日本体操協会で揉め事がおきている。またかという気がする。
スポーツをめぐっては、内柴事件(2011年)、女子柔道(2013年)、相撲(2017年)、女子レスリング伊調馨事件(2018)、日大アメフト部特攻タックル事件(2018年)、水球女子日本代表パワハラ事件(2018年)、日本レスリング連盟事件(2018年)と数々の事件が起きているが、どれももやもやを残したままで消費されているのが実態である。
それぞれの問題には特徴があり一概に共通点を見つけることはできない。個人スポーツもあれば団体競技もある。オリンピックだけでなく興行的な色彩を帯びた相撲でも問題は起きている。唯一の共通点はどれも閉鎖空間で起きており周りの目が行き届きにくいという点である。問題は長い間放置されているのだが、一旦マスコミに漏れると大騒ぎになり「ガバナンスの問題だ」ということになるという経緯がとてもよく似ている。村の恥が外にさらされると世間の目が「酸素」のような役割を果たして炎上するのである。
今回の問題はその中でも最も複雑な部類に入るのではないかと思われる。問題の経緯が複雑で一概にどちらが悪いとは言い切れない。選手とコーチの間の暴力問題があり、それとは別に女子体操の私物化問題がある。この二つの要素が絡み合っており「悪者」が特定しにくい。
問題の発端は、宮川紗江選手のコーチが暴力問題を起こしたとして「期間を定めずに」コーチの資格を剥奪されたというものだった。これに怒った宮川選手(なぜかコーチではなく)が実名で記者会見をした。そこで宮川選手が訴えたのは朝日生命体操クラブへの不自然な勧誘行為だった。コーチも「裁判に訴える」などとと言っていたのだが、話が大きくなったことに驚いたのか仮処分の訴えを退けてしまったため、宮川選手の告発が宙に浮いた。最終的には塚原千恵子(強化本部長なのだが女帝という言葉の方がふさわしい)と宮川選手の直接対決になっている。
当初テレビ朝日が問題の沈静化を図ったので、フジテレビが宮川選手に単独インタビューを行い「対立」の構図がクローズアップされることになった。
こうした経緯がわからないとハフィントンポストの記事を読んでも何が何だかさっぱりと見えてこない。
キャラの濃い登場人物たち
日大アメフトの問題ではものが言えない選手たちと高圧的な監督という権力格差があったが、今回の場合宮川選手が告発に踏み切ったために「キャラの濃い」人たちの群像劇になっておりワイドショー的には極めて面白い。
まず宮川選手は単なる被害者ではなくかなり腹が据わった女性のようである。こういう強さがないとオリンピックで代表になれないんだろうなとは思う。だが「このコーチでなければダメだ」という思い込みも見られる。中には共依存という言葉を使って説明しようとする人もいるくらいである。つまり、表向きの強さと暴力さえも許容してしまう態度が共存してしまっているのである。
それに比べてコーチは様々なしがらみがあったのだろう。暴力癖があり感情が抑えられない上に、永久追放ではなく体操協会に従えば戻れる可能性があるということがわかると訴えを取り下げて宮川選手を見放してしまった。
さらに塚原夫妻(特に奥さんの方)は恰幅がよくワイドショーで悪役を努めるのにもってこいの顔をしている。フジテレビは彼女を悪役に仕立てるつもりのようで悪い女性の声色を使った演出を試みていた。夫の方も終始一貫しない態度が際立っている。「100%悪い」と言ってみたり「記者が指摘する意味とは違う」などと発言がコロコロ変わる。
どうやら昔から朝日生命体操センターに選手を引き抜くためにオリンピック強化プログラムを私物化していた疑惑があるようで、今回も正規の強化選手枠と塚原夫妻が立ち上げた強化プログラムの二本立てになっていることが問題になっている。正規のプログラムに従うと私物化ができないので、独自のプログラムを使って「裁量権が行使できる」ようにしていたと指摘されているのである。また谷岡学長が「伊調馨さんはまだ選手なんですかね」と切り捨てたように塚原千恵子さんは「宮川さんは最近成績が悪かった」と切り捨てるような発言をしている。小池百合子東京都知事にも言えることなのだが、女性の方が切断処理があからさまで容赦がない。これも彼女を悪役キャラに見せている大きな要因だろう。
体操協会もはっきりしない。「まだ何もわからない」としつつも「膿を出さなければならない」などと言っている。これまで「となり村で何が起こっても感知しない」というような態度だったのだろうが、世間の矛先がこちらに向かいかねないので慌てているのだろう。
この問題で唯一出てこないのは体操協会の会長だ。元ジャスコの社長で二木英徳さんという。実質的に体操には関与しておらず「体操協会の象徴」のような存在なのだろう。つまり統一的なガバナンスはなく男子と女子が「好き勝手に」運営していたのが日本体操協会なのだということになる。
