その脅威は国民の間から「自発的に」湧き上がっており、最終的にはその国民全体を巻き込んだ悲劇に発展した。
このことから、同化欲求や言語の序列化が無知から来るものであった方が悲劇性が高くなりそうだということだということがわかる。わかって扇動している人たちはまだ意識的にやっているのだろうからある程度で歯止めが効く可能性もある。しかし、わからないでそうした枠組みを植え付けられた人たちにそうした歯止めはない。当然のことのようにしてそれを選択しそれに慣れてしまう。そして、その先に何が起こりうるかということは考えない。
だから「ある言葉は言語であり、別のものは方言である」とか「民族として優れた文化がないから否定しても構わない」という主張はその都度潰しておく必要があるということになる。また、そうした主張は社会を滅ぼしかねないということも明確に知っておくべきであろう。