前回の「情弱」の人にまた絡まれた。うざいなあと思ったのだが一応返事しておいたのだが、あまり建設的でないなあと思った。どうやら「自分た正しくてお前が間違っている」ということが証明したいだけらしいからだ。
もちろん、こうした人たちとの対話が全く役に立たないというわけでもない。今回は自民党の憲法議論について絡まれたのだが、「安倍さんは自衛隊を憲法の中に位置付けたいだけだ」という。確かに表面的に見ると安倍さんは受け入れられやすいことを言っているだけのようにも思える。論じると色々な不具合が出てくるのだが、それは正常な人間がプロセスというものを気にするからだ。安倍さんを含めてネトウヨの人たちは結果しか気にしないのだ。
さらに調べてみてわかったのは、石破さんが自民党の憲法を決める会の顧問という立場にあり、安倍さんはそれに(まあ首相なので当然なのだが)に関わっていないということだ。憲法に詳しい人ほど「下手箒庵は出せない」と思うのだろう。何をどう変えるかについての結論が出せないらしい。安倍さんはこれにイラついていて「メンバーを入れ替えて結論を出させる」ように誘導したいようだ。石破さんは多分それに不快感を感じているのかもしれない。
絡まれると一応それについて調べるので少し詳細がわかる。だから異論も役には立つ。逆に左翼系の人たちはあまり読み込まずにタイトルだけ見て礼賛してくるが「自分とちょっと違う」ことがわかると怒り出したりするので、新しい発見があるという意味ではネトウヨの絡みの方が役に立つ部分が多い。だがやはり総合的に考えると単なる時間の無駄だ。
どちらも「とにかく相手が間違っている」か「とにかく相手が正しい」と考えているために「折り合って着地しよう」というコラボレーションが一切生まれないのだ。極端な言い方をすると日本の教育の闇を感じる。結果だけを詰め込んでそれをとにかく信じるように教え続けた結果なのではないかとさえ思う。
ところが、ある考えをきっかけに劇的に視野が変わった。この人はなぜ個人の落書きみたいなブログを見て「それを打倒しなきゃ」と思ったのだろうかということを考えたのだ。フォローはされていないらしいのだがモニターされているようなので気にしてはもらっているらしい。「言論としてある種認められたんだなあ」という結論に達した。正直なところかなり気持ちが良くて、人並みに自尊心があるんだなあなどと思った。
もともとこのブログは個人の読書日記から派生したのだが、その前には「世の中はくだらない。俺様の考えは〜だ」みたいなブログを図入りで書いていたことがあった。が「私」が過剰に入った読み物はあまり面白くないし、誰も読んではくれない。ということで読んだ本の感想を書くことにした。書いて感想を書いておかないと忘れてしまうからである。単なる備忘録なので誰かが賛同したり反発したりということは原理上起こらないはずなのだ。
皮肉なことだなあと思うのだが、強烈な主張や一人語りは多くの人たちの心を動かさないようだ。一方で、自分の主張を抑えて周囲を観察しそれに自分なりの観察を加えると徐々に読まれるようになってくるということなのかもしれない。
ネトウヨの人たちはプロセスを気にしないで「俺様の主張」を相手にも押し付けてくる。それにお付き合いしてしまうと「主張合戦」になり本当に解決したかった問題がわからなくなるし、過剰な自己主張は誰にも耳を傾けてもらえない。そもそもお付き合いする義理はないわけだし適当にお付き合いしている分には新しい発見があって良い。
例えていえば星座の味方が違っているようなもので折り合いがつかない。ネトウヨは地球から見た星の関係が「オリオンの形に見える」などと思っていてそれが唯一の正解なのだが、実際にはこれらの星々には何のつながりもない。いろいろな角度から見なければ本当の関係性はわからない。がネトウヨは「本当の関係なんかわかってどうするのか」と思うのだろう。
ということで絡んでくる人に対しては「俺のファンなんだな」と思っているくらいがちょうど良いのかもしれない。