自我の不形成と閉鎖集団
この問題を見ていると、自我が形成されていない人たちが閉鎖的な集団を作るとどうなるかということがよくわかる。この点では早くから入門して世間を知らずに育つ相撲とよく似ている。
体操は10代の後半から20代の前半がピークなので、自我が形成されていない早いうちから指導が始まる。そこで行き過ぎた暴力が生まれるのだが、団体競技ではないのでコーチと選手の間に親密な関係性が生まれやすい。宮川選手はPC的な観点から「暴力はいけない」などと言っているが実は家族も含めて暴力も「愛情表現がたままた行き過ぎただけ」だと容認している様子がうかがえる。プロになったりすると「自分で判断」する必要が出てくるのだ、プロのない体操では自我の不形成はそれほど大きな問題にならないのかもしれない。
さらに競技団体の私物化も行われていたようだ。当初、塚原負債が朝日体操クラブになぜ傾注するのか疑問だった。Wikipediaを読むともともと塚原千恵子コーチらが朝日生命の協力の元で立ち上げたクラブが母体なのだが、朝日生命は経営から手を引いており「協賛」という形で名前を使わせているだけのようである。つまり実態は「塚原体操クラブ」に有力選手を引き抜いて経営を安定させようとしていたということがわかる。問題は私企業の経営者が長い間体操協会の握っていたという点なのだろうが、それにしてもこうした慣行が長い間放置されていた理由がよくわからない。
だが経営能力の欠如は致命的だ。女子柔道も朝日生命体操クラブも行き詰っている。女子はオリンピックでは何大会もメダルに手が届かない。男子では塚原直也、内村航平までは選手が順調にメダルをとっていたのだが、そのあとの選手が出てきていない。リオオリンピックの団体選手もコナミスポーツが目立っているくらいである。コナミスポーツの方が組織的に運営できており選手層が厚いのだろう。こういった焦りが強引な勧誘行為につながったのではないかと思われる。有力な選手の引き抜きはかなり認知されていたようで、元選手たちも含めて「宮川さんを応援する」と言っている人が多い。中には「元朝日生命体操クラブなのだが宮川さんを応援する」と言っている人もいる。
対立に拍車をかけた偏向報道
このニュースでは当初テレビ朝日が協会側に立った報道をしていた。羽鳥慎一のモーニングショーでは、司会の羽鳥が元アナウンサーの宮嶋泰子を「この人はすごいひとなんです」と紹介したのだが、予断を与える言い方に「いくらなんでもこれはひどすぎるな」と思った。宮嶋は過去の取材経験から体操協会側の人間であることがあからさまである。背景を調べてみると、テレビ朝日がようやく獲得した放送権をめぐる事情がありそうだ。テレビ朝日は2018年10月の世界体操の放送権を持っている。フジテレビがNHKから引き継いで放送をしていたのだが、2017年からはテレビ朝日が担当しているということである。
テレビ朝日がこのようなポジションをとったので、これを好機とみたフジテレビは多分夏休み中だった安藤優子を召喚して宮川選手にインタビューを試みていた。こうして対立構造が作られてしまったのである。
ただ、選手が宮川側につき体操協会の側も「膿を出し切らなければ」ということになった途端にテレビ朝日は「やはり塚原夫妻側にも問題があったのかもしれない」などと言い出している。こうした態度が一貫しない日和見的な局が安倍政権批判をしても「結局は商売でやっているだけなんだな」ということになる。結局政権批判ごっこに過ぎないわけである。
経営のプロがいない
改めて考えてみると、体操選手出身の人たちが協会やクラブの経営を任されるという状態になっており、日本には経営のプロがいないことがわかる。経営文化という意味では町の少年野球団と変わりはない。これまでなんども見てきたように、こうした人たちが自分たちだけでどうにかしようとしているうちに状況が悪化してきてしまい、周囲を巻き込んで大騒ぎになる。
スポーツでは多額の金が動く。さらに選手の側もオリンピックに出られるか出られないかで人生が大きく変わる。つまり、もはや少年野球団の素人経営者だけでは運営ができなくなっているのだ。かといって全てに国が出て行って関与することもできないしやるべきでもないだろう。プロの経営者がスポーツマネジメントに積極的に関与する必要がある。
最近ワイドショーであまりにも同じようなパターンが繰り返されるので「政治のいざこざを忘れさせようと政府が何か企んでいるではないか」という人もいるのだが、実は外からの文化をまったく受け入れない内向きな姿勢が制度疲労を起こしているのだろうと思う。ただ、マスコミには問題解決をする姿勢は見られない。視聴者の様子を見ながら日和見的に態度を決めているだけなので、いつまでたっても「膿」が外に出てくるばかりで治癒しないのである。